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本州横断 癇癪徒歩旅行
押川春浪

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不思議の血=懦弱と欲張=髯将軍の一喝=技手の惨死=狡猾船頭=盆踊り見物=弱い剛力=登山競走=天狗の面=天幕の火事=廃殿の一夜=山頂の地震=剛力の逃亡=焼酎の祟=一里の徒競走=とんだ宿屋
[#ここで字下げ終わり]

 (一)昼寝罵倒

 この奮励努力すべき世の中で、ゴロゴロ昼寝などする馬鹿があるかッ! 暑い暑いと凹垂れるごときは意気地無しの骨頂じゃ。夏が暑くなければそれこそ大変! 米も出来ず、果実も実らず、万事尽く生色を失う事となる。夏の暑いのがそれほど嫌な奴は、勝手に海中へでも飛込んで死ぬがよい。今や狭い地球上――ことにこの狭い日本では、碌でもない人間が殖え過ぎて甚だ困っている。怠惰者や意気地無しがドシドシ死んでしまえば、穀潰しの減るだけでも国家の為に幸福かも知れぬ。
 吾党は大いに夏を愛する。暑ければ暑い程鋭気に満ちて来る。やれやれ、何か面白い事をやってくれようと、そこで企てたのが本州横断徒歩旅行! もちろん亜弗利加内地旅行だの、両極探検だのに比すれば、まるで猫の額を蚤がマゴついているようなものであるが、それでも、口をアングリ開けて昼寝をしているよりは、千倍も万倍も愉快に相違ない。
 出発は八月十日、同行は差当り五人、蛮カラ画伯小杉未醒子、髯の早大応援将軍吉岡信敬子、日曜画報写真技師木川専介子、本紙記者井沢衣水子、それに病気揚句の吾輩である。吾輩は腹式呼吸と実験から得た心身強健法とで、漸く病気の全快したばかりのところへ、要務が山積しているので、実は徒歩発足地の水戸まで一行を見送り、そこで御免を蒙る積りであったが、さて水戸まで行ってみると、オイソレと逃げる訳にも参らず、とうとう牛に曳かれて八溝山の天険を踰え、九尾の狐の化けた那須野ヶ原まで、テクテクお伴をする事に相成った。

 (二)奇異の血汐

 徒歩出発地は前にいう太平洋沿岸方面の常州水戸で、到着地は日本海沿岸の越後国直江津の予定。足跡は常陸、磐城、上野、下野、信濃、越後の六ヵ国に亘り、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見聞し、変った旅行をしてみようというのである。
 ところが東都出発の数日以前から、殆んど毎日のように暴風大雨で、各地水害の飛報は頻々として来る。ことに出発の前夜は、烈風甍を飛ばし、豪雨石を転ばし、勢で、東都下町方面も多く水に浸され、この模様では今回の旅行も至極困難であろうと想像しているところへ、ここに今考えても理由の分からぬ事があった。というのは他でもない、その夜の事である。本誌お馴染の断水坊、暴風雨を冒して遊びに来り、夜遅くまで、二人で将棋をパチクリパチクリやっておったが、時刻は夜半の零時か零時半頃であったろう、吾輩はなんでも香車か桂馬をばパチリッと盤面に打下そうと手を伸ばした途端である。不意に何か吾輩の食指の中央にポタリと落ちた冷たいものがある。
「オヤ、雨が漏ったのか」と、熟視すると、雨ではない。豆粒程の大さの生々しい血汐である。
「ヤッ、変だぞ、変だぞ」と、断水坊も将棋指す手を止め、この血は鼻から出たものであろうと、二人は顔面はいうに及ばず、全身残りなく検べてみたが、どこからも血の出た気勢が微塵程もない。また鼻から出たにしたところで、鼻先から一尺四、五寸も前へ突出した食指の上へ、豆粒程の大さだけポタリと落ちる道理はないのだ。
「それでは天井から落ちたに相違ない」
「そうだそうだ、天井で鼠が喧嘩して、その負傷した血汐の滴り落ちたのだろう」と、断水坊は御苦労にも卓子を担ぎ出してその上へ登り、吾輩は、懐中電灯を輝かして、蚤取眼で天井を隈なく詮索したが、血汐は愚か、水の滴り落ちた形跡すらどこにもない。どうも分からん分からん、不思議な事もあれば有るものだと、二人は暫時顔を見合すばかり。鮮血は二人の身体から出たものでなく、また天井から落ちたものでないとすれば、空中から飛んで来たものとほか思う事は出来ない。誰か友人中に死んだ者でもあって、その暗示が来たのではあるまいか。イヤそんな事もあるまいが、横断旅行の首途にこの理由の分らぬ血汐は不吉千万、軍陣の血祭という事はあるが、これは余り有難くない、それにこの大風! この大雨! 万一の事があってはならぬから、明日の出発は四、五日延期してはどうかと、断水坊平生の洒ツクにも似ず真面目臭って忠告を始めたが、吾輩はナアニというので、その夜はグッスリと寝込み、翌朝目醒めたのは七時前後、風は止んだが、雨は相変わらずジャアジャア降っている。

 (三)洪水の悲惨

 上野発水戸行の汽車は午前十時と聴いたので、さっそく朝飯を掻込み、雨を冒して停車場へ駆け着けてみると、一行連中まだ誰も見えず、読売新聞の小泉君、雄弁会の大沢君など、肝腎の出発隊より先に見送りに来ている。その内に未醒画伯の巨大なる躯幹がノッソリ現われると、間もなく吉岡将軍の髯面がヌッと出て来る。衣水子、木川子など、いずれも勇気勃々、雨が降ろうが火が降ろうが、そんな事には委細頓着ない。
 やがて午前十時になったので、切符を購めて出札口に差し掛かると、
「ドッコイ、お待ちなさい。これは水戸行の汽車ではありません。水戸行は午前十一時五十五分です」と来た。
「オヤオヤ、オヤオヤ。誰だ誰だ、水戸行を、午前十時だと言ったのは――」と、一同開いた口をヒン曲げて詮議に及んだが、誰も責任者は出て来ない。元来呑気な連中の事とて、発車時間表もよくは調べず、誰言うとなく十時に極めておったのだ、とにかく約二時間待たねばならぬ。ボンヤリしているのも智恵がないから、不忍の池の溢れた水中をジャブジャブ漕いで、納涼博覧会などを見物し、折から号外号外の声消魂しく、今にも東都全市街水中に葬られるかのように人を嚇す号外を見ながら、午前十一時五十五分、今度は首尾よく上野出発。この時から常陸山中の大子駅に至るまでの間の事は、既に日曜画報にも簡単に書いたので、日曜画報を見た諸君には、多少重複する点のある事は、御勘弁を願いたい。
 汽車の旅行は平々凡々、未醒子ははや居眠りを始める。
「コラコラ、今から居眠りをするようでは駄目じゃッ」と、髯将軍の銅鑼声はまず車中の荒肝を拉ぐ。
 汽車、利根川の鉄橋に差し掛かれば、雨はますます激しく、ただ見る、河水は氾濫して両岸湖水のごとく、濁流滔々田畑を荒し回り、今にも押流されそうな人家も数軒見える。遭難者の身にとっては堪ったものではない。禿頭に捩じ鉢巻で、血眼になって家財道具を運ぶ老爺もあれば、尻も臍もあらわに着物を掀り上げ、濁流中で狂気のように立騒いでいる女も見える。融通の利かぬ巡査でも見付けたら、こんな場合でも用捨なく風俗壊乱の罪に問うかも知れぬが、今は尻や臍の問題ではない、生命の問題である。近来、殆んど連年かかる悲惨なる目に遭い、その上苛税の誅求を受けるこの辺の住民は禍いなるかな。天公桂内閣の暴政を怒るか、天災地変は年一年甚しくなる。国家のため実に寒心に堪えぬ次第ではないか。
 しかるに、走り行く此方の車内では、税務署か小林区署の小役人らしき気障男、洪水に悩める女の有様などを面白そうに打眺めつつ、隣席の連れと覚ぼしき薄髭の痩男に向い、
「どうです、一句出ましたぜ、洪水に女の股の白きかな――ハッ、ハッ、いかがでげす」などと、嘔吐のごとき醜句を吐き出せば、側の痩男は小首を捻って、
「なるほどな、秀逸でげす」などと相槌を打つ。同胞の難儀を難儀とも思わぬ困った奴らである。こんな冷酷な役人根性もまた桂内閣お得意の産物なるか、咄!

 (四)変な駄洒落

 憤慨ばかりが能ではあるまいから、一つ汽車中の駄洒落を御愛嬌に記そう。
 元来、今回の横断旅行は、出発地を太平洋波打際の大洗にしようか、大洗水戸間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしようかという事は未定問題であったので、吾輩は大洗説を主張し、
「今夜は大洗に一泊して、沖合の夜釣をやってみようではないか」と、提議すれば、未醒子羅漢面の眉を揚げて、
「途方もない。この風雨に夜釣なんか出来るものか。魚は釣れず、濡鼠になって、大洗(大笑い)になるまでさ」と洒落のめす。吾輩も負けてはおらず、
「そんな洒落は未醒(未製)品じゃ」
「ドッコイ、来たな、駄洒落は止しに春浪」
 側から吉岡信敬将軍、髯面を突出して、
「とにかく夜釣は危い危い。横断旅行が海底旅行になっては大変じゃ」
「ナアニ、危いもんか。そう信敬(神経)を起すな」
「アハハハ、アハハハ」と、一同は笑い崩れる。
 その内に汽車は水戸に到着、停車場前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する。芝原広く、梅樹雅趣を帯びて、春はさこそと思われる。時刻は既に遅かったので、有名な好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜忽然として薨去された処で、その薨去が余り急激であったため、一時は井伊掃部頭の刺客の業だと噂されたという事だ。

 (五)懦弱千万

 大洗までの無駄足は止しにして、水戸から発足と決定した。というのは、翌日は行程十五里、山間の大子駅まで辿り着いておかねば、その次の日、予定のごとく八溝山の絶頂へ達する事は極めて困難であるからだ。その夜は座相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝栗毛に鞭打って、我が一行に馳せ加わった三勇士がある。水戸の有志家杉田恭介君、川又英君、及び水戸中学出身の津川五郎君で、孰れも健脚御自慢、旅行は三度の飯より好きだという愉快な連中だ。ところで困ったのは吾輩である。吾輩は元来ここまで一行を見送り、明日は失敬して帰京する予定なので、旅装も何もして来なかったが、新手の武者さえ馳せ加わっては、見苦しく尻に帆掛けて逃出す訳にも行かない。且は吾輩の膝栗毛も頻りに跳ね出したい様子なので、ままよ後の要務は徹夜しても片付けろと、八溝山をこえて那須野ヶ原まで、一行の尻馬に跟いてお伴をする事に相成った。
 翌日午前七時、昨日までの雨に引替えてギラギラ光る太陽に射られながら水戸出発、右に久慈川の濁流を眺めつつ進む。数里の間格別変った事もなく、ただ汗のだらだら流れるばかり。だんだん田舎深く入込めば、この道中一行の呆れ返らざるを得なかったのは、この地方住民の懶惰極まる事である。孟子の所謂恒産無き者は恒心無しとでも謂うものか、多少でも財産や田畑のある者は左程でもないようだが、その他の奴等に至っては、どれもこれも、汗水流して少しばかりの金を儲けるよりは、ゴロゴロ寝ていた方が楽だといわぬばかり。どこの家を覗いてみても、一人か二人昼寝をしておらぬ家は殆んど一軒もない。男は越中褌一本、女は腰巻一枚、大の字也になり、鼻から青提灯をぶら下げて、惰眠を貪っている醜体は見られたものではない。試みに寝惚け眼を摩って起上った彼等のある者を掴え、
「暑いのは誰でも暑いのだ。ゴロゴロ昼寝ばかりしていずに、ドシドシ草鞋でも筵でも作って売ったらどうだ。寝ている暇に少しでも金儲けが出来るではないか」といえば、彼等は面倒臭いといわぬばかりに、
「この暑いに――、沢山の儲がねえだ」と、鼻の先で笑っている。彼等の顔は全く無気力と自暴自棄との色に曇っているのだ。そのくせ、欲はなかなか深い。一寸した物を買っても、すぐに暴利を貪ろうとする。実に懦弱で欲張り根性の突張った奴等ほど済度し難い者はないのだ。

 (六)髯将軍の一喝

 一寸した実例を示せば、我等が船負という村に差し掛かった時だ。一行は朝から重い天幕だの、写真器械だの、食糧品だの、雑嚢だのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身体も多少疲れたので、このさきの大子駅まで四、五里の間、二人ばかり荷物を担ぐ人夫を雇いたいものだ、と村中駆け回って談判に及んだが、誰も進んで行こうとする者はない。
「賃銭はいくらでも出す」と嗾かせば、
「それではいくら出す」とはや欲張る。
「一人前一円ずつ遣ろう」というと、
「一円ばかしでは――、この暑いに――」と仲間相顧みて、
「去年来た洋人さんは、五両ずつくれったっけなァ」などと吐かす。
「四、五里の道に五円もくれる馬鹿は日本人には無い。それでは一円五十銭ずつ遣ろう」といっても、彼等はいつまでも煮え切らずブツブツいっているので、髯将軍の癇癪玉が忽ち破裂して大喝一声、
「黙れッ! 馬鹿野郎、もう頼まない。ウエー、ウエー、ウエー」と、将軍独特の豚声一喝を食わせ、一行は再び重い荷物を分担してテクテクテクテク。
 吾輩は敢て重い荷物を担がせられたから憤慨するのではないが、一国の生命は地方人士の朴直勤勉なる精神にありとさえいわれているのに、その地方人士の一部がかくも懦弱にして狡猾なる気風に向いつつあるのは、実に痛嘆すべき次第である。かかる傾向は決してこの地方に限った事ではなく、今や全国に漲らんとする悪潮流ではあるまいか。彼等朴直勤勉なるべき地方人士をして、かくも懦弱に、かくも不真面目ならしめたのは、偽文明の悪風漸く日本の奥までも吹き込んで、時々この辺に来る高慢な洋人輩や、軽薄な都人士等の悪感化を受けた故もあろう。苛税誅求の結果、少しばかりの金を儲けたとて仕方なしと、自暴自棄に陥った故もあろうが、要するに大体の政治その宜しきを得ず、中央政府及び地方行政官は、徒らに軽佻浮華なる物質的文明の完成にのみ焦り、国家の生命の何者であるかを忘れ、一も偉大なる精神的感化力をば、彼等に与うるの道を知らざる為である事は疑いを容れない。国家の最も憂うる処は、貧乏でもない、外敵でもない、宏大な官庁が無い事でもない、狭軌鉄道が広軌鉄道にならぬ事でもない、実に国人意気の沈滞と民心の腐敗とである。民心の腐敗その極に至れば、国家は遂に見苦しく自滅する他はないのだ。今日我国は貧乏にして生産力に乏しいというが、富力を増し生産力を高める余裕はまだまだ沢山ある。ブラブラ遊んで暮らすのを誇りとしている一部上流社会の奴原を初めとし、ろくろく食う物も食えぬくせに、汗を流して努力する事を好まぬ下等人士に至るまで、惰眠を貪りつつ穀潰しをやっておる者共は、今日少くとも日本国民三分の一位はあるであろう。願くは何か峻烈なる刺激を与え、鞭撻激励して彼等を努力せしめたならば、日本の生産力もまた必ず多大の増加を見る事は疑いを容れまい。こんな事は民力の発展などは眼中にない愚劣政治家共に話したとて分るまいが、真に国家の前途を憂うる人士は、大いに沈思熟考せねばならぬ問題であろうと思う。実に今日は、レオニダスのごとき大政治家出づるか、日蓮のごとき大宗教家現われ、鉄腕を揮い、獅子吼を放って、国民の惰眠を覚醒せねばならぬ時代であろう。区々たる藩閥の巣窟に閉籠り、自家の功名栄達にのみ汲々たる桂内閣ごときでは、到底、永遠に日本の活力を増進せしめる事は出来ない。

 (七)狡猾船頭

 思わず理屈を捏ねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引摺り引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大雨のため諸所山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌石がガンと一つ頭へ衝ろうものなら、忽ち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微塵となって成仏する事受合だ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久慈川のとある渡船場付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石の夥しく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟然たる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰され、その片腕とか片脚とかは、かの巨巌の下に今なお取出す事が出来ず残っているという事だ。これには流石の髯将軍も首を縮めて、お得意の奇声を放つこと飢えたる豚のごとし。
 この渡船場で滑稽な事があった。河水はさまで氾濫していなかったが、渡船に乗って向うの岸に着き、
「船頭、いくら遣ろう」と訊けば、
「一人前四銭ずつだ」と、黒鬼のような船頭は澄ました顔をしている。
「そうか、高い渡船銭だな」といいながら、八人前三十二銭渡して岸に上ると、岸上の立札には明かに一人前一銭ずつと書いてある。
「此奴、狡猾い奴だ」と、兵站係の衣水子、眼玉を剥き出し、
「八人前八銭ではないか、余分を返せ」と談判に及べば、船頭は一旦握った金を容易に放して堪るものかと、
「この大水だで――」と頑強に抵抗したが、「馬鹿をいうな。二尺や三尺増水したとて、四倍も増銭を取る奴があるものか。癖になるから返せ返せ」と、無理無理に二十銭だけ取返せば、船頭は口惜しそうに、
「ケチなお客だなァ」と、一行を見送りつついつまでも口を尖らしている。こっちがケチなのではない。山男のくせに欲張るからとんだ罵倒を受けたのだ。

 (八)盆踊り見物

 それより山道を或いは登り、或いは降り、山間の大子駅の一里半ほど手前まで来かかると、日はタップリと暮れて、十七夜の月が山巓に顔を出した。描けるごとき白雲は山腹を掠[#底本ではルビが「さす」の誤り]めて飛び、眼下の久慈川には金竜銀波跳って、その絶景はいわん方もなく、駄句の一つも唸りたいところであるが、一行は疲れ切っているのでグウの音も出ず、時々思い出したように、オイチニ、オイチニなどと付景気をして進んで行くと、この山中諸所の孤村では、今宵の月景色を背景に、三々五々男女相集って盛んに盆踊りをやっているが、我が一行の扮装は猿股一つの裸体もあれば白洋服もあり、月の光に遠望すれば巡査の一行かとも見えるので、彼等は皆周章てて盆踊りを止め、奇妙頂来な顔付をして百鬼夜行的の我等を見送っている。ある農家の前に差し掛かった時など、ここでも確かに我が一行に驚いて盆踊りを止めたものと見え、七、八人の男女はキョトンとした面付をして立っておったが、我等の変テコな扮装を見て、
「なんだ、査公でねえだ」と、一人の若者、獅子鼻を動しつつ忌々し気にいうと、中に交った頬被りの三十前後の女房、黄い歯を現わしてゲラゲラと笑い、
「白い物が何でも査公なら、俺が頭の手拭も査公だんべえ」と、警句一番、これにはヘトヘトの一行も失笑さずにはおられなかった。
 元来盆踊りは先祖代々各村落に伝わり、汗を流して働く農民随一の娯楽で、その唄とても、「ままになるならこの丸髷を、元の島田にしてみたい」位なもので、東京の真中、新橋や赤坂等の魔窟で、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば、決して卑猥なるものという事は出来ない。彼の舶来の舞踏など、余程高尚な積りでおるかは知らぬが、その変梃な足取、その淫猥らしき腰は、盆踊りより数倍も馬鹿気たものである。しかるに、盆踊りは野蛮の遺風だとかなんとかいって、一も二もなく先祖伝来の盆踊りを禁止し、他に楽み少なき農民の娯楽を奪い去るとは、当世の役人や警官はよくよく冷酷な根性になったものかな。盆踊りの後で淫猥の実行が行われるから困ると非難する者もあるが、その実行は盆踊りの後に限ったことではない。芝居の帰途にもある。活動写真の戻りにもある。日々谷公園の散歩中にもある。それら淫猥の実行は他の方法で取締るのが当然だ。帝都の真中で密売淫や強姦を十分に取締る事の出来ぬ警察力や、待合の二階で醜業婦共に鼻毛を読まれている当世の大臣や役人輩に、盆踊り位をとやかくいう権能は余りあるまいテ、馬鹿な話である。
 その夜十時頃、大子駅に到着。山間の孤駅であるが一寸有福らしき町である。未醒子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や木川子や衣水子は夜中にも拘らず、写真器械引担いで町見物にと出掛け、折よく町はずれで盛んな盆踊りを見付けたので、今度は巡査と間違えられる気遣いもなく、髯将軍は盆踊りの親方らしき若者と交渉の上、首尾よく珍妙な踊りを二、三枚撮影したが、夜中の事とて不意に閃電のごとくマグネシヤを爆発させて撮影するので、その音に驚き、キャッと叫ぶ女もあれば、閃光に眼を射られて暫時は四方真暗、眼玉を白黒にしてブツブツいっている男のあるなど滑稽滑稽。

 (九)弱い剛力

 翌日午前六時大子駅出発。これから八里の山道を登って、今夜は海抜三千三百三十三尺、八溝山の絶頂に露営する積りである。そこで剛力を二人雇い、写真器械だの、天幕だの二日分の糧食だけを背負わせたところ、重い重いと頗る不平顔。
「ナァニ、こんな物が重いものか」と、追い立てるようにして出発したが、その遅いこと牛の歩行も宜しくである。仕方がないから一同その荷物の幾分を分担したが、それでもなかなか速くは歩かぬ。ことに若い方の剛力は懦弱極まる奴で、歩きながら無精な事ばかりいっている。剛力でない、弱力と呼んだ方が適当だろう。
「こんな奴はズット先へ遣っておいた方がよかろう」というので、二、三里先へ行って待っていろと命令して先発させ、一行は或は山水の奇勝を写真に撮り、或いはゆるゆる写生などをし、もう牛的剛力も余程遠くへ行っているだろうと思い、急足に半里ばかりも進んでみると、剛力先生泰然自若と茶屋に腰打ち掛け、贅沢にも半腐りの玉ラムネなんか飲んでござる。癪に触って堪らぬ。ホイホイ背後から追い追い立て、約二里ばかり進めば、八溝川の上流、過般の出水の為に橋が落ちている。橋が無ければ徒歩じゃ徒歩じゃと、一同ジャブジャブ水を漕いで渡るに、深さは腰にも及ばぬ程であるが、水流は石をも転ばす勢なので、下手をすれば足掬われて転びそうになる。ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショと、爺様のような懸声をしながら漸く河を渡り、やがて町付という寒村に来掛かれば、もう時刻は正午に近い。
「アア腹が減った。腹が減った」という声が頻りに起る。この昼飯分は剛力に担がせて来たのだが、この前途山中に迷わぬものでもないから、なるべく食物を残しておけと、折りから通り掛かった路傍に、「旅人宿」と怪し気な行灯のブラ下がった家があるので、吾輩は早速跳り込み、
「オイ、飯を食わせろ」と叫ぶと、安達ヶ原の鬼婆然たる婆さん、皺首を伸ばして、
「飯はねえよ」
「無ければ炊いてくれ」
「暇が掛かるだよ」
「三十分や一時間なら待とうが。何か菜があるか」
「菜は格別ねえだよ。缶詰でも出すべえか」
「缶詰ならこっちにもある。そんな物は食いたくない。芋でも大根でも煮てくれないか」
「芋も大根もねえだよ」
 嘘ばかりいっている。現に裏の畑には芋も大根もあるのに、それを掘るのが面倒なのか、高い缶詰を売付けようとするのか、不親切も甚しいので、未醒子大いに腹を立て、
「止せ止せ、こんな家の厄介になるな」
と、一行は尻をたたいてこの家を出たが、婆さん一向平気なもの、振向いてもみない。食物本位の宿屋ではなかったと見える。
 三、四町行くとまた一軒の汚い旅人宿、幸いここでは、鰌の丸煮か何かで漸く昼飯に有付くことが出来た。東京では迚も食われぬ不味さであるが、腹が減っているので食うわ食うわ。水中の津川五郎子八杯、未醒子七杯、髯将軍と吾輩六杯、その他平均五杯ずつ、合計約五十杯、さしもに大きな飯櫃の底もカタンカタン。

 (一〇)登山競争

 町付村から、山道は漸く深くなり、初めは諸所に風流な水車小屋なども見えたが、八溝川の草茂き岸に沿うて遡り、急流に懸けたる独木橋を渡ること五、六回、だんだん山深く入込めば、最早どこにも人家は見えず、午後四時頃、常州第一の高山八溝山の登り口に達した。登り口には古びた大きな鳥居が立っている。ここから山道は急に険しくなるのだ。絶頂までは一里半、頂上間近になれば、登山者の最もくるしむ胸突八丁もあるとの事だ。
 例の剛力先生なかなかやって来ない。鳥居の下で待つこと約三十分、杉田子、衣水子、木川子など付添で漸くやって来た。聴けばある坂道で、剛力先生凹垂れて容易に動かばこそ、仕方がないので、衣水子金剛力を出して、エイヤエイヤと剛力先生の尻を押上げたとの事。これではまるで反対だ。呆れ返った剛力どのかな。
 八溝山の登り口からは、一里半登山競走という事に相成った。凹垂れ剛力などは眼中にない。後からゆっくり来いというので、一同疲れし膝栗毛に鞭を加え、力声を上げてぞ突貫する。初め山道は麓の村落で嚇された程急ではないが、漸く樵夫の通う位の細道で、両側から身長よりも高き雑草で蔽われている処もある。赤土の急勾配、溝のごとくになり、辷って転ぶ事も幾回なるを知らず、足を大の字形に拡げて両側の草を踏みつつ、ヨタヨタ進まねば容易に登る事の出来ぬ場所も五、六町。巌角の突出で巌石の砕けて一面に転ばっている坂道は、草鞋の底を破って足の裏の痛きこと夥しく、折から雲霧は山腹を包んで、雨はザアザア振って来れば、水はこの巌石の細道を滝のごとく上から流れ落ち、さながら急流を踏んで山を登るに異らず。
 ここに奇妙な事には、昨年日光の山中旅行では、常に凹垂れの大将となり、一行の厄介者であった吾輩、今日はいかなる風の吹き回しか、その元気凄まじく、水戸の津川五郎子と前後して先頭に立っている。ああら有難し、これも腹式呼吸のお陰、強健術実行の賜物ぞと、勇気日頃に百倍し、半身裸体に雨を浴びてぞ突進する。こんな場合にいつも先人を争う髯将軍はいかにせしぞと後に聴けば、将軍、剛力の遅々が癪に触って堪らず、暫時叱※[#「くちへん+它」、第3水準1-14-88、369-4]督励していた為に、思わず大いに遅れたという事だ。
 だんだん山道を高く登れば、四方に聳ゆる群山は呼べば応えんばかり、今まで遥か高く見えた山々の絶頂も、いつの間にか視線と平行になり、更に登ればはや眼下に見えるようになる。その愉快なることいわん方なく、膝栗毛の進みもますます速く、来た処は、音に名高き胸突き八丁の登り口。日ははや暮れかかり、渓谷も森林も寂寞として、真に深山の面影がある。
 胸突き八丁の登り口に近く、青い苔の生した断崖からは、金性水と呼ぶ清泉が滾々と瀑布のごとく谷間に流れ落ちている。これぞ八溝川の水源で、この細流に四方の水が合し、滔々として常州の山野を流れ行くのだ。

 (一一)先登の自慢

 吾輩と津川五郎子とは、百鯨の長川を吸うがごとくガブガブ金性水を飲み、太鼓のように膨れた水腹を抱えて胸突き八丁を登って行く。頂上まで殆ど一直線に付けられた巌石の道で、西側には老杉亭々として昼なお暗く、なるほど道の険しい事は数歩前の巌角の胸を突かんばかり、胸突き八丁の名も道理だ。
 しかしこんな事に凹垂れる吾輩でない、などと先頭に立っているので大いに得意になり、津川子と共にエイヤエイヤの掛声を揚げて攀登る。雨は漸く霽れたが、流るる汗は滝のごとく、それに梢から滴る露を浴びつつ、帽子もズボンもズブ濡れになって、頓て六、七町も登って上を仰ぐと、嬉しや嬉しや、頭上には古びた神社の屋根らしき物が見える。あすここそ頂上に相違ないと、余りの嬉しさに周章てたものか、吾輩は巌角から足踏み滑らして十分に向脛を打った。痛い痛いと脛を撫でつつ漸くそこに達し、拝殿にも上らず、直ちにその後の丘の上に駆け上ると、ここぞ海抜三千三百三十三尺、高さからいえば富士山の三分の一位のものであるが、人跡余り到らぬ常州第一の深山八溝山の絶頂である。
 頂上には一個の石標があって、ここは常陸と下野の国境である事を示す。吾輩はすぐさまその石標の上に跳り上り、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、吾こそは今日登山競走の第一着、冒険和尚字は春浪なりと呼わったが、音に聴く者も眼に見る者も側なる津川五郎子ばかり。四方の山々は、なんだ人間一疋、蚊のような声を出すなと嘲けっているように見える。未醒子の漫画では、吾輩群を抜いて一着のように描いてあるが、その実津川子と同着、シカモ吾輩は裸一貫、津川子には重い荷物のハンデキャップが付いている。残念ながら正直に白状仕つる。
 その内に髯将軍は、全身から湯けむり立てて登って来る。続いて未醒子、木川子など、一行は尽く到着したが、例の剛力先生容易に到着する気遣いはない。
 見渡せば、群を抜ける八溝山の絶頂は雲表に聳え、臣下のごとき千山万峰は皆眼下に頭を揃えている。雲霧深くして、遠く那須野の茫々たる平原を一眸に収める事の出来ぬのは遺憾であったが、脚下に渦巻く雲の海の間から、さながら大洋中の群島のように、緑深き山々の頭を突出している有様は、実になんともいう事の出来ぬ雄大なる光景であった。泰岳巨峰の風物は人間の精神を雄大ならしめるというが、全くその通りに思われる。
 衣水子は山嶽志でも読んで来たものと見え、得意になって頻りに八溝山の講釈をやる。
「そもそもこの八溝山というのは、全く海抜三千三百三十三尺という不思議な高さで、山中には三水と唱える金性水、竜毛水、白毛水の清泉が湧き、五つの瀑布と八つの丘嶽とまた八つの渓谷とがあって、孰れも奇観だ。ことにこの山中に生ずるサヤハタという木は、水中に在ってもよく燃えるので、その皮を炬火として大雨中でも振回して歩く事が出来るそうだ。先刻通ったあの金性水の所には、昔時四斗樽程の大蛇が棲んでおって、麓の村へ出てはしばしば人畜を害したので、須藤権守という豪傑が退治したという口碑が伝わっている。現に今でもこの山中にはなかなか毒蛇が沢山いるという事だ、御用心御用心」と、首を縮めて腰の辺を撫でている。

 (一二)汗臭い握飯

 その話は面白いが、しかし吾輩は山登りの汗が引込むに随い、だんだんと寒くなって仕方がなくなった。それもその筈である。吾輩は帽子もズボンもズブ濡れで、腰から上は丸裸、山頂の雲霧を交えた冷風がヒューヒュー吹き付けるのだから堪ったものではない。シャツや上衣は今朝剛力の担ぐ荷物の中へ巻入れてしまったので、暑い道中は誠に結構であったが、この寒さでは閉口閉口。ブルブル震えながら山頂に立って、
「オーイ、剛力ィ――。オーイ、剛力ィ――」と叫んで見たが、応うるものは木精ばかり、馬糞剛力どこをマゴ付いている事やら。
 その内に再び雨さえ降って来たので、コリャ堪らぬ堪らぬと、杉田子はお年寄り役だけに、若手の面々を指揮して枯木枯枝を集めさせ、廃殿の横手に穴のような処を見付け出し、頻りに焚火をしようと焦ってござるが、風が吹く、雨が降る、その上燃料が湿っているので火はなかなか付かぬ。エイ生意気な雨だと怒って見ても、雨は相手にならず。
 漸く火の盛んに燃え付いた頃、剛力先生もまた漸く上って来たので、まず早速着服に及ぶ。何はともあれ腹が減って堪らぬから、一同は焚火を囲んで夕食に取掛かったが、これはしたり! 一行二日分の握飯は風呂敷に包んで若い方の剛力が背負って来たのだが、この男元来の無精者、雨が降っても蔽いもしなかったものと見え、グチャグチャに崩れた上に、雨に濡れてベトベトになっている。
「こんな物食えるものか」と、怒っても、他に食う物はないので、仕方なく一口やってみたが、これまたしたり! なんだか臭いようで、その塩からいこと夥しい。握飯がこんなに塩からい理由はないと、よくよく調べてみると、ああ汚いかな、剛力先生数里の間汗だらけになって握飯を背負って来たので、流るる汗が風呂敷を通して尽く握飯に染み込んだ次第、つまり握飯の汗漬が出来た訳だ。
 コリャ堪らん。英雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦弱い奴の汗を舐めるのは御免である。万一その懦弱が伝染しては堪らぬと、吾輩はペッと吐出してしまったが、それでも背に腹は替えられずと、苦い顔をしながら食った連中もあった。剛力は無論自分の汗だから平気である。得意になってムシャムシャ頬張っている面の癪に触る事!
 吾輩等は握飯を失ったので仕方なく、コーンビーフの缶詰を切り、握飯の中の梅干だけはまさか汗漬にもなるまいと、塩からい冷肉をパク付き、梅干をしゃぶっている心細さ!

 (一三)駆落の落書

 このミゼラブルな夕食を終ったのは、午後の九時前後であったろう。夜は暗く、ただ焚火の光の空を焦がすのみ。雨は相変らずショボショボと降り、風は雑草を揺がして泣くように吹く、人里離れし山巓の寂莫はまた格別である。
 廃殿の柱や扉には、曾てここを過ぎた者の記念と見え、色々様々の文字が記してあるが、中にこんな事も書いてあった。
[#ここから1字下げ]
「明治四十三年十月二十日、黒羽町万盛楼の娼妓小万、男と共に逃亡、この山奥に逃込みし筈、捜索のため云々――」
[#ここで字下げ終わり]
と、捜索に来た人間の名も麗々と記してある。こんな山奥に逃込むとは驚いた女もあるものかな、もしや男と共に谷間へ投身でもしたのではあるまいか、どこかそこらの森林で首でも縊って死んだのではあるまいかと思うと、余り好い気持はせぬ。
 その内に夜はシンシンと更けてくる。しかしまだ寝るには早い。イヤ寝るにも毛布も蒲団も無いので、一同は焚火を取囲み、付元気に詩吟するもあり、ズボンボ歌を唄うもあり。風上にいる者は雨の飛沫を受けるだけで我慢もなるが、風下にいる連中は渦巻く煙に咽び返って眼玉を真赤にし、クンクン狸のように鼻ばかり鳴らしている。
 とかくする内に、一同は咽が乾いて堪らなくなって来た。それもその筈だ。汗水たらして激しく山登りをして来た上に、握飯には有付けず、塩からい冷肉を無闇にパク付いたので、迚も堪ったものではない。
「ああ咽が渇く、咽が渇く」との嘆声八方より起る。なるほど八人口々に唸るのだから、これこそ本当の八方じゃ。
 なんでもこの山巓を少し降った叢の中には、どこかに岩間から湧き出る清泉があるとは、日中麓の村で耳にしたので、
「オイ、その清泉の所在を知らぬか」と剛力に聴いてみたが、
「一向知らねえだ」と澄ました顔をしている。後から考えてみると、数回この山に登った奴が全然知らぬ道理はない、きっとこの雨の中を汲みに遣られては堪らぬと、自分等も咽の渇くのを我慢して、焚火に噛り着いていたいため、知らぬ顔の半兵衛を極め込んでいたものと見える。
 一行は手分けをして、雨に濡う身長より高い草を押分け押分け、蚤取眼で四方八方捜索したが、いかにしても見出す事が出来ない。咽はいよいよ渇いて来る。ある先生はショボショボ降る雨でも飲んでくれようと考えたものか、空を仰いで大口開けて突立っているが、雨はなかなか旨く口中へ降り込んではくれぬ。その馬鹿気た風体は見られたものではなかった。

 (一四)暗中水汲隊

 いよいよ山巓に近く水が無いものとすれば、胸突き八丁を降って金性水まで汲みに行かねばならぬ。オオ金性水よ! 金性水よ! そこには氷のごとき清水が瀑布のように落ちているのだ。それを考えただけでも咽がグウグウ鳴る。しかしこの疲れた足で金性水を汲みに行くのは容易な事ではない。この暗い夜! 胸突き八丁の険阻。ことにこんなジメジメした夜中には、蝮が多く叢から途中に出ているので、それを踏み付けようものなら、生命にも係わる危険であるが、咽の渇きも迚も怺える事が出来ぬので、一同は評議の上、留守師団は水汲み隊の帰ってくるまでの間に、天幕を張り、寝る用意を総て整えておく事とし、未醒子、杉田子、髯将軍の三人は、身を殺して仁を為すといわぬばかりに、甲斐甲斐しく身支度を整え、水筒はただの三個の他はないので、こればかりの水では足らぬと、廃殿の中を捜し回り、古びた花立のような長い竹筒を見付け出したので、それ等をぶら下げ、懐中電灯に暗い険しい胸突き八丁の道を照らしつつ、雨を冒して金性水の方へと降りていった。
 跡に残った吾輩等は、焚火に燃ゆる枯枝を松明と振り照らし、とある大木の下の草の上に天幕を張り出したが、松明は雨で消える、鉄釘は草の中へ落ちて見えなくなる、その困却は一通りでなかったが、彼の殿様然たる剛力どのには、水を汲みに行こうとはいわねば、天幕を張る手伝いをするでもなく、ただ焚火に噛り着いてはや居眠りを始めてござる。
 三、四十分も掛かって漸く天幕を張り終り、筵を敷いてそこへ覚束なくも焚火を始めた頃、水汲み隊は息を切らしヘトヘトになって帰ってきた。
「万歳万歳」の声は四方に起り、一同は蟻の甘味に付くように水汲み隊の周囲に集り、咽を鳴らして水筒の口から水を呷る。その旨い事! 甘露ともなんとも譬えようがない。
 スルト今まで居眠りをしていた剛力先生、二人共ノソノソやって来て、吾輩等の背後から猿臂を伸ばして水筒を掴もうとする。
「コラッ、貴様ッ、ろくろく働きもせぬくせに、生血のような水を唯飲みしようとは、怪しからん奴だ」と呶鳴り付けたが、考えてみればあれも人の子、咽の渇くのは同じだろうと惻隠の心も起り、
「皆飲むなよ」と、長い竹筒の水を渡してやれば、先生竹筒に口を当てるが早いか、逆様にして皆ゴボゴボと飲んでしまった。イヤ腹の中へ飲んだのならまだいいが、奴さん一口でも多く飲んでやろうと周章てたため、水汲み隊が汗水流して汲んで来た大事な水をば、大半ゴボゴボと溢して地面に飲ませてしまったのだ。よくよく癪に触る奴等であるわい。

 (一五)巨大な天狗面

 しかし小言をいったとて帰らぬ事、一同は些か咽の渇きも止ったので、
「サァ明朝は早いぞ、もう寝ようか」と、狭い天幕内へゾロゾロと入り込んだが、下は薄い筵一枚で水がジメジメ透して来る。雨はますます激しく、開放しの入口は風と共に霧さえ吹込んで来るので、なかなか以て横になる事も出来ない。その内に焚火は天幕の一隅に燃え付いて、天幕は鬼火のように燃え上がる。
「ヤア、火事だ火事だ」と、周章てて揉み消す。火の粉は八方に散る。
「これは迚もいかん。寧ろ廃殿の中で眠った方が得策だ」と早速天幕を疊み、一同はまたもやゾロゾロと、簷は傾き、壁板は倒れ、床は朽ちて陥込んでいる廃殿に上り、化物の出そうな変な廊下を伝って奥殿へと進み、試みに重い扉を力任せに押してみると、鍵は掛っておらず、扉はギーと開いたので、これは有難いと、懐中電灯の光に中を照してみると、奥殿の床板は塵埃の山を為し、一方には古びた巨太鼓が横わり、正面には三尺四方程の真赤な恐ろしい天狗の面がハッタとこちらを睨んでござる。一人でこんな場所へ来てこんな恐ろしい面を見たら、キャッと叫んで逃げ出すかも知れぬが、一行は大勢なのでチットも驚かない。
「ハハァ天狗様が祀ってあるのだな、これは御挨拶を申さずばなるまい」と、そこで髯将軍は恭しく脱帽三拝し、出鱈目の祭文を真面目臭って読み上げる。その文言に曰く、
「コレ、天狗殿、吾輩は東京天狗倶楽部の一人、吉岡信敬なり。敢て閣下の子分に非ずと雖も、また多少の因縁なきにしもあらず。今夜ここに泊る。もし猛獣毒蛇来らば、その眼玉で睨み殺して賜われ。猛獣ならばその皮は吾輩有難く頂戴する。終りッ!」
スルト側から水戸の川又子、俳号を五茶と申す、宗匠気取りで、
 ああら天狗一夜の宿を貸し給え
と駄句れば、
「アーメン」と誰か混ぜ返した者がある。
「コラ、そんな事をいうと、天狗様の罰が当るぞ」と、未醒子は眼を剥く。先生の相貌、羅漢に似たる為か、アーメンはよくよく嫌いと見えたり。

 (一六)拝殿[#「廃殿」の誤り?]の一夜

 サア天狗様へ御挨拶も済んだというので、一同は奥殿の片隅を拝借し、多くはビショビショに濡れたまま、雑嚢や新しい草鞋を枕に横わったが、なかなか以て眠られる次第ではない。下は毛布一枚敷かぬ堅い床板なので、腰骨や肩先が痛くなる。深夜の寒気にブルブル震えて来る。その上得体も知れぬ虫がウジウジ出て来て、誰かの顔へは四寸程の蚰蜒が這い上ったというので大騒ぎ。あっちでもブウブウ、こっちでもブウブウ、その内にゴーゴーと遠雷のような音響、山岳鳴動してかなり大きな地震があった。
「ソラ、天狗様の御立腹だ」と、一同は眼玉を円くする。ヌット雲表に突立つ高山の頂辺の地震、左程の振動でもないが、余り好い気持のものでもない。しかしこんな高山絶頂の野営中に地震に出逢うとは、一生に再び有る事やら無い事やら、これも後日一つ話の記念となるであろう。
 とにかく寒気と虫類のウジウジ押し寄せるので、吾輩はいかに日中の疲労があっても容易に眠る事は出来ず、早く夜が明けてくれればいいがと待つばかり。その内に一時間位はウットリしたのであろう。なんだか悪魔に腰骨でも蹴られたような夢を見てハット驚き目を開くと、眼前には真赤な恐ろしい天狗の面。将に消えなんとする蝋燭の光は朦朧とそれを照している。時計を出して見ると午前三時。まだ夜の明けるには間があるが、いつまでもこんな所に寝ていられるものかと、吾輩は突如跳ね起き、拳を固めて傍の巨太鼓を、ドドンコ、ドンドン、ドドンコ、ドンドンと無暗に打叩けば、何人も満足に睡っていた者はなかったものと見え、孰もムクムクと頭を擡げて、
「何時だ何時だ」
「まだ三時だが、もうそろそろ出立と致そう」
「よかろうよかろう」と、一同も起上り、着のみ着のままで寝たので身仕度の手間は入らず、顔を洗おうにも水はない。また握飯はオジャンとなったので朝食の世話もないが、今日の行程は七里以上、なにも食わずでは堪らぬと、昨夜咽を渇かしたにも懲りず、またしても塩からいコーンビーフに些か腹を作り、氷砂糖などをしゃぶりつつ、出発の用意全く出来上ったが、ここに困った事には、例の剛力先生、今日のお伴は真平だといい出した一件で、
「こんな苦しいお伴をした事は生れて初めてだ。荷物の重いばかりでなく、箆棒に前途ばかり急いで、途中ろくろく休む事も出来ねえ。どこまでも付従いて行ったら生命を取られるかも知れねえだ。俺達はここから帰る帰る」
とダダを捏ねている。
「そんな事をいっては困る。この深山で置いてきぼりを食っては、麓へ降りる道も分からぬではないか。今日は荷物もウント軽くしてやる。ゆっくり休ませてもやるから、ぜひ行ってくれ」と頼んでも、
「厭だ厭だ、ここで御免蒙るだ」と、いつまでもグズグズいっているので、吾輩大いに腹を立て、
「勝手にしろ。山を降りれば何かあるに相違ない。何かに付いて降れば、どこかの村に着に極っている。汝等ごとき懦弱漢はかえって手足纏いだ。帰れ帰れ」と追い帰し、重い荷物は各自分担して、駄馬のごとく、背に負い、八溝山万歳を三呼して廃殿を立ち出でた。

 (一七)山中マゴツキ

 この時は午前の四時少し過ぎ、東の空は漸く白んで来たようだが、濃霧は四方を立て罩めて、どこの山の姿も分らない。もし濃霧霽れて、東天に太陽の昇るのを見たならば、その絶景はいかばかりだろうと思うが、今日到底その望みはないので、一行は濃霧中に道を捜しつつ山を降って行く。
 登る時には長い時間と多くの汗水とを費させた八溝山も、その降る時は頗る早い。しかし降り道も決して楽ではなかった。濃霧は山を降るに随い次第次第に薄くなって、緑の山々も四方に見えるようになったが、道はしばしば草に埋没して見えなくなる。崖の崩れて進むに難い処もある。赤土の道では油断をすると足を掬われて一、二回滑り落、巌石の道では躓いて生爪を剥がす者などもある。その上、虻の押寄せる事甚しく、手や首筋を刺されて閉口閉口。
 絶頂から一里ほど降ると、果して急流矢のごとくに走っている。急流の岸には一軒の水車小屋も淋し気に立っている。一行は今夜、那須野ヶ原の黒羽町に一泊の予定で、その途中、有名な雲巌寺へ回ってみる積りなので、急流の岸の水車小屋に足を運び、
「ここから雲巌寺まで何里ある」と訊けば、
「二里位だ」と答える。有難し有難し、二里位なら一足飛びだと、くわしく道を聴き、急流に沿うて、或は水を渉り、或は岩角を踰え、漸く道らしい道に出たので、一行は勇気数倍し、髯将軍真先に軍歌などを唱い出し、得意になってだんだん山を降ること一里半ばかり、むこうから樵夫らしき男が来たので、
「雲巌寺へはこの道を行けばいいのか」と訊けば、
「滅相もない。この道を行けば棚倉へ出てしまう。雲巌寺へはズット後戻りして、細い道を右へ曲がって行かねば駄目だ」と、悉しく道を教えられて有難いやらガッカリやら。一同はその教えられた通りにまたもや一里半ほど進むと、今度は頬被りの馬士がドウドウと馬を曳いてやって来たので、もう雲巌寺も間近だろうと胸算用をしながら、
「お寺へは何里だね」と軽く訊ねると、
「そうさね、二里半もあろうか」といい捨てて行き過ぎる。
「ハテナ、来れば来るほど道が遠くなるとはこれ如何に」禅宗の問答ではないが分からぬ事限りなし。初め雲巌寺まで二里と聴いた水車小屋からは、二里は愚か無駄足をして既に四、五里は来たのに、この先まだ二里半あるとはガッカリガッカリ。孔明の縮地の法という事は聞いているが、この辺に伸地の魔法でも使う坊主でもいるのではあるまいかと、一同は俄かに疲労を感じてきた足を引摺[#底本ではルビが「ひきずり」となっている]り引摺り、更に半里ほど歩んで、路傍の農家にチョン髷の猿のような顔をした老爺が立っていたので、またしても懲り性なく、
「雲巌寺まで何里だ」と問うと、
「二里半だ」と相変らずである。これでは歩いているのだか、ツクネンと立っているのだかさっぱり分からぬ。
「いくら歩いたって駄目だ。まだ二里半あるなどと、そんな馬鹿な事があるものか。道を近くいう奴は可愛らしいが、遠くいう奴は憎らしい。あの老爺の面も癪に触るではないか」と、老爺どのとんだお憎みを受けたものだ。蓋し足の重くなった旅行家の真情を暴露したものだ。

 (一八)焼酎の御馳走

 一行は多少ヤケ気味に、それよりはブラリブラリと牛の歩み宜しく、またもや一里あまり進んで、南方村という寒村に来掛かれば、路傍の開放されたる一軒家では、褌一本の村の爺さん達四、五人集って、頻りに白馬か何か飲んでいる。ここでもまたまた雲巌寺へ何里あると問えば、
「そうさね、一里には近かろう」との答えだ。
「善哉! 善哉! この爺さん達はエライよ」と、一同はホッと一息。時刻は正午間近なので、朝飯の不足に腹が減って堪らず、ここは掛茶家ではないが、一同は御免候えと腰を下し、何か食う物は無いかと聴くと、何も食う物は無いが、焼酎に漬物位なら有るという。
「焼酎でも結構結構」と、焼酎五、六合に胡瓜の漬物を出して貰い、まだ一缶残っておった牛肉の缶詰を切って、上戸は焼酎をグビリグビリ、下戸は仕方がないので、牛肉ムシャムシャ、胡瓜パクパク。漬物は五、六杯お代りをすれば、もう一家中にあるだけ尽く平げてしまったので、今度は生の胡瓜に塩をつけて丸噛り。減腹に焼酎を呷った連中はフラフラして来る。吾輩も白状すれば大いに参った。
 何しろ重い荷物を引担いで山道は迷う、炎天には照りつけられる、その上昨夜の睡眠不足も手伝って、一行の足の重きこと夥しく、些か意気消沈の気味にも見えるので、こんな事ではいかん、反対療法に如くは無しと、その実吾輩も大いに凹垂れているくせに、
「ここから雲巌寺まで約一里、クロスカンツリーレースを行ろうではないか」と威張り出せば、誰も凹垂れたと見られるのは厭なものと見え、
「賛成賛成」と孰も疲れ切ったる毛脛を叩く。
「お前様達、一里駆ッこをするのかね」と爺さん達は眼を円くしている。
 そこで農家の爺さん達にお頼み申し、重い荷物は尽く駄馬に着けて、近道を黒羽町まで送り届けて貰う事とし、黒羽町の宿屋は△△屋というのが一等だと聴いたのでそこと取極め、さて一行は半身裸体なるもあればシャツ一枚となるもある、内心困った事になったと思いながらも、程よく一列に並び、一、二、三の掛声で砂塵を蹴立てて一目散に駆け出した。

 (一九)一里競争

 先頭は誰ぞと見れば、腕力自慢の衣水子韋駄天走り、遥か遅れて髯将軍、羅漢将軍の未醒子と前後を争っていたが、七、八町に駆けるうちに、衣水子ははや凹垂れてヒョロヒョロ走り、四、五町にいた水戸中学の津川五郎子、非常なヘビーを出して遥か先頭に進み、続いて髯将軍、羅漢将軍等、髭面抱えてスタコラ走って行く有様は、全く正気の沙汰とは思われず、田畑の農民等は何事ぞと、腰を伸ばして眼を見張っているばかり。
 吾輩はいかにと自分で自分を見れば、これはいかなこと! 昨日登山第一の元気はどこへやら、焼酎は頭へ上って、胸の悪き事甚しく、十二、三町走るか走らぬに、迚も堪らず、煙草畑の中へ首を突込んで嘔吐を吐く。焼酎と胡瓜は尽く吐き出したが、同時に食った牛肉は不思議にも出て参らず、胃の腑もなかなか都合好く出来たものかな。
 そこに背後に人の足音が聴こえたので、南無三宝! 見付けられたかと、大急ぎで煙草畑から首を突出してみると、幸いに嘔吐はくところは見付けられず、そこには六十ばかりの梅干婆さん眼玉を円くして、あっちに駆け行く一行を眺めつつ、
「何事が起っただね」と、さも驚いた顔。
 吾輩は空惚けて、
「泥棒を追掛けているのだ」というと、婆さんなるほどといわぬばかり、
「あの髯生えた黒い洋服、泥棒だんべい。お前様方刑事かね」と、ここから真先に逃げているように見える髯将軍は泥棒と間違えられ、吾輩等は刑事と相成った次第。
「そうだよそうだよ」と、吾輩焼酎を吐出してしまったので大いに気持もよく、またもやスタコラ走って漸く雲巌寺の山門に着いてみると、先着の面々は丸裸となり、山門前を流るる渓流で水泳などをやっている。元気驚くべし!
 一着は水中の津川五郎子で、一哩の時間十五分十二秒、二着は髯将軍、三着は羅漢将軍、四着は走れそうもない木川子が泳ぐようにして辿り着いたという事で、吾輩はビリの到着。昨日の第一着は差引きでゼロと相成った。残念残念。
 雲巌寺は開基五百余年の古寺で、境内に後嵯峨天皇の皇子仏国国師の墳墓がある。山門の前を流るる渓流は、その水清きこと水晶のごとく、奇巌怪石の間を縫うて水流の末はここから三里半ばかり、黒羽の町はずれを通っていると聴くので、足の重くて堪らぬ吾輩は一策を案じ出し、
「どうだ、大きな盥を八個買ってそれに乗り、呑気に四方の景色を見ながら水流に泛んで下ったら、自然に黒羽町に着くだろう」と、そこで新しい盥でも古い盥でも構わん、人間一疋乗れそうな盥を売ってくれぬかと、そこらをウロウロ捜し回ったが、こんな寒村に大盥が八個もあろう筈はないので、せっかくの妙案もあわれオジャンと相成った。
 しかし雲巌寺を出発してから行く途々、渓流に沿うて断岸の上から眼下を見れば、この渓流には瀑布もあれば、泡立ち流るる早瀬もあり、また物凄く渦巻く深淵などもあって、好奇に盥に乗って下ろうものなら、二人や三人土左衛門と改名したかも知れぬのだ。盥が無くて仕合仕合。

 (二〇)とんだ宿屋

 雲巌寺から黒羽町までは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩などは茹章魚のごとくになり申した。疲れに疲れし一行は、途中掛茶屋さえあれば腰を下して、氷水を飲む、真桑瓜を食う、饅頭をパク付く。衛生も糸瓜もあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前途もう半里ばかりという処まで来かかると、ここにも飴ン棒など並べて一軒茶屋。一行はまたもや一休みして、
「黒羽で好い宿屋はどこだ」と試みに問うと、将棋を指していた四、五人の爺連、
「そうさね、新しくできた花月がよかんべい。あの家は堅えだ。お前様方どこへ泊るね」というので、
「△△屋がいいと聞いたので、荷物も先回しに遣っておいた」と答えると、
「へへへへへ、あの家もよかんべい。梅ヶ谷みたいな女も二人いるだで――」と妙に笑う。形勢甚だ穏やかならん。よくよく聴きただせば、△△屋というのは女郎屋と背中合せの曖昧屋で、我が一行の荷物は先回しに、淫売宿へ担ぎ込まれた次第と分ったり。
「サア大変じゃ!」
 第一に敦圉き出したのは髯将軍、
「これはいかん! これはいかん! 淫売屋などへ泊れるものか、堅いという花月へ行こう」
「荷物はどうする」
「荷物なんか構うものか。△△屋の前は知らん顔に素通りして、後から宿屋の者を取りに遣る。ぐずぐずいったら査公に持って来て貰うさ」
「そうじゃそうじゃ」と評議一決。やがて黒羽町に入込むと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような宿屋が一軒、簷先には△△屋と記してある。
「これだな」と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店内を眺めると、有るわ有るわ、天幕、写真器械、雑嚢など、一行の荷物は店頭に堆高く積んである。宝の山に入りながらではないが、我が荷物ながらオイ遣せと持出す訳にも行かず、知らぬ顔に一、二町スタスタ行き過ぎると、忽ち背後からオーイオーイと呼ぶ者がある。振返ってみると、なるほど、梅ヶ谷のような大女、顔を真白に塗立てた人三化七が、頻りに手招きしながら追っ掛けて来る。
「ソラ来た」というので、一同ワッと逃げ出す。その速い事! 今までの足の重さもどこへやら、五、六町韋駄天走りに逃げ延びて、フウフウ息を切らしながら再び振返ってみると、これはしたり、一行中の杉田子は、件の大女に掴まって何か談判最中。救助隊を出さねばなるまいという者もあったが、ナァニあの先生が捕虜になる気遣いはないと、一同は一足お先に那珂川に架けたる橋を渡り、河畔の景色佳き花月旅店に着いて待っていると、間もなく杉田先生得意満面、一行の荷物を腕車に満載してやって来た。聴けば、杉田先生はお年寄役だけに、三十六計の奥の手も余り穏かならじとあって、単身踏み留まり、なんとかかんとか胡魔化して、荷物をことごとく巻上げて来たとの事だ。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎よりも大手柄大手柄。
 黒羽の宿屋で久し振りのビール一杯。ペコペコに減った腹に鰻飯! その旨かった事! 咽から手が出て蒲焼きを引摺り込むかと思われた。
 翌日は茫漠たる那須野ヶ原を横断して西那須野停車場。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。横断隊は未醒子、髯将軍、衣水子、木川子、これから日本海沿岸まで山中の突貫旅行をやるのである。
 小山駅で水戸の三人武者とも別れて、後はただ一人、俄かに淋しくなれば数日以来の疲労も格段に覚えて、吾輩は日光の鮮かに照す汽車の窓から遠近の景色を眺めていると、吾輩に向い合って腰掛けていたのは頬骨の高いハイカラ紳士、物もいわず猿臂を伸ばして、吾輩が外を眺めている車窓の日除け扉を閉ざす。これは怪しからん奴じゃ、他の領分の扉を無断で閉ざす奴があるものかと、吾輩は用捨なくすぐに開けると、暫時してまたノコノコ手を伸ばして閉める。
「何をする」と呶鳴り付けると、
「日が射して困る」と、ハンカチーフなんかで鼻の頭を撫でている。
「馬鹿をいうな、太陽様は結構じゃ」と、吾輩は遠慮会釈もなく再び扉を開け、今度は閉められぬようにと窓の上に肘を凭せて頑張っていると、これには流石のハイカラ先生も閉口し、ブツブツいいながら日の当らぬ方へと退却に及んだ。こんな奴は自分で自分の身体を弱くしようしようと掛かっている馬鹿者と見える。太陽の光線に当るのが左程恐ければ、来生は土鼠にでも生れ変って来るがいい。日陰の唐茄子の萎びているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒虫にでも襲われたように周章てて窓を閉ざして得意でいる。事小なりと雖も、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光線がなんでそんなに恐いのだ。現代の所謂ハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴は終には亡国の種を播く糞虫となるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、須らく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾身に吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
 午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまで癪の種も尽きぬ旅行であったわい。
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付記。吾輩の今回の旅行はこれで終ったが、横断隊は勇気勃々として突貫旅行を続けている。髯将軍と衣水子の快筆は、未醒子の漫画、木川子の写真と共に、必ず痛快に本誌の次号を飾るであろう。
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底本:「〔天狗倶楽部〕快傑伝 ――元気と正義の男たち――」朝日ソノラマ
   1993(平成5)年8月30日第1刷発行
底本の親本:「本州横断 癇癪徒歩旅行」雑誌<冒険世界>、博文館
   1911(明治44)年9月号掲載
入力:H.KoBaYaShi
校正:伊藤時也
1999年11月30日公開
2003年8月31日修正
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