青空文庫アーカイブ



開化の殺人
芥川龍之介

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(例)最近|予《よ》が

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 下《しも》に掲げるのは、最近|予《よ》が本多子爵《ほんだししやく》(仮名)から借覧する事を得た、故ドクトル・北畠義一郎《きたばたけぎいちらう》(仮名)の遺書である。北畠ドクトルは、よし実名を明《あきらか》にした所で、もう今は知つてゐる人もあるまい。予自身も、本多子爵に親炙《しんしや》して、明治初期の逸事瑣談《いつじさだん》を聞かせて貰ふやうになつてから、初めてこのドクトルの名を耳にする機会を得た。彼の人物性行は、下の遺書によつても幾分の説明を得るに相違ないが、猶《なほ》二三、予が仄聞《そくぶん》した事実をつけ加へて置けば、ドクトルは当時内科の専門医として有名だつたと共に、演劇改良に関しても或急進的意見を持つてゐた、一種の劇通だつたと云ふ。現に後者に関しては、ドクトル自身の手になつた戯曲さへあつて、それはヴオルテエルの Candide の一部を、徳川時代の出来事として脚色した、二幕物の喜劇だつたさうである。
 北庭筑波《きたにはつくば》が撮影した写真を見ると、北畠ドクトルは英吉利《イギリス》風の頬髯を蓄へた、容貌|魁偉《くわいゐ》な紳士である。本多子爵によれば、体格も西洋人を凌《しの》ぐばかりで、少年時代から何をするのでも、精力抜群を以て知られてゐたと云ふ。さう云へば遺書の文字さへ、鄭板橋《ていはんけう》風の奔放な字で、その淋漓《りんり》たる墨痕《ぼくこん》の中にも、彼の風貌が看取《かんしゆ》されない事もない。
 勿論予はこの遺書を公《おほやけ》にするに当つて、幾多の改竄《かいざん》を施した。譬《たと》へば当時まだ授爵の制がなかつたにも関らず、後年の称に従つて本多子爵及夫人等の名を用ひた如きものである。唯、その文章の調子に至つては、殆《ほとんど》原文の調子をそつくりその儘《まま》、ひき写したと云つても差支へない。
       ―――――――――――――――――
 本多子爵閣下、並に夫人、
 予は予が最期《さいご》に際し、既往三年来、常に予が胸底に蟠《わだかま》れる、呪ふ可き秘密を告白し、以て卿等《けいら》の前に予が醜悪なる心事を暴露せんとす。卿等にして若しこの遺書を読むの後、猶《なほ》卿等の故人たる予の記憶に対し、一片|憐憫《れんびん》の情を動す事ありとせんか、そは素《もと》より予にとりて、望外の大幸なり。されど又予を目して、万死の狂徒と做《な》し、当《まさ》に屍《しかばね》に鞭打つて後|已《や》む可しとするも、予に於ては毫《がう》も遺憾とする所なし。唯、予が告白せんとする事実の、余りに意想外なるの故を以て、妄《みだり》に予を誣《し》ふるに、神経病患者の名を藉《か》る事|勿《なか》れ。予は最近数ヶ月に亘《わた》りて、不眠症の為に苦しみつつありと雖《いへど》も、予が意識は明白にして、且《かつ》極めて鋭敏なり。若し卿等にして、予が二十年来の相識《さうしき》たるを想起せんか。(予は敢《あへ》て友人とは称せざる可し)請《こ》ふ、予が精神的健康を疑ふ事勿れ。然らずんば、予が一生の汚辱を披瀝《ひれき》せんとする此遺書の如きも、結局無用の故紙《こし》たると何の選ぶ所か是《これ》あらん。
 閣下、並に夫人、予は過去に於て殺人罪を犯したると共に、将来に於ても亦同一罪悪を犯さんとしたる卑《いやし》む可き危険人物なり。しかもその犯罪が卿等に最も親近なる人物に対して、企画せられたるのみならず、又企画せられんとしたりと云ふに至りては、卿等にとりて正に意外中の意外たる可し。予は是《ここ》に於て、予が警告を再《ふたたび》するの、必要なる所以《ゆゑん》を感ぜざる能《あた》はず。予は全然|正気《しやうき》にして、予が告白は徹頭徹尾事実なり。卿等|幸《さいはひ》にそを信ぜよ。而《しか》して予が生涯の唯一の記念たる、この数枚の遺書をして、空しく狂人の囈語《げいご》たらしむる事勿れ。
 予はこれ以上予の健全を喋々《てふてふ》すべき余裕なし。予が生存すべき僅少なる時間は、直下《ぢきげ》に予を駆りて、予が殺人の動機と実行とを叙し、更に進んで予が殺人後の奇怪なる心境に言及せしめずんば、已まざらんとす。されど、嗚呼《ああ》されど、予は硯《けん》に呵《か》し紙《し》に臨んで、猶《なほ》惶々《くわうくわう》として自ら安からざるものあるを覚ゆ。惟《おも》ふに予が過去を点検し記載するは、予にとりて再《ふたたび》過去の生活を営むと、畢竟《ひつきやう》何の差違かあらん。予は殺人の計画を再《ふたたび》し、その実行を再し、更に最近一年間の恐る可き苦悶を再せざる可《べか》らず。是果して善く予の堪へ得可き所なりや否や。予は今にして、予が数年来失却したる我《わが》耶蘇基督《ヤソキリスト》に祈る。願くば予に力を与へ給へ。
 予は少時より予が従妹たる今の本多子爵夫人(三人称を以て、呼ぶ事を許せ)往年の甘露寺明子《かんろじあきこ》を愛したり。予の記憶に溯《さかのぼ》りて、予が明子と偕《とも》にしたる幸福なる時間を列記せんか。そは恐らく卿等が卒読《そつどく》の煩《はん》に堪へざる所ならん。されど予はその例証として、今日も猶予が胸底に歴々たる一場の光景を語らざるを得ず。予は当時十六歳の少年にして、明子は未《いまだ》十歳の少女なりき。五月某日予等は明子が家の芝生なる藤棚の下《もと》に嬉戯《きぎ》せしが、明子は予に対して、隻脚《せききやく》にて善く久しく立つを得るやと問ひぬ。而して予が否と答ふるや、彼女は左手を垂れて左の趾《あしゆび》を握り、右手を挙げて均衡を保ちつつ、隻脚にて立つ事、是を久《ひさし》うしたりき。頭上の紫藤《しとう》は春日の光りを揺りて垂れ、藤下《とうか》の明子は凝然《ぎようぜん》として彫塑《てうそ》の如く佇《たたず》めり。予はこの画の如き数分の彼女を、今に至つて忘るる能はず。私《ひそか》に自ら省みて、予が心既に深く彼女を愛せるに驚きしも、実にその藤棚の下に於て然りしなり。爾来《じらい》予の明子に対する愛は益《ますます》烈しきを加へ、念々《ねんねん》に彼女を想ひて、殆《ほとんど》学を廃するに至りしも、予の小心なる、遂に一語の予が衷心を吐露す可きものを出さず。陰晴《いんせい》定りなき感情の悲天の下に、或は泣き、或は笑ひて、茫々《ばうばう》数年の年月を閲《けみ》せしが、予の二十一歳に達するや、予が父は突然予に命じて、遠く家業たる医学を英京|竜動《ロンドン》に学ばしめぬ。予は訣別に際して、明子に語るに予が愛を以てせんとせしも、厳粛なる予等が家庭は、斯《かか》る機会を与ふるに吝《やぶさか》なりしと共に、儒教主義の教育を受けたる予も、亦|桑間濮上《さうかんぼくじやう》の譏《そしり》を惧《おそ》れたるを以て、無限の離愁を抱きつつ、孤笈飄然《こきふへうぜん》として英京に去れり。
 英吉利《イギリス》留学の三年間、予がハイド・パアクの芝生に立ちて、如何に故園《こゑん》の紫藤花下《しとうくわか》なる明子を懐《おも》ひしか、或は又予がパルマルの街頭を歩して、如何に天涯の遊子たる予自身を憫《あはれ》みしか、そは茲《ここ》に叙説するの要なかる可し。予は唯、竜動《ロンドン》に在るの日、予が所謂《いはゆる》薔薇色の未来の中に、来る可き予等の結婚生活を夢想し、以て僅に悶々の情を排せしを語れば足る。然り而して予の英吉利より帰朝するや、予は明子の既に嫁して第×銀行頭取|満村恭平《みつむらきようへい》の妻となりしを知りぬ。予は即座に自殺を決心したれども、予が性来の怯懦《けふだ》と、留学中|帰依《きえ》したる基督教《キリストけう》の信仰とは、不幸にして予が手を麻痺《まひ》せしめしを如何《いかん》。卿等にして若し当時の予が、如何に傷心したるかを知らんとせば、予が帰朝後旬日にして、再《ふたたび》英京に去らんとし、為に予が父の激怒を招きたるの一事を想起せよ。当時の予が心境を以てすれば、実に明子なきの日本は、故国に似て故国にあらず、この故国ならざる故国に止つて、徒《いたづら》に精神的敗残者たるの生涯を送らんよりは、寧《むしろ》チヤイルド・ハロルドの一巻を抱いて、遠く万里の孤客となり、骨を異域の土に埋むるの遙《はるか》に慰む可きものあるを信ぜしなり。されど予が身辺の事情は遂に予をして渡英の計画を抛棄《はうき》せしめ、加之《しかのみならず》予が父の病院内に、一個新帰朝のドクトルとして、多数患者の診療に忙殺さる可き、退屈なる椅子に倚《よ》らしめ了《をは》りぬ。
 是に於て予は予の失恋の慰藉《ゐしや》を神に求めたり。当時築地に在住したる英吉利宣教師ヘンリイ・タウンゼンド氏は、この間に於ける予の忘れ難き友人にして、予の明子に対する愛が、幾多の悪戦苦闘の後、漸次《ぜんじ》熱烈にしてしかも静平なる肉親的感情に変化したるは、一《いつ》に同氏が予の為に釈義したる聖書の数章の結果なりき。予は屡《しばしば》、同氏と神を論じ、神の愛を論じ、更に人間の愛を論じたるの後、半夜|行人《かうじん》稀なる築地居留地を歩して、独り予が家に帰りしを記憶す。若し卿等にして予が児女の情あるを哂《わら》はずんば、予は居留地の空なる半輪の月を仰ぎて、私《ひそか》に従妹明子の幸福を神に祈り、感極つて歔欷《きよき》せしを語るも善し。
 予が愛の新《あらた》なる転向を得しは、所謂《いはゆる》「あきらめ」の心理を以て、説明す可きものなりや否や、予は之を詳《つまびらか》にする勇気と余裕とに乏しけれど、予がこの肉親的愛情によりて、始めて予が心の創痍《さうい》を医し得たるの一事は疑ふ可《べか》らず。是を以て帰朝以来、明子夫妻の消息を耳にするを蛇蝎《だかつ》の如く恐れたる予は、今や予がこの肉親的愛情に依頼し、進んで彼等に接近せん事を希望したり。こは予にして若し彼等に幸福なる夫妻を見出さんか、予の慰安の益《ますます》大にして、念頭|些《いささか》の苦悶なきに至る可しと、早計にも信じたるが故のみ。
 予はこの信念に動かされし結果、遂に明治十一年八月三日両国橋畔の大煙火に際し、知人の紹介を機会として、折から校書《かうしよ》十数輩と共に柳橋|万八《まんぱち》の水楼に在りし、明子の夫満村恭平と、始めて一夕《いつせき》の歓《くわん》を倶《とも》にしたり。歓《くわん》か、歓か、予はその苦と云ふの、遙に勝《まさ》れる所以《ゆゑん》を思はざる能はず。予は日記に書して曰《いはく》、「予は明子にして、かの満村某の如き、濫淫の賤貨に妻たるを思へば、殆|一肚皮《いつとひ》の憤怨|何《いづれ》の処に向つてか吐かんとするを知らず。神は予に明子を見る事、妹の如くなる可きを教へ給へり。然り而して予が妹を、斯《かか》る禽獣の手に委《ゐ》せしめ給ひしは、何ぞや。予は最早、この残酷にして奸譎《かんけつ》なる神の悪戯に堪ふる能はず。誰か善くその妻と妹とを強人《がうじん》の為に凌辱《りようじよく》せられ、しかも猶天を仰いで神の御名《みな》を称《とな》ふ可きものあらむ。予は今後断じて神に依らず、予自身の手を以て、予が妹明子をこの色鬼《しきき》の手より救助す可し。」
 予はこの遺書を認《したた》むるに臨み、再《ふたたび》当時の呪《のろ》ふ可き光景の、眼前に彷彿《はうふつ》するを禁ずる能はず。かの蒼然《さうぜん》たる水靄《すゐあい》と、かの万点の紅燈と、而してかの隊々《たいたい》相|銜《ふく》んで、尽くる所を知らざる画舫《ぐわぼう》の列と――嗚呼《ああ》、予は終生その夜、その半空《はんくう》に仰ぎたる煙火の明滅を記憶すると共に、右に大妓《たいぎ》を擁し、左に雛妓《すうぎ》を従へ、猥褻《わいせつ》聞くに堪へざるの俚歌を高吟しつつ、傲然《がうぜん》として涼棚《りやうはう》の上に酣酔《かんすゐ》したる、かの肥大|豕《ゐ》の如き満村恭平をも記憶す可し。否、否、彼の黒絽《くろろ》の羽織に抱明姜《だきめうが》の三つ紋ありしさへ、今に至つて予は忘却する能はざるなり。予は信ず。予が彼を殺害せんとするの意志を抱きしは、実にこの水楼煙火《すゐろうえんくわ》を見しの夕《ゆふべ》に始る事を。又信ず。予が殺人の動機なるものは、その発生の当初より、断じて単なる嫉妬の情にあらずして、寧《むしろ》不義を懲《こら》し不正を除かんとする道徳的憤激に存せし事を。
 爾来予は心を潜めて、満村恭平の行状に注目し、その果して予が一夕の観察に悖《もと》らざる痴漢なりや否やを検査したり。幸《さいはひ》にして予が知人中、新聞記者を業とするもの、啻《ただ》に二三子に止らざりしを以て、彼が淫虐無道の行跡の如きも、その予が視聴に入らざるものは絶無なりしと云ふも妨げざる可し。予が先輩にして且知人たる成島柳北《なるしまりうほく》先生より、彼が西京祇園《さいきやうぎをん》の妓楼に、雛妓《すうぎ》の未《いまだ》春を懐《いだ》かざるものを梳※[#「木+龍」、第4水準2-15-78]《そろう》して、以て死に到らしめしを仄聞《そくぶん》せしも、実に此間の事に属す。しかもこの無頼《ぶらい》の夫にして、夙《つと》に温良貞淑の称ある夫人明子を遇するや、奴婢《どひ》と一般なりと云ふに至つては、誰か善く彼を目して、人間の疫癘《えきれい》と做《な》さざるを得んや。既に彼を存するの風を頽《おと》し俗を濫《みだ》る所以《ゆゑん》なるを知り、彼を除くの老を扶《たす》け幼を憐む所以なるを知る。是に於て予が殺害の意志たりしものは、徐《おもむろ》に殺害の計画と変化し来れり。
 然れども若し是に止らんか、予は恐らく予が殺人の計画を実行するに、猶《なほ》幾多の逡巡なきを得ざりしならん。幸か、抑亦《そもまた》不幸か、運命はこの危険なる時期に際して、予を予が年少の友たる本多子爵と、一夜|墨上《ぼくじやう》の旗亭|柏屋《かしはや》に会せしめ、以て酒間その口より一場の哀話を語らしめたり。予はこの時に至つて、始めて本多子爵と明子とが、既に許嫁《いひなづけ》の約ありしにも関らず、彼《かの》、満村恭平が黄金の威に圧せられて、遂に破約の已《や》む無きに至りしを知りぬ。予が心、豈《あに》憤《いきどほり》を加へざらんや。かの酒燈一穂《しゆとういつすゐ》、画楼簾裡《ぐわろうれんり》に黯淡《あんたん》たるの処、本多子爵と予とが杯《はい》を含んで、満村を痛罵せし当時を思へば、予は今に至つて自《おのづか》ら肉動くの感なきを得ず。されど同時に又、当夜人力車に乗じて、柏屋より帰るの途、本多子爵と明子との旧契を思ひて、一種名状す可らざる悲哀を感ぜしも、予は猶|明《あきらか》に記憶する所なり。請ふ。再び予が日記を引用するを許せ。「予は今夕本多子爵と会してより、愈《いよいよ》旬日の間に満村恭平を殺害す可しと決心したり。子爵の口吻より察するに、彼と明子とは、独り許嫁の約ありしのみならず、又実に相愛の情を抱きたるものの如し。(予は今日にして、子爵の独身生活の理由を発見し得たるを覚ゆ)若し予にして満村を殺害せんか、子爵と明子とが伉儷《かうれい》を完《まつた》うせんは、必しも難事にあらず。偶《たまたま》明子の満村に嫁して、未《いまだ》一児を挙げざるは、恰《あたか》も天意亦予が計画を扶《たす》くるに似たるの観あり。予はかの獣心の巨紳を殺害するの結果、予の親愛なる子爵と明子とが、早晩幸福なる生活に入らんとするを思ひ、自《おのづか》ら口辺の微笑を禁ずる事能はず。」
 今や予が殺人の計画は、一転して殺人の実行に移らんとす。予は幾度か周密なる思慮に思慮を重ねたるの後、漸《やうや》くにして満村を殺害す可き適当なる場所と手段とを選定したり。その何処《いづこ》にして何なりしかは、敢て詳細なる叙述を試みるの要なかる可し。卿等にして猶明治十二年六月十二日、独逸《ドイツ》皇孫殿下が新富座に於て日本劇を見給ひしの夜、彼、満村恭平が同|戯場《ぎぢやう》よりその自邸に帰らんとするの途次、馬車中に於て突如病死したる事実を記憶せんか、予は新富座に於て満村の血色|宜《よろ》しからざる由を説き、これに所持の丸薬の服用を勧誘したる、一個壮年のドクトルありしを語れば足る。嗚呼、卿等請ふ、そのドクトルの面《おもて》を想像せよ。彼は※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24]々《るゐるゐ》たる紅球燈の光を浴びて、新富座の木戸口に佇《たたず》みつつ、霖雨の中に奔馳《ほんち》し去る満村の馬車を目送するや、昨日の憤怨、今日の歓喜、均《ひと》しく胸中に蝟集《ゐしふ》し来り、笑声|嗚咽《をえつ》共に唇頭《しんとう》に溢れんとして、殆《ほとんど》処の何処《いづこ》たる、時の何時《なんどき》たるを忘却したりき。しかもその彼が且泣き且笑ひつつ、蕭雨《せうう》を犯し泥濘《でいねい》を踏んで、狂せる如く帰途に就きしの時、彼の呟《つぶや》いて止めざりしものは明子の名なりしをも忘るる事勿れ。――「予は終夜眠らずして、予が書斎を徘徊《はいくわい》したり。歓喜か、悲哀か、予はそを明にする能はず。唯、或云ひ難き強烈なる感情は、予の全身を支配して、一霎時《いつせふじ》たりと雖《いへど》も、予をして安坐せざらしむるを如何《いかん》。予が卓上には三鞭酒《シヤンペンしゆ》あり。薔薇の花あり。而して又かの丸薬の箱あり。予は殆《ほとんど》、天使と悪魔とを左右にして、奇怪なる饗宴を開きしが如くなりき……。」
 予は爾来《じらい》数ヶ月の如く、幸福なる日子《につし》を閲《けみ》せし事あらず。満村の死因は警察医によりて、予の予想と寸分の相違もなく、脳出血の病名を与へられ、即刻地下六尺の暗黒に、腐肉を虫蛆《ちうそ》の食としたるが如し。既に然り、誰か又予を目して、殺人犯の嫌疑ありと做《な》すものあらん。しかも仄聞《そくぶん》する所によれば、明子はその良人の死に依りて、始めて蘇色ありと云ふにあらずや。予は満面の喜色を以て予の患者を診察し、閑《ひま》あれば即《すなはち》本多子爵と共に、好んで劇を新富座に見たり。是全く予にとりては、予が最後の勝利を博せし、光栄ある戦場として、屡《しばしば》その花瓦斯《はなガス》とその掛毛氈《かけまうせん》とを眺めんとする、不思議なる欲望を感ぜしが為のみ。
 然れどもこは真に、数ヶ月の間なりき。この幸福なる数ヶ月の経過すると共に、予は漸次予が生涯中最も憎む可き誘惑と闘ふ可き運命に接近しぬ。その闘《たたかひ》の如何に酷烈を極めたるか、如何に歩々《ほほ》予を死地に駆逐したるか。予は到底|茲《ここ》に叙説するの勇気なし。否、この遺書を認《したた》めつつある現在さへも、予は猶この水蛇《ハイドラ》の如き誘惑と、死を以て闘はざる可らず。卿等にして若し、予が煩悶の跡を見んと欲せば、請ふ、以下に抄録せんとする予が日記を一瞥《いちべつ》せよ。
「十月×日、明子、子なきの故を以て満村家を去る由、予は近日本多子爵と共に、六年ぶりにて彼女と会見す可し。帰朝以来、始《はじめ》予は彼女を見るの己《おのれ》の為に忍びず、後は彼女を見るの彼女の為に忍びずして、遂に荏苒《じんぜん》今日に及べり。明子の明眸《めいぼう》、猶六年以前の如くなる可きや否や。
「十月×日、予は今日本多子爵を訪れ、始めて共に明子の家に赴《おもむ》かんとしぬ。然るに豈《あに》計《はか》らんや、子爵は予に先立ちて、既に彼女を見る事両三度なりと云はんには。子爵の予を疎外する、何ぞ斯《か》くの如く甚しきや。予は甚しく不快を感じたるを以て、辞を患者の診察に託し、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]惶《そうくわう》として子爵の家を辞したり。子爵は恐らく予の去りし後、単身明子を訪れしならんか。
「十一月×日、予は本多子爵と共に、明子を訪《と》ひぬ。明子は容色の幾分を減却したれども、猶|紫藤花下《しとうくわか》に立ちし当年の少女を髣髴《はうふつ》するは、未《いまだ》必しも難事にあらず。嗚呼《ああ》予は既に明子を見たり。而して予が胸中、反つて止む可らざる悲哀を感ずるは何ぞ。予はその理由を知らざるに苦む。
「十二月×日、子爵は明子と結婚する意志あるものの如し。斯くして予が明子の夫を殺害したる目的は、始めて完成の域に達するを得ん。されど――されど、予は予が再《ふたたび》明子を失ひつつあるが如き、異様なる苦痛を免るる事能はず。
「三月×日、子爵と明子との結婚式は、今年年末を期して、挙行せらるべしと云ふ。予はその一日も速《すみやか》ならん事を祈る。現状に於ては、予は永久にこの止み難き苦痛を脱離する能はざる可し。
「六月十二日、予は独り新富座に赴《おもむ》けり。去年今月今日、予が手に仆《たふ》れたる犠牲を思へば、予は観劇中も自《おのづか》ら会心の微笑を禁ぜざりき。されど同座より帰途、予がふと予の殺人の動機に想到するや、予は殆《ほとんど》帰趣《きしゆ》を失ひたるかの感に打たれたり。嗚呼《ああ》、予は誰の為に満村恭平を殺せしか。本多子爵の為か、明子の為か、抑《そ》も亦予自身の為か。こは予も亦答ふる能はざるを如何《いかん》。
「七月×日、予は子爵と明子と共に、今夕馬車を駆つて、隅田川の流燈会《りうとうゑ》を見物せり。馬車の窓より洩るる燈光に、明子の明眸《めいぼう》の更に美しかりしは、殆《ほとんど》予をして傍《かたはら》に子爵あるを忘れしめぬ。されどそは予が語らんとする所にあらず。予は馬車中子爵の胃痛を訴ふるや、手にポケツトを捜《さぐ》りて、丸薬の函《はこ》を得たり。而してその「かの丸薬」なるに一驚したり。予は何が故に今宵この丸薬を携へたるか。偶然か、予は切にその偶然ならん事を庶幾《こひねが》ふ。されどそは必しも偶然にはあらざりしものの如し。
「八月×日、予は子爵と明子と共に、予が家に晩餐を共にしたり。しかも予は終始、予がポケツトの底なるかの丸薬を忘るる事能はず。予の心は、殆予自身にとりても、不可解なる怪物を蔵するに似たり。
「十一月×日、子爵は遂に明子と結婚式を挙げたり。予は予自身に対して、名状し難き憤怒《ふんぬ》を感ぜざるを得ず。その憤怒たるや、恰《あたか》も一度|遁走《とんそう》せし兵士が、自己の怯懦《けふだ》に対して感ずる羞恥《しうち》の情に似たるが如し。
「十二月×日、予は子爵の請《こひ》に応じて、之をその病床に見たり、明子亦傍にありて、夜来発熱甚しと云ふ。予は診察の後、その感冒に過ぎざるを云ひて、直《ただち》に家に帰り、子爵の為に自ら調剤しぬ。その間約二時間、「かの丸薬」の函は終始予に恐る可き誘惑を持続したり。
「十二月×日、予は昨夜子爵を殺害せる悪夢に脅《おびやか》されたり。終日胸中の不快を排し難し。
「二月×日、嗚呼予は今にして始めて知る、予が子爵を殺害せざらんが為には、予自身を殺害せざる可らざるを。されど明子は如何《いかん》。」
 子爵閣下、並に夫人、こは予が日記の大略なり。大略なりと雖《いへど》も、予が連日連夜の苦悶は、卿等必ずや善く了解せん。予は本多子爵を殺さざらんが為には、予自身を殺さざる可らず。されど予にして若し予自身を救はんが為に、本多子爵を殺さんか、予は予が満村恭平を屠《ほふ》りし理由を如何の地にか求む可けん。若し又彼を毒殺したる理由にして、予の自覚せざる利己主義に伏在したるものと做《な》さんか、予の人格、予の良心、予の道徳、予の主張は、すべて地を払つて消滅す可し。是|素《もと》より予の善く忍び得る所にあらず。予は寧《むしろ》、予自身を殺すの、遙に予が精神的破産に勝《まさ》れるを信ずるものなり。故に予は予が人格を樹立せんが為に、今宵「かの丸薬」の函によりて、嘗《かつ》て予が手に僵《たふ》れたる犠牲と、同一運命を担はんとす。
 本多子爵閣下、並に夫人、予は如上《じよじやう》の理由の下に、卿等がこの遺書を手にするの時、既に死体となりて、予が寝台に横はらん。唯、死に際して、縷々《るる》予が呪ふ可き半生の秘密を告白したるは、亦以て卿等の為に聊《いささか》自《みづか》ら潔《いさぎよく》せんと欲するが為のみ。卿等にして若し憎む可くんば、即ち憎み、憐む可くんば、即ち憐め。予は――自ら憎み、自ら憐める予は、悦んで卿等の憎悪と憐憫とを蒙る可し。さらば予は筆を擱《お》いて、予が馬車を命じ、直《ただち》に新富座に赴かん。而して半日の観劇を終りたるの後、予は「かの丸薬」の幾粒を口に啣《ふく》みて、再《ふたたび》予が馬車に投ぜん。節物《せつぶつ》は素《もと》より異れども、紛々たる細雨は、予をして幸に黄梅雨《くわうばいう》の天を彷彿せしむ。斯くして予はかの肥大|豕《ゐ》に似たる満村恭平の如く、車窓の外に往来する燈火の光を見、車蓋《しやがい》の上に蕭々《せうせう》たる夜雨の音を聞きつつ、新富座を去る事|甚《はなはだ》遠からずして、必《かならず》予が最期の息を呼吸す可し。卿等亦明日の新聞を飜すの時、恐らくは予が遺書を得るに先立つて、ドクトル北畠義一郎が脳出血病を以て、観劇の帰途、馬車内に頓死せしの一項を読まんか。終に臨んで予は切に卿等が幸福と健在とを祈る。卿等に常に忠実なる僕《しもべ》、北畠義一郎拝。
[#地から2字上げ](大正七年六月)



底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年7月6日公開
2004年2月23日修正
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