青空文庫アーカイブ



競馬
織田作之助

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)どんより曇《くも》っていたが

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)第四|角《コーナー》まで
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 朝からどんより曇《くも》っていたが、雨にはならず、低い雲が陰気《いんき》に垂れた競馬場を黒い秋風が黒く走っていた。午後になると急に暗さが増して行った。しぜん人も馬も重苦しい気持に沈《しず》んでしまいそうだったが、しかしふと通《とお》り魔《ま》が過ぎ去った跡《あと》のような虚《むな》しい慌《あわただ》しさにせき立てられるのは、こんな日は競走《レース》が荒《あ》れて大穴が出るからだろうか。晩秋の黄昏《たそがれ》がはや忍《しの》び寄ったような翳《かげ》の中を焦躁《しょうそう》の色を帯びた殺気がふと行き交っていた。
 第四|角《コーナー》まで後方の馬ごみに包まれて、黒地に白い銭形紋《ぜにがたもん》散《ち》らしの騎手《きしゅ》の服も見えず、その馬に投票していた少数の者もほとんど諦《あきら》めかけていたような馬が、最後の直線コースにかかると急に馬ごみの中から抜《ぬ》け出してぐいぐい伸《の》びて行く。鞭《むち》は持たず、伏《ふ》せをしたように頭を低めて、馬の背中にぴたりと体をつけたまま、手綱《たづな》をしゃくっている騎手の服の不気味な黒と馬の胴《どう》につけた数字の1がぱっと観衆の眼《め》にはいり、1か7か9か6かと眼を凝《こ》らした途端《とたん》、はやゴール直前で白い息を吐《は》いている先頭の馬に並《なら》び、はげしく競り合ったあげく、わずかに鼻だけ抜いて単勝二百円の大穴だ。そして次の障碍《しょうがい》競走《レース》では、人気馬が三頭も同じ障碍で重なるように落馬し、騎手がその場で絶命するという騒《さわ》ぎの隙《すき》をねらって、腐《くさ》り厩舎《きゅうしゃ》の腐り馬と嗤《わら》われていた馬が見習騎手の鞭にペタペタ尻《しり》をしばかれながらゴールインして単複二百円の配当、馬主も騎手も諦めて単式はほかの馬に投票していたという話が伝えられるくらいの番狂《ばんくる》わせである。
 そんな競走《レース》が続くと、もう誰《だれ》もかれも得体の知れぬ魔に憑《つ》かれたように馬券の買い方が乱れて来る。前の晩自宅で血統や調教タイムを綿密に調べ、出遅《でおく》れや落馬|癖《へき》の有無、騎手の上手《じょうず》下手《へた》、距離《きょり》の適不適まで勘定《かんじょう》に入れて、これならば絶対確実だと出馬表に赤|鉛筆《えんぴつ》で印をつけて来たものも、場内を乱れ飛ぶニュースを耳にすると、途端に惑《まど》わされて印もつけて来なかったような変梃《へんてこ》な馬を買ってしまう。朝、駅で売っている数種類の予想表を照らし合わせどの予想表にも太字で挙げている本命《ほんめい》(力量、人気共に第一位の馬)だけを、三着まで配当のある確実な複式で買うという小心な堅実《けんじつ》主義の男が、走るのは畜生《ちくしょう》だし、乗るのは他人だし、本命といっても自分のままになるものか、もう競馬はやめたと予想表は尻に敷《し》いて芝生《しばふ》にちょんぼりと坐《すわ》り、残りの競走《レース》は見送る肚《はら》を決めたのに、競走《レース》場へ現れた馬の中に脱糞《だっぷん》をした馬がいるのを見つけると、あの糞の柔《やわらか》さはただごとでない、昂奮剤《こうふんざい》のせいだ、あの馬は今日《きょう》はやるらしいと、慌てて馬券の売場へ駈《か》け出して行く。三番|片脚《かたあし》乗らんか、三番片脚乗らんかと呶鳴《どな》っている男は、今しがた厩舎の者らしい風体の男が三番の馬券を買って行ったのを見たのだ。三番といえばまるで勝負にならぬ位貧弱な馬で、まさかこれが穴になるとは思えなかったが、やはりその男の風体が気になる、といって二十円損をするのも莫迦《ばか》らしく、馬の片脚五円ずつ出し合って四人で一枚の馬券を買う仲間を探しているのだった。あの男はこの競走《レース》は穴が出そうだと、厩舎のニュースを訊《き》き廻《まわ》ったが、訊く度に違《ちが》う馬を教えられて迷いに迷い、挽馬場《ひきば》と馬券の売場の間をうろうろ行ったり来たりして半泣きになったあげく、血走った眼を閉じて鉛筆の先で出馬表を突《つ》くと、七番に当ったのでラッキーセブンだと喜び、売場へ駈けつけていく途中、知人に会い、何番にするのかと訊けば、五番だという。そうか、やはり五番がいいかねと、五番の馬がスタートでひどく出遅れる癖《くせ》があるのを忘れて、それを買ってしまうのだ。――人々はもはや耳かきですくうほどの理性すら無くしてしまい、場内を黒く走る風にふと寒々と吹《ふ》かれて右往左往する表情は、何か狂気《きょうき》じみていた。
 寺田はしかしそんなあたりの空気にひとり超然《ちょうぜん》として、惑いも迷いもせず、朝の最初の競走《レース》から1の番号の馬ばかり買いつづけていた。挽馬場の馬の気配も見ず、予想表も持たず、ニュースも聴《き》かず、一つの競走《レース》が済んで次の競走《レース》の馬券発売の窓口がコトリと木の音を立ててあくと、何のためらいもなく誰よりも先きに、一番! と手をさし込《こ》むのだった。
 何番が売れているのかと、人気を調べるために窓口へ寄っていた人々は、余裕《よゆう》綽々《しゃくしゃく》とした寺田の買い方にふと小憎《こにく》らしくなった顔を見上げるのだったが、そんな時寺田の眼は苛々《いらいら》と燃えて急に挑《いど》み掛《かか》るようだった。何かしら思い詰《つ》めているのか放心して仮面《めん》のような虚しさに蒼《あお》ざめていた顔が、瞬間《しゅんかん》カッと血の色を泛《うか》べて、ただごとでない激《はげ》しさであった。
 迷いもせず一途《いちず》に1の数字を追うて行く買い方は、行き当りばったりに思案を変えて行く人々の狂気を遠くはなれていたわけだが、しかし取り乱さぬその冷静さがかえって普通《ふつう》でなく、度の過ぎた潔癖症《けっぺきしょう》の果てが狂気に通ずるように、頑《かたくな》なその一途さはふと常規を外れていたかも知れない。寺田が1の数字を追い続けたのも、実はなくなった細君が一代《かずよ》という名であったからだ。

 寺田は細君の生きている間競馬場へ足を向けたことは一度もなかった。寺田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都帝大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者《りちぎもの》で、病毒に感染することを惧《おそ》れたのと遊興費が惜《お》しくて、宮川町へも祇園《ぎおん》へも行ったことがないというくらいだから、まして教師の分際で競馬遊びなぞ出来るような男ではなかった、といってしまえば簡単だが、ただそれだけではなかった。
 寺田の細君は本名の一代という名で交潤社《こうじゅんしゃ》の女給をしていた。交潤社は四条通と木屋町通の角にある地下室の酒場で、撮影所《さつえいじょ》の連中や贅沢《ぜいたく》な学生達が行く、京都ではまず高級な酒場だったし、しかも一代はそこのナンバーワンだったから、寺田のような風采《ふうさい》の上らぬ律義者の中学教師が一代を細君にしたと聴いて、驚《おどろ》かぬ者はなかった。もっとも一代の方では寺田の野暮《やぼ》な生真面目《きまじめ》さを見込んだのかも知れない。もともと酒場遊びなぞする男ではなかったのだが、ある夜|同僚《どうりょう》に無理矢理|誘《さそ》われて行き、割前勘定になるかも知れないとひやひやしながら、おずおずと黒ビールを飲んでいる寺田の横に坐った時、一代は気が詰りそうになった。ところが、翌《あく》る日から寺田は毎夜一代を目当てに通って来た。置いて行く祝儀《チップ》もすくなく、一代は相手にしなかったが、十日目の夜だしぬけに結婚《けっこん》してくれと言う。隣《となり》のボックスにいる撮影所の助監督《じょかんとく》に秋波を送りながら、いい加減に聴き流していたが、それから一週間毎夜同じ言葉をくりかえされているうちに、ふと寺田の一途さに心|惹《ひ》かれた。二十八|歳《さい》の今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談《じょうだん》に思えず、十八の歳《とし》から体を濡《ぬ》らして来た一代にとっては、地道な結婚をするまたとない機会かも知れなかった。思えば自分ももう二十六、そろそろ身を堅《かた》めてもいい歳だろう。都ホテルや京都ホテルで嗅《か》いだ男のポマードの匂《にお》いよりも、野暮天で糞真面目《くそまじめ》ゆえ「お寺さん」で通っている醜男《ぶおとこ》の寺田に作ってやる味噌汁《みそしる》の匂いの方が、貧しかった実家の破れ障子をふと想《おも》い出させるような沁々《しみじみ》した幼心のなつかしさだと、一代も一皮|剥《は》げば古い女だった。風采は上らぬといえ帝大《ていだい》出だし笑えば白い歯ならびが清潔だと、そんなことも勘定に入れた。
 ところが寺田の両親が反対した。「お寺さん」という綽名《あだな》はそれと知らずにつけられたのだが、実は寺田の生家は代々|堀川《ほりかわ》の仏具屋で、寺田の嫁《よめ》も商売柄《しょうばいがら》僧侶《そうりょ》の娘《むすめ》を貰《もら》うつもりだったのだ。反対された寺田は実家を飛び出すと、銀閣寺|附近《ふきん》の西田町に家を借りて一代と世帯《しょたい》を持った。寺田にしては随分《ずいぶん》思い切った大胆《だいたん》さで、それだけ一代にのぼせていたわけだったが、しかし勘当《かんどう》になった上にそのことが勤め先のA中に知れて免職《めんしょく》になると、やはり寺田は蒼くなった。交潤社の客で一代に通っていた中島|某《ぼう》はA中の父兄会の役員だったのだ。寺田は素行不良の理由で免職になったことをまるで前科者になってしまったように考え、もはや社会に容《い》れられぬ人間になった気持で、就職口を探しに行こうとはせず、頭から蒲団《ふとん》をかぶって毎日ごろんごろんしていた。夜、一代の柔い胸の円みに触《ふ》れたり、子供のように吸ったりすることが唯一《ゆいいつ》のたのしみで、律義な小心者もふと破れかぶれの情痴《じょうち》めいた日々を送っていたが、一代ももともと夜の時間を奔放《ほんぽう》に送って来た女であった。肩《かた》や胸の歯形を愉《たの》しむようなマゾヒズムの傾向《けいこう》もあった。壁《かべ》一重の隣家を憚《はばか》って、蹴上《けあげ》の旅館へ寺田を連れて行ったりした。そんな旅館を一代が知っていたのかと寺田はふと嫉妬《しっと》の血を燃やしたが、しかしそんな瞬間の想いは一代の魅力《みりょく》ですぐ消えてしまった。
 ある夜、一代は痛いと飛び上った。驚いて口をはなし、手で柔く押《おさ》えると、それでも痛いという、血がにじんでも痛いとは言わなかった女だったのに、妊娠《にんしん》したのかと乳首を見たが黒くもない。何もせぬのに夜通し痛がっていたので、乳腺炎《にゅうせんえん》になったのかと大学病院へ行き、歯形が紫色《むらさきいろ》ににじんでいる胸をさすがに恥《はずか》しそうにひろげて診《み》てもらうと、乳癌《にゅうがん》だった。未産婦で乳癌になるひとは珍《めず》らしいと、医者も不思議がっていた。入院して乳房《ちぶさ》を切り取ってもらった。退院まで四十日も掛り、その後もレントゲンとラジウムを掛けに通ったので、教師をしていた間けちけちと蓄《た》めていた貯金もすっかり心細くなってしまい、寺田は大学時代の旧師に泣きついて、史学雑誌の編輯《へんしゅう》の仕事を世話してもらった。ところが、一代は退院後二月ばかりたつとこんどは下腹の激痛《げきつう》を訴《うった》え出した。寺田は夜通し撫《な》ぜてやったが、痛みは消えず、しまいには油汗《あぶらあせ》をタラタラ流して、痛い痛いと転げ廻った。再発した癌が子宮へ廻っていたのだ。しかし医者は入院する必要はないと言う。ラジウムを掛けに通うだけでいいが、しかし通うのが苦痛で堪《た》え切れないのなら、無理に通わなくてもいいという。その言葉の裏は、死の宣告だった。癌の再発は治らぬものとされているのだ。余り打たぬようにと、医者は寺田の手に鎮痛剤《ちんつうざい》のロンパンを渡《わた》した。モルヒネが少量はいっているらしかった。死ぬときまった人間ならもうモルヒネ中毒の惧れもないはずだのに、あまり打たぬようにと注意するところを見れば、万に一つ治る奇蹟《きせき》があるのだろうかと、寺田は希望を捨てず、日頃《ひごろ》けちくさい男だのに新聞広告で見た高価な短波|治療機《ちりょうき》を取り寄せたり、枇杷《びわ》の葉療法の機械を神戸《こうべ》まで買いに行ったりした。人から聴けば臍《へそ》の緒《お》も煎《せん》じ、牛蒡《ごぼう》の種もいいと聴いて摺鉢《すりばち》でゴシゴシとつぶした。
 しかし一代は衰弱する一方で、水の引くようにみるみる痩《や》せて行き、癌特有の堪え切れぬ悪臭《あくしゅう》はふと死のにおいであった。寺田はもはや恥も外聞も忘れて、腫物《はれもの》一切《いっさい》にご利益《りやく》があると近所の人に聴いた生駒《いこま》の石切まで一代の腰巻《こしまき》を持って行き、特等の祈祷《きとう》をしてもらった足で、南無《なむ》石切大明神様、なにとぞご利益をもって哀《あわ》れなる二十六歳の女の子宮癌を救いたまえと、あらぬことを口走りながらお百度を踏《ふ》んだ帰り、参詣道《さんけいどう》で灸《きゅう》のもぐさを買って来るのだった。それでも一代の激痛は収まらず、注射の切れた時の苦しみ方は生きながらの地獄《じごく》であった。ロンパンがなくなったと気がついて、派出看護婦が近くの医者まで貰いに走っている間、一代は下腹をかきむしるような手つきをしながら、唇《くちびる》を突き出し、ポロポロ涙《なみだ》を流して、のた打ち廻るのだ。世の中にこんな苦痛があったのかと、寺田もともにポロポロ涙を流して、おろおろ見ている。一代は急に、噛《か》んで、噛んで! と叫《さけ》んだ。下腹の苦痛を忘れるために、肩を噛んでもらいたいのだろう。寺田はガブリと一代の肩にかぶりついた。かつては豊満な脂肪《しぼう》で柔かった肩も今は痛々しいくらい痩せて、寺田は気の遠くなるほど悲しかったが、一代ももう寺田に肩を噛まれながら昔《むかし》の喜びはなく、痛い痛いと泣く声にも情痴の響《ひび》きはなかった。やっと看護婦が帰って来たが、のろまな看護婦がアンプルを切ったり注射液を吸い上げたり、腕《うで》を消毒したりするのに手間取っているのを見ると、寺田は一代の苦痛を一秒でも早く和《やわら》げてやりたさに、早く早くと自分も手伝ってやるのだった。
 気の弱い寺田はもともと注射が嫌《きら》いで、というより、注射の針の中には悪魔の毒気が吹込まれていると信じている頑冥《がんめい》な婆《ばあ》さん以上に注射を怖《おそ》れ、伝染病の予防注射の時など、針の先を見ただけで真蒼《まっさお》になって卒倒《そっとう》したこともあり、高等教育を受けた男に似合わぬと嗤われていたくらいだから、はじめのうち看護婦が一代の腕をまくり上げただけで、もう隣の部屋《へや》へ逃げ込み、注射が終ってからおそるおそる出て来るというありさまであった。針という感覚だけで参ってしまうような弱い神経なのだ。ところが、癌の苦痛という感覚の前にはもうそんな神経もいつか図太くなって来たのか、背に腹は代えられぬ注射の手伝いをしているうちに、次第に馴《な》れて来て、しまいには夜中看護婦が眠《ねむ》っている間一代のうめき声を聴くと、寺田は見よう見真似《みまね》の針を一代の腕に打ってやるのだった。
 そんなある日、一代の名《な》宛《あて》で速達の葉書が来た。看護婦が銭湯へ行った留守中で、寺田が受け取って見ると「明日《あす》午前十一時、淀《よど》競馬場一等館入口、去年と同じ場所で待っている。来い。」と簡単な走り書きで、差出人の名はなかった。葉書|一杯《いっぱい》の筆太《ふでぶと》の字は男の手らしく、高飛車《たかびしゃ》な文調はいずれは一代を自由にしていた男に違いない。去年と同じ場所という葉書はふといやな聯想《れんそう》をさそい、競馬場からの帰り昂奮を新たにするために行ったのは、あの蹴上の旅館だろうかと、寺田は真蒼になった。一代に何人かの男があったことは薄々《うすうす》知っていたが、住所を教えていたところを見ればまだ関係が続いているのかと、感覚的にたまらなかった。寺田はその葉書を破って捨てると、血相を変えて病室へはいって行った。しかし、一代は油汗を流してのたうち廻っていた。激痛の発作がはじまっていたのだ。寺田はあわててロンパンのアンプルを切って、注射器に吸い上げると、いつもの癖で針の先を上向けて、空気を外に出そうとしたが、何思ったのかふと手を停《と》めると、じっと針の先を見つめていた。注射器の中には空気のガラン洞《どう》が出来ている。このまま静脈に刺《さ》してやろうかと、寺田は静脈へ空気を入れると命がないと言った看護婦の言葉を想い出し、狂暴に燃える眼で一代の腕を見た。が、一代の腕は皮膚《ひふ》がカサカサに乾《かわ》いて黝《あおぐろ》く垢《あか》がたまり、悲しいまでに細かった。この腕であの競馬の男の首を背中を腰を物狂おしく抱《だ》いたとは、もう寺田は思えなかった。はだけた寝巻《ねまき》から覗《のぞ》いている胸も手術の跡が醜《みにく》く窪《くぼ》み、女の胸ではなかった。ふと眼を外《そ》らすと、寺田はもう上向けた注射器の底を押《お》して、液を噴《ふ》き上げていた。すると、嫉妬は空気と共に流れ出し、安心した寺田は一代の腕のカサカサした皮をつまみ上げると、プスリと針を突き刺した。ぐっと肉の中まで入れて液を押すと、間もなく薬が効いて来たのか、一代はけろりと静かになり、死んだように眠ってしまったが、耳を澄《す》ませるとかすかな鼾《いびき》はあった。
 それから一週間たったあの夕方、治療に使う枇杷の葉を看護婦と二人《ふたり》で切って籠《かご》に入れていると、うしろからちょっとと一代の声がした。振《ふ》り向くと、唇の間からたらんと舌を垂れ、ウオーウオーとけだもののような声を出して苦悶《くもん》していた。驚いて看護婦が強心剤のアンプルを切って、消毒もせずに一代の胸に突き刺そうとしたが、肉が固くてはいらなかった。僕《ぼく》にやらせろと寺田が無理矢理突き刺そうとすると、針が折れた。一代の息は絶えていた。歳月がたつと、一代の想出も次第に薄れて行ったが、しかし折れた針の先のように嫉妬の想いだけは不思議に寺田の胸をチクチクと刺し、毎年春と秋競馬のシーズンが来ると、傷口がうずくようだった。競馬をする人間がすべて一代に関係があったように思われて、この嫉妬の激しさは寺田自身にも不思議なくらいであった。ところが、そんな寺田がふとしたことから競馬に凝りだしたのだから、人間というものはなかなか莫迦にならない。
 寺田は一代が死んで間もなく史学雑誌の編輯をやめさせられた。看病に追われて怠《なま》けていた上、一代が死んだ当座ぽかんとして半月も編輯所へ顔を見せなかったのだ。寺田はまた旧師に泣きついて、美術雑誌の編輯の口を世話してもらった。編輯員の二人までがおりから始まった事変に召集《しょうしゅう》されて、欠員があったのだ。こんどは怠けずこつこつと勤めて二年たつと、編輯長がまた召集されて、そのあとの椅子《いす》へついた。その秋大阪に住んでいるある作家に随筆を頼《たの》むと、〆切《しめきり》の日に速達が来て、原稿《げんこう》は淀の競馬の初日に競馬場へ持って行くから、原稿料を持って淀まで来てくれという。寺田はその速達の字がかつて一代に来た葉書の字とまるで違っていることに安心したが、しかし自分で行くのはさすがにいやだった。といって、ほかの者ではその作家の顔は判《わか》らない。私情で雑誌の発行を遅らせては済まないと、寺田はやはり律義者らしくいやいや競馬場へ出掛けた。ちょうど一|競走《レース》終ったところらしく、スタンドからぞろぞろと引き揚《あ》げて来る群衆の顔を、この中に一代の男がいるはずだとカッと睨《にら》みつけていると、やあ済まん済まんと作家が寄って来て、君を探していたんだよ。どうやら朝からスリ続けて、寺田が持って来る原稿料を当てにしていたらしかった。渡して原稿を貰い、帰ろうとしたが、僕も今日は京都へ廻るから終るまでつき合わないかと引き停められると、寺田はもう気が弱かった。スタンドに並んで作家の口から、君アンナ・カレーニナの競馬の場面読んだ? しかしあれでもないよ、どうも競馬を本当に描写《びょうしゃ》した文学はないね、競馬は女より面白いのにね、僕は競馬場へ女を連れて来る奴《やつ》の気が知れんのだ、競馬があれば僕はもう女はいらんね、その証拠《しょうこ》に僕はいまだに独身だからね、西鶴《さいかく》の五人女に「乗り掛ったる馬」という言葉があるが、僕はこんなスリルを捨てて女に乗り掛ろうとは思わんよ……という話を聴きながら競走《レース》を見ている間、寺田はふと競馬への反感を忘れていた。そして次の競走《レース》でふらふらと馬券を買うと、寺田の買った馬は百六十円の配当をつけた。払戻《はらいもどし》の窓口へさし込んだ手へ、無造作に札《さつ》を載《の》せられた時の快感は、はじめて想いを遂《と》げた一代の肌《はだ》よりもスリルがあり、その馬を教えてくれた作家にふと女心めいた頼もしさを感じながら、寺田はにわかにやみついて行った。
 小心な男ほど羽目を外した溺《おぼ》れ方をするのが競馬の不思議さであろうか。手引きをした作家の方が呆《あき》れてしまう位、寺田は向こう見ずな賭《か》け方をした。執筆者《しっぴつしゃ》へ渡す謝礼の金まで注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の希望があるところが競馬のありがたさだと言っていた作家も、六日目にはもう印税や稿料の前借がきかなくなったのか、とうとう姿を見せなかった。が、寺田だけは高利貸の金を借りてやって来た。七日目はセルの着物に下駄《げた》ばきで来た。洋服を質入れしたのだ。

 そして八日目の今日は淀の最終日であった。これだけは手離《てばな》すまいと思っていた一代のかたみの着物を質に入れて来たのだ。質屋の暖簾《のれん》をくぐって出た時は、もう寺田は一代の想いを殺してしまった気持だった。そして、今日この金をスッてしまえば、自分もまた一代の想いと一緒に死ぬほかはないと、しょんぼり競馬場へはいった途端、どんより曇った空のように暗い寺田の頭にまず閃《ひらめ》いたのは殺してしまったはずの一代の想いであった。女よりもスリルがあるという競馬の魅力に惹かれて来たという気持でもなかった。この最後の一日で取り戻さねば破滅《はめつ》だという気持でもなかった。一代の想いと共に来たのだということよりほかに、もう何も考えられなかった。そしてその想いの激しさは久しぶりに甦《よみがえ》った嫉妬の激しさであろうか、放心したような寺田の表情の中で、眼だけは挑みかかるようにギラついていた。
 だから、今日の寺田は一代の一の字をねらって、1の番号ばかし執拗《しつよう》に追い続けていた。その馬がどんな馬であろうと頓着《とんちゃく》せず、勝負にならぬような駄馬《バテ》であればあるほど、自虐《じぎゃく》めいた快感があった。ところが、その日は不思議に1の番号の馬が大穴になった。内枠《うちわく》だから有利だとしたり気にいってみても追っつかぬ位で、さすがの人々も今日は一番がはいるぞと気づいたが、しかしもうそろそろ風向きが変る頃だと、わざと一番を敬遠したくなる競馬心理を嘲笑《ちょうしょう》するように、やはり単で来て、本命のくせに人気が割れたのか意外な好配当をつけたりする。寺田ははじめのうち有頂天《うちょうてん》になって、来た、来た! と飛び上り、まさかと思って諦めていた時など、思わず万歳と叫ぶくらいだったが、もう第八|競走《レース》までに五つも単勝を取ってしまうと、不気味になって来て、いつか重苦しい気持に沈んで行った。すると、あの見知らぬ競馬の男への嫉妬がすっと頭をかすめるのだった。
 第九の四歳馬特別|競走《レース》では、1のホワイトステーツ号が大きく出遅れて勝負を投げてしまったが、次の新抽《しんちゅう》優勝競走では寺田の買ったラッキーカップ号が二着馬を三馬身引離して、五番人気で百六十円の大穴だった。寺田はむしろ悲痛な顔をしながら、配当を受取りに行くと、窓口で配当を貰っていたジャンパーの男が振り向いてにやりと笑った。皮膚の色が女のように白く、凄《すご》いほどの美貌《びぼう》のその顔に見覚えがある。穴を当てる名人なのか、寺田は朝から三度もその窓口で顔を合せていたのだ。大穴の時は配当を取りに来る人もまばらで、すぐ顔見知りになる。やあ、よく取りますね、この次は何ですかと、寺田はその気もなくお世辞で訊いた。すると、男はもう馬券を買っていて、二つに畳《たた》んでいたのを開いて見せた。1だった。寺田はどきんとして、なにかニュースでもと問い掛けると、いや僕は番号主義で、一番一点張りですよ。そう言ったかと思うと、すっとスタンドの方へ出て行った。
 その競走《レース》は七番の本命の馬があっけなく楽勝した。そしてそれが淀の最終|競走《レース》であった。寺田は何か後味が悪く、やがて競馬が小倉《こくら》に移ると、1の番号をもう一度追いたい気持にかられて九州へ発《た》った。汽車の中で小倉の宿は満員らしいと聴いたので、別府《べっぷ》の温泉宿に泊《とま》り、そこから毎朝一番の汽車で小倉通いをすることにした。夜、宿へつくとくたくたに疲《つか》れていたので、寺田は女中にアルコールを貰ってメタボリンを注射した。一代が死んだ当座寺田は一代の想い出と嫉妬に悩《なや》まされて、眠れぬ夜が続いた。ある夜ふとロンパンの使い残りがあったことを想い出した。寺田は不眠の辛《つら》さに堪えかねて、ついぞ注射をしたことのない自分の腕へこわごわロンパンを打ってみると、簡単に眠れた。が、眠れたことより、あれほど怖れていた注射が自分で出来て、しかも針の痛さも案外すくなかったことの方がうれしく、その後|脚気《かっけ》になった時もメタボリンを打って自分で癒《なお》してしまった。そしてそれからは注射がもう趣味《しゅみ》同然になって、注射液を買い漁《あさ》る金だけは不思議に惜しいと思わず、寺田の鞄《かばん》の中には素人《しろうと》にはめずらしい位さまざまなアンプルがはいっていたのだ。注射が済んで浴室へ行った時、寺田はおやっと思った。淀で見たジャンパーの男が湯槽《ゆぶね》に浸《つか》っているではないか。やあと寄って行くと、向うでも気づいて、よう、来ましたね、小倉へ……と起そうとしたその背中を見た途端、寺田は思わず眼を瞠《みは》った。女の肌のように白い背中には、一という字の刺青《いれずみ》が施《ほどこ》されているのだ。一――1――一代。もしかしたらこの男があの「競馬の男」ではないか、一の字の刺青は一代の名の一字を取ったのではないかと、咄嗟《とっさ》の想いに寺田は蒼ざめて、その刺青は……ともうたしなみも忘れていた。これですかと男はいやな顔もせず笑って、こりゃ僕の荷物ですよ、「胸に一物、背中に荷物」というが、僕の荷物は背中に一文字でね。十七の年からもう二十年背負っているが、これで案外重荷でねと、冗談口の達者な男だった。十七の歳から……? と驚くと、僕も中学校へ三年まで行った男だが……と語りだしたのは、こうだった。
 生まれつき肌が白いし、自分から言うのはおかしいが、まア美少年の方だったので、中学生の頃から誘惑《ゆうわく》が多くて、十七の歳女専の生徒から口説《くど》かれて、とうとうその生徒を妊娠させたので、学校は放校処分になり、家からも勘当された。木賃宿を泊り歩いているうちに周旋屋《しゅうせんや》にひっ掛って、炭坑《たんこう》へ行ったところ、あらくれの抗夫達がこいつ女みてえな肌をしやがってと、半分は稚児《ちご》苛《いじ》めの気持と、半分は羨望《せんぼう》から無理矢理背中に刺青をされた。一の字を彫《ほ》りつけられたのは、抗夫長屋ではやっていた、オイチョカブ賭博《とばく》の、一《インケツ》、二《ニゾ》、三《サンタ》、四《シスン》、五《ゴケ》、六《ロッポー》、七《ナキネ》、八《オイチョ》、九《カブ》のうち、この札《ふだ》を引けば負けと決っている一《インケツ》の意味らしかった。刺青をされて間もなく炭坑を逃げ出すと、故郷の京都へ舞《ま》い戻り、あちこち奉公《ほうこう》したが、英語の読める丁稚《でっち》と重宝《ちょうほう》がられるのははじめの十日ばかりで、背中の刺青がわかって、たちまち追い出されてみれば、もう刺青を背負って生きて行く道は、背中に物を言わす不良生活しかない。インケツの松《まつ》と名乗って京極《きょうごく》や千本の盛《さか》り場《ば》を荒しているうちに、だんだんに顔が売れ、随分男も泣かしたが、女も泣かした。面白い目もして来たが、背中のこれさえなければ堅気《かたぎ》の暮《くら》しも出来たろうにと思えば、やはり寂《さび》しく、だから競馬へ行っても自分の一生を支配した一の番号が果たして最悪のインケツかどうかと試す気になって、一番以外に賭《か》けたことがない。
 聴いているうちに寺田は、なるほどそんな「一」だったのかと、少しは安心したが、この男のことだから四条通の酒場も荒し廻ったに違いないと、やはり気になり、交潤社の名を持ち出すと、開店当時入口の大|硝子《ガラス》を割って以来行ったことはないがと笑って、しかしあそこの女給で競馬の好きな女を知っている。いい女だったが、死んだらしい。よせばいいのに教師などと世帯を持ったのは莫迦だったが、しかしあれだけの体の女はちょっとめず……おや、もう上るんですか。
 部屋へ戻ると、女中が夕飯を運んで来たが、寺田は咽喉《のど》へ通らなかった。すぐ下げさせて、二時間ばかりすると、蒲団を敷きに来た。寺田は今夜はもう眠れぬだろうと、ロンパンを注射するつもりで、注射器を消毒していると、蒲団を敷き終った女中が、旦那《だんな》様注射をなさるのでしたら、私にもして下さい。メタボリンは脚気にいいんでしょうと腕をまくった。寺田はむっちりしたその腕へプスリと針を突き刺した途端一代の想いがあった。針を抜くと、女中は注射には馴れているらしく、器用に腕を揉《も》みながら、五番の客が変なことを言うからお咲《さき》ちゃんに代ってもらっていいことをしたという言葉を聴いて、はじめて女中が変っていたことに気がついたくらい寺田はぼんやりしていた。男前だと思って、本当にしょっているわ。寺田の眼は急に輝《かがや》いた。あの男だ。あの男がこの女中を口説こうとしたのだ。寺田は何思ったか、どうだ、もう一本してやろうか。メタボリン……? いや、ヴィタミンCだ。Cっていいんですか。Bよりいいよと言いながら、しかし注射器にはひそかにロンパンを吸い上げた。
 女中は急に欠伸《あくび》をして、私眠くなって来たわ、ああいい気持、体が宙に浮《う》きそう、少しここで横にならせて下さいね。蒲団の裾《すそ》を枕《まくら》にすると、もう前後不覚だった。二時間ばかり経《た》って、うっとりと眼をあけた女中は、眠っていた間何をされたかさすがに悟《さと》ったらしかったが、寺田を責める風もなく、私|夢《ゆめ》を見てたのかしらと言いながら起《た》ち上ると、裾をかき合せて出て行った。寺田はその後姿を見送る元気もなく、自責の想いにしょげかえっていたが、しかしふとあの男のことを想うと、わずかに自尊心の満足はあった。
 翌日、小倉競馬場の初日が開かれた。朝からスリ続けていた寺田は、スレばスルほど昂奮して行った。最後の古呼《ふるよび》特ハン競走《レース》で、寺田はあり金全部を1のハマザクラ号に賭けた。これを外してしまえば、もう帰りの旅費もない。
 ぱっと発馬機がはね上った。途端に寺田は真蒼になった。内枠のハマザクラ号は二馬身出遅れたのだ。駄目《だめ》だと寺田はくわえていた煙草《たばこ》を投げ捨てると、スタンドを降りて、ゴール前の柵《さく》の方へ寄って行った。もう柵により掛らねば立っておれないくらい、がっくりと力が抜けていたのだ。向う正面の坂を、一頭だけ取り残されたように登って行く白地に紫の波型入りのハマザクラを見ると、寺田の表情はますます歪《ゆが》んで行った。出遅れた距離を詰めようともせず、馬群から離れて随《つ》いて行くのは、もう勝負を投げてしまったのだろうか。ハマザクラはもう駄目だ! と寺田は思わず叫んだ。すると、いや大丈夫《だいじょうぶ》だ、あの馬は追込みだ、と声がした。ふと振り向くと、ジャンパーを着た「あの男」がずっと向う正面を睨んで立っていた。白い顔が蒼ざめている。自分とおなじようにスッて来たのだと、見上げていると、男は急ににやりとした。寺田はおやと正面へ振りかえった。白地に紫の波型がぐいぐいと距離を詰めて行く。あっと思っているうち、第四|角《コーナー》ではもう先頭の馬に並んで、はげしく競り合いながら直線に差し掛った。しめたッと寺田が呶鳴ると、莫迦ッ! 追込馬が鼻に立ってどうするんだと、うしろの声も夢中《むちゅう》だった。鼻に立ったハマザクラの騎手は鞭を使い出した。必死の力走だが、そのまま逃げ切ってしまえるかどうか。鞭を使わねばならぬところに、あと二百|米《メートル》の無理が感じられる。逃げろ、逃げろ、逃げ切れと、寺田は呶鳴っていた。あと百米。そうれ行け。あッ、三番が追い込んで来た。あと五十米。あッ危い。並びそうだ。はげしい競り合い。抜かすな、抜かすな。逃げろ、逃げろ! ハマザクラ頑張《がんば》れ!
 無我夢中に呶鳴っていた寺田は、ハマザクラがついに逃げ切ってゴールインしたのを見届けるといきなり万歳と振り向き、単だ、単だ、大穴だ、大穴だと絶叫《ぜっきょう》しながら、ジャンパーの肩に抱きついて、ポロポロ涙を流していた。まるで女のように離れなかった。嫉妬も恨《うら》みも忘れてしがみついていた。(昭和二十一年四月)



底本:ちくま日本文学全集『織田作之助』
   1993(平成5)年5月20日第一刷発行
親本:『現代日本文学大系70 武田麟太郎・織田作之助・島木健作・檀一雄集』筑摩書房
   1970(昭和45)年6月25日発行
入力:富田倫生
校正:江戸尚美
1998年3月27日公開
2003年8月31日修正
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