青空文庫アーカイブ



人魚の祠
泉鏡太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)あの婦人《ふじん》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)六|月《ぐわつ》の末《すゑ》

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        一

「いまの、あの婦人《ふじん》が抱《だ》いて居《ゐ》た嬰兒《あかんぼ》ですが、鯉《こひ》か、鼈《すつぽん》ででも有《あ》りさうでならないんですがね。」
「…………」
 私《わたし》は、默《だま》つて工學士《こうがくし》の其《そ》の顏《かほ》を視《み》た。
「まさかとは思《おも》ひますが。」
 赤坂《あかさか》の見附《みつけ》に近《ちか》い、唯《と》ある珈琲店《コオヒイてん》の端近《はしぢか》な卓子《テエブル》で、工學士《こうがくし》は麥酒《ビイル》の硝子杯《コツプ》を控《ひか》へて云《い》つた。
 私《わたし》は卷莨《まきたばこ》を點《つ》けながら、
「あゝ、結構《けつこう》。私《わたし》は、それが石地藏《いしぢざう》で、今《いま》のが姑護鳥《うぶめ》でも構《かま》ひません。けれども、それぢや、貴方《あなた》が世間《せけん》へ濟《す》まないでせう。」
 六|月《ぐわつ》の末《すゑ》であつた。府下《ふか》澁谷《しぶや》邊《へん》に或《ある》茶話會《さわくわい》があつて、斯《こ》の工學士《こうがくし》が其《そ》の席《せき》に臨《のぞ》むのに、私《わたし》は誘《さそ》はれて一日《あるひ》出向《でむ》いた。
 談話《はなし》の聽人《きゝて》は皆《みな》婦人《ふじん》で、綺麗《きれい》な人《ひと》が大分《だいぶ》見《み》えた、と云《い》ふ質《たち》のであるから、羊羹《やうかん》、苺《いちご》、念入《ねんいり》に紫《むらさき》袱紗《ふくさ》で薄茶《うすちや》の饗應《もてなし》まであつたが――辛抱《しんばう》をなさい――酒《さけ》と云《い》ふものは全然《まるで》ない。が、豫《かね》ての覺悟《かくご》である。それがために意地汚《いぢきたな》く、歸途《かへり》に恁《か》うした場所《ばしよ》へ立寄《たちよ》つた次第《しだい》ではない。
 本來《ほんらい》なら其《そ》の席《せき》で、工學士《こうがくし》が話《はな》した或種《あるしゆ》の講述《かうじゆつ》を、こゝに筆記《ひつき》でもした方《はう》が、讀《よ》まるゝ方々《かた/″\》の利益《りえき》なのであらうけれども、それは殊更《ことさら》に御海容《ごかいよう》を願《ねが》ふとして置《お》く。
 實《じつ》は往路《いき》にも同伴立《つれだ》つた。
 指《さ》す方《かた》へ、煉瓦塀《れんぐわべい》板塀《いたべい》續《つゞ》きの細《ほそ》い路《みち》を通《とほ》る、とやがて其《そ》の會場《くわいぢやう》に當《あた》る家《いへ》の生垣《いけがき》で、其處《そこ》で三《み》つの外圍《そとがこひ》が三方《さんぱう》へ岐《わか》れて三辻《みつつじ》に成《な》る……曲角《まがりかど》の窪地《くぼち》で、日蔭《ひかげ》の泥濘《ぬかるみ》の處《ところ》が――空《そら》は曇《くも》つて居《ゐ》た――殘《のこ》ンの雪《ゆき》かと思《おも》ふ、散敷《ちりし》いた花《はな》で眞白《まつしろ》であつた。
 下《した》へ行《ゆ》くと學士《がくし》の背廣《せびろ》が明《あかる》いくらゐ、今《いま》を盛《さかり》と空《そら》に咲《さ》く。枝《えだ》も梢《こずゑ》も撓《たわゝ》に滿《み》ちて、仰向《あをむ》いて見上《みあ》げると屋根《やね》よりは丈《たけ》伸《の》びた樹《き》が、對《つゐ》に並《なら》んで二株《ふたかぶ》あつた。李《すもゝ》の時節《じせつ》でなし、卯木《うつぎ》に非《あら》ず。そして、木犀《もくせい》のやうな甘《あま》い匂《にほひ》が、燻《いぶ》したやうに薫《かを》る。楕圓形《だゑんけい》の葉《は》は、羽状複葉《うじやうふくえふ》と云《い》ふのが眞蒼《まつさを》に上《うへ》から可愛《かはい》い花《はな》をはら/\と包《つゝ》んで、鷺《さぎ》が緑《みどり》なす蓑《みの》を被《かつ》いで、彳《たゝず》みつゝ、颯《さつ》と開《ひら》いて、雙方《さうはう》から翼《つばさ》を交《かは》した、比翼連理《ひよくれんり》の風情《ふぜい》がある。
 私《わたし》は固《もと》よりである。……學士《がくし》にも、此《こ》の香木《かうぼく》の名《な》が分《わか》らなかつた。
 當日《たうじつ》、席《せき》でも聞合《きゝあは》せたが、居合《ゐあ》はせた婦人連《ふじんれん》が亦《また》誰《たれ》も知《し》らぬ。其《そ》の癖《くせ》、佳薫《いゝかをり》のする花《はな》だと云《い》つて、小《ちひ》さな枝《えだ》ながら硝子杯《コツプ》に插《さ》して居《ゐ》たのがあつた。九州《きうしう》の猿《さる》が狙《ねら》ふやうな褄《つま》の媚《なまめ》かしい姿《すがた》をしても、下枝《したえだ》までも屆《とゞ》くまい。小鳥《ことり》の啄《ついば》んで落《おと》したのを通《とほ》りがかりに拾《ひろ》つて來《き》たものであらう。
「お乳《ちゝ》のやうですわ。」
 一人《ひとり》の處女《しよぢよ》が然《さ》う云《い》つた。
 成程《なるほど》、近々《ちか/″\》と見《み》ると、白《しろ》い小《ちひ》さな花《はな》の、薄《うつす》りと色着《いろづ》いたのが一《ひと》ツ一《ひと》ツ、美《うつくし》い乳首《ちゝくび》のやうな形《かたち》に見《み》えた。
 却説《さて》、日《ひ》が暮《く》れて、其《そ》の歸途《かへり》である。
 私《わたし》たちは七丁目《なゝちやうめ》の終點《しうてん》から乘《の》つて赤坂《あかさか》の方《はう》へ歸《かへ》つて來《き》た……あの間《あひだ》の電車《でんしや》は然《さ》して込合《こみあ》ふ程《ほど》では無《な》いのに、空《そら》怪《あや》しく雲脚《くもあし》が低《ひく》く下《さが》つて、今《いま》にも一降《ひとふり》來《き》さうだつたので、人通《ひとどほ》りが慌《あわたゞ》しく、一町場《ひとちやうば》二町場《ふたちやうば》、近處《きんじよ》へ用《よう》たしの分《ぶん》も便《たよ》つたらしい、停留場《ていりうぢやう》毎《ごと》に乘人《のりて》の數《かず》が多《おほ》かつた。
 で、何時《いつ》何處《どこ》から乘組《のりく》んだか、つい、それは知《し》らなかつたが、丁《ちやう》ど私《わたし》たちの並《なら》んで掛《か》けた向《むか》う側《がは》――墓地《ぼち》とは反對《はんたい》――の處《ところ》に、二十三四の色《いろ》の白《しろ》い婦人《ふじん》が居《ゐ》る……
 先《ま》づ、色《いろ》の白《しろ》い婦《をんな》と云《い》はう、が、雪《ゆき》なす白《しろ》さ、冷《つめた》さではない。薄櫻《うすざくら》の影《かげ》がさす、朧《おぼろ》に香《にほ》ふ裝《よそほひ》である。……こんなのこそ、膚《はだへ》と云《い》ふより、不躾《ぶしつけ》ながら肉《にく》と言《い》はう。其《その》胸《むね》は、合歡《ねむ》の花《はな》が雫《しづく》しさうにほんのりと露《あらは》である。
 藍地《あゐぢ》に紺《こん》の立絞《たてしぼり》の浴衣《ゆかた》を唯《たゞ》一重《ひとへ》、絲《いと》ばかりの紅《くれなゐ》も見《み》せず素膚《すはだ》に着《き》た。襟《えり》をなぞへに膨《ふつく》りと乳《ちゝ》を劃《くぎ》つて、衣《きぬ》が青《あを》い。青《あを》いのが葉《は》に見《み》えて、先刻《さつき》の白《しろ》い花《はな》が俤立《おもかげだ》つ……撫肩《なでがた》をたゆげに落《おと》して、すらりと長《なが》く膝《ひざ》の上《うへ》へ、和々《やは/\》と重量《おもみ》を持《も》たして、二《に》の腕《うで》を撓《しな》やかに抱《だ》いたのが、其《それ》が嬰兒《あかんぼ》で、仰向《あをむ》けに寢《ね》た顏《かほ》へ、白《しろ》い帽子《ばうし》を掛《か》けてある。寢顏《ねがほ》に電燈《でんとう》を厭《いと》つたものであらう。嬰兒《あかんぼ》の顏《かほ》は見《み》えなかつた、だけ其《それ》だけ、懸念《けねん》と云《い》へば懸念《けねん》なので、工學士《こうがくし》が――鯉《こひ》か鼈《すつぽん》か、と云《い》つたのは此《これ》であるが……
 此《こ》の媚《なま》めいた胸《むね》のぬしは、顏立《かほだ》ちも際立《きはだ》つて美《うつく》しかつた。鼻筋《はなすぢ》の象牙彫《ざうげぼり》のやうにつんとしたのが難《なん》を言《い》へば強過《つよす》ぎる……かはりには目《め》を恍惚《うつとり》と、何《なに》か物思《ものおも》ふ體《てい》に仰向《あをむ》いた、細面《ほそおも》が引緊《ひきしま》つて、口許《くちもと》とともに人品《じんぴん》を崩《くづ》さないで且《か》つ威《ゐ》がある……其《そ》の顏《かほ》だちが帶《おび》よりも、きりゝと細腰《ほそごし》を緊《し》めて居《ゐ》た。面《おもて》で緊《し》めた姿《すがた》である。皓齒《しらは》の一《ひと》つも莞爾《につこり》と綻《ほころ》びたら、はらりと解《と》けて、帶《おび》も浴衣《ゆかた》も其《そ》のまゝ消《き》えて、膚《はだ》の白《しろ》い色《いろ》が颯《さつ》と簇《むらが》つて咲《さ》かう。霞《かすみ》は花《はな》を包《つゝ》むと云《い》ふが、此《こ》の婦《をんな》は花《はな》が霞《かすみ》を包《つゝ》むのである。膚《はだへ》が衣《きぬ》を消《け》すばかり、其《そ》の浴衣《ゆかた》の青《あを》いのにも、胸襟《むねえり》のほのめく色《いろ》はうつろはぬ、然《しか》も湯上《ゆあが》りかと思《おも》ふ温《あたゝか》さを全身《ぜんしん》に漲《みなぎ》らして、髮《かみ》の艶《つや》さへ滴《したゝ》るばかり濡々《ぬれ/\》として、其《それ》がそよいで、硝子窓《がらすまど》の風《かぜ》に額《ひたひ》に絡《まつ》はる、汗《あせ》ばんでさへ居《ゐ》たらしい。
 ふと明《あ》いた窓《まど》へ横向《よこむ》きに成《な》つて、ほつれ毛《げ》を白々《しろ/″\》とした指《ゆび》で掻《か》くと、あの花《はな》の香《か》が強《つよ》く薫《かを》つた、と思《おも》ふと緑《みどり》の黒髮《くろかみ》に、同《おな》じ白《しろ》い花《はな》の小枝《こえだ》を活《い》きたる蕚《うてな》、湧立《わきた》つ蕊《しべ》を搖《ゆる》がして、鬢《びんづら》に插《さ》して居《ゐ》たのである。
 唯《と》、見《み》た時《とき》、工學士《こうがくし》の手《て》が、確《しか》と私《わたし》の手《て》を握《にぎ》つた。
「下《お》りませう。是非《ぜひ》、談話《はなし》があります。」
 立《た》つて見送《みおく》れば、其《そ》の婦《をんな》を乘《の》せた電車《でんしや》は、見附《みつけ》の谷《たに》の窪《くぼ》んだ廣場《ひろば》へ、すら/\と降《お》りて、一度《いちど》暗《くら》く成《な》つて停《と》まつたが、忽《たちま》ち風《かぜ》に乘《の》つたやうに地盤《ぢばん》を空《そら》ざまに颯《さつ》と坂《さか》へ辷《すべ》つて、青《あを》い火花《ひばな》がちらちらと、櫻《さくら》の街樹《なみき》に搦《から》んだなり、暗夜《くらがり》の梢《こずゑ》に消《き》えた。
 小雨《こさめ》がしと/\と町《まち》へかゝつた。
 其處《そこ》で珈琲店《コオヒイてん》へ連立《つれだ》つて入《はひ》つたのである。
 こゝに、一寸《ちよつと》斷《ことわ》つておくのは、工學士《こうがくし》は嘗《かつ》て苦學生《くがくせい》で、其《その》當時《たうじ》は、近縣《きんけん》に賣藥《ばいやく》の行商《ぎやうしやう》をした事《こと》である。

        二

「利根川《とねがは》の流《ながれ》が汎濫《はんらん》して、田《た》に、畠《はたけ》に、村里《むらざと》に、其《そ》の水《みづ》が引殘《ひきのこ》つて、月《つき》を經《へ》、年《とし》を過《す》ぎても涸《か》れないで、其《そ》のまゝ溜水《たまりみづ》に成《な》つたのがあります。……
 小《ちひ》さなのは、河骨《かうほね》の點々《ぽつ/\》黄色《きいろ》に咲《さ》いた花《はな》の中《なか》を、小兒《こども》が徒《いたづら》に猫《ねこ》を乘《の》せて盥《たらひ》を漕《こ》いで居《ゐ》る。大《おほ》きなのは汀《みぎは》の蘆《あし》を積《つ》んだ船《ふね》が、棹《さを》さして波《なみ》を分《わ》けるのがある。千葉《ちば》、埼玉《さいたま》、あの大河《たいが》の流域《りうゐき》を辿《たど》る旅人《たびびと》は、時々《とき/″\》、否《いや》、毎日《まいにち》一《ひと》ツ二《ふた》ツは度々《たび/″\》此《こ》の水《みづ》に出會《でつくは》します。此《これ》を利根《とね》の忘《わす》れ沼《ぬま》、忘《わす》れ水《みづ》と呼《よ》んで居《ゐ》る。
 中《なか》には又《また》、あの流《ながれ》を邸内《ていない》へ引《ひ》いて、用水《ようすゐ》ぐるみ庭《には》の池《いけ》にして、筑波《つくば》の影《かげ》を矜《ほこ》りとする、豪農《がうのう》、大百姓《おほびやくしやう》などがあるのです。
 唯今《たゞいま》お話《はなし》をする、……私《わたし》が出會《であ》ひましたのは、何《ど》うも庭《には》に造《つく》つた大池《おほいけ》で有《あ》つたらしい。尤《もつと》も、居周圍《ゐまはり》に柱《はしら》の跡《あと》らしい礎《いしずゑ》も見當《みあた》りません。が、其《それ》とても埋《うも》れたのかも知《し》れません。一面《いちめん》に草《くさ》が茂《しげ》つて、曠野《あらの》と云《い》つた場所《ばしよ》で、何故《なぜ》に一度《いちど》は人家《じんか》の庭《には》だつたか、と思《おも》はれたと云《い》ふのに、其《そ》の沼《ぬま》の眞中《まんなか》に拵《こしら》へたやうな中島《なかじま》の洲《す》が一《ひと》つ有《あ》つたからです。
 で、此《こ》の沼《ぬま》は、話《はなし》を聞《き》いて、お考《かんが》へに成《な》るほど大《おほき》なものではないのです。然《さ》うかと云《い》つて、向《むか》う岸《ぎし》とさし向《むか》つて聲《こゑ》が屆《とゞ》くほどは小《ちひ》さくない。それぢや餘程《よほど》廣《ひろ》いのか、と云《い》ふのに、又《また》然《さ》うでもない、ものの十四五|分《ふん》も歩行《ある》いたら、容易《たやす》く一周《ひとまは》り出來《でき》さうなんです。但《たゞ》し十四五|分《ふん》で一周《ひとまはり》と云《い》つて、すぐに思《おも》ふほど、狹《せま》いのでもないのです。
 と、恁《か》う言《い》ひます内《うち》にも、其《そ》の沼《ぬま》が伸《の》びたり縮《ちゞ》んだり、すぼまつたり、擴《ひろ》がつたり、動《うご》いて居《ゐ》るやうでせう。――居《ゐ》ますか、結構《けつこう》です――其《そ》のつもりでお聞《き》き下《くだ》さい。
 一體《いつたい》、水《みづ》と云《い》ふものは、一雫《ひとしづく》の中《なか》にも河童《かつぱ》が一個《ひとつ》居《ゐ》て住《す》むと云《い》ふ國《くに》が有《あ》りますくらゐ、氣心《きごころ》の知《し》れないものです。分《わ》けて底《そこ》澄《ず》んで少《すこ》し白味《しろみ》を帶《お》びて、とろ/\と然《しか》も岸《きし》とすれ/″\に滿々《まん/\》と湛《たゝ》へた古沼《ふるぬま》ですもの。丁《ちやう》ど、其《そ》の日《ひ》の空模樣《そらもやう》、雲《くも》と同一《おなじ》に淀《どんよ》りとして、雲《くも》の動《うご》く方《はう》へ、一所《いつしよ》に動《うご》いて、時々《とき/″\》、てら/\と天《てん》に薄日《うすび》が映《さ》すと、其《そ》の光《ひかり》を受《う》けて、晃々《きら/\》と光《ひか》るのが、沼《ぬま》の面《おもて》に眼《まなこ》があつて、薄目《うすめ》に白《しろ》く人《ひと》を窺《うかゞ》ふやうでした。
 此《これ》では、其《そ》の沼《ぬま》が、何《なん》だか不氣味《ぶきみ》なやうですが、何《なに》、一寸《ちよつと》の間《ま》の事《こと》で、――四|時《じ》下《さが》り、五|時《じ》前《まへ》と云《い》ふ時刻《じこく》――暑《あつ》い日《ひ》で、大層《たいそう》疲《つか》れて、汀《みぎは》にぐつたりと成《な》つて一息《ひといき》吐《つ》いて居《ゐ》る中《うち》には、雲《くも》が、なだらかに流《なが》れて、薄《うす》いけれども平《たひら》に日《ひ》を包《つゝ》むと、沼《ぬま》の水《みづ》は靜《しづか》に成《な》つて、そして、少《すこ》し薄暗《うすぐら》い影《かげ》が渡《わた》りました。
 風《かぜ》はそよりともない。が、濡《ぬ》れない袖《そで》も何《なん》となく冷《つめた》いのです。
 風情《ふぜい》は一段《いちだん》で、汀《みぎは》には、所々《ところ/″\》、丈《たけ》の低《ひく》い燕子花《かきつばた》の、紫《むらさき》の花《はな》に交《まじ》つて、あち此方《こち》に又《また》一|輪《りん》づゝ、言交《いひか》はしたやうに、白《しろ》い花《はな》が交《まじ》つて咲《さ》く……
 あの中島《なかじま》は、簇《むらが》つた卯《う》の花《はな》で雪《ゆき》を被《かつ》いで居《ゐ》るのです。岸《きし》に、葉《は》と花《はな》の影《かげ》の映《うつ》る處《ところ》は、松葉《まつば》が流《なが》れるやうに、ちら/\と水《みづ》が搖《ゆ》れます。小魚《こうを》が泳《およ》ぐのでせう。
 差渡《さしわた》し、池《いけ》の最《もつと》も廣《ひろ》い、向《むか》うの汀《みぎは》に、こんもりと一|本《ぽん》の柳《やなぎ》が茂《しげ》つて、其《そ》の緑《みどり》の色《いろ》を際立《きはだ》てて、背後《うしろ》に一叢《ひとむら》の森《もり》がある、中《なか》へ横雲《よこぐも》を白《しろ》くたなびかせて、もう一叢《ひとむら》、一段《いちだん》高《たか》く森《もり》が見《み》える。うしろは、遠里《とほざと》の淡《あは》い靄《もや》を曳《ひ》いた、なだらかな山《やま》なんです。――柳《やなぎ》の奧《おく》に、葉《は》を掛《か》けて、小《ちひ》さな葭簀張《よしずばり》の茶店《ちやみせ》が見《み》えて、横《よこ》が街道《かいだう》、すぐに水田《みづた》で、水田《みづた》のへりの流《ながれ》にも、はら/\燕子花《かきつばた》が咲《さ》いて居《ゐ》ます。此《こ》の方《はう》は、薄碧《うすあを》い、眉毛《まゆげ》のやうな遠山《とほやま》でした。
 唯《と》、沼《ぬま》が呼吸《いき》を吐《つ》くやうに、柳《やなぎ》の根《ね》から森《もり》の裾《すそ》、紫《むらさき》の花《はな》の上《うへ》かけて、霞《かすみ》の如《ごと》き夕靄《ゆふもや》がまはりへ一面《いちめん》に白《しろ》く渡《わた》つて來《く》ると、同《おな》じ雲《くも》が空《そら》から捲《ま》き下《おろ》して、汀《みぎは》に濃《こ》く、梢《こずゑ》に淡《あは》く、中《なか》ほどの枝《えだ》を透《す》かして靡《なび》きました。
 私《わたし》の居《ゐ》た、草《くさ》にも、しつとりと其《そ》の靄《もや》が這《は》ふやうでしたが、袖《そで》には掛《かゝ》らず、肩《かた》にも卷《ま》かず、目《め》なんぞは水晶《すゐしやう》を透《とほ》して見《み》るやうに透明《とうめい》で。詰《つま》り、上下《うへした》が白《しろ》く曇《くも》つて、五六|尺《しやく》水《みづ》の上《うへ》が、却《かへ》つて透通《すきとほ》る程《ほど》なので……
 あゝ、あの柳《やなぎ》に、美《うつくし》い虹《にじ》が渡《わた》る、と見《み》ると、薄靄《うすもや》に、中《なか》が分《わか》れて、三《みつ》つに切《き》れて、友染《いうぜん》に、鹿《か》の子《こ》絞《しぼり》の菖蒲《あやめ》を被《か》けた、派手《はで》に涼《すゞ》しい裝《よそほひ》の婦《をんな》が三|人《にん》。
 白《しろ》い手《て》が、ちら/\と動《うご》いた、と思《おも》ふと、鉛《なまり》を曳《ひ》いた絲《いと》が三條《みすぢ》、三處《みところ》へ棹《さを》が下《お》りた。
(あゝ、鯉《こひ》が居《ゐ》る……)
 一|尺《しやく》、金鱗《きんりん》を重《おも》く輝《かゞや》かして、水《みづ》の上《うへ》へ飜然《ひらり》と飛《と》ぶ。」

        三

「それよりも、見事《みごと》なのは、釣竿《つりざを》の上下《あげおろし》に、縺《もつ》るゝ袂《たもと》、飜《ひるがへ》る袖《そで》で、翡翠《かはせみ》が六《むつ》つ、十二の翼《つばさ》を飜《ひるがへ》すやうなんです。
 唯《と》、其《そ》の白《しろ》い手《て》も見《み》える、莞爾《につこり》笑《わら》ふ面影《おもかげ》さへ、俯向《うつむ》くのも、仰《あふ》ぐのも、手《て》に手《て》を重《かさ》ねるのも其《そ》の微笑《ほゝゑ》む時《とき》、一人《ひとり》の肩《かた》をたゝくのも……莟《つぼみ》がひら/\開《ひら》くやうに見《み》えながら、厚《あつ》い硝子窓《がらすまど》を隔《へだ》てたやうに、まるつ切《きり》、聲《こゑ》が……否《いや》、四邊《あたり》は寂然《ひつそり》して、ものの音《おと》も聞《きこ》えない。
 向《むか》つて左《ひだり》の端《はし》に居《ゐ》た、中《なか》でも小柄《こがら》なのが下《おろ》して居《ゐ》る、棹《さを》が滿月《まんげつ》の如《ごと》くに撓《しな》つた、と思《おも》ふと、上《うへ》へ絞《しぼ》つた絲《いと》が眞直《まつすぐ》に伸《の》びて、するりと水《みづ》の空《そら》へ掛《かゝ》つた鯉《こひ》が――」
 ――理學士《りがくし》は言掛《いひか》けて、私《わたし》の顏《かほ》を視《み》て、而《そ》して四邊《あたり》を見《み》た。恁《か》うした店《みせ》の端近《はしぢか》は、奧《おく》より、二階《にかい》より、却《かへ》つて椅子《いす》は閑《しづか》であつた――
「鯉《こひ》は、其《それ》は鯉《こひ》でせう。が、玉《たま》のやうな眞白《まつしろ》な、あの森《もり》を背景《はいけい》にして、宙《ちう》に浮《う》いたのが、すつと合《あは》せた白脛《しろはぎ》を流《なが》す……凡《およ》そ人形《にんぎやう》ぐらゐな白身《はくしん》の女子《ぢよし》の姿《すがた》です。釣《つ》られたのぢやありません。釣針《つりばり》をね、恁《か》う、兩手《りやうて》で抱《だ》いた形《かたち》。
 御覽《ごらん》なさい。釣濟《つりす》ました當《たう》の美人《びじん》が、釣棹《つりざを》を突離《つきはな》して、柳《やなぎ》の根《ね》へ靄《もや》を枕《まくら》に横倒《よこだふ》しに成《な》つたが疾《はや》いか、起《おき》るが否《いな》や、三|人《にん》ともに手鞠《てまり》のやうに衝《つ》と遁《に》げた。が、遁《に》げるのが、其《そ》の靄《もや》を踏《ふ》むのです。鈍《どん》な、はずみの無《な》い、崩《くづ》れる綿《わた》を踏越《ふみこ》し踏越《ふみこ》しするやうに、褄《つま》が縺《もつ》れる、裳《もすそ》が亂《みだ》れる……其《それ》が、やゝ少時《しばらく》の間《あひだ》見《み》えました。
 其《そ》の後《あと》から、茶店《ちやみせ》の婆《ばあ》さんが手《て》を泳《およ》がせて、此《これ》も走《はし》る……
 一體《いつたい》あの邊《へん》には、自動車《じどうしや》か何《なに》かで、美人《びじん》が一日《いちにち》がけと云《い》ふ遊山宿《ゆさんやど》、乃至《ないし》、温泉《をんせん》のやうなものでも有《あ》るのか、何《ど》うか、其《そ》の後《ご》まだ尋《たづ》ねて見《み》ません。其《それ》が有《あ》ればですが、それにした處《ところ》で、近所《きんじよ》の遊山宿《ゆさんやど》へ來《き》て居《ゐ》たのが、此《こ》の沼《ぬま》へ來《き》て釣《つり》をしたのか、それとも、何《なん》の國《くに》、何《なん》の里《さと》、何《なん》の池《いけ》で釣《つ》つたのが、一種《いつしゆ》の蜃氣樓《しんきろう》の如《ごと》き作用《さよう》で此處《こゝ》へ映《うつ》つたのかも分《わか》りません。餘《あま》り靜《しづか》な、もの音《おと》のしない樣子《やうす》が、夢《ゆめ》と云《い》ふよりか其《そ》の海市《かいし》に似《に》て居《ゐ》ました。
 沼《ぬま》の色《いろ》は、やゝ蒼味《あをみ》を帶《お》びた。
 けれども、其《そ》の茶店《ちやみせ》の婆《ばあ》さんは正《しやう》のものです。現《げん》に、私《わたし》が通《とほ》り掛《がか》りに沼《ぬま》の汀《みぎは》の祠《ほこら》をさして、(あれは何樣《なにさま》の社《やしろ》でせう。)と尋《たづ》ねた時《とき》に、(賽《さい》の神樣《かみさま》だ。)と云《い》つて教《をし》へたものです。今《いま》其《そ》の祠《ほこら》は沼《ぬま》に向《むか》つて草《くさ》に憩《いこ》つた背後《うしろ》に、なぞへに道芝《みちしば》の小高《こだか》く成《な》つた小《ちひ》さな森《もり》の前《まへ》にある。鳥居《とりゐ》が一基《いつき》、其《そ》の傍《そば》に大《おほき》な棕櫚《しゆろ》の樹《き》が、五|株《かぶ》まで、一|列《れつ》に並《なら》んで、蓬々《おどろ/\》とした形《かたち》で居《ゐ》る。……さあ、此《これ》も邸《やしき》あとと思《おも》はれる一條《ひとつ》で、其《そ》の小高《こだか》いのは、大《おほ》きな築山《つきやま》だつたかも知《し》れません。
 處《ところ》で、一|錢《せん》たりとも茶代《ちやだい》を置《お》いてなんぞ、憩《やす》む餘裕《よゆう》の無《な》かつた私《わたし》ですが、……然《さ》うやつて賣藥《ばいやく》の行商《ぎやうしやう》に歩行《ある》きます時分《じぶん》は、世《よ》に無《な》い兩親《りやうしん》へせめてもの供養《くやう》のため、と思《おも》つて、殊勝《しゆしよう》らしく聞《きこ》えて如何《いかゞ》ですけれども、道中《だうちう》、宮《みや》、社《やしろ》、祠《ほこら》のある處《ところ》へは、屹《きつ》と持合《もちあは》せた藥《くすり》の中《なか》の、何種《なにしゆ》のか、一包《ひとつゝみ》づゝを備《そな》へました。――詣《まう》づる人《ひと》があつて神佛《しんぶつ》から授《さづ》かつたものと思《おも》へば、屹《きつ》と病氣《びやうき》が治《なほ》りませう。私《わたし》も幸福《かうふく》なんです。
 丁度《ちやうど》私《わたし》の居《ゐ》た汀《みぎは》に、朽木《くちき》のやうに成《な》つて、沼《ぬま》に沈《しづ》んで、裂目《さけめ》に燕子花《かきつばた》の影《かげ》が映《さ》し、破《やぶ》れた底《そこ》を中空《なかぞら》の雲《くも》の往來《ゆきき》する小舟《こぶね》の形《かたち》が見《み》えました。
 其《それ》を見棄《みす》てて、御堂《おだう》に向《むか》つて起《た》ちました。
 談話《はなし》の要領《えうりやう》をお急《いそ》ぎでせう。
 早《はや》く申《まを》しませう。……其《そ》の狐格子《きつねがうし》を開《あ》けますとね、何《ど》うです……
(まあ、此《これ》は珍《めづら》しい。)
 几帳《きちやう》とも、垂幕《さげまく》とも言《い》ひたいのに、然《さ》うではない、萌黄《もえぎ》と青《あを》と段染《だんだら》に成《な》つた綸子《りんず》か何《なん》ぞ、唐繪《からゑ》の浮模樣《うきもやう》を織込《おりこ》んだのが窓帷《カアテン》と云《い》つた工合《ぐあひ》に、格天井《がうてんじやう》から床《ゆか》へ引《ひ》いて蔽《おほ》うてある。此《これ》に蔽《おほ》はれて、其《そ》の中《なか》は見《み》えません。
 此《これ》が、もつと奧《おく》へ詰《つ》めて張《は》つてあれば、絹一重《きぬひとへ》の裡《うち》は、すぐに、御廚子《みづし》、神棚《かみだな》と云《い》ふのでせうから、誓《ちか》つて、私《わたし》は、覗《のぞ》くのではなかつたのです。が、堂《だう》の内《うち》の、寧《むし》ろ格子《かうし》へ寄《よ》つた方《はう》に掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。
 何心《なにごころ》なく、端《はし》を、キリ/\と、手許《てもと》へ、絞《しぼ》ると、蜘蛛《くも》の巣《す》のかはりに幻《まぼろし》の綾《あや》を織《お》つて、脈々《みやく/\》として、顏《かほ》を撫《な》でたのは、薔薇《ばら》か菫《すみれ》かと思《おも》ふ、いや、それよりも、唯今《たゞいま》思《おも》へば、先刻《さつき》の花《はな》の匂《にほひ》です、何《なん》とも言《い》へない、甘《あま》い、媚《なまめ》いた薫《かをり》が、芬《ぷん》と薫《かを》つた。」
 ――學士《がくし》は手巾《ハンケチ》で、口《くち》を蔽《おほ》うて、一寸《ちよつと》額《ひたひ》を壓《おさ》へた――
「――其處《そこ》が閨《ねや》で、洋式《やうしき》の寢臺《ねだい》があります。二人寢《ふたりね》の寛《ゆつた》りとした立派《りつぱ》なもので、一面《いちめん》に、光《ひかり》を持《も》つた、滑《なめ》らかに艶々《つや/\》した、絖《ぬめ》か、羽二重《はぶたへ》か、と思《おも》ふ淡《あは》い朱鷺色《ときいろ》なのを敷詰《しきつ》めた、聊《いさゝ》か古《ふる》びては見《み》えました。が、それは空《そら》が曇《くも》つて居《ゐ》た所爲《せゐ》でせう。同《おな》じ色《いろ》の薄掻卷《うすかいまき》を掛《か》けたのが、すんなりとした寢姿《ねすがた》の、少《すこ》し肉附《にくづき》を肥《よ》くして見《み》せるくらゐ。膚《はだ》を蔽《おほ》うたとも見《み》えないで、美《うつくし》い女《をんな》の顏《かほ》がはらはらと黒髮《くろかみ》を、矢張《やつぱ》り、同《おな》じ絹《きぬ》の枕《まくら》にひつたりと着《つ》けて、此方《こちら》むきに少《すこ》し仰向《あをむ》けに成《な》つて寢《ね》て居《ゐ》ます。のですが、其《それ》が、黒目勝《くろめがち》な雙《さう》の瞳《ひとみ》をぱつちりと開《あ》けて居《ゐ》る……此《こ》の目《め》に、此處《こゝ》で殺《ころ》されるのだらう、と餘《あま》りの事《こと》に然《さ》う思《おも》ひましたから、此方《こつち》も熟《じつ》と凝視《みつめ》ました。
 少《すこ》し高過《たかす》ぎるくらゐに鼻筋《はなすぢ》がツンとして、彫刻《てうこく》か、練《ねり》ものか、眉《まゆ》、口許《くちもと》、はつきりした輪郭《りんくわく》と云《い》ひ、第一《だいいち》櫻色《さくらいろ》の、あの、色艶《いろつや》が、――其《それ》が――今《いま》の、あの電車《でんしや》の婦人《ふじん》に瓜二《うりふた》つと言《い》つても可《い》い。
 時《とき》に、毛《け》一筋《ひとすぢ》でも動《うご》いたら、其《そ》の、枕《まくら》、蒲團《ふとん》、掻卷《かいまき》の朱鷺色《ときいろ》にも紛《まが》ふ莟《つぼみ》とも云《い》つた顏《かほ》の女《をんな》は、芳香《はうかう》を放《はな》つて、乳房《ちぶさ》から蕊《しべ》を湧《わ》かせて、爛漫《らんまん》として咲《さ》くだらうと思《おも》はれた。」

        四

「私《わたし》の目《め》か眩《くら》んだんでせうか、婦《をんな》は瞬《またゝき》をしません。五|分《ふん》か一時《いつとき》と、此方《こつち》が呼吸《いき》をも詰《つ》めて見《み》ます間《あひだ》――で、餘《あま》り調《そろ》つた顏容《かほだち》といひ、果《はた》して此《これ》は白像彩塑《はくざうさいそ》で、何《ど》う云《い》ふ事《こと》か、仔細《しさい》あつて、此《こ》の廟《べう》の本尊《ほんぞん》なのであらう、と思《おも》つたのです。
 床《ゆか》の下《した》……板縁《いたえん》の裏《うら》の處《ところ》で、がさ/\がさ/\と音《おと》が發出《しだ》した……彼方《あつち》へ、此方《こつち》へ、鼠《ねずみ》が、ものでも引摺《ひきず》るやうで、床《ゆか》へ響《ひゞ》く、と其《そ》の音《おと》が、變《へん》に、恁《か》う上《うへ》に立《た》つてる私《わたし》の足《あし》の裏《うら》を擽《くすぐ》ると云《い》つた形《かたち》で、むづ痒《がゆ》くつて堪《たま》らないので、もさ/\身體《からだ》を搖《ゆす》りました。――本尊《ほんぞん》は、まだ瞬《またゝき》もしなかつた。――其《そ》の内《うち》に、右《みぎ》の音《おと》が、壁《かべ》でも攀《よ》ぢるか、這上《はひあが》つたらしく思《おも》ふと、寢臺《ねだい》の脚《あし》の片隅《かたすみ》に羽目《はめ》の破《やぶ》れた處《ところ》がある。其《そ》の透間《すきま》へ鼬《いたち》がちよろりと覗《のぞ》くやうに、茶色《ちやいろ》の偏平《ひらつた》い顏《つら》を出《だ》したと窺《うかゞ》はれるのが、もぞり、がさりと少《すこ》しづゝ入《はひ》つて、ばさ/\と出《で》る、と大《おほ》きさやがて三俵法師《さんだらぼふし》、形《かたち》も似《に》たもの、毛《け》だらけの凝團《かたまり》、足《あし》も、顏《かほ》も有《あ》るのぢやない。成程《なるほど》、鼠《ねずみ》でも中《なか》に潛《もぐ》つて居《ゐ》るのでせう。
 其奴《そいつ》が、がさ/\と寢臺《ねだい》の下《した》へ入《はひ》つて、床《ゆか》の上《うへ》をずる/\と引摺《ひきず》つたと見《み》ると、婦《をんな》が掻卷《かいまき》から二《に》の腕《うで》を白《しろ》く拔《ぬ》いて、私《わたし》の居《ゐ》る方《はう》へぐたりと投《な》げた。寢亂《ねみだ》れて乳《ちゝ》も見《み》える。其《それ》を片手《かたて》で祕《かく》したけれども、足《あし》のあたりを震《ふる》はすと、あゝ、と云《い》つて其《そ》の手《て》も兩方《りやうはう》、空《くう》を掴《つか》むと裙《すそ》を上《あ》げて、弓形《ゆみなり》に身《み》を反《そ》らして、掻卷《かいまき》を蹴《け》て、轉《ころ》がるやうに衾《ふすま》を拔《ぬ》けた。……
 私《わたし》は飛出《とびだ》した……
 壇《だん》を落《お》ちるやうに下《お》りた時《とき》、黒《くろ》い狐格子《きつねがうし》を背後《うしろ》にして、婦《をんな》は斜違《はすつかひ》に其處《そこ》に立《た》つたが、呀《あ》、足許《あしもと》に、早《は》やあの毛《け》むくぢやらの三俵法師《さんだらぼふし》だ。
 白《しろ》い踵《くびす》を揚《あ》げました、階段《かいだん》を辷《すべ》り下《お》りる、と、後《あと》から、ころ/\と轉《ころ》げて附着《くツつ》く。さあ、それからは、宛然《さながら》人魂《ひとだま》の憑《つき》ものがしたやうに、毛《け》が赫《かつ》と赤《あか》く成《な》つて、草《くさ》の中《なか》を彼方《あつち》へ、此方《こつち》へ、たゞ、伊達卷《だてまき》で身《み》についたばかりのしどけない媚《なまめ》かしい寢着《ねまき》の婦《をんな》を追※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11、683-10]《おひまは》す。婦《をんな》はあとびつしやりをする、脊筋《せすぢ》を捩《よぢ》らす。三俵法師《さんだらぼふし》は、裳《もすそ》にまつはる、踵《かゝと》を嘗《な》める、刎上《はねあが》る、身震《みぶるひ》する。
 やがて、沼《ぬま》の縁《ふち》へ追迫《おひせま》られる、と足《あし》の甲《かふ》へ這上《はひあが》る三俵法師《さんだらぼふし》に、わな/\身悶《みもだえ》する白《しろ》い足《あし》が、あの、釣竿《つりざを》を持《も》つた三|人《にん》の手《て》のやうに、ちら/\と宙《ちう》に浮《う》いたが、するりと音《おと》して、帶《おび》が辷《すべ》ると、衣《き》ものが脱《ぬ》げて草《くさ》に落《お》ちた。
「沈《しづ》んだ船《ふね》――」と、思《おも》はず私《わたし》が聲《こゑ》を掛《か》けた。隙《ひま》も無《な》しに、陰氣《いんき》な水音《みづおと》が、だぶん、と響《ひゞ》いた……
 しかし、綺麗《きれい》に泳《およ》いで行《ゆ》く。美《うつくし》い肉《にく》の脊筋《せすぢ》を掛《か》けて左右《さいう》へ開《ひら》く水《みづ》の姿《すがた》は、輕《かる》い羅《うすもの》を捌《さば》くやうです。其《そ》の膚《はだ》の白《しろ》い事《こと》、あの合歡花《ねむのはな》をぼかした色《いろ》なのは、豫《かね》て此《こ》の時《とき》のために用意《ようい》されたのかと思《おも》ふほどでした。
 動止《うごきや》んだ赤茶《あかちや》けた三俵法師《さんだらぼふし》が、私《わたし》の目《め》の前《まへ》に、惰力《だりよく》で、毛筋《けすぢ》を、ざわ/\とざわつかせて、うツぷうツぷ喘《あへ》いで居《ゐ》る。
 見《み》ると驚《おどろ》いた。ものは棕櫚《しゆろ》の毛《け》を引束《ひツつか》ねたに相違《さうゐ》はありません。が、人《ひと》が寄《よ》る途端《とたん》に、ぱちぱち豆《まめ》を燒《や》く音《おと》がして、ばら/\と飛着《とびつ》いた、棕櫚《しゆろ》の赤《あか》いのは、幾千萬《いくせんまん》とも數《かず》の知《し》れない蚤《のみ》の集團《かたまり》であつたのです。
 早《は》や、兩脚《りやうあし》が、むづ/\、脊筋《せすぢ》がぴち/\、頸首《えりくび》へぴちんと來《く》る、私《わたし》は七顛八倒《しつてんはつたう》して身體《からだ》を振《ふ》つて振飛《ふりと》ばした。
 唯《と》、何《なん》と、其《そ》の棕櫚《しゆろ》の毛《け》の蚤《のみ》の巣《す》の處《ところ》に、一人《ひとり》、頭《づ》の小《ちひ》さい、眦《めじり》と頬《ほゝ》の垂下《たれさが》つた、青膨《あをぶく》れの、土袋《どぶつ》で、肥張《でつぷり》な五十《ごじふ》恰好《かつかう》の、頤鬚《あごひげ》を生《はや》した、漢《をとこ》が立《た》つて居《ゐ》るぢやありませんか。何《なに》ものとも知《し》れない。越中褌《ゑつちうふんどし》と云《い》ふ……あいつ一《ひと》つで、眞裸《まつぱだか》で汚《きたな》い尻《けつ》です。
 婦《をんな》は沼《ぬま》の洲《す》へ泳《およ》ぎ着《つ》いて、卯《う》の花《はな》の茂《しげり》にかくれました。
 が、其《そ》の姿《すがた》が、水《みづ》に流《なが》れて、柳《やなぎ》を翠《みどり》の姿見《すがたみ》にして、ぽつと映《うつ》つたやうに、人《ひと》の影《かげ》らしいものが、水《みづ》の向《むか》うに、岸《きし》の其《そ》の柳《やなぎ》の根《ね》に薄墨色《うすずみいろ》に立《た》つて居《ゐ》る……或《あるひ》は又《また》……此處《こゝ》の土袋《どぶつ》と同一《おなじ》やうな男《をとこ》が、其處《そこ》へも出《で》て來《き》て、白身《はくしん》の婦人《をんな》を見《み》て居《ゐ》るのかも知《し》れません。
 私《わたし》も其《そ》の一人《ひとり》でせうね……
(や、待《ま》てい。)
 青膨《あをぶく》れが、痰《たん》の搦《から》んだ、ぶやけた聲《こゑ》して、早《は》や行掛《ゆきかゝ》つた私《わたし》を留《と》めた……
(見《み》て貰《もれ》えたいものがあるで、最《も》う直《ぢき》ぢやぞ。)と、首《くび》をぐたりと遣《や》りながら、横柄《わうへい》に言《い》ふ。……何《なん》と、其《そ》の兩足《りやうあし》から、下腹《したばら》へ掛《か》けて、棕櫚《しゆろ》の毛《け》の蚤《のみ》が、うよ/\ぞろ/\……赤蟻《あかあり》の列《れつ》を造《つく》つてる……私《わたし》は立窘《たちすく》みました。
 ひら/\、と夕空《ゆふぞら》の雲《くも》を泳《およ》ぐやうに柳《やなぎ》の根《ね》から舞上《まひあが》つた、あゝ、其《それ》は五位鷺《ごゐさぎ》です。中島《なかじま》の上《うへ》へ舞上《まひあが》つた、と見《み》ると輪《わ》を掛《か》けて颯《さつ》と落《おと》した。
(ひい。)と引《ひ》く婦《をんな》の聲《こゑ》。鷺《さぎ》は舞上《まひあが》りました。翼《つばさ》の風《かぜ》に、卯《う》の花《はな》のさら/\と亂《みだ》るゝのが、婦《をんな》が手足《てあし》を畝《うね》らして、身《み》を※[#「※」は「あしへん+宛」、第3水準1-92-36、685-12]《もが》くに宛然《さながら》である。
 今《いま》考《かんが》へると、それが矢張《やつぱ》り、あの先刻《さつき》の樹《き》だつたかも知《し》れません。同《おな》じ薫《かをり》が風《かぜ》のやうに吹亂《ふきみだ》れた花《はな》の中《なか》へ、雪《ゆき》の姿《すがた》が素直《まつすぐ》に立《た》つた。が、滑《なめら》かな胸《むね》の衝《つ》と張《は》る乳《ちゝ》の下《した》に、星《ほし》の血《ち》なるが如《ごと》き一雫《ひとしづく》の鮮紅《からくれなゐ》。絲《いと》を亂《みだ》して、卯《う》の花《はな》が眞赤《まつか》に散《ち》る、と其《そ》の淡紅《うすべに》の波《なみ》の中《なか》へ、白《しろ》く眞倒《まつさかさま》に成《な》つて沼《ぬま》に沈《しづ》んだ。汀《みぎは》を廣《ひろ》くするらしい寂《しづ》かな水《みづ》の輪《わ》が浮《う》いて、血汐《ちしほ》の綿《わた》がすら/\と碧《みどり》を曳《ひ》いて漾《たゞよ》ひ流《なが》れる……
(あれを見《み》い、血《ち》の形《かたち》が字《じ》ぢやらうが、何《なん》と讀《よ》むかい。)
 ――私《わたし》が息《いき》を切《き》つて、頭《かぶり》を掉《ふ》ると、
(分《わか》らんかい、白痴《たはけ》めが。)と、ドンと胸《むね》を突《つ》いて、突倒《つきたふ》す。重《おも》い力《ちから》は、磐石《ばんじやく》であつた。
(又《また》……遣直《やりなほ》しぢや。)と呟《つぶや》きながら、其《そ》の蚤《のみ》の巣《す》をぶら下《さ》げると、私《わたし》が茫然《ばうぜん》とした間《あひだ》に、のそのそ、と越中褌《ゑつちうふんどし》の灸《きう》のあとの有《あ》る尻《しり》を見《み》せて、そして、やがて、及腰《およびごし》の祠《ほこら》の狐格子《きつねがうし》を覗《のぞ》くのが見《み》えた。
(奧《おく》さんや、奧《おく》さんや――蚤《のみ》が、蚤《のみ》が――)
 と腹《はら》をだぶ/\、身悶《みもだ》えをしつゝ、後退《あとじさ》りに成《な》つた。唯《と》、どしん、と尻餅《しりもち》をついた。が、其《そ》の頭《あたま》へ、棕櫚《しゆろ》の毛《け》をずぼりと被《かぶ》る、と梟《ふくろふ》が化《ば》けたやうな形《かたち》に成《な》つて、其《そ》のまゝ、べた/\と草《くさ》を這《は》つて、縁《えん》の下《した》へ這込《はひこ》んだ。――
 蝙蝠傘《かうもりがさ》を杖《つゑ》にして、私《わたし》がひよろ/\として立去《たちさ》る時《とき》、沼《ぬま》は暗《くら》うございました。そして生《なま》ぬるい雨《あめ》が降出《ふりだ》した……
(奧《おく》さんや、奧《おく》さんや。)
 と云《い》つたが、其《そ》の土袋《どぶつ》の細君《さいくん》ださうです。土地《とち》の豪農《がうのう》何某《なにがし》が、内證《ないしよう》の逼迫《ひつぱく》した華族《くわぞく》の令孃《れいぢやう》を金子《かね》にかへて娶《めと》つたと言《い》ひます。御殿《ごてん》づくりでかしづいた、が、其《そ》の姫君《ひめぎみ》は可恐《おそろし》い蚤《のみ》嫌《ぎら》ひで、唯《たゞ》一|匹《ぴき》にも、夜《よる》も晝《ひる》も悲鳴《ひめい》を上《あ》げる。其《そ》の悲《かな》しさに、別室《べつしつ》の閨《ねや》を造《つく》つて防《ふせ》いだけれども、防《ふせ》ぎ切《き》れない。で、果《はて》は亭主《ていしゆ》が、蚤《のみ》を除《よ》けるための蚤《のみ》の巣《す》に成《な》つて、棕櫚《しゆろ》の毛《け》を全身《ぜんしん》に纏《まと》つて、素裸《すつぱだか》で、寢室《しんしつ》の縁《えん》の下《した》へ潛《もぐ》り潛《もぐ》り、一夏《ひとなつ》のうちに狂死《くるひじに》をした。――
(まだ、迷《まよ》つて居《ゐ》さつしやるかなう、二人《ふたり》とも――旅《たび》の人《ひと》がの、あの忘《わす》れ沼《ぬま》では、同《おな》じ事《こと》を度々《たび/\》見《み》ます。)
 旅籠屋《はたごや》での談話《はなし》であつた。」
 工學士《こうがくし》は附《つ》けたして、
「……祠《ほこら》の其《そ》の縁《えん》の下《した》を見《み》ましたがね、……御存《ごぞん》じですか……異類《いるゐ》異形《いぎやう》な石《いし》がね。」
 日《ひ》を經《へ》て工學士《こうがくし》から音信《おとづれ》して、あれは、乳香《にうかう》の樹《き》であらうと言《い》ふ。



底本:「鏡花全集 巻十六」岩波書店
   1942(昭和17)年4月20日第1刷発行
   1987(昭和62)年12月3日第3刷発行
入力:馬野哲一
校正:鈴木厚司
2000年12月13日公開
2001年10月26日修正
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