青空文庫アーカイブ



やきもの讀本
小野賢一郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)それは茲《ここ》にいふやきものは

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)又|胎土《きぢ》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)「年表」[#「年表」省略]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ゾロ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

※欄外の見出しは【】内に表記
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【やきものの歴史】
 やきものゝ歴史は古い、考古學の範圍にはいつてゆくと際限がない、また私のよく話し得るところでない。しかし、やきものが或時代の尖端をいつたものであつて、やきものゝ技を知る人が「瓦博士」などの稱呼で尊敬されてゐた時代のあつたことは確かである。我々は小學校の歴史で、百濟から瓦博士の來たことなど聞いた記憶がある。それが、ずつと後になると時代の流れに乘つて、權力者の保護を受け、氣位高くゐられた時もあれば、一介の勞働者扱ひされて、山間の賤が伏屋に土とロクロと共に起臥して、誰も顧みてくれぬ時代もあつた。
 今や昭和の御代、國運隆々として起り、今まで骨董視され茶人の閑遊具と見られてゐたやきものゝ研究は日を追うて盛んになつてきた。全く今まで閑却されてゐたのが不思議であつたくらゐ。人間生を享けて乳房をはなれると共に茶わんに依つて食を得やうとし、二本の箸を執らうとする。一日三度は切つても切れない茶わんとの縁である。人間の周圍にあるもので、何から一番恩惠を蒙つてゐるかといへば植物だと或る林學博士が云つた。成程人間生活には木材といふものが多分にはいつてゐるであらう。家、机、たんす、膳―等々。鐵、銅等の鑛物等々。だが然し、やきものも亦人間生活に多量に取り入れられてゐることは爭へない。しかも此の燒物と人間との交渉は一種の魅惑力さへ伴つて相交感してゐるに於て――。
 それは建築に心を使ふ人もあらう、着物に凝る人もあらう、しかし、四六時中生活の中にあつて、物質的に大きな犧牲を拂はないで樂しめるもの、やきものに如くはない。と、いへば、萬金の茶入や茶わんのことを持出されるかしれないが、それは本文のかゝはりしらぬことである。私は、これから、やきものに就て私の極めて貧しい知見から何事かを語らうとするのであるが、斷はるまでもなく私一個の考へであつて、決して人に教へやう、導かうなどゝいふ不逞な意圖は持つてゐない。私自身も勉強してみたいから、私の考へてゐることを文字に書き直してみる一つの「勉強」である。
【やきものの見方】
 そこで、やきものを見るにはどういふ方法をとつたらいゝか。斯ういふ事を語るには自ら順序があるであらうが、私は新聞記者であつて、忙中一轉氣のつもりで斯樣なものを書くのであるから、組織立つた記述は出來ないかもしれない。たゞ思ひついたまゝを書きつらねてゆく。
 最後に大切なことを言ひ添へておく、それは茲にいふやきものは釉藥のある燒物の謂ひである。或は支那漢代の瓦器や日本の祝部土器等を例に引用しないとも限らないが、先づ「釉《うはぐすり》のある燒物」を主題にしてゐることをはつきりしておきたい。

   時代

【時代を知ること】
 美術工藝品を見るには時代を知らねばならぬ。これが一番大切なことは誰しも知つてゐるはづだが、實は行はれてゐない。人に依ると器物その物を見さへすればよい。本體を知れば充分だ――といふことを云はれる。或はそれでいゝであらう。しかし其の器物の生れた時代を知ることが出來たならば、其の感興は更に深められやうし、鑑賞點は更に高められるであらう。殊に其の時代の相《すがた》をはつきり知つてゐたならば、其の器物に對しての鑑賞が、一段とはつきりしてきて、其の時代と共に呼吸することが出來る。
 漆工藝が盛んであつた奈良朝から平安期、鎌倉期に入つて漸く起つた燒物が一時暗黒時代ともいふべき或る期間を過ぎてから足利末期より織豐時代、徳川初期と茶道の興るに伴れての發展、殊に況んや朝鮮征伐は「やきもの戰爭」といはれたほどの影響を日本に與へた其後の窯業。――徳川末期以後茶道の墮落に伴ふ燒物の墮落、模傚、似而非風流的技巧、等々。明治維新以來の洋風崇拜と輸出向品の媚態。――斯く觀じ來ると、説くことの餘りに多いのに當惑してしまふ。そこで、史上の概念を得るために「年表」[#「年表」省略]を作つて附録とし、こゝに説くことを省く。
 たゞこゝで云ひたいことは時代を知らなければならぬ、燒物は偶然形が出來て、漫然生れたものではない。必らず時代といふものから生れてゐるといふことを知つてもらひたい。
【足利期の茶道】
 足利期、禪家の僧が茶道に親しむ頃は禪味が何處となく漂ふてゐる。茶わんに茶や飯を盛つて喫するといふことは人生の最大幸福である、といふ報捨の念があつた。從つて茶わんの形にも鉢の形にも其の思念が現はれてゐる。これが桃山期の豪華時代となり、徳川期の變遷する時代々々の相は必ず燒物にも反映してゐる。仁清とか、光悦とか、乾山とか、大きな人物は續々出てゐるが、結局は其の時代の生んだ人物である。時代に反逆したやうに見える人物でも究極は時代の流れに乘つてゐるのである。時代を知るといふこと即ち燒物を知ることであつて、燒物鑑賞上大切な條件である。
【やきものの壽命】
 やきものは人間より壽命が長い。骨破微塵に割れても猶存在してゐる。人間と共に土中に葬られても猶生きてゐる。ことに傳世品に至つては時代々々を經て我々の前に現はれ、史的感興を伴つて、燒物の收めてある袋も、箱も、箱の文字も、箱の紐も、箱に貼つた一枚の紙片と雖も其の生れた時代を物語つてくれる。
【史的標本】
 文化史料は傳世の燒物もたつぷり持つてゐるし、土中にある破片と雖も確實に保有してゐる。器の姿は時代を語り、器の質は生産地を語り、裝飾された文樣は時代の文化を語る――ひつくるめていへば一個の器は過去の文化、交通、民族的交渉――あらゆる方面を考察することの出來る史的標本となる。
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   形

 形――姿。鑑賞の上からいへば形が第一にくる。釉のない土器でも瓦器でも一番に形――姿に惹きつけられる。何よりも先づ形の美くしさが大切である。それは十萬金の茶入であつても、十錢の土瓶であつても。
【時代の生む線】
 この形の線が矢張時代といふものを母胎にもつてゐる。時代が生む線である。たとへば一個の茶わんにしても、支那の宋代に生れ、日本の鎌倉期に渡つたもの、または夫れを摸作したもの、それが禪家喫茶の用になつてゐたのが、茶の湯に使はれ次第に庶民階級の日常雜器になつてきた。その推移をみると明かに初めは天目茶※[#「※」は「上が「夕+ふしづくり」+下が「皿」」、第3水準1-88-72、読みは「わん」、11-2]の形だつたのが變化していつて、時代々々の用途に適ふやうになつてゐる。一個の湯呑にしても今日のやうに湯呑として初めから造られたものかどうか分らない。向附だつたのが離れて筒茶わんとして使はれてゐるのがあるし、又狂言袴といはれる手のやうに筒形の象嵌青磁もあるが、初めから今日のやうに筒茶※[#「※」は「上が「夕+ふしづくり」+下が「皿」」、第3水準1-88-72、読みは「わん」、11-7]を目的として造られたものかどうか――これとて何かの器物だつたのが、用途において轉用されたのかもしれない。要するに日常雜器の所謂安物とて一朝一夕に生れてきたものではない。
【土瓶の葢】
 とにかく、器物の形の發達だけみても面白いものだが、その形が時代を背景にしてゐるといふことを必らず念頭に置いて居れば、十錢の古土瓶をみても、一個の土瓶の葢《ふた》だけ見ても興味が湧くのである。※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28、12-4]畫(B)圖[#「B圖」省略]は土瓶か壺かの葢に造られたものであらうが、出來が惡かつたとみえて捨てられてゐた。それを古窯發掘の際掘出したものである。この葢一枚に就てみても形のおもしろさはたつぷりある。第一葢をロクロで挽いて、それにうねり[#「うねり」に傍点]をつけ、つまみ[#「つまみ」に傍点]をつけてゐる。このつまみ[#「つまみ」に傍点]一つでも今日の人が平氣で手輕につけるわけにはゆかないほどいゝものである。それを昔の人は平氣で樂に大量につけたのであらう。壺に耳をつけるのでも力のある耳と氣の拔けた耳とあるやうに、簡單なつまみ[#「つまみ」に傍点]一つだけでもうまさ、まづさがある。次いで此の葢の裏を返してみるがいゝ、こゝは高臺を削るのと同じやうに削つてあるが、其の削り方の親切さ、飽くまで深く、ロクロの働きも充分であつて、恰かも宋代のやきものゝ高臺をみるやうな氣がする。土の中から掘り出された一枚の葢でも此の通り見樣に依つては興趣無限、迚も私の筆の及ぶところでない。况んや成器をや。
【糸切】
 以上、葢の形のみについていつたが、我々はこんな一寸したものでも充分樂しめる。是等の葢は萬金の茶入や、水指や、茶わんと共に生産されたものである。それが一は傳世品となつて金殿玉樓の奧に納まり、一は幾百の春秋を雜草の下に埋つてゐたに過ぎない。破片にしても斯くの通りである。所謂名器とても裸にしてしまへば變りはない。破片の糸切のよさも、萬金の茶入の糸切のよさも同じである。こゝに※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28、14-5]畫(B圖)[#「B圖」省略]を添へておく。この糸切は水滴や、小壺や、皿の高臺のあたりの破片である。いかに凄い糸切であるか、いかに巧みな糸底であるか、いかなる大名物、名物の茶入と比較されても遜色はないと信ずるほどの「良さ」を看取さるゝであらう。
【線の認識】
 話が、つい糸底に落ちてしまつたが、實は形の全貌に及んでゐなかつた。が、然し私が改めて形に就て細かい説明を用ゐる必要はあるまい。線の運動に注意すればよく分ることである。口つくり、肩、肩から腰へ落るふくらみ、又は反り、高臺、この線の流れは器物を優しくも強くもみせる。又嚴肅にも瀟洒にもみせる。均齊の美、不均齊の中にも均齊のある美。これが姿の美であるが、此の姿を構成する線の美を認識することの程度に依つて、その人の鑑賞眼の標凖が定まる。
 すなはち、小さな形の茶わんでも大空を呑むやうな大きさを感ぜしめらるゝ線をもつ物もある。また大きな茶わんでも、ちま/\として如何にも窮屈な感じを與へらるゝ茶わんもある。そこに線の働きの大と小と、強と弱と、冷と熱とがある。
 線といつても、平面ではない、立體的にみた線の謂ひである。我々は形の美しさは線の認識如何に依つて深くも淺くもなる――その線の認識といふことは何であるか。かうなつてくると、やかましい議論になるが、結局は線の放射する暗示を受け入れるだけの素質と精神活動と知識の再生によるのではあるまいか。鑑賞するに個性が出てくる、從つて蒐集品にも個性が窺へるといふところに、其人々々の感覺と知識とが出てゐるのではあるまいか。
 われら萬金の價を以て、よき器物を購ひ得ないことは口惜しいとは思はないでいゝ。われらには割れてゐるこの土瓶の葢一個でも無限の興趣を以て味ひ得る材料を天が與へてくれてゐる。それは葢であらうと、貧乏徳利であらうと、油皿、鰊皿であらうと、土瓶、どんぶり、片口、小鉢の類であらうと、そこに時代から生れた姿があれば先づ鑑賞の第一歩が惠まれるのである。
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   釉

【釉】
 形が出來た上を裝飾するものは、文樣であり釉である。文樣は土器時代から繩文土器など名づけらるゝやうに色々の文樣がつけられてゐる。また文樣を瓦器に彩色したのもある。漢代の瓦器などに今日でも見受けることが出來る。しかし、やきものは釉に依つて先づ裝飾されてゐる。この釉《うはぐすり》の感じで、器物をわれらに親しませてくれる。釉は形の出來た上を更に美くしくしてくれて、器が放射する雰圍氣を一段と濃くする。
 この釉が變化することに於て又興趣は濃厚になつてくる。やきものを燒く人の面白味も亦釉の變化につながる。
【窯中の神祕】
 釉藥は鑛物質で、媒溶成分の力や胎土との親和、その他いろ/\の條件が揃つたところで溶ける。器物の肌に釉藥が溶け、更に變化することによつて、やきものに神祕的な一つの魅力をもたせる。いかに良いと思ふ釉藥を流しかけても、その媒溶劑が適度でなかつたり、又|胎土《きじ》が釉藥に親和しなかつたり、火度が適度でなかつたり、窯中に於て器の置き場所が惡かつたりすると、釉と土とが相反撥したり、はぢけたり、釉が剥落したり、完全な釉の發色がない。即ち釉の裝飾が完全にゆかない。ところが、完全にゆかないところに一種の景色を生じて趣のある器が生れることもあるから、即ちそこに窯中の神祕があるわけである。私は常に「窯中莊嚴淨土」といふことをいふ。窯中の世界は又一種特別の天地で、理屈ばかりではゆかず、科學の一本鎗で解決しないところが面白いのである。こゝに一種の神祕がある。
 たとへば火を焚くので灰が出來る、その灰が窯の中を火焔と共に亂舞して器に降りかゝるために、そこに胎土《きぢ》がもつ或る成分と一緒になつて運動を起し、思ひもかけぬ色の釉となることもあれば、火度の不足を狙つて、そこに「志野」といふ清淨な器物を生み出す逆手もある。
 同じ銅成分の釉が青くも赤くもなり、鐵、マンガン、長石、等々、いろ/\の鑛質がいろ/\の條件と機會に依つて變化の妙を極める。こゝに釉の面白味があつて、一色の釉でも、火の當るところと當らぬところに二樣三樣の變化を見せたり、さま/″\な景色を造つたりしてゐる。
 昔の茶人は、この釉の變化を賞美して、風雅な銘をつけて愛賞してゐる。釉の千變萬化は、やきものゝもつ大切な美しさである。
【文樣】
 やきものは釉ばかりでなく文樣に依つて裝飾されてゐる。その文樣は釉をかける前に櫛目、象嵌などいつて、櫛樣のものや釘や箆などで文樣をつけ、其儘にして釉をかけたのもあれば、又雲鶴手など彫つたところに白土を象嵌してから釉をかけたのもある。又|繪付《ゑつけ》といつて鐵やコバルト(呉須)などで器に文樣を描き其上から釉をかけたのもある。繪高麗、染付(青華)、辰砂などいつてゐるものがそれで樂燒に類する軟陶では更にいろ/\の色彩を玻瑠釉の下に描いてゐる。
【下繪付と上繪付】
 今云つた繪付を下繪付といふに對し釉の上に文樣を描いたのを上繪付といふ。赤繪類がさうである。即ち釉がかゝつて一旦燒上つた器物の上に更に低火度で文樣を描いたのである。此外に、この上繪と下繪と双方兼ね用ひた裝飾もやつてゐる。
 この文樣を釉の上や下に描くといふことは、器物を美くしくみせるためであることは無論である。この裝飾法は器物を更によく見せる爲めと器物の物足らなさを補ふ場合とある。面とりといふ――李朝期の壺や瓶に多いが、六面か八面に面を切り落して角度をつけ裝飾してゐる。それだけでいゝのだが、そこに或はゴスで、或は鐵(黒)や辰砂(赤)で下繪をつけて裝飾してゐる。面とり其物だけの裝飾でいゝのだが、更に各面に變化をみせるため繪付をしてゐる。これは面とりの特長を一段と強調したのである。
 また、器物の欠陷を補ふために裝飾することもある。高麗青磁などの發生も、支那の青磁技法を輸入したけれども、胎土や釉のため、支那ほどの美くしさにあがらない。雨過天青とか秘色とかいふほどの美くしさでなく、幾らか鼠がゝつた青磁となる。そこで其の欠陷(?)を補ふために鐵で文樣を描いたり、白土を化粧がけした刷毛目の裝飾法だとか、象嵌して裝飾する雲鶴手とか、是等の技巧を併せて用ひた裝飾とか、各種の裝飾法が發達したのではあるまいかと云はれてゐる。日本における燒物とても同樣で、欠陷を補ふために一種の裝飾技法が發達した場合がある。
【伯庵の茶わん】
 かういふ事は例になるかどうか分らないが、やかましい伯庵の茶わんの如き、瀬戸で生れたものであらうが、あの茶わんは誰が見ても上手《じやうて》なものといふより、一種の雜器といつた方が當るかもしれない。伯庵茶わんの見どころが幾個所あるなどいふが其の一つに銅か鐵が發色したと思はるゝ海鼠《なまこ》の雪崩《なだれ》がある。これは赤や藍や白など、一種の面白い發色をしてゐる、そのくすりのなだれは茶わんの胴にはいつてゐる一本の紐から出てゐる。この紐といふのはロクロを※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11、25-7]す時に小砂利か何かゞあつて茶わんの表へ疵がついて線を引いたのかもしれない。そこで、この銅か鐵の發色であるが偶然こゝに發色する成分があつたのか、或は意識的につけたのか、それはわからない。しかし、或はそこに欠陷があつて疵を塗り潰すために有合せの銅か鐵の※[#「※」は「土へん+尼」、26-1]漿を一寸塗りつけておいた。それが面白く發色して流れたのかもしれない。これなど一寸考へた想像で何の據りどころもないのであるが、斯ういふ欠陷を補つた裝飾が一種の景色を構成する場合もあることを言ひたいのであつて、伯庵の茶わんが皆さうであるといふわけではないのである。斯ういふ場合も想像されるといふまでゞある。
 朝鮮の南方で出來た鉢の中に底部を鐵藥で埋めたのがある。これは高臺削りか何かで底に疵が出來たので、そこをつくろふため身邊に有合せの鐵藥を塗抹しておいた――それがうまく疵をかくし、一種の景色を成してゐるものが出土品の中から往々發見される。これなども欠陷が補はれたのである。しかし、こゝでいふ欠陷といふのは、是等の茶わんの偶然的な補足手段をいふのではない、本質的に生地とか釉藥とか又は形の上に欠陷があつて、これを補ふために下繪や上繪や釉藥の力を借りることをいふのである。
 釉の變化、窯中の神秘、天目釉、飴、黄、織部、志野、その他いろ/\の釉の發生の動機や釉と時代との變化を考へてゆくと興味津々たるもので、同じ黄瀬戸といつても時代が變る毎に黄色がちがつてくる。初めは黄色でなく、自然にほのかなる黄色を呈するのを發見して、そのほのかなる黄色を追うて黄色を強調していつたのではないかと思はれる黄瀬戸――それが後代の、また現代のあの黄瀬戸になるまでの釉の變遷は又一種の時代史である。時代が喜ぶからこそ其の裝飾法も永くつゞく。が、然し原始時代の故意に飾らざる美くしさが滅びて、如何にも黄瀬戸がらんとする黄色が横行するやうになつた。また、媒溶劑にしても、昔は如何なる木の灰を用ひたか、その木は今日あるかないか、あつても容易に得られないのか、兎に角「どんなに鯱鉾立をしても古い黄色は出ません」と工人がいつてゐる今日である。灰分の媒溶劑を使つてゐることは分つてゐるが今日の科學を以てしても出來ないところにやきものゝ面白味があるのである。
【ロクロ】
 ロクロを廻すのに、今日のロクロは餘りに器械的に鮮やかに廻るために、昔のやうな、おほらかな物が出來ない。「ガタ/\するロクロでも探して來ないと、あんなのんきなロクロはひけない」と今の工人はいふ。ガタ/\したロクロで充分間にあつた「時代」といふものを矢張考へないではゐられない。
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   古さ

【傳統】
 古さといふことは傳統といふことである。名物とか大名物とかいふものは品物の良さと共に其の古さが尊ばれてゐる。古さの歴史がはつきりしてゐる一つの器物につながつてゆく因縁、※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28、30-5]話、書付、さういふものが大切に傳へられてゐる。一つの茶入が何萬圓したなど謠はれて、聞く人は「ほゝう」と驚く。これは品物の良さもあらうが古さの價が加はつてゐる。しかし一面、考へやうに依つては其の古さの樂しみは、われら貧乏人と雖も味へないことはない。それは其人々々の心のおきどころ次第である。何萬圓の茶入も、今日五十錢しかしない茶入も、同じ土で、同じ窯の中で、同じ火の洗禮を受けて生れたのかもしれない。瀬戸の古窯から發掘さるゝ破片は今日大名物となつてゐる茶入と共に燒かれたのかもしれない。一は世に傳へられ、一は割れたゝめに窯の附近に捨てられたのであらう、又はよき伯樂なきため、末代まで庶民階級の間をごろ/\して、場末の古物商の手にかゝつて今以て埃を被つてゐるのかもしれない。戸籍を洗へば一つの窯から出たのであらうが、そこに人間に認識さるゝ縁、不縁があつたのだ。
 名物といふものは成程いゝ作であらう、然し同じ窯で造られた全部が惡かつたわけでもあるまい。その一つが運よく大權力者の手に入り、戰國時代勳功に賞でゝ分ち與へる土地が足りなくなつたので、折柄新興の茶道に陶醉してゐる勇將達に勳章の代りとして茶入を渡した。即ち一國一城に代はつた茶入である、その茶入が主人が滅びると又外の人へ、その主人が死すると又次の主人へと傳來する間に、悲劇、武勇、風雅、いろ/\の※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28、32-6]話を生んで、それに關する文書が共に傳はり今日も猶千萬金の價をもたせてある。たゞ裸一貫になれば或は兄弟の名乘りが出來る茶入や茶わんが、貧寒われらのところへある一方、二重三重の箱の中に、二種五種の金襴の着物をつけて納まつてゐるのもあるわけだ。
 なあに、あんなに金を持つて威張つてゐるが、生れたのは、俺達と同じ芋小屋の中だつたんだ――と人がいふのと同じことも、或は燒物だつて言ひたいのかもしれない。だが、この傳世傳來といふことの感情的美くしさに就てはこゝでは云はない。それは又それで、今日發掘される破片の荒れた肌よりも、何百年と人に愛玩されて、人間とあたゝかい交渉をもつた肌の方が潤ひがあり美くしさがあるであらう。――が、破片と雖も、又顧みられない店頭の半圓乃至四分の一圓の品と雖も馬鹿にすべきでないことを云ひたい。
 古さ――これはどれでも古いことは同じで、古さのもつ良さは金の高で見つもることは出來ない。何故かなれば矢張この時代が生んだ工藝品だからで、今日の時代が逆さまになるとも生むことの出來ない良さ古さをもつてゐるのである。この古さを賞し得ることも亦われらに與へられた樂しみの一つで、時代を知り器物の形のよさ、釉のよさを知つたならば、古さも同時に分つて高い代償を拂はずに一夕カフエーの資を以て購ふことが出來、清淨なる快樂を享受することが出來るのである。
 以上いつたことは銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、34-9]のない以前の古い時代であり、又銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、34-9]が初まつて以來の臺所用雜器に就てもいふことが出來る。農家の具に作られた種子壺が見出されて、今日千金の價をもつこともあるが、さういふ萬一を僥倖しないでも、農家の具、漁家の具の中に、案外古さも良さもあるおもしろいものを發見することがあり、又僻村の店頭に案外の古さをもつ器物を拾ふことも出來るのである。
【銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、35-欄外]】
 次ぎにいひたいことは銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、35-6]である。銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、35-6]は器の底部に又は胴に、又は箱に入れて個人作家のサインとして昔から尊ばれてゐる。この銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、35-8]は贋物が多く、有名な作家であればあるほど怪しげなものが多い。たゞ作家の銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、35-9]のみに惚れてゐると、飛んでもない古さも良さもないものを掴んでしまふことがある。だから銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、36-1]など氣にしないで、本質的に燒物の良さ古さを見ぬくことである。これはむづかしいやうであるが、多くを見、多くを調べ、又前からいふやうに時代と器物の關係を見透すことが出來れば、さう/\間違ふものではない。――しかし、夫れがむづかしい、若し銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、36-5]に便るとするならば矢張「時代」といふことをあたまに置き「時代の文字」「時代の刻印」を腹に入れておけばよい。時代の文字は幾ら眞似をしてもうまくゆくものでない、人の神經に時代といふ血が流れてゐるのだから眞似は結局眞似で、字のどこかにウソがある、ウソといふのはウソ字ではない、調子のとれぬところ、ためらつたところ、筆や箆や釘の先で書いた字でも、どこか空虚なウソがある。※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1-86-31、「款」の俗字、37-1]印とてもさうである。印の形ばかり氣にしないで、印を捺す呼吸、印を押す氣合ひといふものは、眞作家と、僞作家と、どことなく違つてゐるものである。いゝ器物は必らず字も印もいゝに定つてゐる。こゝのかんどころ[#「かんどころ」に傍点]を外さねば大丈夫である。
【作家をよく知れ】
 何だか茲まで説き來つて、如何にもゑらさうに鑑定の法を説いてゐる氣がして來た。私はそんなつもりでいつたのではない、私は個人作家の作品に就て話したいのであつた。個人作家の作品であることがはつきりしてゐると、又個人作家に對する一種の感情が手傳つて、やきものを鑑賞するに興味が加つてくる。個人作家の時代が分り作家の系統が分り、作家の逸話を知り、作家の得意な手法など知つてゐると、格別のおもしろ味が加はつてくるのである。それに個人作家の古い作品になると現在生きて我々の知つてゐる作家よりも、もう一つアクをぬいたやうな感じをもつて接することが出來る。斯ういへば現在の作家には怒られるかもしれないが、作家をよく知るといふことは、いゝ場合と惡い場合がある、これは燒物に限らず書畫でもさうである。會はない前は床の間に懸けて愛賞してゐた書畫が作家を知つて後急に厭になつてくる――といふ話はよく聞くことである。深い理解を以て、作家に接する人ならばいゝが、さうでない人の間に斯ういふ話はよく聞くのである。
 作家だつて人間である。殊に藝術家は、藝術に精進してゐるだけ常人とちがつた特異な性質をもつてゐる人が多い。感情もはげしいかもしれない、又偏狹であるとか、頑固だとか、約束を無視するとか、常人に批評を許せばいろ/\なことをいふ。だから知つて非常に惡くなる場合もあれば又知つてから非常に良くなる場合もある。こゝがむづかしいことで、作品以外に人間と人間との交渉が直接になつてくるだけすべて厄介である。作家と鑑賞しやうといふ人との間が、うまくゆけば双方の間が非常な熱情で結ばれていゝが、惡くなつた場合には反撥の度がひどい。それだけ器物以外に生きた人間に接するから、考へやうでは面白いが、場合に依つてはおもしろくない。
 そこにゆくと古い器物は安全である。作家といふものは過去の中にあるから、現實的に接するのは器物ばかりである。個人作家のことを知つてゐても「あの作者は頑固爺だつたさうだ」とか「まるで狂人あつかひされてゐたさうだ」とか總べて作家の性癖が「さうだ」の幕を越して見ることになり、却つておもしろ味さへ添へらるゝ場合がある。故に古い器物に對して鑑賞する態度が、新らしいものよりも冷靜である。冷靜に鑑賞して器物そのものを良しとし惡しとすることが出來る。この氣樂に冷靜に鑑賞し、懷中と相談して自由に撰擇し得ることも亦われらの樂しみである。
[#改頁]

   觸

【持ち方】
 やきものは目に見る――さうして手に觸れるといふことが大切である。茶道でも茶わんなどの持ち方をやかましくいふ、これは燒物を大切にすること、取落してはならないといふ扱ひ方の禮をいふのであらうが、眞の目的は或は觸覺をたのしむにあるかもしれない。觸れて作ゆきを細かく見る、隅から隅まで仔細に鑑賞する、さうして器物のもつ氣格を受けいれるといふことは、無論大切な條件である。すべての燒物は手に觸れた感じが大切であるといふことを逸してはならない。
「手を觸る可からず」などいふ制札が器物についてゐたとしたら、その器物の姿と裝飾とを見るに止まつて、底部の大切なところは見ることが出來ない。恰も博物館などの陳列を見ると同じで、長次郎の茶わん「玄翁」でも仁清の眞壺でも高臺の引しまり、力、土味、斯うした大切なところを見ることが出來ないのは實に一種の「殘念物」である。
【燒物の玩讀】
 貧乏徳利でも、番茶碗でも、手に觸れるといふことが鑑賞上の大切な條件である。重い、輕い、重量ばかりでなく、手で撫して以て無限の愛著を感じ、手で捧げて以て無上敬親の念を生ずる。これ燒物を玩讀するの必要條件である。「手を觸る可からず」ではない、「大いに手を觸る可し」であらねばならぬ。

   土味

 青磁でも宋代の青磁には胎土を見せたものが多い。また全然胎土を見せないものも多く燒かれてゐる。支那宋代に出來た陶は明時代の磁(染付赤繪)[#括弧内は「染付」と「赤繪」の二行になっている]を別にして、支那やきもの界の最も藝術的な又現代日本人の性質にぴつたりくるものゝ出來た時代である。作風颯爽としてゐる、さうして土味を實によく見せてくれてゐる。心憎いばかりうまい。
 朝鮮、日本、各種各樣の燒物も亦土味を多分にみせてゐる。朝鮮とても南方と北方と中央との土味がちがひ、日本でも無論國々によつて、窯々によつて土味がちがふ。この土味といふことは地方色を味ひわけるに一番動きのない標準である。
 土の味ひといふ――一寸むづかしい。が、先づ土を知るといふことが大切だ。その昔陶人は袋を肩にして國々山々丘々の土を漁り歩いたであらう、袋に拾ひ込んだ土を水に漬したり燒いてみたり、さま/\の苦心を重ねたであらう。陶人はそれ/″\一つの夢をもつてゐたにちがひない、その夢に近い燒物を造るに適した土を探し求めるといふことが一番大切であつたらう、さうして自分の狙つてゐる釉藥がぴつたり土と合つてくれるかどうか、陶人達は窯場をこしらへるために、土を求め、水の流れを探し、燃料の樹木を考へて、總べての條件がどうにか調子がとれるところに始めて行李を下す。それから窯が開けてゆく――が、しかし一概に之れだけで片付けられない。今日では交通の便が開けてゐるから自分の欲する土を欲する場所に運ばせることが出來るが、昔はそれが出來なかつたゝめ、多く土味に依つて概略の地方の分け方は出來ると考へられてゐた。又實際さうであつた。しかし大名といふ權力者がゐて、これが舟などを利用し自分の勢力圈内の土は移動させるのは無論、又他藩へ工人をしのばせたり、他藩の土をわけてもらつたりして、造つてゐるものがないでもなかつた。だから、一概に土が定まれば其土地の産としていゝといふ事を斷言して了ふわけにはゆかないが、まづ大あらまし土を知ることが出來、ついで釉藥がわかりまた手法の變り目がわかつてくると、一個の燒物の誕生がはつきりして面白くなつてくる。
【手法】
 土味といふ――土を知り土の味はひをしる。大切なことだ。
 今、手法といふことをいつたが、朝鮮の手法が日本に入れられたことは既にいつた。同じ高臺のつくり方でも朝鮮の高臺削りが九州の窯々にひどく影響してゐる、肥前の土燒類など最も顯著である、長州の萩にも丹波の古いところにも朝鮮の系統が流れてゐる。これは多くの器物について高臺をよく見てゆけば自づから會得することが出來る。瀬戸系統の古窯から出土する極めて古い時代の破片に、支那宋代の高臺をみるが如き感を與へらるゝものが多い如き。
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   歪

 不の字と正の字をくツつけて「ゆがむ」といふ字になる。
 やきものは正しい形を造つても乾かすうちに歪みがくる、素燒で又狂ひがくる、藥をかけて燒きあげると又多少の歪みが出る。大さに於てロクロで挽いた時より約二割方小さくなつてくる。若し共に燒く他の器のため押されたり、火の強弱變化のために、窯の中でも歪んだり、いびつ[#「いびつ」に傍点]になつたり、凹んだり、はぢけたりする。これを自然のゆがみといひたい。
 昔の人は、この自然のゆがみが一種の景色をつくり風情を添へることに興をもつて、さま/″\な銘をつけたり、因縁をつけたりしたものである。ところが、時代が惡くなり、趣味好尚が墮落するにつれて、是等の自然のゆがみを曲解して、器物のどこかに歪んだ景色がないと承知しなくなつた。さうして御苦勞にもロクロの時から故意に歪ませたり、凹ませたり、いびつにしたり、不自然なでこぼこをつけるやうになつた。この惡趣味は、獨り茶器ばかりでなく、各方面に及んだことは、時代の所爲《せゐ》で致し方なしとしても、工藝品に及ぼした影響はひどかつた人爲的な歪められた燒物を今日まで猶われらは目にしなければならぬ。假りに人爲的に歪められた物を月並風流といふならば、明治、大正を通じ、昭和の今日も猶月並な所謂風流がつた作品に接するの何と多さよ、と慨かるゝ。
 古いものに良い品があるといふことは正しいものが多く又變つたものでも自然な歪みのあるものがあるからで、徳川中期以後の不自然な意識的なでこぼこ風流を知らないからである。即ちやきものの生れる時代がよかつたし、あらゆる條件がよかつたからである。
 徳川中期――殊に化政以後の燒物は皆が皆惡いといふのではない。木米の如き頴川の如き京都だけ考へても名工が輩出してゐるが、是等の名工は時代の流れに押されてへろ/\してゐる陶工とちがつて、皆精神力がしつかりしてゐて何物かを胸中に包藏してゐたからである。が、概して一般の趣向は※[#「※」は「「滔」でつくりの上が「刀」」、52-2]々として似而非風流の歪めるものを美くしいものと思ひ誤つてしまつた。[#底本では「。」が欠如]
 この「不自然に歪めるもの」さへはつきり見極めることが出來れば先づ危險信號の標識がわかるわけである。しかし月並の根ざすところは長い歴史をもつてゐるだけに實に深い。この雜草の根を拔いてしまはない限り、惡趣味なゆがみが顏を出してくる。恰も今日、床屋誹諧、點取誹諧が猶おもしろがられてゐる如きである。
 故意にゆがめられたる燒物の顏は、一瞥してわからねばならぬ。そこに早くすゝみたい。
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   殘念物

 器物は疵のないに如くことはない。茶道では小さな疵でも神經を尖らせて氣にする、もつともなことである。少しでもニユウ、ホツレがあるのを氣にする、これは完器に越したことはないといふ一面、疵物を御客に出しては相すまないわけである。また御客に器物を賞玩してもらう上からいつても疵があれば夫れだけ御客に不安な餘計な心づかひをさせる、一寸でも危な氣のある思ひをさせるといふことは相濟まぬ次第である。
 茶人の間には、これほど疵が氣にされてゐるが、又疵を許されてゐる器物もある。疵が高臺にかゝつてゐなければよろしい――などいふことを聞くことがある。われら茶人でないものには這の間の消息は分らない。昔の茶人の中には、わざと花入の耳を落しなどして器を生かしたといふ話を聞くけれども、それは器量があつてのことで、われら完器を破壞して生かすすべをしらない。――だが、さういふ思ひ入れの多いことは別として、われらは名器を手に入るゝことが出來ない。金がないからである。一國一城の勳功に値するほどの金がないからだ。まことに口惜しいおもひがする――が、又考へやうに依つては、安らかな氣持で愛し得る名器は必らずしも金を出さないでも手に入るやうな氣もする。利休や遠州や不昧や大茶人宗匠達が評價し格づけてくれない品物でも、われらは名器を得たと同じ歡びで愛し得る器物が無いとも限らない。それには所謂忘れられたる名品を掘出さねばならぬが人の持つてゐる物を掘り出すといふことは一生のうち一度あるものか無いものか一寸怪しい。結局代償を拂ふとすれば先づ疵物に目を向ける方がいゝやうに思ふ。斯くいふ私は名器どころか瓦石に等しいものしか持たないが其の九割は疵物である、その疵であるといふことは殘念には思ふが別に淋しいとは思はない。疵物に對し平氣で而も心は富んでゐるつもりでゐる――
 道具屋の間で「殘念物」といふ。殘念だが疵があるとか、むけ[#「むけ」に傍点]やほつれ[#「ほつれ」に傍点]があるとかいふのである。むけ[#「むけ」に傍点]といふのは先刻御承知であらうが、古染付などで藥の剥げてゐるところなどあることを云ひ、ほつれ[#「ほつれ」に傍点]といふのは口邊など一寸ほつれてゐることを指す。又ニユウが入つてゐる。こんなのを殘念物だといふ。
 例へば秋月筆の寒山拾得の幅が對であるとして拾得しかなく「寒山いづこ」といふ殘念物があつたとする。對幅だから二幅揃つたならば千兩するのであるが「あゝ寒山いづこ」で一幅の方は行方不明で、拾得のみのをもつてゐるので殘念物――そこで三十圓か五十圓か、そんな評價はしらないが先づ燒物からいへば疵物の價で手に入る。さて此の片輪な幅を掛けてみてどうであらう。寒山があつたならば定めしいゝであらうと思はるゝけれど、寒山の行方何處――といふところにも亦興味があつて寒山がなくて却つて意味深長、拾得一人ゐても少しも物足らぬ氣持がしない、構圖、氣魄、すべて秋月といふ畫人の良さがあれば夫れでいゝのではあるまいか。われら貧人には寒山を家の外に逸してゐるところに却つて興趣がある、敢て負惜しみをいふのではない。疵陶亦然矣。
 いやに口幅ッたいことをいふやうであるが、私の持つ殘念物をいはふなら――
 黄瀬戸茶わん。極めて古い手のもので、見込にポンと菊の文樣の押花型がある。これに若し底部に疵がなかつたならば千金の價をもつであらうが、殘念物のためにカフエー一夕の資にも足らぬ代價で小庵の氣もちをあたゝかくしてくれる。胎土、ロクロ、くすり、堪らなくいゝ。底は上げ底になつて、窯道具のくッつきが焦げついて居り澁からず華やかならず、浮つかず重過ぎず、申分のない黄瀬戸茶※[※[#「※」は「上が「夕+ふしづくり」+下が「皿」」、第3水準1-88-72、読みは「わん」、59-7]である。一見するに殘念物の感更になし。たゞ「底拔け茶わん」として在來の茶人が厭ふのみである。
 古萩茶わん。萩燒も極めて古いところになると滅多に見當らない。若しあれば又富豪の力でないと手に入らない。高臺に疵があるばかりに小庵の什器に加はつてゐる。茶わんの形、強火に堪えたうねり、古さびた白、澁いしみ、古萩の良さを多量に具へてゐるが、さて高臺に疵あり、金十數圓にて手もなく藏什となる。茶をたゝえずとも、手に觸れ、目に見るだけでも千金に替へ難い値打がある。茶を酌んだとて漏るわけでなく、高臺の割れたのがいけないといふ。なんと有難い疵であるかよ。
 安南茶わん。正眞正銘の安南燒があつた――だが、疵があるために殘念ながら見たゞけで買つて來なかつたと或る道具商がいふ。代若干なりや。答へて曰く銘仙一ぴきの代のみ。それでは取寄せてもらひたいといつたのが大變な茶わん。若しニユウの大疵なかりせば何々庵茶會の會記に書きのぼせらるゝ名品であらうが――有難いことにはニユウがあつて私の什になつた。
 等々々、こんなことを書けば其の餘りに殘念物の多さに驚くと共に、是等殘念物の御蔭で身邊多祥であることを感謝したいのだ。
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   先づ得よ

 やきものを知るには何から始むればよいかと人に聞かれる。
 それは何からでもよい、徳利を集めてもよい、徳利は一時暴騰したことがあるが現在では極めて安い、一時の一割にも値しない。さればといつて徳利の價値が下つたわけではない。油皿でも石皿でもさうである。流行する時は物が少ないから需給の關係から高くなるけれども、人より先か、人より後からならば、安價に且つゆつくり樂める。
 徳利の形のおもしろさは説くまでもあるまい。燒物をみる上に必要な條件を殆んど供へてゐる。茶の湯に使はるゝ徳利は千金の値を唱ふけれども、茶の湯の寸法を外れた大ぷりな徳利になれば御小使錢で樂んで求めることが出來る。
 朝鮮の各種の徳利、北九州の徳利、――二川、上野《あがの》、黒牟田、百間窯等々。備前などもあるが丹波になると立杭からいろ/\な徳利が出てゐる、瀬戸附近は無論のこと、東北地方も隨分あつて、人の知らぬ仙臺の田舍まで出來てゐる。徳利の形も千差萬別、裝飾からみても繪高麗風のもの、刷毛目、筋入り、織部、赤繪等々枚擧に遑がないといふのは此のことで、徳利に憂き身をやつしても一生暮せることは請合だ。
 石皿、油皿、油壺、斯ういふものは隨分集められたが、この外普通の小皿類の如き向附の離れ物の如き、水滴、水注、片口、鉢類、日常雜器のものに手をつけてゆけば絶えず研究が出來、且つ安價で、樂しみは豐富である。
 そこで、大切なことを一つ加へる。
【半面の眞理】
 それは「得よ」といふことである。求めるといふこと、買ふのもよく、人のを讓つて貰ふのもよい。よく「買つてみないと本當なことは分らない[#「分らない」は底本では「分らないとい」と誤記]」といふ、これを賤しい言葉と卑しむ人があるが半面の眞理はあるのだ。自分のもつてゐる金なり品物を手放して、其の物を手に入れてみるといふことが必要だ。必要だといふより燒物がわかるのに近道である。所謂痛い思ひをして身錢を切つて買つてみると、それが良かつたにしろ惡い物であつたにしろ、燒物がわかるといふ上には非常の影響がある。藝術といふものは、そんなものではないと笑ふ人があるかしれないが、他人の者を見て歩くだけの人と、自分の物にしやうといふ――慾心と考へちやいけない、自分の物にしやうといふ愛着心は、どれほど器物を理解する上に知見を早めるかしれない。
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   價

 斯う話してまゐりますと結局値といふことになる。この價といふこと、掘出しといふこと、イカモノを掴んだといふこと、よく人の口にのぼる話題であるが、さう詳しく説く必要はあるまい。
 掘出しといふことをよくいふ。幸ひに時價千圓もするものを拾圓で買つたとなれば掘出しであらう、しかし掘出さう/\といふ慾念は、やゝともすれば人の目を曇らせる。私は曾て掘出したことがない、私の目やかん[#「かん」に傍点]が惡いのにちがひない。しかし運よく良い器物を授かつたと思つたことはある。「運」といふことに遁げる運命論者ではないが、良い品を得る運を惠まれた――また、良い品を適當の値で得ることが出來た――又、ほしい品を幸ひに安く手に入るゝ機會を得た、といふ程度の「運」がある、と考へたらどうであらうか。
 いくら焦つても、いくら金を積んでも品物が手に入らぬ場合がある。それは、あの水指に何の茶わんでなければ釣合はぬ、是非何の茶わんをほしいといふ焦り方である。さう焦つても縁のない時には見ることも嗅ぐことも出來ない。
 趣味の視野をいろ/\もつてゐれば、いつか良い品に巡り合ふ運が與へられるかもしれない。さういふ名器よりも常に樂しむことの出來るものを得られやう。趣味好尚の視野の廣い人は、聊かの代償で、いろ/\の「物」を樂しむことが出來る。その樂しみも深いものである。富貴人が千金の樂しみをしてゐるのと同じやうに、われらも亦一枚の銀貨を以て千金の樂しみと同樣の樂しみを享受することが出來るのではあるまいか。否われらの銀貨や少額の紙幣は身を殺ぐ思ひをして投ずるのであつて無雜作に小切手にサインして拂ふ人達と代を拂ふといふ氣持がちがつてゐる。それだけ、眞劒であるだけ、樂しみも亦深く永いと思ふ。
 要は視野の限界である。而も視野の焦點にかゞやく心眼こそは常に磨きをかけておかねばならぬ。器物の表面ばかりでなく、器物の包含するところの内容を見ぬくには心眼も亦内容をもつてゐなければならぬ。こちらが空しき目であつては對象の内容までを見透すことは出來ない。然らば、その心眼に内容を盛るには、どうすればよいか、それは自づから人に依つて夫々の考へ方があるであらう。また前に述べた點に就て考へらるゝ方もあるであらう。私も亦心眼常に曇つて朗かでない。大いに力めねばならぬと期してゐる。
 良き物を見る事、良き事を知ること。さうして、個々の心眼の認識の程度如何が最後の決定をするのではあるまいか。
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   樂しみを謠ふ

     鴛鴦の水滴

瀬戸の山から ノウヱ
をしどり一羽飛んで來た
片羽黄いろに染めてきた
はつきり、しやつきり、羽づくろひ
型は押型、あらいとし
水を含んで飛んできた

瀬戸のをしどり ノウヱ
嘴が可愛や水滴の
水のこぼるゝさはやかさ
土は灰色黄ぐすりの……
昔、昔、大むかし
鴛鴦《おし》が生れた頃はいな

瀬戸のをしどり ノウヱ
藤四郎どんの顏わいな
酒をのうだか、餅ずきか
藤四郎々々々いふけれど
影も姿も見えわかず
お前の嘴動かずに
水をとく/\吐くばかり

瀬戸のをしどり ノウヱ
來た/\來た/\飛んで來た
思ひ羽つがへて又一羽
今ぢや揃ふて二羽となり
机の上の朝夕に
いとし、なつかし、つがひ鳥
かたみ代りに嘴《くちばし》の
硯にこぼす愛の水
墨のかほりもかぐはしや

鴛鴦の腹みりや ノウヱ
轆轤の痕が渦を卷く
糸切冴えて卷き渦の
古き夢追ふくる/\と
愛の泉の渦まいて――
いとし、なつかし、鴛鴦《おし》二つ
硯の海の片ほとり
日南《ひなた》ぼつこで居るわいな
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   窓繪の土瓶

 ※[#「※」は「「栃」でつくりの中の「万」のかわりに「朽」のつくりをあてる」、75-2]木縣の益子へ四五度いつた。その時窓繪を描くお婆さんと知合ひになつたところが御馴染になつて、私がいたづら描きをしてゐると傍に來て見るやうになつた。
「お婆さん、梅の繪を描いてお見せよ」
 さうたのむと「まづいけど――」と云ひながら書く。
 お婆さんはカーブのある器物に描かせると上手だが紙に描かせると調子を失ふ。
 五十年も六十年も土にばかり飽きずに描いてゐたゝめ、紙のやうな平面なものには描きづらいと見える。
「頬冠り梅を描かうかなあ」と云ひながら「そうれ頬冠り、これで梅だよ。梅の木の下へ蘭よ、これ蘭の花よ」と描く。
 梅の半開したのが人間が頬冠りしたやうに見えるのだ。昔の文人趣味かどうかしらないが昔の人は澁かつた――
 梅の木の根に蘭の花を描く圖案を庶民用の土瓶にくツつけた――
 窓繪といふ。何だ――
 佐久間藤太郎君の話「窓繪土瓶は益子の名物だつたが、今ぢや出來ません。先日註文があつたから少し造りましたがね。むづかしいのですよ、窓繪は――土瓶の胴へ白土を丸くつけてそこへ山水、花鳥繪が現はれるのですが、そのまン圓いのがむづかしい。何故ツて、土瓶を造るでせう、さうして白土のどろ/\した中へ浸す、そうれ――丸い胴を白い汁へ浸すから、汁に浸つた周圍は丸くなるわけですな。それが窓なんですよ。だからロクロの挽き方が下手で、土瓶が正しい形をしてゐないと窓がいびつになつたり楕圓になつてしまひますからね。だから、むづかしいのですよ。土瓶のやうな安物を正しくこしらへて、いゝ窓繪をのこした昔の人の腕はゑらいですね。」
 窓繪、窓繪――
 十錢か二十錢の土瓶にも名器を造る腕の冴えを必要とする。土紙[#「土紙」は「土瓶」の誤記か]にも見どころがある、味ひは無限だ、正しい土瓶の形、あの胴のふくらみ、双の耳がしつかりしてゐるか、口がよくついてゐるか、口の形がいゝか、口から湯が漏るやうなことはないか、土瓶の葢《ふた》の形、つまみの形――さうして、大いにさうして、耳に蔓《つる》をつけて、完成した土瓶の形は安定してゐるか。
 日に干されて、火に燒かれて而して此の安全[#「安全」は「完全」の誤記か]をのぞまるゝ土瓶である。
 金――錢を謂ふ勿れ。
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 燒物一夕話

   區別

 科學的の分け方もありますが、私どもは簡單に土燒、燒しめ、石燒位の言葉で現はしてゐる。燒しめには※[#「※」は「火へん+石」、第4水準2-79-64、78-4]器などいふ字を使ふ物しりもある。
 簡單にいへば、土燒は攝氏千度以下で燒いたもので吸水性をもつてゐるもの、カワラケ、カワラ等の如き考古學の所謂土器。陶器は千度以上千二三百度で燒いた釉藥のあるもの、吸水性があるが窯との關係の變化がおもしろいもの、日本の御國燒には陶器が多い、支那の磁州窯(繪高麗)や朝鮮の刷毛目、三島手等も此の内へ入れられるであらう。燒しめは陶器よりやゝ高熱度の不吸水性のもの――といつても胎土が粗で水がしみ出ることはある、備前、常滑、所謂南蠻系統のもの。磁器は透明度があり釉藥があつて水を吸はない、九谷、伊萬里、支那の染付、青磁等種類は多い。まあ、こんな程度の區別で大體は片づくと思ふ。

   支那

     〔唐三彩〕

 釉藥の正體は支那唐代ではつきりつかんで裝飾を施した、所謂唐三彩がさうである。壺にしても龍頭壺など稱するものにはいろ/\の裝飾がしてある、型で押した文樣を貼付けた上から釉をかけたものもある、青、飴、白、コバルト、いろ/\の釉がいろ/\の手法に依つて裝飾されてゐる。日本の正倉院にある染織物の文樣や手法と似通ふてゐるなど彼我文化の通交も考へられておもしろい。また明器が盛んにつくられてゐる、明器といふのは貴人の墓に葬つた所謂副葬品であつて、人物もいろ/\あり、動物その他の彫刻としての姿態、感じが實によく纏まつてゐる。正倉院の樹下美人屏風と同じやうな美人像を多く見ることが出來る。
 正倉院の話が出たから序にいつておくが、正倉院に唐三彩風の鉢類の燒物が多數ある。これは支那唐代に渡來したものとされてゐたが中尾萬三博士は日本製なりと斷定され、その多くの考證的材料を綜合斷定されてゐる。奈良の大佛を鑄造するほどの天平人が軟陶の三彩を燒くことが出來なかつたなどといふことはないと、博士は各種の實證を擧げられてゐる。
 唐三彩の日本へ來た數は夥しい。皆墓墳から發掘されたものである、贋物がないとも限らないから心して信用ある店と取引するがいゝ。

     〔青磁〕

 支那宋代は陶磁の黄金時代である。又名品を盛んに生んで心にくいほど我等の心を摶つ。技巧ばかりでなく内容的にも亦やきものゝ見えざる量といふものをもつてゐる。
 誰しも先づ青磁をいふ。私の好みからいへば青磁以外の宋代の物を好むが、いゝ青磁になると堪らない。その代り迚も我等の手に入り兼る代價である。
 支那人は青磁の色を好んだ、當時の日本人も影響を受けて好んだ。青磁は鐵料の還元焔達成である、胎土に鐵分があり且つ厚手である、厚手の青磁にいゝものがあるのは當時の燒成の條件が厚手でないと失敗したからで、へたにまごつくと怪しげなものをつかませられる。即ち青磁の胎土に注意しないと假面を被つた胎土があつて、日本で出來、支那から逆輸入するものなしと限らない。
 日本でいふ分類の名稱に依れば砧手といふのが貴ばれる。淡青い釉で胎土は極めて堅い、土といふより石といふ感じである。宋代から元、明の頃燒かれた南方支那のもので、多く宋代のものとされてゐる。極めていゝ手である。形、文樣、いろ/\むづかしい見方がある。
 天龍寺手といふのは砧手より幾らか黄色味を帶びた緑色で、明代のものではあるまいか、といはれてゐる。七官青磁といふのは天龍寺手よりもキメが荒いやうな感じのするもので、透明度はあるが青味が少し玄《くろ》味がかつてゐる、釉面に氷裂がある。
 青磁のうちでは何といつても砧手であるが、その砧手も香爐にしろ花入にしろ形などやかましい條件があるが茲に省く。
 元代の均窯、紫がゝつた釉の上に火色が出てゐるのが高價にもてはやされてゐる。これは宋代からあるやうだが元均窯といふ名で知れてゐる。これも美くしいもので寶玉のやうな感じがする。

     〔繪高麗〕

 日本でいふ繪高麗、實は支那磁州窯の白釉に鐵砂で文樣を描いたもの、それを稱してゐる。宋代に出來た繪高麗は形もいゝし文樣も濶達で、第一白釉の其の白――乳白といふ字を使つていゝのか、こつくり[#「こつくり」に傍点]した白で實にいゝ。その白を生地として現はれた文樣が黒や茶で、その黒も極めて氣品のある黒色である。文樣の暢達自由なこと、古今その比を見ずといつても過言でないと思ふ。
 青磁の時、言ひ忘れたが宋代の高臺は、特にいゝ形をしてゐる。この影響は日本の瀬戸系の古いところに見ることが出來るが、宋代の高臺だけみてゐても一種の亢奮を覺える。
 こゝには繪高麗に就ていつたが宋代には各種各樣の陶を燒いてゐる。白、黒、柿、緑。釉の外赤繪までやつてゐる。宋赤繪の高雅なことは人の知るところ、乳白釉の上に赤や緑で牡丹文などを描いてゐるのを見かけるが、滋味津々たるもの、但しキヅものでも買はないと非常に高價なものである。たゞ繪高麗風の磁州系統のものは、近頃出土品が多くなつたので、割合に安價に求むることが出來る。

     〔染付と赤繪〕

 日本の染付を支那で青華(青花)といつてゐる。日本ではいろ/\に名をつけてゐるが、古渡、中渡、新渡といふのは支那から渡つてきた年代で凡そ區別しての謂ひであらう。
 支那明代に於て染付、赤繪が最も發達し又いゝ作品を遺してゐる。ゴス(呉須、呉洲、の字を用ふ、藍繪のこと)の發色が明代のものは堪らなく味がいゝ。美人の玉の肌に刺青をしたやうに、藍が滲み込んでゐる。藍の色に氣品がある。支那の景徳鎭は昔から日本に喧傳された支那陶磁の本山であるがこの景徳鎭で政府が管理して燒いた時代、即ち官窯であつた。この景徳鎭に關する文献が支那の燒物を研究する基礎となる。機をみて「陶器全集」に、其の解説を加へたいと思つてゐる。
 古染付と日本で呼ばるゝものは、明代のもの、乃至は明清に亙る間のものを指してゐるやうである。虫くひ、とか、ほつれとか古染付の口邊の疵を氣にする人があるが、私など、古染付にさういふ疵がないと淋しい感じがする位好きで、一種の景色、味、を感じてゐる。ゴスの繪は明代の繪畫をみるやうである。明時代の繪畫を買つたら大變な値であるが、我等やきもの黨は明代の染付を割合に安く手に入れ、皿立に飾つて樂しむことが出來るのは至幸といつていゝ。古染付のよさに就ては拙著「陶心俳味」にも少し書いておいた。
 支那の清朝に入つてから染付もいろ/\の變化を見せ、徒らに精巧を競ふ觀あるまで脱線したが、清初のものにはなか/\いゝものがある。
 赤繪。いろ/\あり、色料も、赤、青、黄、白、黒、紫、金、等々、なか/\多い。日本の古九谷古伊萬里系統のものは、支那明代、清代の所謂赤繪を模倣し、日本化したものと思へばよい。赤繪物も案外日本に遺品が多い、案外といふより所謂呉須赤繪鉢の如き、支那になくして日本にのみ存在するといつてよい。大きな兜鉢、小さな鉢いろ/\ある。われらは、古く日本に渡つた支那のいゝ赤繪を、案外安價なる値段で樂しむことが出來る。

   朝鮮

     〔青磁〕

 支那から技法が、又は陶人が渡來してきて、高麗時代に始まつたものであらう。昔は所謂新羅燒なる無釉の瓦器があつたが、一躍して高麗青磁の尤品を出し、世界的にいゝものを造つた。李朝初期にかけて、雲鶴、三島の如き象嵌手、刷毛目、繪高麗、その他堅い手のいゝ燒物をうんと製してゐる。高麗朝の青磁は支那に倣つて支那を脱け切つたよさを、形にも色にも文樣にもみせてゐる。
 日本に傳世品としていゝものが澤山遺存してゐる。又發掘品も多數出て世界の市場を騷がせてゐる。何といつても雲鶴手、三島手の如き象嵌して裝飾したやり方は朝鮮の誇つていゝ技術である。日本の茶人の間には三島手を呼ぶにしても、禮賓とか花三島とか、いろ/\味のある名をつけてゐる。刷毛目は大邱に近い鷄龍山から窯跡が發掘されたゝめ、戸籍がわかつてきた。傳世品は兎に角、發掘品は一時百金を唱へたが近頃は割合に手輕く手に入れられる。

     〔李朝物〕

 所謂李朝物は大正中期以後今日まで異常な流行をみた。文樣にしても染付、繪高麗式の鐵砂文、辰砂。釉にしても白、黒、飴、海鼠、いろ/\の發色をしてゐる。
 第一形態からして李朝風をなし、ロクロの削りにも口つくりにも特色を示してゐる。多く實用品であつて裝飾品は少ない。酒壺、油入、漬物入等より筆筒、水滴の文房具から各種各樣のものをこしらへてゐる。比較的安價で手に入れ樂しむことが出來る。但し同じ李朝でも日本の明治になつて燒いてゐるのもあるが、古いほどよく、殊に李朝が興つた頃の作品には時代が反映してゐて、堂々たる力がはいつてゐる。

   日本

 日本の燒物を、支那、朝鮮の如く大ざつぱに語ることは控えたい。それは讀者諸氏が余りに身邊に親炙してゐられるからである。たゞ支那、朝鮮の影響を受けて發達したものであり、それが日本化されて、そこに生命を見付け出されたところのものであることを知ればよい。
 青磁にしても、九州の鍋島だとか、攝津の三田だとか、なか/\うまく支那の技法をとり入れてゐるが、斯ういふことは「陶器全集」の中へ入れたいと思つてゐる。白磁に就ては語らなかつたが、支那、朝鮮の白磁は隨分日本人に喜ばれ、また日本の物とされて造られてきた。
 茶人に愛さるゝ井戸、熊川《こもがい》、三島、そば、伊羅保、刷毛目、各種の茶碗など高麗から李朝初期に亙る朝鮮の所産であるが、日本も亦豐公の「やきもの戰爭」以來、九州その他で、これら朝鮮所産の物の模倣をやり軈て日本人の物としてしまつてゐる。だから染付、赤繪、等々にしても日本の物は支那傳と朝鮮傳とに岐れ、それを日本化したところに面白味があるのであつて、これらのことを成るべく正しく明かにしようといふのが、私の「陶器全集」の目的の一部でもあるわけだ。
 日本物はこゝでは許していたゞく。

 以上、朝鮮、支那に就て述べたのは、日本物に影響が多いため、ほんの一口話をしたに過ぎない。本來ならばペルシヤ陶に就て大いに説かなければならぬ、ペルシヤ陶は洋の東西を結んだ大切な役目をして居り、日本人の胸を最も搏つ或物をもつてゐる。また埃及、希臘、その他伊、佛、蘭、獨、その他各國の陶磁を説くのが當然であるが、私は其の任でない。



底本:「増補やきもの読本」宝雲舍
   1932(昭和7)年7月20日初版発行
   1941(昭和16)年2月25日増補改版第廿五版発行
※「況」と「况」、「秘」と「祕」、「廻」と「※[#「※」は「えんにょう+囘」、第四水準2-12-11、]」、「準」と「凖」、「ツ」と「ッ」の混在は底本のままとした。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小野岳史
校正:小林繁雄
2001年6月11日公開
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