青空文庫アーカイブ



浅草公園
――或シナリオ――
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)浅草《あさくさ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時々|玩具屋《おもちゃや》の前に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)下げたかもじ[#「かもじ」に傍点]
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          1

 浅草《あさくさ》の仁王門《におうもん》の中に吊《つ》った、火のともらない大提灯《おおじょうちん》。提灯は次第に上へあがり、雑沓《ざっとう》した仲店《なかみせ》を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。門の前に飛びかう無数の鳩《はと》。

          2

 雷門《かみなりもん》から縦に見た仲店。正面にはるかに仁王門が見える。樹木は皆枯れ木ばかり。

          3

 仲店の片側《かたがわ》。外套《がいとう》を着た男が一人《ひとり》、十二三歳の少年と一しょにぶらぶら仲店を歩いている。少年は父親の手を離れ、時々|玩具屋《おもちゃや》の前に立ち止まったりする。父親は勿論こう云う少年を時々叱ったりしないことはない。が、稀《まれ》には彼自身も少年のいることを忘れたように帽子屋《ぼうしや》の飾り窓などを眺めている。

          4

 こう云う親子の上半身《じょうはんしん》。父親はいかにも田舎者《いなかもの》らしい、無精髭《ぶしょうひげ》を伸ばした男。少年は可愛《かわい》いと云うよりもむしろ可憐な顔をしている。彼等の後《うし》ろには雑沓した仲店。彼等はこちらへ歩いて来る。

          5

 斜めに見たある玩具屋《おもちゃや》の店。少年はこの店の前に佇《たたず》んだまま、綱を上《のぼ》ったり下《お》りたりする玩具の猿を眺めている。玩具屋の店の中には誰も見えない。少年の姿は膝の上まで。

          6

 綱を上ったり下りたりしている猿。猿は燕尾服《えんびふく》の尾を垂れた上、シルク・ハットを仰向《あおむ》けにかぶっている。この綱や猿の後ろは深い暗のあるばかり。

          7

 この玩具屋のある仲店の片側。猿を見ていた少年は急に父親のいないことに気がつき、きょろきょろあたりを見まわしはじめる。それから向うに何か見つけ、その方へ一散《いっさん》に走って行《ゆ》く。

          8

 父親らしい男の後ろ姿。ただしこれも膝の上まで。少年はこの男に追いすがり、しっかりと外套の袖を捉《とら》える。驚いてふり返った男の顔は生憎《あいにく》田舎者《いなかもの》らしい父親ではない。綺麗《きれい》に口髭《くちひげ》の手入れをした、都会人らしい紳士である。少年の顔に往来する失望や当惑に満ちた表情。紳士は少年を残したまま、さっさと向うへ行ってしまう。少年は遠い雷門《かみなりもん》を後ろにぼんやり一人佇んでいる。

          9

 もう一度父親らしい後ろ姿。ただし今度は上半身《じょうはんしん》。少年はこの男に追いついて恐る恐るその顔を見上げる。彼等の向うには仁王門《におうもん》。

          10[#「10」は縦中横]

 この男の前を向いた顔。彼は、マスクに口を蔽《おお》った、人間よりも、動物に近い顔をしている。何か悪意の感ぜられる微笑《びしょう》。

          11[#「11」は縦中横]

 仲店の片側。少年はこの男を見送ったまま、途方《とほう》に暮れたように佇んでいる。父親の姿はどちらを眺めても、生憎《あいにく》目にははいらないらしい。少年はちょっと考えた後《のち》、当《あて》どもなしに歩きはじめる。いずれも洋装をした少女が二人、彼をふり返ったのも知らないように。

          12[#「12」は縦中横]

 目金《めがね》屋の店の飾り窓。近眼鏡《きんがんきょう》、遠眼鏡《えんがんきょう》、双眼鏡《そうがんきょう》、廓大鏡《かくだいきょう》、顕微鏡《けんびきょう》、塵除《ちりよ》け目金《めがね》などの並んだ中に西洋人の人形《にんぎょう》の首が一つ、目金をかけて頬笑《ほほえ》んでいる。その窓の前に佇《たたず》んだ少年の後姿《うしろすがた》。ただし斜《なな》めに後ろから見た上半身。人形の首はおのずから人間の首に変ってしまう。のみならずこう少年に話しかける。――

          13[#「13」は縦中横]

「目金を買っておかけなさい。お父さんを見付《みつけ》るには目金をかけるのに限りますからね。」
「僕の目は病気ではないよ。」

          14[#「14」は縦中横]

 斜めに見た造花屋《ぞうかや》の飾り窓。造花は皆竹籠だの、瀬戸物の鉢だのの中に開いている。中でも一番大きいのは左にある鬼百合《おにゆり》の花。飾り窓の板|硝子《ガラス》は少年の上半身を映しはじめる。何か幽霊のようにぼんやりと。

          15[#「15」は縦中横]

 飾り窓の板硝子越しに造花を隔てた少年の上半身。少年は板硝子に手を当てている。そのうちに息の当るせいか、顔だけぼんやりと曇ってしまう。

          16[#「16」は縦中横]

 飾り窓の中の鬼百合の花。ただし後ろは暗である。鬼百合の花の下に垂れている莟《つぼみ》もいつか次第に開きはじめる。

          17[#「17」は縦中横]

「わたしの美しさを御覧なさい。」
「だってお前は造花じゃないか?」

          18[#「18」は縦中横]

 角《かど》から見た煙草屋の飾り窓。巻煙草の缶《かん》、葉巻の箱、パイプなどの並んだ中に斜めに札《ふだ》が一枚懸っている。この札に書いてあるのは、――「煙草の煙は天国の門です。」徐《おもむ》ろにパイプから立ち昇《のぼ》る煙。

          19[#「19」は縦中横]

 煙の満ち充ちた飾り窓の正面《しょうめん》。少年はこの右に佇《たたず》んでいる。ただしこれも膝の上まで。煙の中にはぼんやりと城が三つ浮かびはじめる。城は Three Castles の商標を立体にしたものに近い。

          20[#「20」は縦中横]

 それ等の城の一つ。この城の門には兵卒が一人銃を持って佇んでいる。そのまた鉄格子《てつごうし》の門の向うには棕櫚《しゅろ》が何本もそよいでいる。

          21[#「21」は縦中横]

 この城の門の上。そこには横にいつの間《ま》にかこう云う文句が浮かび始める。――
「この門に入るものは英雄となるべし。」

          22[#「22」は縦中横]

 こちらへ歩いて来る少年の姿。前の煙草屋の飾り窓は斜めに少年の後ろに立っている。少年はちょっとふり返って見た後《のち》、さっさとまた歩いて行ってしまう。

          23[#「23」は縦中横]

 吊《つ》り鐘《がね》だけ見える鐘楼《しゅろう》の内部。撞木《しゅもく》は誰かの手に綱を引かれ、徐《おもむ》ろに鐘を鳴らしはじめる。一度、二度、三度、――鐘楼の外は松の木ばかり。

          24[#「24」は縦中横]

 斜めに見た射撃屋《しゃげきや》の店。的《まと》は後ろに巻煙草の箱を積み、前に博多人形《はかたにんぎょう》を並べている。手前に並んだ空気銃の一列。人形の一つはドレッスをつけ、扇を持った西洋人の女である。少年は怯《お》ず怯《お》ずこの店にはいり、空気銃を一つとり上げて全然|無分別《むふんべつ》に的《まと》を狙《ねら》う。射撃屋の店には誰もいない。少年の姿は膝の上まで。

          25[#「25」は縦中横]

 西洋人の女の人形。人形は静かに扇をひろげ、すっかり顔を隠してしまう。それからこの人形に中《あた》るコルクの弾丸《たま》。人形は勿論|仰向《あおむ》けに倒れる。人形の後ろにも暗のあるばかり。

          26[#「26」は縦中横]

 前の射撃屋の店。少年はまた空気銃をとり上げ、今度は熱心に的《まと》を狙う。三発、四発、五発、――しかし的は一つも落ちない。少年は渋《し》ぶ渋《し》ぶ銀貨を出し、店の外へ行ってしまう。

          27[#「27」は縦中横]

 始めはただ薄暗い中に四角いものの見えるばかり。その中にこの四角いものは突然電燈をともしたと見え、横にこう云う字を浮かび上《あが》らせる。――上に「公園|六区《ろっく》」下に「夜警詰所《やけいつめしょ》」。上のは黒い中に白、下のは黒い中に赤である。

          28[#「28」は縦中横]

 劇場の裏の上部。火のともった窓が一つ見える。まっ直《すぐ》に雨樋《あまどい》をおろした壁にはいろいろのポスタアの剥《は》がれた痕《あと》。

          29[#「29」は縦中横]

 この劇場の裏の下部《かぶ》。少年はそこに佇《たたず》んだまま、しばらくはどちらへも行《ゆ》こうとしない。それから高い窓を見上げる。が、窓には誰も見えない。ただ逞《たくま》しいブルテリアが一匹、少年の足もとを通って行く。少年の匂《におい》を嗅《か》いで見ながら。

          30[#「30」は縦中横]

 同じ劇場の裏の上部。火のともった窓には踊り子が一人現れ、冷淡に目の下の往来を眺める。この姿は勿論《もちろん》逆光線のために顔などははっきりとわからない。が、いつか少年に似た、可憐《かれん》な顔を現してしまう。踊り子は静かに窓をあけ、小さい花束《はなたば》を下に投げる。

          31[#「31」は縦中横]

 往来に立った少年の足もと。小さい花束が一つ落ちて来る。少年の手はこれを拾う。花束は往来を離れるが早いか、いつか茨《いばら》の束に変っている。

          32[#「32」は縦中横]

 黒い一枚の掲示板《けいじばん》。掲示板は「北の風、晴」と云う字をチョオクに現している。が、それはぼんやりとなり、「南の風強かるべし。雨模様」と云う字に変ってしまう。

          33[#「33」は縦中横]

 斜《ななめ》に見た標札屋《ひょうさつや》の露店《ろてん》、天幕《てんと》の下に並んだ見本は徳川家康《とくがわいえやす》、二宮尊徳《にのみやそんとく》、渡辺崋山《わたなべかざん》、近藤勇《こんどういさみ》、近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》などの名を並べている。こう云う名前もいつの間《ま》にか有り来りの名前に変ってしまう。のみならずそれ等の標札の向うにかすかに浮んで来る南瓜畠《かぼちゃばたけ》……

          34[#「34」は縦中横]

 池の向うに並んだ何軒かの映画館。池には勿論電燈の影が幾つともなしに映っている。池の左に立った少年の上半身《じょうはんしん》。少年の帽は咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に風のために池へ飛んでしまう。少年はいろいろあせった後《のち》、こちらを向いて歩きはじめる。ほとんど絶望に近い表情。

          35[#「35」は縦中横]

 カッフェの飾り窓。砂糖の塔、生菓子《なまがし》、麦藁《むぎわら》のパイプを入れた曹達水《ソオダすい》のコップなどの向うに人かげが幾つも動いている。少年はこの飾り窓の前へ通りかかり、飾り窓の左に足を止めてしまう。少年の姿は膝の上まで。

          36[#「36」は縦中横]

 このカッフェの外部。夫婦らしい中年の男女《なんにょ》が二人|硝子《ガラス》戸の中へはいって行く。女はマントルを着た子供を抱《だ》いている。そのうちにカッフェはおのずからまわり、コック部屋の裏を現わしてしまう。コック部屋の裏には煙突《えんとつ》が一本。そこにはまた労働者が二人せっせとシャベルを動かしている。カンテラを一つともしたまま。……

          37[#「37」は縦中横]

 テエブルの前の子供|椅子《いす》の上に上半身を見せた前の子供。子供はにこにこ笑いながら、首を振ったり手を挙げたりしている。子供の後ろには何も見えない。そこへいつか薔薇《ばら》の花が一つずつ静かに落ちはじめる。

          38[#「38」は縦中横]

 斜めに見える自動計算器。計算器の前には手が二つしきりなしに動いている。勿論女の手に違いない。それから絶えず開かれる抽斗《ひきだし》。抽斗の中は銭《ぜに》ばかりである。

          39[#「39」は縦中横]

 前のカッフェの飾り窓。少年の姿も変りはない。しばらくの後《のち》、少年は徐《おもむ》ろに振り返り、足早《あしばや》にこちらへ歩いて来る。が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。多少驚きに近い表情。

          40[#「40」は縦中横]

 人だかりのまん中に立った糶《せ》り商人《あきゅうど》。彼は呉服《ごふく》ものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。

          41[#「41」は縦中横]

 彼の手に持った一本の帯。帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。帯の模様は廓大《かくだい》した雪片《せっぺん》。雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。

          42[#「42」は縦中横]

 メリヤス屋の露店《ろてん》。シャツやズボン下を吊《つ》った下に婆《ばあ》さんが一人|行火《あんか》に当っている。婆さんの前にもメリヤス類。毛糸の編みものも交《まじ》っていないことはない。行火の裾《すそ》には黒猫が一匹時々前足を嘗《な》めている。

          43[#「43」は縦中横]

 行火の裾に坐っている黒猫。左に少年の下半身《かはんしん》も見える。黒猫も始めは変りはない。しかしいつか頭の上に流蘇《ふさ》の長いトルコ帽をかぶっている。

          44[#「44」は縦中横]

「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」
「僕は帽子さえ買えないんだよ。」

          45[#「45」は縦中横]

 メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身《じょうはんしん》。少年は涙を流しはじめる。が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。

          46[#「46」は縦中横]

 かすかに星のかがやいた夕空。そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。顔は少年の父親らしい。愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。しかしこの顔もしばらくの後《のち》、霧のようにどこかへ消えてしまう。

          47[#「47」は縦中横]

 縦《たて》に見た往来。少年はこちらへ後《うし》ろを見せたまま、この往来を歩いて行《ゆ》く。往来は余り人通りはない。少年の後ろから歩いて行く男。この男はちょっと振り返り、マスクをかけた顔を見せる。少年は一度も後ろを見ない。

          48[#「48」は縦中横]

 斜めに見た格子戸《こうしど》造りの家の外部。家の前には人力車《じんりきしゃ》が三台後ろ向きに止まっている。人通りはやはり沢山ない。角隠《つのかく》しをつけた花嫁《はなよめ》が一人、何人かの人々と一しょに格子戸を出、静かに前の人力車に乗る。人力車は三台とも人を乗せると、花嫁を先に走って行く。そのあとから少年の後ろ姿。格子戸の家の前に立った人々は勿論少年に目もやらない。

          49[#「49」は縦中横]

「XYZ会社特製品、迷い子、文芸的映画」と書いた長方形の板。これもこの板を前後にしたサンドウィッチ・マンに変ってしまう。サンドウィッチ・マンは年をとっているものの、どこか仲店《なかみせ》を歩いていた、都会人らしい紳士に似ている。後ろは前よりも人通りは多い、いろいろの店の並んだ往来。少年はそこを通りかかり、サンドウィッチ・マンの配《くば》っている広告を一枚貰って行く。

          50[#「50」は縦中横]

 縦に見た前の往来。松葉杖をついた癈兵《はいへい》が一人ゆっくりと向うへ歩いて行《ゆ》く。癈兵はいつか駝鳥《だちょう》に変っている。が、しばらく歩いて行くうちにまた癈兵になってしまう。横町《よこちょう》の角《かど》にはポストが一つ。

          51[#「51」は縦中横]

「急げ。急げ。いつ何時《なんどき》死ぬかも知れない。」

          52[#「52」は縦中横]

 往来の角《かど》に立っているポスト。ポストはいつか透明になり、無数の手紙の折り重なった円筒の内部を現して見せる。が、見る見る前のようにただのポストに変ってしまう。ポストの後ろには暗のあるばかり。

          53[#「53」は縦中横]

 斜めに見た芸者屋町《げいしゃやまち》。お座敷へ出る芸者が二人《ふたり》ある御神燈《ごしんとう》のともった格子戸《こうしど》を出、静かにこちらへ歩いて来る。どちらも何《なん》の表情も見せない。二人の芸者の通りすぎた後《のち》、向うへ歩いて行《ゆ》く少年の姿。少年はちょっとふり返って見る。前よりもさらに寂しい表情。少年はだんだん小さくなって行く。そこへ向うに立っていた、背《せ》の低い声色遣《こわいろつか》いが一人《ひとり》やはりこちらへ歩いて来る。彼の目《ま》のあたりへ近づいたのを見ると、どこか少年に似ていないことはない。

          54[#「54」は縦中横]

 大きい針金《はりがね》の環《わ》のまわりにぐるりと何本もぶら下げたかもじ[#「かもじ」に傍点]。かもじ[#「かもじ」に傍点]の中には「すき毛入り前髪《まえがみ》立て」と書いた札《ふだ》も下っている。これ等のかもじ[#「かもじ」に傍点]はいつの間《ま》にか理髪店の棒に変ってしまう。棒の後ろにも暗のあるばかり。

          55[#「55」は縦中横]

 理髪店の外部。大きい窓|硝子《ガラス》の向うには男女《なんにょ》が何人も動いている。少年はそこへ通りかかり、ちょっと内部を覗《のぞ》いて見る。

          56[#「56」は縦中横]

 頭を刈《か》っている男の横顔。これもしばらくたった後、大きい針金の環《わ》にぶら下げた何本かのかもじ[#「かもじ」に傍点]に変ってしまう。かもじ[#「かもじ」に傍点]の中に下った札《ふだ》が一枚。札には今度は「入れ毛」と書いてある。

          57[#「57」は縦中横]

 セセッション風に出来上った病院。少年はこちらから歩み寄り、石の階段を登って行《ゆ》く、しかし戸の中へはいったと思うと、すぐにまた階段を下《くだ》って来る。少年の左へ行った後《のち》、病院は静かにこちらへ近づき、とうとう玄関だけになってしまう。その硝子戸《ガラスど》を押しあけて外へ出て来る看護婦《かんごふ》が一人。看護婦は玄関に佇《たたず》んだまま、何か遠いものを眺めている。

          58[#「58」は縦中横]
 
 膝の上に組んだ看護婦の両手。前になった左の手には婚約の指環が一つはまっている。が、指環はおのずから急に下へ落ちてしまう。

          59[#「59」は縦中横]

 わずかに空を残したコンクリイトの塀。これもおのずから透明《とうめい》になり、鉄格子《てつごうし》の中に群《むらが》った何匹かの猿を現して見せる。それからまた塀全体は操《あやつ》り人形《にんぎょう》の舞台に変ってしまう。舞台はとにかく西洋じみた室内。そこに西洋人の人形が一つ怯《お》ず怯《お》ずあたりを窺《うかが》っている。覆面《ふくめん》をかけているのを見ると、この室へ忍びこんだ盗人《ぬすびと》らしい。室の隅には金庫が一つ。

          60[#「60」は縦中横]

 金庫をこじあけている西洋人の人形。ただしこの人形の手足についた、細い糸も何本かははっきりと見える。……

          61[#「61」は縦中横]

 斜めに見た前のコンクリイトの塀。塀はもう何も現していない。そこを通りすぎる少年の影。そのあとから今度は背むしの影。

          62[#「62」は縦中横]

 前から斜めに見おろした往来。往来の上には落ち葉が一枚風に吹かれてまわっている。そこへまた舞い下《さが》って来る前よりも小さい落葉が一枚。最後に雑誌の広告らしい紙も一枚|翻《ひるがえ》って来る。紙は生憎《あいにく》引き裂《さ》かれているらしい。が、はっきりと見えるのは「生活、正月号」と云う初号活字である。

          63[#「63」は縦中横]

 大きい常磐木《ときわぎ》の下にあるベンチ。木々の向うに見えているのは前の池の一部らしい。少年はそこへ歩み寄り、がっかりしたように腰をかける。それから涙を拭《ぬぐ》いはじめる。すると前の背むしが一人やはりベンチへ来て腰をかける。時々風に揺《ゆ》れる後《うし》ろの常磐木。少年はふと背むしを見つめる。が、背むしはふり返りもしない。のみならず懐《ふところ》から焼き芋を出し、がつがつしているように食いはじめる。

          64[#「64」は縦中横]

 焼き芋《いも》を食っている背むしの顔。

          65[#「65」は縦中横]

 前の常磐木《ときわぎ》のかげにあるベンチ。背むしはやはり焼き芋を食っている。少年はやっと立ち上り、頭を垂れてどこかへ歩いて行《ゆ》く。

          66[#「66」は縦中横]

 斜めに上から見おろしたベンチ。板を透かしたベンチの上には蟇口《がまぐち》が一つ残っている。すると誰かの手が一つそっとその蟇口をとり上げてしまう。

          67[#「67」は縦中横]

 前の常磐木のかげにあるベンチ。ただし今度は斜めになっている。ベンチの上には背むしが一人蟇口の中を検《しら》べている。そのうちにいつか背むしの左右に背むしが何人も現れはじめ、とうとうしまいにはベンチの上は背むしばかりになってしまう。しかも彼等は同じようにそれぞれ皆熱心に蟇口の中を検べている。互に何か話し合いながら。

          68[#「68」は縦中横]

 写真屋の飾り窓。男女《なんにょ》の写真が何枚もそれぞれ額縁《がくぶち》にはいって懸《かか》っている。が、それ等の男女の顔もいつか老人に変ってしまう。しかしその中にたった一枚、フロック・コオトに勲章をつけた、顋髭《あごひげ》のある老人の半身だけは変らない。ただその顔はいつの間《ま》にか前の背むしの顔になっている。

          69[#「69」は縦中横]

 横から見た観音堂《かんのんどう》。少年はその下を歩いて行《ゆ》く。観音堂の上には三日月《みかづき》が一つ。

          70[#「70」は縦中横]

 観音堂の正面の一部。ただし扉《とびら》はしまっている。その前に礼拝《らいはい》している何人かの人々。少年はそこへ歩みより、こちらへ後ろを見せたまま、ちょっと観音堂を仰いで見る。それから突然こちらを向き、さっさと斜めに歩いて行ってしまう。

          71[#「71」は縦中横]

 斜めに上から見おろした、大きい長方形の手水鉢《ちょうずばち》。柄杓《ひしゃく》が何本も浮かんだ水には火《ほ》かげもちらちら映っている。そこへまた映って来る、憔悴《しょうすい》し切った少年の顔。

          72[#「72」は縦中横]

 大きい石燈籠《いしどうろう》の下部。少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。

          73[#「73」は縦中横]
 
 前の石燈籠の下部の後ろ。男が一人|佇《たたず》んだまま、何かに耳を傾けている。

          74[#「74」は縦中横]

 この男の上半身。もっとも顔だけはこちらを向いていない。が、静かに振り返ったのを見ると、マスクをかけた前の男である。のみならずその顔もしばらくの後《のち》、少年の父親に変ってしまう。

          75[#「75」は縦中横]

 前の石燈籠の上部。石燈籠は柱を残したまま、おのずから炎《ほのお》になって燃え上ってしまう。炎の下火《したび》になった後《のち》、そこに開き始める菊の花が一輪。菊の花は石燈籠の笠よりも大きい。

          76[#「76」は縦中横]

 前の石燈籠の下部。少年は前と変りはない。そこへ帽を目深《まぶか》にかぶった巡査《じゅんさ》が一人歩みより、少年の肩へ手をかける。少年は驚いて立ち上り、何か巡査と話をする。それから巡査に手を引かれたまま、静かに向うへ歩いて行《ゆ》く。

          77[#「77」は縦中横]

 前の石燈籠の下部の後ろ。今度はもう誰もいない。

          78[#「78」は縦中横]

 前の仁王門《におうもん》の大提灯《おおじょうちん》。大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店《なかみせ》を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失《う》せない。
[#地から1字上げ](昭和二年三月十四日)



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年4月20日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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