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忠義
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)板倉修理《いたくらしゅり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丁度|刃物《はもの》を見つめて

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]
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     一 前島林右衛門《まえじまりんえもん》

 板倉修理《いたくらしゅり》は、病後の疲労が稍《やや》恢復すると同時に、はげしい神経衰弱に襲われた。―― 
 肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。廊下《ろうか》を通る人の足音とか、家中《かちゅう》の者の話声とかが聞えただけで、すぐ注意が擾《みだ》されてしまう。それがだんだん嵩《こう》じて来ると、今度は極《ごく》些細《ささい》な刺戟からも、絶えず神経を虐《さいな》まれるような姿になった。
 第一、莨盆《たばこぼん》の蒔絵《まきえ》などが、黒地に金《きん》の唐草《からくさ》を這《は》わせていると、その細い蔓《つる》や葉がどうも気になって仕方がない。そのほか象牙《ぞうげ》の箸《はし》とか、青銅の火箸とか云う先の尖《とが》った物を見ても、やはり不安になって来る。しまいには、畳の縁《へり》の交叉した角《かど》や、天井の四隅《よすみ》までが、丁度|刃物《はもの》を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。
 修理《しゅり》は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、ささくれた[#「ささくれた」に傍点]神経の方で、許さない。彼は、蟻地獄《ありじごく》に落ちた蟻のような、いら立たしい心で、彼の周囲を見まわした。しかも、そこにあるのは、彼の心もちに何の理解もない、徒《いたずら》に万一を惧《おそ》れている「譜代《ふだい》の臣」ばかりである。「己《おれ》は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみを察してくれるものがない。」――そう思う事が、既に彼には一倍の苦痛であった。
 修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、事毎《ことごと》に興奮した。隣屋敷まで聞えそうな声で、わめき立てた事も一再ではない。刀架《かたなかけ》の刀に手のかかった事も、度々ある。そう云う時の彼はほとんど誰の眼にも、別人のようになってしまう。ふだん黄いろく肉の落ちた顔が、どこと云う事なく痙攣《けいれん》して眼の色まで妙に殺気立って来る。そうして、発作《ほっさ》が甚しくなると、必ず左右の鬢《びん》の毛を、ふるえる両手で、かきむしり始める。――近習《きんじゅ》の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した索引《さくいん》にした。そう云う時には、互に警《いまし》め合って、誰も彼の側へ近づくものがない。
 発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の持っている怖れには反感を抱いている。しかし彼自身の感ずる怖れには、始めから反抗のしようがない。彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、己《おのれ》を脅《おびや》かすのを意識した。そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、不吉《ふきつ》な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうする。」
 ――そう思うと、彼は、俄《にわか》に眼の前が、暗くなるような心もちがした。
 勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟から来るいら立たしさに、かき消された。が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。

       ―――――――――――――――――――――――――

 修理《しゅり》のこの逆上は、少からず一家中の憂慮する所となった。中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島|林右衛門《りんえもん》である。
 林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部《いたくらしきぶ》から、附人《つけびと》として来ているので、修理も彼には、日頃から一目《いちもく》置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭《あか》ら顔の大男で、文武の両道に秀《ひい》でている点では、家中《かちゅう》の侍で、彼の右に出るものは、幾人もない。そう云う関係上、彼はこれまで、始終修理に対して、意見番の役を勤めていた。彼が「板倉家の大久保彦左《おおくぼひこざ》」などと呼ばれていたのも、完《まった》くこの忠諫《ちゅうかん》を進める所から来た渾名《あだな》である。
 林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩《わずら》わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩《びょうかん》の御礼として、登城《とじょう》しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合《つきあい》の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから刃傷沙汰《にんじょうざた》にでもなった日には、板倉家七千石は、そのまま「お取りつぶし」になってしまう。殷鑑《いんかん》は遠からず、堀田稲葉《ほったいなば》の喧嘩《けんか》にあるではないか。
 林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、放肆《ほうし》を諫《いさ》めたり、奢侈《しゃし》を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。
 だから、林右衛門は、爾来《じらい》、機会さえあれば修理に苦諫《くかん》を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧《むし》ろ、諫《いさ》めれば諫めるほど、焦《じ》れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「主《しゅう》を主《しゅう》とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを。」――そう云う修理の眼の中にあったものは、既に怒りばかりではない。林右衛門は、そこに、また消し難い憎しみの色をも、読んだのである。
 その中《うち》に、主従の間に纏綿《てんめん》する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく荒《すさ》んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を云うのである。勿論、彼は、この憎しみを意識してはいなかった。少くとも、最後の一刻を除いて、修理に対する彼の忠心は、終始変らないものと信じていた。「君《きみ》君為《きみた》らざれば、臣臣為らず」――これは孟子《もうし》の「道」だったばかりではない。その後《うしろ》には、人間の自然の「道」がある。しかし、林右衛門は、それを認めようとしなかった。……
 彼は、飽《あ》くまでも、臣節を尽そうとした。が、苦諫の効がない事は、既に苦い経験を嘗《な》めている。そこで、彼は、今まで胸中に秘していた、最後の手段に訴える覚悟をした。最後の手段と云うのは、ほかでもない。修理を押込め隠居にして、板倉一族の中から養子をむかえようと云うのである。――
 何よりもまず、「家」である。(林右衛門はこう思った。)当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、乃祖《だいそ》板倉四郎左衛門|勝重《かつしげ》以来、未嘗《いまだかつて》、瑕瑾《かきん》を受けた事のない名家である。二代又左衛門|重宗《しげむね》が、父の跡をうけて、所司代《しょしだい》として令聞《れいぶん》があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌《もんどしげまさ》は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾《こう》ぜられた時に、判元見届《はんもとみとどけ》の重任を辱《かたじけな》くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国《さいごく》の軍に将として、将軍家|御名代《ごみょうだい》の旗を、天草《あまくさ》征伐の陣中に飜《ひるがえ》した。その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。臣子の分として、九原《きゅうげん》の下《もと》、板倉家|累代《るいだい》の父祖に見《まみ》ゆべき顔《かんばせ》は、どこにもない。
 こう思った林右衛門は、私《ひそか》に一族の中《うち》を物色した。すると幸い、当時若年寄を勤めている板倉|佐渡守《さどのかみ》には、部屋住《へやずみ》の子息が三人ある。その子息の一人を跡目《あとめ》にして、養子願さえすれば、公辺《こうへん》の首尾は、どうにでもなろう。もっともこれは、事件の性質上修理や修理の内室には、密々で行わなければならない。彼は、ここまで思案をめぐらした時に、始めて、明るみへ出たような心もちがした。そうして、それと同時に今までに覚えなかったある悲しみが、おのずからその心もちを曇らせようとするのが、感じられた。「皆御家のためじゃ。」――そう云う彼の決心の中には、彼自身|朧《おぼろ》げにしか意識しない、何ものかを弁護しようとするある努力が、月の暈《かさ》のようにそれとなく、つきまとっていたからである。

       ―――――――――――――――――――――――――

 病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、本家《ほんけ》の附人《つけびと》として、彼が陰《いん》に持っている権柄《けんぺい》を憎んだ。最後に、彼の「家」を中心とする忠義を憎んだ。「主《しゅう》を主《しゅう》とも思わぬ奴じゃ。」――こう云う修理の語の中《うち》には、これらの憎しみが、燻《くすぶ》りながら燃える火のように、暗い焔を蔵していたのである。
 そこへ、突然、思いがけない非謀《ひぼう》が、内室《ないしつ》の口によって伝えられた。林右衛門は修理を押込め隠居にして、板倉佐渡守の子息を養子に迎えようとする。それが、偶然、内室の耳へ洩《も》れた。――これを聞いた修理が、眦《まなじり》を裂いて憤ったのは無理もない。
 成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在|仕《つか》えている主人を蔑《ないがしろ》にしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」を憂《うれ》えるのは、杞憂《きゆう》と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義|呼《よば》わりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな酷刑《こっけい》でも、この不臣の行《おこない》を罰するには、軽すぎるように思われた。
 彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の乳人《めのと》を勤めていた、田中宇左衛門という老人を呼んで、こう言った。
「林右衛門めを縛《しば》り首にせい。」
 宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層|皺《しわ》を増している。――林右衛門の企《くわだ》ては、彼も快くは思っていない。が、何と云っても相手は本家からの附人《つけびと》である。
「縛り首は穏便《おんびん》でございますまい。武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。」
 修理はこれを聞くと、嘲笑《あざわら》うような眼で、宇左衛門を見た。そうして、二三度強く頭を振った。
「いや人でなし奴《め》に、切腹を申しつける廉《かど》はない。縛り首にせい。縛り首にじゃ。」
 が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のない頬《ほお》へ、はらはらと涙を落した。そうして、それから――いつものように両手で、鬢《びん》の毛をかきむしり始めた。

       ―――――――――――――――――――――――――

 縛り首にしろと云う命が出た事は、直《ただち》に腹心の近習《きんじゅ》から、林右衛門に伝えられた。
「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手を拱《こまぬ》いて縛り首もうたれまい。」
 彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた得体《えたい》の知れない不安が、この沙汰を聞くと同時に、跡方なく消えてしまうのを意識した。今の彼の心にあるものは、修理に対するあからさまな憎しみである。もう修理は、彼にとって、主人ではない。その修理を憎むのに、何の憚《はばか》る所があろう。――彼の心の明るくなったのは、無意識ながら、全く彼がこう云う論理を、刹那《せつな》の間に認めたからである。
 そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち退《の》いた。作法《さほう》通り、立ち退き先の所書きは、座敷の壁に貼《は》ってある。槍《やり》も、林右衛門自ら、小腋《こわき》にして、先に立った。武具を担《にな》ったり、足弱を扶《たす》けたりしている若党|草履《ぞうり》取を加えても、一行の人数《にんず》は、漸く十人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。
 延享《えんきょう》四年三月の末である。門の外では、生暖《なまあたたか》い風が、桜の花と砂埃《すなほこり》とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。

     二 田中宇左衛門

 林右衛門《りんえもん》の立ち退《の》いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人《めのと》をしていた関係上、修理《しゅり》を見る眼が、自《おのずか》らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上《ぎゃくじょう》をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥に滑《なめらか》になって来た。
 宇左衛門は、修理の発作《ほっさ》が、夏が来ると共に、漸く怠《おこた》り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、惧《おそ》れない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」に関《かかわ》る大事として、惧れた。併し、彼は、それを「主《しゅう》」に関る大事として惧れたのである。
 勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には上《のぼ》っていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「主《しゅう》」をして、「家」を亡さしむるが故に――「主《しゅう》」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を未然《みぜん》に防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。
 その年の八月一日、徳川幕府では、所謂《いわゆる》八朔《はっさく》の儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕《しゅっし》をした。そうして、その序《ついで》に、当時|西丸《にしまる》にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]《そそう》をしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉《しゅうび》を開く事が出来るような心もちがした。
 しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。夜《よる》になると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆《きょうちょう》のように彼を脅《おびやか》したからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、不吉《ふきつ》な予感に襲われながら、慌《あわただ》しく佐渡守の屋敷へ参候した。
 すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子《しろかたびら》に長上下《ながかみしも》のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色《かおいろ》もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子《ようす》もない。そこで安心して、暫く世間話をしている中に、偶然、佐渡守が、いつものように前島林右衛門の安否を訊ねた。すると、修理は急に額を暗くして、「林右衛門めは、先頃《さきごろ》、手前屋敷を駈落《かけお》ち致してござる。」と云う。林右衛門が、どう云う人間かと云う事は、佐渡守もよく知っている。何か仔細《しさい》がなくては、妄《みだり》に主家《しゅか》を駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの附人《つけびと》にどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、穏《おだやか》でない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の柄《つか》へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓《ひいき》にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時|出頭《しゅっとう》の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事に呆《あき》れ返って、御用繁多を幸に、早速その場を外《はず》してしまった。――
「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。
 ――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言《ぞうごん》を、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、忽《たちま》ち、改易《かいえき》になってしまう。――
「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」
 佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。
「唯《た》だ主《しゅう》につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」
 宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。
「よろしゅうござりまする、しかと向後《こうご》は慎むでございましょう。」
「おお、二度と過《あやまち》をせぬのが、何よりじゃ。」
 佐渡守は、吐き出すように、こう云った。
「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」
 彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、哀憐《あいれん》を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。
 佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。

       ―――――――――――――――――――――――――

「主《しゅう》」の意に従えば、「家」が危《あやう》い。「家」を立てようとすれば、「主」の意に悖《もと》る事になる。嘗《かつて》は、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。と云うよりは、むしろ、始からそれほど「主」を大事に思っていない。だから、彼は、容易《たやす》く、「家」のために「主」を犠牲《ぎせい》にした。
 しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「主《しゅう》」に親しみすぎている。「家」のために、ただ、「家」と云う名のために、どうして、現在の「主」を無理に隠居などさせられよう。自分の眼から見れば、今の修理も、破魔弓《はまゆみ》こそ持たないものの、幼少の修理と変りがない。自分が絵解《えど》きをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津《なにわづ》の歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶《いかのぼり》――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……
 そうかと云って、「主《しゅう》」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自身にも凶事《きょうじ》が起りそうである。利害の打算から云えば、林右衛門のとった策は、唯一《ゆいいつ》の、そうしてまた、最も賢明なものに相違ない。自分も、それは認めている。その癖、それが、自分には、どうしても実行する事が出来ないのである。
 遠くで稲妻《いなずま》のする空の下を、修理の屋敷へ帰りながら、宇左衛門は悄然《しょうぜん》と腕を組んで、こんな事を何度となく胸の中で繰り返えした。

       ―――――――――――――――――――――――――

 修理《しゅり》は、翌日、宇左衛門から、佐渡守の云い渡した一部始終を聞くと、忽ち顔を曇らせた。が、それぎりで、格別いつものように、とり上《のぼ》せる気色《けしき》もない。宇左衛門は、気づかいながら、幾分か安堵《あんど》して、その日はそのまま、下って来た。
 それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を利《き》かない。いや、ただ一度、小雨《こさめ》のふる日に、時鳥《ほととぎす》の啼く声を聞いて、「あれは鶯の巣をぬすむそうじゃな。」とつぶやいた事がある。その時でさえ、宇左衛門が、それを潮《しお》に、話しかけたが、彼は、また黙って、うす暗い空へ眼をやってしまった。そのほかは、勿論、唖《おし》のように口をつぐんで、じっと襖障子《ふすましょうじ》を見つめている。顔には、何の感情も浮んでいない。
 所が、ある夜、十五日の総出仕が二三日の中に迫った時の事である。修理は突然宇左衛門をよびよせて、人払いの上、陰気な顔をしながら、こんな事を云った。
「先達《せんだって》、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は覚束《おぼつか》ないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」
 宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲る気になれたのであろう。――
「御尤《ごもっと》もでございます。佐渡守様もあのように、仰せられますからは、残念ながら、そうなさるよりほかはございますまい。が、まず一応は、御一門衆へも……」
「いや、いや、隠居の儀なら、林右衛門の成敗とは変って、相談せずとも、一門衆は同意の筈じゃ。」
 修理、こう云って、苦々《にがにが》しげに、微笑した。
「さようでもございますまい。」
 宇左衛門は、傷《いたま》しそうな顔をして、修理を見た。が、相手は、さらに耳へ入れる容子《ようす》もない。
「さて、隠居すれば、出仕しようと思うても出仕する事は出来ぬ。されば、」修理はじっと宇左衛門の顔を見ながら、一句一句、重みを量《はか》るように、「その前に、今一度出仕して、西丸の大御所様(吉宗)へ、御目通りがしたい。どうじゃ。十五日に、登城《とじょう》させてはくれまいか。」
 宇左衛門は、黙って、眉をひそめた。
「それも、たった一度じゃ。」
「恐れながら、その儀ばかりは。」
「いかぬか。」
 二人は、顔を見合せながら、黙った。しんとした部屋の中には、油を吸う燈心の音よりほかに、聞えるものはない。――宇左衛門は、この暫くの間を、一年のように長く感じた。佐渡守へ云い切った手前、それを修理に許しては自分の武士がたたないからである。
「佐渡殿の云われた事は、承知の上での頼みじゃ。」
 ほどを経て、修理が云った。
「登城を許せば、その方が、一門衆の不興《ふきょう》をうける事も、修理は、よう存じているが、思うて見い。修理は一門衆はもとより、家来《けらい》にも見離された乱心者じゃ。」
 そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。
「世の嘲《あざけ》りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇左衛門を親とも思う。兄弟とも思う。親兄弟よりも、猶更《なおさら》なつかしいものと思う。広い世界に、修理がたのみに思うのは、ただその方一人きりじゃ。さればこそ、無理な頼みもする。が、これも決して、一生に二度とは云わぬ。ただ、今度《こんど》一度だけじゃ。宇左衛門、どうかこの心を察してくれい。どうかこの無理を許してくれい。これ、この通りじゃ。」
 彼は、家老の前へ両手をついて、涙を落しながら、額《ひたい》を畳へつけようとした。宇左衛門は、感動した。
「御手をおあげ下さいまし。御手をおあげ下さいまし。勿体《もったい》のうございます。」
 彼は、修理《しゅり》の手をとって、無理に畳から離させた。そうして泣いた。すると、泣くに従って、彼の心には次第にある安心が、溢《あふ》れるともなく、溢れて来る。――彼は涙の中《なか》に、佐渡守の前で云い切った語《ことば》を、再びありありと思い浮べた。
「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門|皺腹《しわばら》を仕《つかまつ》れば、すむ事でございまする。私《わたくし》一人《ひとり》の粗忽《そこつ》にして、きっと御登城おさせ申しましょう。」
 これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の外《はず》れた笑い声を洩《も》らした。
「おお、許してくれるか。忝《かたじけな》い。忝いぞよ。」
 そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。
「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」
 人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに膝《ひざ》を進めて、行燈《あんどう》の火影《ほかげ》に恐る恐る、修理の眼の中を窺《うかが》った。

     三 刃傷《にんじょう》

 延享《えんきょう》四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理《しゅり》は、殿中で、何の恩怨《おんえん》もない。肥後国熊本の城主、細川越中守宗教《ほそかわえっちゅうのかみむねのり》を殺害《せつがい》した。その顛末《てんまつ》は、こうである。

       ―――――――――――――――――――――――――

 細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。元姫君《もとひめぎみ》と云われた宗教《むねのり》の内室さえ、武芸の道には明《あかる》かった。まして宗教の嗜《たしな》みに、疎《おろそか》な所などのあるべき筈はない。それが、「三斎《さんさい》の末なればこそ細川は、二歳《にさい》に斬《き》られ、五歳《ごさい》ごとなる。」と諷《うた》われるような死を遂げたのは、完《まった》く時の運であろう。
 そう云えば、細川家には、この凶変《きょうへん》の起る前兆が、後《のち》になって考えれば、幾つもあった。――第一に、その年三月中旬、品川|伊佐羅子《いさらご》の上屋敷《かみやしき》が、火事で焼けた。これは、邸内に妙見《みょうけん》大菩薩があって、その神前の水吹石《みずふきいし》と云う石が、火災のある毎《ごと》に水を吹くので、未嘗《いまだかつて》、焼けたと云う事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃《ぎょらん》の愛染院《あいぜんいん》から奉ったのを見ると、御武運長久|御息災《ごそくさい》とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野|宿坊《しゅくぼう》の院代《いんだい》へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。
 そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の才木茂右衛門《さいきもえもん》と云う男が目付《めつけ》へ来て、「明十五日は、殿の御身《おんみ》に大変があるかも知れませぬ。昨夜《さくや》天文を見ますと、将星が落ちそうになって居ります。どうか御慎み第一に、御他出なぞなさいませんよう。」と、こう云った。目付は、元来余り天文なぞに信を措《お》いていない。が、日頃この男の予言は、主人が尊敬しているので、取あえず近習《きんじゅ》の者に話して、その旨を越中守の耳へ入れた。そこで、十五日に催す能狂言《のうきょうげん》とか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云う廉《かど》で、出仕だけは止《や》めにならなかったらしい。
 それが、翌日になると、また不吉《ふきつ》な前兆が、加わった。――十五日には、いつも越中守自身、麻上下《あさがみしも》に着換えてから、八幡大菩薩に、神酒《みき》を備えるのが慣例になっている。ところが、その日は、小姓《こしょう》の手から神酒《みき》を入れた瓶子《へいし》を二つ、三宝《さんぼう》へのせたまま受取って、それを神前へ備えようとすると、どうした拍子か瓶子は二つとも倒れて、神酒が外へこぼれてしまった。その時は、さすがに一同、思わず顔色を変えたと云う事である。

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 翌日、越中守は登城すると、御坊主《おぼうず》田代祐悦《たしろゆうえつ》が供をして、まず、大広間へ通った。が、やがて、大便を催したので、今度は御坊主黒木|閑斎《かんさい》をつれて、湯呑み所際《じょぎわ》の厠《かわや》へはいって、用を足《た》した。さて、厠を出て、うすぐらい手水所《ちょうずどころ》で手を洗っていると突然|後《うしろ》から、誰とも知れず、声をかけて、斬りつけたものがある。驚いて、振り返ると、その拍子にまた二の太刀が、すかさず眉間《みけん》へ閃《ひらめ》いた。そのために血が眼へはいって、越中守は、相手の顔も見定める事が出来ない。相手は、そこへつけこんで、たたみかけ、たたみかけ、幾太刀《いくたち》となく浴せかけた。そうして、越中守がよろめきながら、とうとう、四《し》の間《ま》の縁に仆《たお》れてしまうと、脇差《わきざし》をそこへ捨てたなり、慌ててどこか見えなくなってしまった。
 ところが、伴をしていた黒木閑斎が、不意の大変に狼狽《ろうばい》して、大広間の方へ逃げて行ったなり、これもどこかへ隠れてしまったので、誰もこの刃傷《にんじょう》を知るものがない。それを、暫くしてから、漸《ようや》く本間|定五郎《さだごろう》と云う小拾人《こじゅうにん》が、御番所《ごばんしょ》から下部屋《しもべや》へ来る途中で発見した。そこで、すぐに御徒目付《おかちめつけ》へ知らせる。御徒目付からは、御徒組頭|久下善兵衛《くげぜんべえ》、御徒目付土田|半右衛門《はんえもん》、菰田仁右衛門《こもだにえもん》、などが駈けつける。――殿中では忽ち、蜂《はち》の巣を破ったような騒動が出来《しゅったい》した。
 それから、一同集って、手負《てお》いを抱きあげて見ると、顔も体も血まみれで誰とも更に見分ける事が出来ない。が、耳へ口をつけて呼ぶと、漸く微《かすか》な声で、「細川越中」と答えた。続いて、「相手はどなたでござる」と尋ねたが、「上下《かみしも》を着た男」と云う答えがあっただけで、その後は、もうこちらの声も通じないらしい。創《きず》は「首構《くびがまえ》七寸程、左肩《ひだりかた》六七寸ばかり、右肩五寸ばかり、左右手四五ヶ所、鼻上耳脇また頭《かしら》に疵《きず》二三ヶ所、背中右の脇腹まで筋違《すじかい》に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本|阿波守《あわのかみ》は勿論、大目付|河野豊前守《こうのぶぜんのかみ》も立ち合って、一まず手負いを、焚火《たきび》の間《ま》へ舁《かつ》ぎこんだ。そうしてそのまわりを小屏風《こびょうぶ》で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱《かいほう》した。中でも松平|兵部少輔《ひょうぶしょうゆう》は、ここへ舁《かつ》ぎこむ途中から、最も親切に劬《いたわ》ったので、わき眼にも、情誼の篤《あつ》さが忍ばれたそうである。
 その間に、一方では老中《ろうじゅう》若年寄衆へこの急変を届けた上で、万一のために、玄関先から大手まで、厳しく門々を打たせてしまった。これを見た大手先《おおてさき》の大小名の家来《けらい》は、驚破《すわ》、殿中に椿事《ちんじ》があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、海嘯《つなみ》のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、御徒目付《おかちめつけ》、火の番などを召し連れて、番所番所から勝手まで、根気よく刃傷《にんじょう》の相手を探して歩いたが、どうしても、その「上下《かみしも》を着た男」を見つける事が出来なかったからである。
 すると、意外にも、相手は、これらの人々の眼にはかからないで、かえって宝井宗賀《たからいそうが》と云う御坊主《ごぼうず》のために、発見された。――宗賀は大胆な男で、これより先、一同のさがさないような場所場所を、独りでしらべて歩いていた。それがふと焚火《たきび》の間《ま》の近くの厠《かわや》の中を見ると、鬢《びん》の毛をかき乱した男が一人、影のように蹲《うずくま》っている。うす暗いので、はっきりわからないが、どうやら鼻紙|嚢《ぶくろ》から鋏《はさみ》を出して、そのかき乱した鬢《びん》の毛を鋏んででもいるらしい。そこで宗賀《そうが》は、側へよって声をかけた。
「どなたでござる。」
「これは、人を殺したで、髪を切っているものでござる。」
 男は、しわがれた声で、こう答えた。
 もう疑う所はない。宗賀は、すぐに人を呼んで、この男を厠《かわや》の中から、ひきずり出した。そうして、とりあえず、それを御徒目付の手に渡した。
 御徒目付はまた、それを蘇鉄《そてつ》の間《ま》へつれて行って、大目付始め御目付衆立ち合いの上で、刃傷《にんじょう》の仔細《しさい》を問い質《ただ》した。が、男は、物々しい殿中の騒ぎを、茫然と眺めるばかりで、更に答えらしい答えをしない。偶々《たまたま》口を開けば、ただ時鳥《ほととぎす》の事を云う。そうして、そのあい間には、血に染まった手で、何度となく、鬢の毛をかきむしった。――修理は既に、発狂《はっきょう》していたのである。

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 細川越中守は、焚火の間で、息をひきとった。が、大御所《おおごしょ》吉宗《よしむね》の内意を受けて、手負《てお》いと披露《ひろう》したまま駕籠《かご》で中の口から、平川口へ出て引きとらせた。公《おおやけ》に死去の届が出たのは、二十一日の事である。
 修理《しゅり》は、越中守が引きとった後《あと》で、すぐに水野|監物《けんもつ》に預けられた。これも中の口から、平川口へ、青網《あおあみ》をかけた駕籠《かご》で出たのである。駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子《かたびら》を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固《けいご》した。――この行列は、監物《けんもつ》の日頃不意に備える手配《てくばり》が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。
 それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、上使《じょうし》に立った。上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守|手疵養生《てきずようじょう》不相叶《あいかなわず》致死去《しきょいたし》候に付、水野監物宅にて切腹|被申付《もうしつけらるる》者也」と云うのである。
 修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色《けしき》もない。そこで、介錯《かいしゃく》に立った水野の家来吉田|弥三左衛門《やそうざえもん》が、止むを得ず後《うしろ》からその首をうち落した。うち落したと云っても、喉《のど》の皮|一重《ひとえ》はのこっている。弥三左衛門は、その首を手にとって、下から検使の役人に見せた。頬骨《ほおぼね》の高い、皮膚の黄ばんだ、いたいたしい首である。眼は勿論つぶっていない。
 検使は、これを見ると、血のにおいを嗅《か》ぎながら、満足そうに、「見事」と声をかけた。

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 同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと屹度《きっと》、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる凶事出来《きょうじしゅったい》、七千石断絶に及び候段、言語道断の不届者《ふとどきもの》」という罪状である。
 板倉|周防守《すおうのかみ》、同式部、同佐渡守、酒井|左衛門尉《さえもんのじょう》、松平|右近将監《うこんしょうげん》等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木|閑斎《かんさい》は、扶持《ふち》を召上げられた上、追放になった。

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 修理《しゅり》の刃傷《にんじょう》は、恐らく過失であろう。細川家の九曜《くよう》の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の紋所《もんどころ》が似ているために、修理は、佐渡守を刺《さ》そうとして、誤って越中守を害したのである。以前、毛利主水正《もうりもんどのしょう》を、水野|隼人正《はやとのしょう》が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、手水所《ちょうずどころ》のような、うす暗い所では、こう云う間違いも、起りやすい。――これが当時の定評であった。
 が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。
「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、毛頭《もうとう》ない。まして、あの乱心者のした事じゃ。大方《おおかた》、何と云う事もなく、肥後侯を斬ったのであろう。人違などとは、迷惑至極な臆測じゃ。その証拠には、大目付の前へ出ても、修理は、時鳥《ほととぎす》がどうやら云うていたそうではないか。されば、時鳥じゃと思って、斬ったのかも知れぬ。」
[#地から1字上げ](大正六年二月)



底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
   1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月6日公開
2004年3月7日修正
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