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雪中行 小樽より釧路まで
石川啄木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)橇《そり》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)白石|厚別《あつべつ》を過ぎて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57、18-7]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)そこ/\に朝飯を済まして
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 (第一信) 岩見沢にて
 一月十九日。雪。
 僅か三時間許りしか眠らなかつたので、眠いこと話にならぬ。頬を脹らして顔を洗つて居ると、頼んで置いた車夫が橇《そり》を牽《ひ》いて来た。車夫が橇を牽くとは、北海道を知らぬ人には解りツこのない事だ。そこ/\に朝飯を済まして橇に乗る。いくら踏反返《ふんぞりかへ》つて見ても、徒歩で歩く人々に見下ろされる。気の毒ながら威張つた甲斐がない。
 中央小樽駅に着きは着いたが、少しの加減で午前九時の下り列車に乗後れて了つた。仕方なさに東泉先生のお宅へ行つて、次の汽車を待つことにする。馳せ参ずる人二人三人。暖炉《ストーブ》に火を入れてイザ取敢へずと盃が廻りはじめる。不調法の自分は頻りに煙草を吹かす。話はそれからこれへと続いたが就中の大問題は僕の頭であつた。知らぬ人は知るまいが、自分の頭は、昨年十一月の初め鬼舐頭病《とくとうびやう》といふのに取付かれたので、今猶直径一寸余の禿が、無慮三つ四つ、大きくもない頭に散在して居る。東泉先生曰く、君の頭は植林地か、それとも開墾地か、後者だとすれば着々成功して居るが、植林の方だと甚だ以て不成績ぢやないか!
 火を入れた暖炉の真赤になる迄火勢のよくなつた時は、人々の顔もどうやらほんのりと色づいて居た。今度こそは乗遅れぬやうにと再び停車場に駆け付ける。手にした切符は、
「ちうおうおたるよりくしろまで」
 客が少くて、殊に二等室は緩《ゆつく》りとしたもの。汽笛の鳴る迄を先生は汽車衝突の話をされる。それは戦役当時の事であつたとか。先生自身と外に一人を除いては皆軍人許り、ヒヨウと気《け》たたましい非常汽笛が鳴ると、指揮官の少尉殿は忽ち「伏せツ」と号令を下した、軍人は皆バタ/\と床に伏した。そのため、機関車は壊れ死傷者も数多くあつたけれど、この一室中の人許りは誰一人微傷だもしなかつたと云ふ。汽車に乗つたから汽車衝突の話をするとは誠にうまい事と自分はひそかに考へた、そして又、衝突なり雪埋なり、何かしらこんどの旅行記を賑はすべき事件が、釧路まで行くうちに起つて呉れゝばよいがと、人に知らされぬ危険な事を思ふ。
 午前十一時四十分。車は動き出して、車窓の外に立つて居た日報社の人々が見えなくなつた。雪が降り出して居る。風さへ吹き出したのか、それとも汽車が風を起したのか、声なき鵞毛の幾千万片、卍巴と乱れ狂つて冷たい窓硝子を打つ。――其硝子一重の外を知らぬ気に、車内は暖炉《ストーブ》勢ひよく燃えて、冬の旅とは思へぬ暖かさ。東泉先生は其肥大の躯を白毛布の上にドシリと下して、心安げに本を見始める。先生に侍して、雪に埋れた北海道を横断する自分は宛然《さながら》腰巾着の如く、痩せて小さい躯を其横に据ゑて、衣嚢《かくし》から新聞を取出した。サテ太平無事な天下ではある。蔵逓両相が挂冠したといふ外に、広い世の中何一つ面白い事がない。
 窓越しに見る雪の海、深碧の面が際限もなく皺立つて、車輛を洗ふかと許り岸辺の岩に砕くる波の徂徠《ゆきき》、碧い海の声の白さは降る雪よりも美しい。朝里張碓《あさりはりうす》は斯くて後になつて、銭函《ぜにばこ》を過ぐれば石狩の平野である。
 午後一時二十分札幌に着いて、東泉先生は一人下車せられた。明日旭川で落合ふといふ約束なのである。降りしきる雪を透して、思出多き木立の都を眺めた。外国振《とつくにぷり[#「ぷり」はママ]》のアカシヤ街も見えぬ。菩提樹の下に牛遊ぶ「大いなる田舎町」の趣きも見えぬ。降りに降る白昼《まひる》の雪の中に、我が愛する「詩人の市《まち》」は眠つて居る、※[#「※」は「闃」の「目」に変えて「自」、14-9]《げき》として声なく眠つて居る。不図気がつけば、車中の人は一層少くなつて居た。自分は此時初めて、何とはなく己が身の旅にある事を感じた。
 汽笛が鳴つて汽車はまた動き出した。札幌より彼方《むかう》は自分の未だ嘗《かつ》て足を入れた事のない所である。白石|厚別《あつべつ》を過ぎて次は野幌《のつぽろ》。睡眠不足で何かしら疲労を覚えて居る身は、名物の煉瓦餅を買ふ気にもなれぬ。江別も過ぎた。幌向《ほろむい》も過ぎた。上幌向の停車場の大時計は、午後の三時十六分を示して居た。
 雪は何時しか晴れて居る。空一面に渋い顔を披いた灰色の雪が大地を圧して、右も左も、見ゆる限りは雪又雪。所々に枯木や茅舎を点綴した冬の大原野は、漫《そぞ》ろにまだ見ぬ露西亜の曠野を偲ばしめる。鉄の如き人生の苦痛と、熱火の如き革命の思想とを育て上げた、荒涼とも壮大とも云ひ様なき北欧の大自然は、幻の如く自分の目に浮んだ。不図したら、猟銃を肩にしたツルゲネーフが、人の好ささうな、髯の長い、巨人の如く背の高い露西亜の百姓と共に、此処いらを彷徨《うろつ》いて居はせぬかといふ様な心地がする。気がつくと、自分と向合つて腰かけて居る商人体の男が、金釦の外套を着た十二三の少年を二人伴れて居る。そして二人共悧巧さうな顔をして居る。自分は思はずチヨツと舌打をした。日本人はどうして恁《か》うせせこましい、万事に抜目のない様な、悧巧さうな、小国民らしい顔をしてるだらうと、トンダ不平を起して再び目を窓外に転じた。積雪の中に所々、恰も錆びた剣の如く、枯れた蘆の葉が頭を出して居る。
 程なく岩見沢に下車して、車夫を呼ぶと橇牽《そりひき》が来た。今朝家を出た時の如く、不景気な橇に賃して四時頃此姉が家に着いた。途中目についたのは、雪の深いことと地に達する氷柱《つらら》のあつた事、凍れるビールを暖炉《ストーブ》に解かし、鶏を割いての楽しき晩餐は、全く自分の心を温かにした。剰《あまつ》さへ湯加減程よき一風呂に我が身体も亦車上の労れを忘れた。自分は今、眠りたいと云ふ外に何の希望も持つて居ない。眠りたい、眠りたい……実際モウ眠くなつたから、此第一信の筆を擱く事にする。(午後九時半)

 (第二信) 旭川にて
 一月二十日。曇。
 午前十時半岩見沢発二番の旭川行に乗つた。同室の人唯四人、頬髯逞しい軍人が三十二三の黒いコートを着た細君を伴れて乗つて居る。新聞を買つて読む、札幌小樽の新聞は皆新夕張炭鉱の椿事を伝へるに急がしい。タイムスの如きは、死骸の並んでる所へ女共の来て泣いてる様を書いた惨澹たる挿絵まで載せて居る。此挿絵を見て、軍人の細君は「マア」と云つた。軍人は唸る様に「ウウ」と答へた。
 砂川駅で昼食。
 ト見ると、右も左も一望の雪の中に姿淋しき雑木の林、其間々に雪を冠つた屋根の規則正しく幾列も、並んで居るのは、名にし聞ゆる空知の屯田兵村であらう。江部乙《えべおつ》駅を過ぎて間もなく、汽車は鉄橋にかゝつた。川もないのに鉄橋とは可笑《をかし》いと思つて、窓をあけると、傍人は「石狩川です」と教へて呉れた。如何様《いかさま》川には相違ないが、岸から岸まで氷が張詰めて居て、其上に何尺といふ雪が積つてあるのだから、一寸見ては川とも何とも見えぬ。小学校に居る頃から石狩川は日本一の大河であると思つて居た。日本一の大河が雪に埋れて見えぬと聞いたなら、東京辺の人などは何といふであらう。
 此辺は、北海道第一の豊産地たる石狩平野の中でも、一番地味の饒《ゆた》かな所だと、傍人はまた教へて呉れた。
 雑誌など読み耽つてゐるうちに汽車は何時しか山路にかゝつた。雪より雪に続いて、際限がないと思つて居た石狩の大原野も、何時の間にか尽きて了つたと見える。軈《やが》て着いた停車場は神威古潭《かむゐこたん》駅と云ふ、音に高き奇勝は之かと思つて窓を明けた。「温泉へ五町、砂金採取所へ八町」と札が目についた。左の方、崖下を流るゝ石狩川の上流は雪に隠れて居る。崖によつて建てられた四阿《あづまや》らしいのゝ、積れる雪の重みにおしつぶされたのがあつた。「夏は好いですが喃」と軍人は此時初めて自分に声を掛けた。
 汽車は川に添ふて上る。川の彼岸《むかう》は山、山の麓を流に臨んで、電柱が並んで居る。所々に橋も見える。人道が通つてるのだらうが、往来《ゆきき》の旅人の笠一つ見えぬ。鳥の声もせねば、風の吹く様子もない。汽車は何処までも何処までもと川に添うて、喘ぎ/\無人の境を走る。
 川が瀬になつて水の激して居る所は、流石に氷りかねて居て、海水よりも碧い水が所々真白の花を咲かせて居る。木といふ木は皆其幹の片端に雪を着けて居る。――死の林とは、之ではあるまいかと思つた。幾千万本と数知れぬ樹が、皆|白銀《しろがね》の鎧を着て動きツこもなく立往生して居る。
 川が右の方へ離れて行くと、眼界が少しづつ広くなつて来た。何処まで行つても、北海の冬は雪また雪、痩せた木が所々に林をなして居て、雪に埋れて壁も戸も見えぬ家が散らばつて居る。日は西の空から、雲間を赤く染めて、はかない冬の夕の光を投げかける。
 旭川に下車して、停車場前の宮越屋旅店に投じた。帳場の上の時計は、午後三時十五分を示して居た。
 日の暮れぬ間にと、町見物に出かける。流石は寒さに名高き旭川だけあつて、雪も深い。馬鉄の線路は、道路面から二尺も低くなつて居る。支庁前にさる家を訪ねて留守に逢ひ、北海旭新聞社に立寄つた。旭川は札幌の小さいのだと能《よ》く人は云ふ。成程街の様子が甚だよく札幌に似て居て、曲つた道は一本もなく、数知れぬ電柱が一直線に立ち並んで、後先の見えぬ様など、見るからに気持がよい。さる四辻で、一人の巡査が恰《あたか》も立坊の如く立つて居た。其|周匝《まはり》を一疋の小犬がグル/\と廻つて頻りに巡査の顔を見て居るのを、何だか面白いと思つた。知らぬ土地へ来て道を聞くには、女、殊に年若い女に訊くに限るといふ事を感じて宿に帰る。
 湯に這入つた。薄暗くて立ち罩《こ》めた湯気の濛々《もうもう》たる中で、「旭川は数年にして屹度札幌を凌駕《りようが》する様になるよ」と気焔を吐いて居る男がある。「戸数は幾何あるですか」と訊くと、「左様六千余に上つてるでせう」と其人が答へた。甚※[#「※」は「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57、18-7]《どんな》人であつたかは、見る事が出来ずに了つた。
 夜に入つて東泉先生も札幌から来られた。広い十畳間に黄銅の火鉢が大きい。旭川はアイヌ語でチウベツ(忠別)と云ふさうな、チウは日の出、ベツは川、日の出る方から来る川と云ふ意味なさうで、旭川はその意訳だと先生が話された。
 催眠術の話が出た為めか、先生は既に眠つてしまつた。明朝は六時半に釧路行に乗る筈だから、自分もそろ/\枕につかねばならぬ。(九時半宮越屋楼上にて)



底本:「日本随筆紀行第一巻 北海道 太古の原野に夢見て」作品社
   1986(昭和61)年6月5日第1刷発行
底本の親本:「石川啄木全集 第八巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年1月
入力:mayu
校正:富田倫生
2001年8月9日公開
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