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長崎小品
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)硝子《ガラス》戸棚

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)中々|気位《きぐらゐ》が高い

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+虚」、第4水準2-88-74]
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 薄暗き硝子《ガラス》戸棚の中。絵画、陶器、唐皮《からかは》、更緲《さらさ》、牙彫《げぼり》、鋳金《ちうきん》等《とう》種々の異国関係史料、処狭きまでに置き並べたるを見る。初夏《しよか》の午後。遙にちやるめらの音聞ゆ。
 久しき沈黙の後《のち》、司馬江漢《しばかうかん》筆《ひつ》の蘭人、突然悲しげに歎息す。
 古伊万里《こいまり》の茶碗に描《ゑが》かれたる甲比丹《かぴたん》、(蘭人を顧みつつ)どうしたね? 顔の色も大へん悪いやうだが――
 蘭人、いえ、何《なん》でもありませんよ。唯ちつと頭痛《づつう》がするものですから――
 甲比丹《かぴたん》、今日は妙に蒸暑いからね。
 唐皮《からかは》の花の間《あひだ》に止まれる鸚鵡《あうむ》、(横あひより甲比丹《かぴたん》に)※[#「言+虚」、第4水準2-88-74]《うそ》[#「※[#「言+虚」、第4水準2-88-74]」は底本では「謔」]ですよ。甲比丹! あの人のは頭痛ではないのです。
 甲比丹《かぴたん》、頭痛ではないと云ふと?
 鸚鵡《あうむ》、恋愛ですよ。
 蘭人、(鸚鵡を嚇《おど》[#「嚇」は底本では「嘛」]しつつ)余計《よけい》な事を云ふな!
 甲比丹(蘭人に)まあ黙つてゐ給へ。(鸚鵡に)さうして誰に惚れてゐるのだい?
 鸚鵡、あの女ですよ。ほら、あの阿蘭陀出来《オランダでき》の皿の中にある。――
 甲比丹、何時《いつ》も扇を持つてゐる女か?
 鸚鵡、ええ、あれです。あの女は顔こそ綺麗ですが、中々|気位《きぐらゐ》が高いものですからね。
 蘭人、(再び鸚鵡を嚇しつつ)こら、失礼な事を云ふな!
 甲比丹、さうか? それは気の毒だな。(金象嵌《きんざうがん》の小柄《こづか》の伴天連《ばてれん》に)どうしたものでせう? パアドレ!
 伴天連《ばてれん》、さあ、婚礼はわたしがさせても好《い》いが、――何しろ阿蘭陀《オランダ》生れだけに、あの女の横柄《わうへい》なのは評判だからね。
 蘭人、どうかもう御心配なさらずに下さい。(やけ気味に)いざとなればあの種《たね》が島《しま》に、心臓を射抜《いぬ》いて貰ひますから。
 種が島、(残念さうに)駄目《だめ》だよ。僕は錆《さ》びついてゐるから、――サアベル式の日本刀《にほんたう》にでも頼み給へ。
 牙彫《げぼり》の基督《キリスト》、(紫壇の十字架上に腕をひろげつつ)無分別《むふんべつ》な事をしてはいけない。ふだん云つて聞かせる通り、自殺などをしたものは波群葦増《はらゐそ》の門にはひられないからね。(麻利耶《マリヤ》観音《くわんのん》に)お母様《かあさま》! どうかしてやる訳には参りませんか?
 麻利耶《マリヤ》観音、さうだね。ではわたしが頼んで見て上げようか?
 伴天連、さう願へれば仕合せでございます。
 甲比丹、どうか御尽力を願ひたいと存じますが、――(蘭人に)君からもおん母に御頼みし給へ。
 蘭人、(恥しげに)何分《なにぶん》よろしく御願ひ申します。
 鸚鵡、御恵《おめぐみ》深い麻利耶《マリヤ》様! わたしからもひとへに御願ひ致します。
 麻利耶観音、(阿蘭陀《オランダ》の皿に描《ゑが》かれたる女に)あなた!
 阿蘭陀《オランダ》の女、何か御用ですか?
 麻利耶観音、はい、実はこの若い方《かた》があなたを御慕ひ申してゐるのださうですが、――
 阿蘭陀の女、まあ嫌《いや》です事。わたしはあの方《かた》は大嫌ひでございます。
 麻利耶観音、それでも体さへ窶《やつ》れる程、思ひ悩んでゐるやうですから、――
 阿蘭陀の女、それはあの方の御勝手《ごかつて》ではありませんか? 一体わたしは日本出来や支那出来の方《かた》は虫が好かないのです。
 麻利耶《マリヤ》観音《くわんのん》[#ルビの「くわんのん」は底本では「くわんの」]、そんな事を云ふものではありません。あの方もあなたと同じやうに、西洋文明の命の火を胸の中に宿してゐるのですもの。云はば兄弟のやうなものではありませんか? どうかわたしたち親子も願ひますから、少《すこ》しは可哀《かはい》さうだと思つてやつて下さい。
 阿蘭陀《オランダ》の女、(腹立たしげに)余計《よけい》な事は仰有《おつしや》らずに下さい。第一あなたさへ平戸《ひらど》あたりの田舎《ゐなか》生れではありませんか? 硝子《ガラス》絵の窓だの噴水だの薔薇《ばら》の花だの、壁にかける氈《かも》だの、――そんな物は見た事もありますまい。顔もあなたはわたしの国のおん母|麻利耶《マリヤ》とは大違ひです。ましてあの方《かた》を御覧なさい。成程《なるほど》あの方もこの国では、阿蘭陀《オランダ》人と云ふかも知れません。しかしほんたうは阿蘭陀人どころか、日本人とも西洋人ともつかない、つまりこの国の画描きの拵《こしら》へた、黒ん坊よりも気味の悪い人です。
 蘭人、ああ、何と云ふ情《なさけ》ない言葉だ!(涕泣《ていきふ》す)
 阿蘭陀の女、(なほ怒の静まらざる如く)それがわたしを慕つてゐる、――よくまあそんな事が云はれたものです。おまけにあの方の一家一族――長崎画《ながさきゑ》に出て来る紅毛人《こうまうじん》も皆同じ事ではありませんか? あたしはあの人たちの顔を見てさへ胸が悪くなつて来る位です。
 長崎画《ながさきゑ》の英吉利《イギリス》人、法朗西《フランス》人、露西亜《ロシヤ》人|等《ら》、(驚きし如く)おお! おお!
 麻利耶観音、ではどうしてもあの方とは仲好く出来ないと云ふのですか?
 阿蘭陀の女、当り前です。わたしはもう今日《けふ》限り、あなたとも御つきあひは御免《ごめん》蒙《かうむ》りませう。古伊万里《こいまり》の甲比丹《かぴたん》、小柄《こづか》の伴天連《ばてれん》、亀山焼《かめやまやき》の南蛮女《なんばんをんな》、――いえ、いえ、それどころではありません。刀の鍔《つば》にゐる天使でさへ、二度と口を利《き》いて貰ひますまい。あの人たちとわたしとは生れも育ちも違ふのですから、――
 麻利耶観音、(蘭人に)聞いてゐたらうね? わたしの言葉さへ通らないのだから、所詮《しよせん》お前の願ひはかなはないよ。
 蘭人、(涕泣《ていきふ》しつつ)はい、もう仕方はございません。
 甲比丹《かぴたん》[#ルビの「かぴたん」は底本では「かぷたん」]、男らしくあきらめるさ。(亀山焼《かめやまやき》の南蛮女《なんばんをんな》に)しかし憎い女だね。
 南蛮女《なんばんをんな》、ほんたうに高慢な人です事。――ようございますよ。これからはわたしがあの女の代りにこの方《かた》の世話をして上げますから。
 伴天連《ばてれん》、お前さんは何時《いつ》もやさしい人だ。
 基督《キリスト》、静かに! 静かに! 誰か人間が来たやうだから、――
 鸚鵡《あうむ》、しつ! しつ!
 この家の主人、数人の客と共に戸棚の外に立つ。
 主人、これがわたしのコレクション[#「ョ」はママ]です。
 客の一人《ひとり》、大分《だいぶ》沢山《たくさん》ありますね。この江漢《かうかん》の蘭人は面白い。
 主人、其処《そこ》にあるのは亀山焼です。これはわたしの自慢の品ですが、――
 客の一人、南蛮女ですね。阿蘭陀《オランダ》出来の皿の女より、余程《よほど》美人ではありませんか?
 主人、これですか?(阿蘭陀の女のゐる皿を取り出す)おや、何か濡れてゐるが、――
 客の一人、まさか阿蘭陀の女が泣いたと云ふ訳でもありますまい。
 客の他の一人、いや、悪口《わるぐち》を云はれたから、口惜《くや》し泣きに泣いたのかも知れません。(笑ふ)
 客の一人、一体日本出来の南蛮物には西洋出来の物にない、独得な味がありますね。
 主人、其処《そこ》が日本なのでせう。
 客の一人、さうです。其処から今日《こんにち》の文明も生れて来た。将来はもつと偉大なものが生れるでせう。
 客の他の一人《ひとり》、この蘭人や南蛮女も亦以て瞑《めい》すべしですか。――おや!
 主人、どうしたのですか?
 客の他の一人、何だかあの基督《キリスト》が笑つたやうな気がしたのです。
 客の一人、わたしは麻利耶《マリヤ》観音《くわんのん》が笑つたやうに見えた。
 主人、気のせゐでせう。
 主客《しゆかく》静かに硝子《ガラス》戸棚の前を去る。再びかすかにちやるめらの音。
[#地から1字上げ](大正十一年五月)



底本:「芥川龍之介作品集第三巻」昭和出版社
   1965(昭和40)年12月20日発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月26日公開
2004年3月6日修正
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