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芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)本郷《ほんがう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大正十五年四月十三日|鵠沼《くげぬま》にて浄書

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(例)[#地から1字上げ]〔遺稿〕
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 大正十二年の冬(?)、僕はどこからかタクシイに乗り、本郷《ほんがう》通りを一高の横から藍染橋《あゐそめばし》へ下《くだ》らうとしてゐた。あの通りは甚だ街燈の少い、いつも真暗《まつくら》な往来《わうらい》である。そこにやはり自動車が一台、僕のタクシイの前を走つてゐた。僕は巻煙草を啣《くは》へながら、勿論その車に気もとめなかつた。しかしだんだん近寄つて見ると、――僕のタクシイのへツド・ライトがぼんやりその車を照らしたのを見ると、それは金色《きんいろ》の唐艸《からくさ》をつけた、葬式に使ふ自動車だつた。
 大正十三年の夏、僕は室生犀星《むろふさいせい》と軽井沢《かるゐざは》の小みちを歩いてゐた。山砂《やまずな》もしつとりと湿気を含んだ、如何《いか》にももの静かな夕暮だつた。僕は室生と話しながら、ふと僕等の頭の上を眺めた。頭の上には澄み渡つた空に黒ぐろとアカシヤが枝を張つてゐた。のみならずその又枝の間《あひだ》に人の脚《あし》が二本ぶら下つてゐた。僕は「あつ」と言つて走り出した。室生も亦《また》僕のあとから「どうした? どうした?」と言つて追ひかけて来た。僕はちよつと羞《はづか》しかつたから、何《なん》とか言つて護摩化《ごまか》してしまつた。
 大正十四年の夏、僕は菊池寛《きくちひろし》、久米正雄《くめまさを》、植村宋一《うゑむらそういち》、中山太陽堂《なかやまたいやうだう》社長などと築地《つきぢ》の待合《まちあひ》に食事をしてゐた。僕は床柱《とこばしら》の前に坐り、僕の右には久米正雄、僕の左には菊池寛、――と云ふ順序に坐つてゐたのである。そのうちに僕は何かの拍子《ひやうし》に餉台《ちやぶだい》の上の麦酒罎《ビイルびん》を眺めた。するとその麦酒罎には人の顔が一つ映《うつ》つてゐた。それは僕の顔にそつくりだつた。しかし何も麦酒罎は僕の顔を映してゐた訣《わけ》ではない。その証拠には実在の僕は目を開いてゐたのにも関《かかは》らず、幻の僕は目をつぶつた上、稍仰向《ややあふむ》いてゐたのである。僕は傍らにゐた芸者を顧み、「妙な顔が映《うつ》つてゐる」と言つた。芸者は始は常談《じやうだん》にしてゐた。けれども僕の座に坐るが早いか、「あら、ほんたうに見えるわ」と言つた。菊池や久米も替《かは》る替《がは》る僕の座に来て坐つて見ては、「うん、見えるね」などと言ひ合つていた。それは久米の発見によれば、麦酒《ビイル》罎の向うに置いてある杯洗《はいせん》や何かの反射だつた。しかし僕は何《なん》となしに凶《きよう》を感ぜずにはゐられなかつた。
 大正十五年の正月十日、僕はやはりタクシイに乗り、本郷《ほんがう》通りを一高の横から藍染橋《あゐそめばし》へ下《くだ》らうとしてゐた。するとあの唐艸《からくさ》をつけた、葬式に使ふ自動車が一台、もう一度僕のタクシイの前にぼんやりと後ろを現し出した。僕はまだその時までは前に挙げた幾つかの現象を聯絡《れんらく》のあるものとは思はなかつた。しかしこの自動車を見た時、――殊にその中の棺を見た時、何ものか僕に冥々《めいめい》の裡《うち》に或警告を与へてゐる、――そんなことをはつきり感じたのだつた。
(大正十五年四月十三日|鵠沼《くげぬま》にて浄書)[#地から1字上げ]〔遺稿〕



底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行
入力校正:j.utiyama
1999年2月15日公開
2003年10月7日修正
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