青空文庫アーカイブ



東洋の秋
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)地平《ちへい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一枚|毎《ごと》に

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]
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 おれは日比谷公園を歩いてゐた。
 空には薄雲が重なり合つて、地平《ちへい》に近い樹々《きヾ》の上だけ、僅《わづか》にほの青い色を残してゐる。そのせゐか秋の木《こ》の間《ま》の路は、まだ夕暮が来ない内に、砂も、石も、枯草も、しつとりと濡れてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはせた篠懸《すずかけ》にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚|毎《ごと》にかすかな陰影を交《まじ》へながら、懶《ものう》げに漂《ただよ》つてゐるのである。
 おれは籐《とう》の杖を小脇にして、火の消えた葉巻を啣《くは》へながら、別に何処《どこ》へ行かうと云ふ当《あて》もなく、寂しい散歩を続けてゐた。
 そのうそ寒い路の上には、おれ以外に誰も歩いてゐない。路をさし挾《はさ》んだ篠懸《すずかけ》も、ひつそりと黄色い葉を垂らしてゐる。仄《ほの》かに霧の懸つてゐる行《ゆ》く手の樹々《きヾ》の間《あひだ》からは、唯、噴水のしぶく音が、百年の昔も変らないやうに、小止《をや》みないさざめきを送つて来る。その上|今日《けふ》はどう云ふ訳か、公園の外の町の音も、まるで風の落ちた海の如く、蕭条《せうでう》とした木立《こだち》の向うに静まり返つてしまつたらしい。――と思ふと鋭い鶴の声が、しめやかな噴水の響を圧して、遠い林の奥の池から、一二度高く空へ挙つた。
 おれは散歩を続けながらも、云ひやうのない疲労と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかつてゐるのを感じてゐた。寸刻も休みない売文《ばいぶん》生活! おれはこの儘たつた一人《ひとり》、悩ましいおれの創作力の空《そら》に、空《むな》しく黄昏《たそがれ》の近づくのを待つてゐなければならないのであらうか。
 さう云ふ内にこの公園にも、次第に黄昏《たそがれ》が近づいて来た。おれの行《ゆ》く路の右左には、苔《こけ》の※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]《にほひ》や落葉の※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]が、混つた土の※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]と一しよに、しつとりと冷たく動いてゐる。その中にうす甘い※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]のするのは、人知れず木《こ》の間《ま》に腐つて行《ゆ》く花や果物の香《かを》りかも知れない。と思へば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇《ばら》の花が一つ、土にもまみれずに※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]つてゐた。もしこの秋の※[#「均−土へん」、第3水準1-14-75]の中に、困憊《こんぱい》を重ねたおれ自身を名残りなく浸《ひた》す事が出来たら――
 おれは思はず足を止めた。
 おれの行《ゆ》く手には二人《ふたり》の男が、静に竹箒《たかぼうき》を動かしながら、路上に明《あかる》く散り乱れた篠懸《すずかけ》の落葉を掃いてゐる。その鳥の巣のやうな髪と云ひ、殆《ほとん》ど肌も蔽はない薄墨色《うすずみいろ》の破れ衣《ころも》と云ひ、或は又|獣《けもの》にも紛《まが》ひさうな手足の爪の長さと云ひ、云ふまでもなく二人とも、この公園の掃除をする人夫《にんぷ》の類《たぐひ》とは思はれない。のみならず更に不思議な事には、おれが立つて見てゐる間《あひだ》に、何処《どこ》からか飛んで来た鴉《からす》が二三羽、さつと大きな輪を描《ゑが》くと、黙然《もくねん》と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、先を争つて舞ひ下《さが》つた。が、二人は依然として、砂上に秋を撒《ま》き散らした篠懸の落葉を掃いてゐる。
 おれは徐《おもむろ》に踵《くびす》を返して、火の消えた葉巻を啣《くは》へながら、寂しい篠懸の間の路を元来た方《はう》へ歩き出した。
 が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時《いつ》か静な悦びがしつとりと薄明《うすあかる》く溢《あふ》れてゐた。あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。寒山拾得《かんざんじつとく》は生きてゐる。永劫《えいごふ》の流転《るてん》を閲《けみ》しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる。あの二人が生きてゐる限り、懐しい古《こ》東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。
 おれは籐《とう》の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷《ひびや》公園の門を出た。「寒山拾得《かんざんじつとく》は生きてゐる」と、口の内に独り呟《つぶや》きながら。
[#地から1字上げ](大正九年三月)



底本:「芥川龍之介作品集第二巻」昭和出版社
   1965(昭和40)年12月20日発行
※平仮名の繰り返し記号に「ヾ」を用いる扱いは、底本通りとしました。
※底本の「ほの青い色を残してゐ。」「灰」《ほの》かに」「殆《ほとんど》ど」はそれぞれ、「ほの青い色を残してゐる。」「仄《ほの》かに」「殆《ほとん》ど」にあらためました。
※疑問点の確認にあたっては、「芥川龍之介全集 第六巻」岩波書店、1996(平成8)年4月8日発行を参照しました。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月27日公開
2003年10月7日修正
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