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本州横断 癇癪徒歩旅行
押川春浪

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《》:ルビ
(例)懦弱《だじゃく》

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(例)昼寝|罵倒《ばとう》

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(例)※[#「くちへん+它」、第3水準1-14-88、369-4]
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不思議の血=懦弱《だじゃく》と欲張=髯将軍の一喝=技手の惨死=狡猾船頭=盆踊り見物=弱い剛力=登山競走=天狗の面=天幕《てんと》の火事=廃殿の一夜=山頂の地震=剛力の逃亡=焼酎の祟=一里の徒競走=とんだ宿屋
[#ここで字下げ終わり]

 (一)昼寝|罵倒《ばとう》

 この奮励努力すべき世の中で、ゴロゴロ昼寝などする馬鹿があるかッ! 暑い暑いと凹垂《へこた》れるごときは意気地無しの骨頂じゃ。夏が暑くなければそれこそ大変! 米も出来ず、果実も実らず、万事|尽《ことごと》く生色《せいしょく》を失う事となる。夏の暑いのがそれほど嫌な奴は、勝手に海中へでも飛込んで死ぬがよい。今や狭い地球上――ことにこの狭い日本では、碌《ろく》でもない人間が殖《ふ》え過ぎて甚《はなは》だ困っている。怠惰者《なまけもの》や意気地無しがドシドシ死んでしまえば、穀潰《ごくつぶ》しの減るだけでも国家の為に幸福かも知れぬ。
 吾党《わがとう》は大いに夏を愛する。暑ければ暑い程鋭気に満ちて来る。やれやれ、何か面白い事をやってくれようと、そこで企てたのが本州横断徒歩旅行! もちろん亜弗利加《アフリカ》内地旅行だの、両極探検だのに比すれば、まるで猫の額を蚤《のみ》がマゴついているようなものであるが、それでも、口をアングリ開けて昼寝をしているよりは、千倍も万倍も愉快に相違ない。
 出発は八月十日、同行は差当り五人、蛮カラ画伯|小杉未醒《こすぎみせい》子、髯《ひげ》の早大応援将軍|吉岡信敬《よしおかしんけい》子、日曜画報写真技師|木川専介《きがわせんすけ》子、本紙記者|井沢衣水《いさわいすい》子、それに病気揚句の吾輩《わがはい》である。吾輩は腹式呼吸と実験から得た心身強健法とで、漸《ようや》く病気の全快したばかりのところへ、要務が山積しているので、実は徒歩発足地の水戸まで一行を見送り、そこで御免を蒙《こうむ》る積《つも》りであったが、さて水戸まで行ってみると、オイソレと逃げる訳にも参らず、とうとう牛に曳かれて八溝山《やみぞやま》の天険を踰《こ》え、九尾の狐の化けた那須野《なすの》ヶ原《はら》まで、テクテクお伴をする事に相成った。

 (二)奇異の血汐《ちしお》

 徒歩出発地は前にいう太平洋沿岸方面の常州《じょうしゅう》水戸で、到着地は日本海沿岸の越後国《えちごのくに》|直江津《なおえつ》の予定。足跡《そくせき》は常陸《ひたち》、磐城《いわき》、上野《こうずけ》、下野《しもつけ》、信濃《しなの》、越後の六ヵ国に亘《わた》り、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見聞《けんもん》し、変った旅行をしてみようというのである。
 ところが東都出発の数日以前から、殆《ほと》んど毎日のように暴風|大雨《たいう》で、各地水害の飛報は頻々《ひんぴん》として来《きた》る。ことに出発の前夜は、烈風|甍《いらか》を飛ばし、豪雨石を転《まろ》ばし、勢《いきおい》で、東都下町方面も多く水に浸され、この模様では今回の旅行も至極《しごく》困難であろうと想像しているところへ、ここに今考えても理由《わけ》の分からぬ事があった。というのは他《ほか》でもない、その夜の事である。本誌お馴染《なじみ》の断水坊、暴風雨を冒して遊びに来り、夜遅くまで、二人で将棋をパチクリパチクリやっておったが、時刻は夜半の零時か零時半頃であったろう、吾輩はなんでも香車か桂馬をばパチリッと盤面に打下《うちおろ》そうと手を伸ばした途端である。不意に何か吾輩の食指《ひとさしゆび》の中央《まんなか》にポタリと落ちた冷たいものがある。
「オヤ、雨が漏ったのか」と、熟視すると、雨ではない。豆粒程の大《おおき》さの生々しい血汐《ちしお》である。
「ヤッ、変だぞ、変だぞ」と、断水坊も将棋指す手を止め、この血は鼻から出たものであろうと、二人は顔面《かお》はいうに及ばず、全身残りなく検《しら》べてみたが、どこからも血の出た気勢《けはい》が微塵《みじん》程もない。また鼻から出たにしたところで、鼻先から一尺四、五寸も前へ突出《つきだ》した食指《ひとさしゆび》の上へ、豆粒程の大《おおき》さだけポタリと落ちる道理はないのだ。
「それでは天井から落ちたに相違ない」
「そうだそうだ、天井で鼠が喧嘩して、その負傷した血汐の滴り落ちたのだろう」と、断水坊は御苦労にも卓子《テーブル》を担ぎ出してその上へ登り、吾輩は、懐中電灯を輝かして、蚤取眼《のみとりまなこ》で天井を隈《くま》なく詮索したが、血汐は愚か、水の滴り落ちた形跡すらどこにもない。どうも分からん分からん、不思議な事もあれば有るものだと、二人は暫時《しばし》顔を見合《みあわ》すばかり。鮮血は二人の身体《からだ》から出たものでなく、また天井から落ちたものでないとすれば、空中から飛んで来たものとほか思う事は出来ない。誰か友人中に死んだ者でもあって、その暗示《しらせ》が来たのではあるまいか。イヤそんな事もあるまいが、横断旅行の首途《かどで》にこの理由《わけ》の分らぬ血汐は不吉千万、軍陣の血祭という事はあるが、これは余り有難くない、それにこの大風《たいふう》! この大雨《たいう》! 万一の事があってはならぬから、明日の出発は四、五日延期してはどうかと、断水坊平生の洒《しゃあ》ツクにも似ず真面目|臭《くさ》って忠告を始めたが、吾輩はナアニというので、その夜はグッスリと寝込み、翌朝|目醒《めざ》めたのは七時前後、風は止んだが、雨は相変わらずジャアジャア降っている。

 (三)洪水の悲惨

 上野発水戸行の汽車は午前十時と聴いたので、さっそく朝飯を掻込《かっこ》み、雨を冒して停車場《ステーション》へ駆け着けてみると、一行《いっこう》連中まだ誰も見えず、読売新聞の小泉君、雄弁会の大沢君など、肝腎の出発隊より先に見送りに来ている。その内に未醒《みせい》画伯の巨大なる躯幹《くかん》がノッソリ現われると、間もなく吉岡将軍の髯面《ひげづら》がヌッと出て来る。衣水子、木川子など、いずれも勇気|勃々《ぼつぼつ》、雨が降ろうが火が降ろうが、そんな事には委細|頓着《とんちゃく》ない。
 やがて午前十時になったので、切符を購《もと》めて出札口に差し掛かると、
「ドッコイ、お待ちなさい。これは水戸行の汽車ではありません。水戸行は午前十一時五十五分です」と来た。
「オヤオヤ、オヤオヤ。誰だ誰だ、水戸行を、午前十時だと言ったのは――」と、一同|開《あ》いた口をヒン曲げて詮議に及んだが、誰も責任者は出て来ない。元来|呑気《のんき》な連中の事とて、発車時間表もよくは調べず、誰言うとなく十時に極《き》めておったのだ、とにかく約二時間待たねばならぬ。ボンヤリしているのも智恵がないから、不忍《しのばず》の池の溢れた水中をジャブジャブ漕いで、納涼博覧会などを見物し、折から号外号外の声|消魂《けたたま》しく、今にも東都全市街水中に葬られるかのように人を嚇《おどか》す号外を見ながら、午前十一時五十五分、今度は首尾よく上野出発。この時から常陸《ひたち》山中の大子《だいご》駅に至るまでの間の事は、既に日曜画報にも簡単に書いたので、日曜画報を見た諸君には、多少重複する点のある事は、御勘弁を願いたい。
 汽車の旅行は平々凡々、未醒子ははや居眠りを始める。
「コラコラ、今から居眠りをするようでは駄目じゃッ」と、髯将軍の銅鑼《どら》声はまず車中の荒肝《あらぎも》を拉《ひし》ぐ。
 汽車、利根川の鉄橋に差し掛かれば、雨はますます激しく、ただ見る、河水は氾濫《はんらん》して両岸湖水のごとく、濁流|滔々《とうとう》田畑《でんばた》を荒し回り、今にも押流されそうな人家も数軒見える。遭難者の身にとっては堪《たま》ったものではない。禿《はげ》頭に捩《ね》じ鉢巻で、血眼になって家財道具を運ぶ老爺《おやじ》もあれば、尻も臍《へそ》もあらわに着物を掀《まく》り上げ、濁流中で狂気《きちがい》のように立騒いでいる女も見える。融通の利かぬ巡査でも見付けたら、こんな場合でも用捨《ようしゃ》なく風俗壊乱の罪に問うかも知れぬが、今は尻や臍の問題ではない、生命《いのち》の問題である。近来、殆んど連年かかる悲惨なる目に遭い、その上|苛税《かぜい》の誅求《ちゅうきゅう》を受けるこの辺《へん》の住民は禍《わざわ》いなるかな。天公|桂《かつら》内閣の暴政を怒《いか》るか、天災地変は年一年|甚《はなはだ》しくなる。国家のため実に寒心に堪えぬ次第ではないか。
 しかるに、走り行く此方《こなた》の車内では、税務署か小林区《しょうりんく》署の小役人らしき気障《きざ》男、洪水に悩める女の有様などを面白そうに打《うち》眺めつつ、隣席の連れと覚《お》ぼしき薄髭の痩男に向い、
「どうです、一句出ましたぜ、洪水に女の股《もも》の白きかな――ハッ、ハッ、いかがでげす」などと、嘔吐《へど》のごとき醜句《しゅうく》を吐き出せば、側《かたわら》の痩男は小首を捻《ひね》って、
「なるほどな、秀逸でげす」などと相槌《あいづち》を打つ。同胞の難儀を難儀とも思わぬ困った奴らである。こんな冷酷な役人根性もまた桂内閣お得意の産物なるか、咄《とつ》!

 (四)変な駄洒落《だじゃれ》

 憤慨ばかりが能ではあるまいから、一つ汽車中の駄洒落を御愛嬌《ごあいきょう》に記そう。
 元来、今回の横断旅行は、出発地を太平洋|波打際《なみうちぎわ》の大洗《おおあらい》にしようか、大洗水戸間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしようかという事は未定問題であったので、吾輩は大洗説を主張し、
「今夜は大洗に一泊して、沖合の夜釣をやってみようではないか」と、提議すれば、未醒子羅漢|面《づら》の眉を揚げて、
「途方もない。この風雨《しけ》に夜釣なんか出来るものか。魚は釣れず、濡鼠《ぬれねずみ》になって、大洗(大笑い)になるまでさ」と洒落のめす。吾輩も負けてはおらず、
「そんな洒落は未醒(未製)品じゃ」
「ドッコイ、来たな、駄洒落は止しに春浪《しゅんろう》」
 側《かたわら》から吉岡信敬将軍、髯面《ひげづら》を突出《つきだ》して、
「とにかく夜釣は危《あぶな》い危い。横断旅行が海底旅行になっては大変じゃ」
「ナアニ、危いもんか。そう信敬(神経)を起すな」
「アハハハ、アハハハ」と、一同は笑い崩れる。
 その内に汽車は水戸に到着、停車場《ステーション》前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する。芝原《しばはら》広く、梅樹《ばいじゅ》雅趣を帯びて、春はさこそと思われる。時刻は既に遅かったので、有名な好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜|忽然《こつぜん》として薨去《こうきょ》された処《ところ》で、その薨去が余り急激であったため、一時は井伊掃部頭《いいかもんのかみ》の刺客の業だと噂されたという事だ。

 (五)懦弱《だじゃく》千万

 大洗《おおあらい》までの無駄足は止《よ》しにして、水戸から発足と決定した。というのは、翌日は行程十五里、山間の大子《だいご》駅まで辿り着いておかねば、その次の日、予定のごとく八溝山《やみぞやま》の絶頂へ達する事は極めて困難であるからだ。その夜は座《すわり》相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝栗毛《ひざくりげ》に鞭打って、我が一行に馳《は》せ加わった三勇士がある。水戸の有志家|杉田恭介《すぎたきょうすけ》君、川又英《かわまたえい》君、及び水戸中学出身の津川五郎《つがわごろう》君で、孰《いず》れも健脚御自慢、旅行は三度の飯より好きだという愉快な連中だ。ところで困ったのは吾輩である。吾輩は元来ここまで一行を見送り、明日は失敬して帰京する予定なので、旅装も何もして来なかったが、新手《あらて》の武者さえ馳《は》せ加わっては、見苦しく尻に帆掛けて逃出す訳にも行かない。且《かつ》は吾輩の膝栗毛も頻《しき》りに跳ね出したい様子なので、ままよ後《あと》の要務は徹夜しても片付けろと、八溝山をこえて那須野《なすの》ヶ原《はら》まで、一行の尻馬に跟《つ》いてお伴をする事に相成った。
 翌日午前七時、昨日《きのう》までの雨に引替えてギラギラ光る太陽に射られながら水戸出発、右に久慈川《くじがわ》の濁流を眺めつつ進む。数里の間《あいだ》格別変った事もなく、ただ汗のだらだら流れるばかり。だんだん田舎深く入込《いりこ》めば、この道中一行の呆れ返らざるを得なかったのは、この地方住民の懶惰《らんだ》極まる事である。孟子の所謂《いわゆる》恒産無き者は恒心無しとでも謂《い》うものか、多少でも財産や田畑《でんぱた》のある者は左程《さほど》でもないようだが、その他の奴等に至っては、どれもこれも、汗水流して少しばかりの金を儲けるよりは、ゴロゴロ寝ていた方が楽だといわぬばかり。どこの家《うち》を覗いてみても、一人か二人昼寝をしておらぬ家は殆んど一軒もない。男は越中|褌《ふんどし》一本、女は腰巻一枚、大の字|也《なり》になり、鼻から青提灯《あおぢょうちん》をぶら下げて、惰眠を貪《むさぼ》っている醜体《しゅうたい》は見られたものではない。試みに寝惚《ねぼ》け眼を摩《こす》って起上った彼等のある者を掴《つかま》え、
「暑いのは誰でも暑いのだ。ゴロゴロ昼寝ばかりしていずに、ドシドシ草鞋《わらじ》でも筵《むしろ》でも作って売ったらどうだ。寝ている暇に少しでも金儲けが出来るではないか」といえば、彼等は面倒臭いといわぬばかりに、
「この暑いに――、沢山《たんと》の儲《もうけ》がねえだ」と、鼻の先で笑っている。彼等の顔は全く無気力と自暴自棄との色に曇っているのだ。そのくせ、欲はなかなか深い。一寸《ちょっと》した物を買っても、すぐに暴利を貪ろうとする。実に懦弱で欲張り根性の突張った奴等ほど済度《さいど》し難い者はないのだ。

 (六)髯《ひげ》将軍の一喝

 一寸《ちょっと》した実例を示せば、我等が船負《ふなふ》という村に差し掛かった時だ。一行は朝から重い天幕《てんと》だの、写真器械だの、食糧品だの、雑嚢《ざつのう》だのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身体《からだ》も多少疲れたので、このさきの大子《だいご》駅まで四、五里の間、二人ばかり荷物を担ぐ人夫を雇いたいものだ、と村中駆け回って談判に及んだが、誰も進んで行こうとする者はない。
「賃銭はいくらでも出す」と嗾《そその》かせば、
「それではいくら出す」とはや欲張る。
「一人前一円ずつ遣《や》ろう」というと、
「一円ばかしでは――、この暑いに――」と仲間|相《あい》顧みて、
「去年来た洋人《いじん》さんは、五両ずつくれったっけなァ」などと吐《ぬ》かす。
「四、五里の道に五円もくれる馬鹿は日本人には無い。それでは一円五十銭ずつ遣ろう」といっても、彼等はいつまでも煮え切らずブツブツいっているので、髯将軍の癇癪《かんしゃく》玉が忽《たちま》ち破裂して大喝一声、
「黙れッ! 馬鹿野郎、もう頼まない。ウエー、ウエー、ウエー」と、将軍独特の豚声一喝を食わせ、一行は再び重い荷物を分担してテクテクテクテク。
 吾輩は敢《あえ》て重い荷物を担がせられたから憤慨するのではないが、一国の生命は地方人士の朴直勤勉なる精神にありとさえいわれているのに、その地方人士の一部がかくも懦弱にして狡猾なる気風に向いつつあるのは、実に痛嘆すべき次第である。かかる傾向は決してこの地方に限った事ではなく、今や全国に漲《みなぎ》らんとする悪潮流ではあるまいか。彼等朴直勤勉なるべき地方人士をして、かくも懦弱に、かくも不真面目ならしめたのは、偽《にせ》文明の悪風|漸《ようや》く日本の奥までも吹き込んで、時々この辺に来る高慢な洋人輩《ようじんはい》や、軽薄な都人士等《とじんしら》の悪感化を受けた故《せい》もあろう。苛税《かぜい》誅求《ちゅうきゅう》の結果、少しばかりの金を儲けたとて仕方なしと、自暴自棄に陥った故《せい》もあろうが、要するに大体の政治その宜しきを得ず、中央政府及び地方行政官は、徒《いたず》らに軽佻《けいちょう》浮華なる物質的文明の完成にのみ焦り、国家の生命の何者であるかを忘れ、一も偉大なる精神的感化力をば、彼等に与うるの道を知らざる為である事は疑いを容《い》れない。国家の最も憂うる処《ところ》は、貧乏でもない、外敵でもない、宏大な官庁が無い事でもない、狭軌鉄道が広軌鉄道にならぬ事でもない、実に国人《こくじん》意気の沈滞と民心の腐敗とである。民心の腐敗その極に至れば、国家は遂に見苦しく自滅する他《ほか》はないのだ。今日我国は貧乏にして生産力に乏しいというが、富力を増し生産力を高める余裕はまだまだ沢山ある。ブラブラ遊んで暮らすのを誇りとしている一部上流社会の奴原《やつばら》を初めとし、ろくろく食う物も食えぬくせに、汗を流して努力する事を好まぬ下等人士に至るまで、惰眠を貪《むさぼ》りつつ穀潰《ごくつぶ》しをやっておる者共は、今日少くとも日本国民三分の一位はあるであろう。願《ねがわ》くは何か峻烈《しゅんれつ》なる刺激を与え、鞭撻《べんたつ》激励して彼等を努力せしめたならば、日本の生産力もまた必ず多大の増加を見る事は疑いを容《い》れまい。こんな事は民力の発展などは眼中にない愚劣政治家共に話したとて分るまいが、真に国家の前途を憂うる人士は、大いに沈思熟考せねばならぬ問題であろうと思う。実に今日は、レオニダスのごとき大政治家|出《い》づるか、日蓮のごとき大宗教家現われ、鉄腕を揮《ふる》い、獅子吼《ししく》を放って、国民の惰眠を覚醒せねばならぬ時代であろう。区々たる藩閥の巣窟に閉籠《とじこも》り、自家の功名栄達にのみ汲々《きゅうきゅう》たる桂内閣ごときでは、到底、永遠に日本の活力を増進せしめる事は出来ない。

 (七)狡猾船頭

 思わず理屈を捏《こ》ねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引摺《ひきず》り引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大雨《たいう》のため諸所《ところどころ》山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌石《がんせき》がガンと一つ頭へ衝《あた》ろうものなら、忽《たちま》ち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微塵《みじん》となって成仏する事|受合《うけあい》だ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久慈川《くじがわ》のとある渡船場《わたしば》付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石《きょがんだいせき》の夥《おびただ》しく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟然《ごうぜん》たる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰され、その片腕とか片脚とかは、かの巨巌の下に今なお取出す事が出来ず残っているという事だ。これには流石《さすが》の髯《ひげ》将軍も首を縮めて、お得意の奇声を放つこと飢えたる豚のごとし。
 この渡船場で滑稽な事があった。河水はさまで氾濫していなかったが、渡《わたし》船に乗って向うの岸に着き、
「船頭、いくら遣《や》ろう」と訊《き》けば、
「一人前四銭ずつだ」と、黒鬼のような船頭は澄ました顔をしている。
「そうか、高い渡船銭《わたしせん》だな」といいながら、八人前三十二銭渡して岸に上《あが》ると、岸上の立札には明《あきら》かに一人前一銭ずつと書いてある。
「此奴《こやつ》、狡猾《ずる》い奴だ」と、兵站《へいたん》係の衣水《いすい》子、眼玉を剥き出し、
「八人前八銭ではないか、余分を返せ」と談判に及べば、船頭は一旦《いったん》握った金を容易に放して堪《たま》るものかと、
「この大水だで――」と頑強に抵抗したが、「馬鹿をいうな。二尺や三尺増水したとて、四倍も増銭《ましせん》を取る奴があるものか。癖になるから返せ返せ」と、無理無理に二十銭だけ取返せば、船頭は口惜《くや》しそうに、
「ケチなお客だなァ」と、一行を見送りつついつまでも口を尖《とが》らしている。こっちがケチなのではない。山男のくせに欲張るからとんだ罵倒《ばとう》を受けたのだ。

 (八)盆踊り見物

 それより山道を或《ある》いは登り、或いは降《くだ》り、山間の大子《だいご》駅の一里半ほど手前まで来かかると、日はタップリと暮れて、十七夜の月が山巓《さんてん》に顔を出した。描けるごとき白雲は山腹を掠《かす》[#底本ではルビが「さす」の誤り]めて飛び、眼下の久慈川《くじがわ》には金竜銀波|跳《おど》って、その絶景はいわん方《かた》もなく、駄句の一つも唸《うな》りたいところであるが、一行は疲れ切っているのでグウの音も出ず、時々思い出したように、オイチニ、オイチニなどと付景気《ついげいき》をして進んで行くと、この山中|諸所《ところどころ》の孤村では、今宵の月景色を背景に、三々五々男女|相集《あいあつま》って盛んに盆踊りをやっているが、我が一行の扮装《いでたち》は猿股一つの裸体《はだか》もあれば白洋服もあり、月の光に遠望すれば巡査の一行かとも見えるので、彼等は皆|周章《あわ》てて盆踊りを止《や》め、奇妙頂来な顔付をして百鬼夜行的の我等を見送っている。ある農家の前に差し掛かった時など、ここでも確かに我が一行に驚いて盆踊りを止めたものと見え、七、八人の男女はキョトンとした面付《つらつき》をして立っておったが、我等の変テコな扮装《いでたち》を見て、
「なんだ、査公《おまわりさん》でねえだ」と、一人の若者、獅子鼻《ししっぱな》を動《うごか》しつつ忌々《いまいま》し気にいうと、中に交った頬被りの三十前後の女房、黄《きいろ》い歯を現わしてゲラゲラと笑い、
「白い物が何でも査公《おまわりさん》なら、俺《わし》が頭の手拭も査公《おまわりさん》だんべえ」と、警句一番、これにはヘトヘトの一行も失笑《ふきだ》さずにはおられなかった。
 元来盆踊りは先祖代々各村落に伝わり、汗を流して働く農民随一の娯楽で、その唄とても、「ままになるならこの丸髷《まるまげ》を、元の島田にしてみたい」位なもので、東京の真中《まんなか》、新橋や赤坂等の魔窟《まくつ》で、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば、決して卑猥《ひわい》なるものという事は出来ない。彼《か》の舶来の舞踏など、余程高尚な積りでおるかは知らぬが、その変梃《へんてこ》な足取、その淫猥《いや》らしき腰は、盆踊りより数倍も馬鹿気たものである。しかるに、盆踊りは野蛮の遺風だとかなんとかいって、一も二もなく先祖伝来の盆踊りを禁止し、他《た》に楽み少なき農民の娯楽を奪い去るとは、当世の役人や警官はよくよく冷酷な根性になったものかな。盆踊りの後《あと》で淫猥《いんわい》の実行が行われるから困ると非難する者もあるが、その実行は盆踊りの後に限ったことではない。芝居の帰途《かえり》にもある。活動写真の戻りにもある。日々谷公園の散歩中にもある。それら淫猥の実行は他の方法で取締るのが当然だ。帝都の真中で密売淫や強姦を十分に取締る事の出来ぬ警察力や、待合の二階で醜業婦共に鼻毛を読まれている当世の大臣や役人|輩《ばら》に、盆踊り位をとやかくいう権能は余りあるまいテ、馬鹿な話である。
 その夜十時頃、大子駅に到着。山間の孤駅であるが一寸《ちょっと》|有福《ゆうふく》らしき町である。未醒《みせい》子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や木川《きがわ》子や衣水《いすい》子は夜中にも拘《かかわ》らず、写真器械引担いで町見物にと出掛け、折よく町はずれで盛んな盆踊りを見付けたので、今度は巡査と間違えられる気遣いもなく、髯将軍は盆踊りの親方らしき若者と交渉の上、首尾よく珍妙な踊りを二、三枚撮影したが、夜中《やちゅう》の事とて不意に閃電《せんでん》のごとくマグネシヤを爆発させて撮影するので、その音に驚き、キャッと叫ぶ女もあれば、閃光に眼《まなこ》を射られて暫時《しばし》は四方真暗、眼玉を白黒にしてブツブツいっている男のあるなど滑稽滑稽。

 (九)弱い剛力《ごうりき》

 翌日午前六時|大子《だいご》駅出発。これから八里の山道を登って、今夜は海抜三千三百三十三尺、八溝山《やみぞさん》の絶頂に露営する積りである。そこで剛力を二人雇い、写真器械だの、天幕《てんと》だの二日分の糧食だけを背負わせたところ、重い重いと頗《すこぶ》る不平顔。
「ナァニ、こんな物が重いものか」と、追い立てるようにして出発したが、その遅いこと牛の歩行《あゆみ》も宜《よろ》しくである。仕方がないから一同その荷物の幾分を分担したが、それでもなかなか速くは歩かぬ。ことに若い方の剛力は懦弱極まる奴で、歩きながら無精な事ばかりいっている。剛力でない、弱力と呼んだ方が適当だろう。
「こんな奴はズット先へ遣っておいた方がよかろう」というので、二、三里先へ行って待っていろと命令して先発させ、一行は或《あるい》は山水の奇勝を写真に撮り、或いはゆるゆる写生などをし、もう牛《ぎゅう》的剛力も余程遠くへ行っているだろうと思い、急足《きゅうあし》に半里《はんみち》ばかりも進んでみると、剛力先生泰然自若と茶屋に腰打ち掛け、贅沢にも半腐りの玉ラムネなんか飲んでござる。癪《しゃく》に触って堪らぬ。ホイホイ背後《うしろ》から追い追い立て、約二里ばかり進めば、八溝川の上流、過般の出水の為に橋が落ちている。橋が無ければ徒歩じゃ徒歩じゃと、一同ジャブジャブ水を漕いで渡るに、深さは腰にも及ばぬ程であるが、水流は石をも転《まろ》ばす勢《いきおい》なので、下手をすれば足|掬《すく》われて転びそうになる。ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショと、爺《じい》様のような懸声《かけごえ》をしながら漸《ようや》く河を渡り、やがて町付《まちつき》という寒村に来掛かれば、もう時刻は正午に近い。
「アア腹が減った。腹が減った」という声が頻《しき》りに起る。この昼飯《ひるめし》分は剛力に担がせて来たのだが、この前途《さき》山中に迷わぬものでもないから、なるべく食物《しょくもつ》を残しておけと、折りから通り掛かった路傍《みちばた》に、「旅人宿《りょじんやど》」と怪し気な行灯《あんどん》のブラ下がった家があるので、吾輩は早速|跳《おど》り込み、
「オイ、飯を食わせろ」と叫ぶと、安達《あだち》ヶ原《はら》の鬼婆然たる婆さん、皺首《しわくび》を伸ばして、
「飯はねえよ」
「無ければ炊いてくれ」
「暇が掛かるだよ」
「三十分や一時間なら待とうが。何か菜《さい》があるか」
「菜は格別ねえだよ。缶詰でも出すべえか」
「缶詰ならこっちにもある。そんな物は食いたくない。芋でも大根でも煮てくれないか」
「芋も大根もねえだよ」
 嘘ばかりいっている。現に裏の畑には芋も大根もあるのに、それを掘るのが面倒なのか、高い缶詰を売付けようとするのか、不親切も甚《はなはだ》しいので、未醒《みせい》子大いに腹を立て、
「止《よ》せ止せ、こんな家の厄介になるな」
と、一行は尻をたたいてこの家《や》を出たが、婆さん一向《いっこう》平気なもの、振向いてもみない。食物《しょくもつ》本位の宿屋ではなかったと見える。
 三、四町行くとまた一軒の汚い旅人宿、幸いここでは、鰌《どじょう》の丸煮か何かで漸《ようや》く昼飯に有付くことが出来た。東京では迚《とて》も食われぬ不味《まず》さであるが、腹が減っているので食うわ食うわ。水中の津川五郎子八杯、未醒子七杯、髯将軍と吾輩六杯、その他平均五杯ずつ、合計約五十杯、さしもに大きな飯櫃《おはち》の底もカタンカタン。

 (一〇)登山競争

 町付《まちつき》村から、山道は漸《ようや》く深くなり、初めは諸所《ところどころ》に風流な水車小屋なども見えたが、八溝川《やみぞがわ》の草茂き岸に沿うて遡《さかのぼ》り、急流に懸けたる独木《まるき》橋を渡ること五、六回、だんだん山深く入込《いりこ》めば、最早どこにも人家は見えず、午後四時頃、常州《じょうしゅう》第一の高山八溝山の登り口に達した。登り口には古びた大きな鳥居が立っている。ここから山道は急に険しくなるのだ。絶頂までは一里半、頂上間近になれば、登山者の最もくるしむ胸突《むねつき》八丁もあるとの事だ。
 例の剛力先生なかなかやって来ない。鳥居の下で待つこと約三十分、杉田子、衣水子、木川子など付添で漸くやって来た。聴けばある坂道で、剛力先生|凹垂《へこた》れて容易に動かばこそ、仕方がないので、衣水子金剛力を出して、エイヤエイヤと剛力先生の尻を押上げたとの事。これではまるで反対《あべこべ》だ。呆れ返った剛力どのかな。
 八溝山の登り口からは、一里半登山競走という事に相成った。凹垂《へこた》れ剛力などは眼中にない。後《あと》からゆっくり来いというので、一同疲れし膝栗毛に鞭を加え、力声《ちからごえ》を上げてぞ突貫する。初め山道は麓の村落で嚇《おどか》された程急ではないが、漸く樵夫《きこり》の通う位の細道で、両側から身長《みのたけ》よりも高き雑草で蔽《おお》われている処もある。赤土の急勾配、溝のごとくになり、辷《すべ》って転ぶ事も幾回なるを知らず、足を大の字|形《なり》に拡げて両側の草を踏みつつ、ヨタヨタ進まねば容易に登る事の出来ぬ場所も五、六町。巌角《いわ》の突出《つきい》で巌石《がんせき》の砕けて一面に転《ころ》ばっている坂道は、草鞋《わらじ》の底を破って足の裏の痛きこと夥《おびただ》しく、折から雲霧は山腹を包んで、雨はザアザア振って来れば、水はこの巌石の細道を滝のごとく上から流れ落ち、さながら急流を踏んで山を登るに異《ことな》らず。
 ここに奇妙な事には、昨年日光の山中旅行では、常に凹垂れの大将となり、一行の厄介者であった吾輩、今日はいかなる風の吹き回しか、その元気|凄《すさ》まじく、水戸の津川五郎子と前後して先頭に立っている。ああら有難《ありがた》し、これも腹式呼吸のお陰《かげ》、強健術実行の賜物《たまもの》ぞと、勇気日頃に百倍し、半身裸体に雨を浴びてぞ突進する。こんな場合にいつも先人を争う髯将軍はいかにせしぞと後《のち》に聴けば、将軍、剛力の遅々《ぐずぐず》が癪《しゃく》に触って堪らず、暫時《しばし》叱※[#「くちへん+它」、第3水準1-14-88、369-4]《しった》督励していた為に、思わず大いに遅れたという事だ。
 だんだん山道を高く登れば、四方に聳《そび》ゆる群山は呼べば応《こた》えんばかり、今まで遥か高く見えた山々の絶頂も、いつの間にか視線と平行になり、更に登ればはや眼下に見えるようになる。その愉快なることいわん方なく、膝栗毛の進みもますます速く、来た処は、音に名高き胸突き八丁の登り口。日ははや暮れかかり、渓谷《たにま》も森林も寂寞《せきばく》として、真に深山の面影がある。
 胸突き八丁の登り口に近く、青い苔の生《む》した断崖からは、金性水《きんせいすい》と呼ぶ清泉が滾々《こんこん》と瀑布《たき》のごとく谷間に流れ落ちている。これぞ八溝川の水源で、この細流に四方の水が合し、滔々《とうとう》として常州の山野を流れ行くのだ。

 (一一)先登《せんとう》の自慢

 吾輩と津川五郎子とは、百鯨《ひゃくげい》の長川《ちょうせん》を吸うがごとくガブガブ金性水を飲み、太鼓のように膨れた水腹を抱えて胸突き八丁を登って行く。頂上まで殆《ほとん》ど一直線に付けられた巌石《がんせき》の道で、西側には老杉《ろうさん》亭々《ていてい》として昼なお暗く、なるほど道の険しい事は数歩|前《さき》の巌角《いわかど》の胸を突かんばかり、胸突き八丁の名も道理《ことわり》だ。
 しかしこんな事に凹垂《へこた》れる吾輩でない、などと先頭に立っているので大いに得意になり、津川子と共にエイヤエイヤの掛声を揚げて攀《よじ》登る。雨は漸《ようや》く霽《は》れたが、流るる汗は滝のごとく、それに梢から滴る露を浴びつつ、帽子もズボンもズブ濡れになって、頓《やが》て六、七町も登って上を仰ぐと、嬉しや嬉しや、頭上には古びた神社の屋根らしき物が見える。あすここそ頂上に相違ないと、余りの嬉しさに周章《あわ》てたものか、吾輩は巌角《いわかど》から足踏み滑らして十分《したたか》に向脛《むこうずね》を打った。痛い痛いと脛《すね》を撫でつつ漸くそこに達し、拝殿にも上らず、直ちにその後《うしろ》の丘の上に駆け上《あが》ると、ここぞ海抜三千三百三十三尺、高さからいえば富士山の三分の一位のものであるが、人跡余り到らぬ常州《じょうしゅう》第一の深山八溝山の絶頂である。
 頂上には一個の石標があって、ここは常陸《ひたち》と下野《しもつけ》の国境《くにざかい》である事を示す。吾輩はすぐさまその石標の上に跳《おど》り上り、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、吾こそは今日登山競走の第一着、冒険和尚|字《あざな》は春浪《しゅんろう》なりと呼《よば》わったが、音に聴く者も眼に見る者も側《かたわら》なる津川五郎子ばかり。四方《よも》の山々は、なんだ人間一|疋《ぴき》、蚊のような声を出すなと嘲《あざ》けっているように見える。未醒《みせい》子の漫画では、吾輩群を抜いて一着のように描《か》いてあるが、その実津川子と同着、シカモ吾輩は裸一貫、津川子には重い荷物のハンデキャップが付いている。残念ながら正直に白状|仕《つかま》つる。
 その内に髯将軍は、全身から湯けむり立てて登って来る。続いて未醒子、木川子など、一行は尽《ことごと》く到着したが、例の剛力先生容易に到着する気遣いはない。
 見渡せば、群を抜ける八溝山の絶頂は雲表《うんぴょう》に聳《そび》え、臣下のごとき千山万峰は皆眼下に頭を揃えている。雲霧深くして、遠く那須野《なすの》の茫々《ぼうぼう》たる平原を一眸《いちぼう》に収める事の出来ぬのは遺憾《いかん》であったが、脚下に渦巻く雲の海の間から、さながら大洋中の群島のように、緑深き山々の頭を突出《とっしゅつ》している有様は、実になんともいう事の出来ぬ雄大なる光景であった。泰岳《たいがく》巨峰の風物は人間の精神を雄大ならしめるというが、全くその通りに思われる。
 衣水子は山嶽《さんがく》志でも読んで来たものと見え、得意になって頻《しき》りに八溝山の講釈をやる。
「そもそもこの八溝山というのは、全く海抜三千三百三十三尺という不思議な高さで、山中には三水《さんすい》と唱える金性水《きんせいすい》、竜毛水《りゅうもうすい》、白毛水《はくもうすい》の清泉が湧き、五つの瀑布《たき》と八つの丘嶽《おか》とまた八つの渓谷《たに》とがあって、孰《いず》れも奇観だ。ことにこの山中に生ずるサヤハタという木は、水中に在ってもよく燃えるので、その皮を炬火《たいまつ》として大雨中《だいうちゅう》でも振回して歩く事が出来るそうだ。先刻《さっき》通ったあの金性水の所には、昔時《むかし》四斗|樽《だる》程の大蛇が棲《す》んでおって、麓の村へ出てはしばしば人畜を害したので、須藤権守《すどうごんのかみ》という豪傑が退治したという口碑が伝わっている。現に今でもこの山中にはなかなか毒蛇が沢山いるという事だ、御用心御用心」と、首を縮めて腰の辺《あたり》を撫でている。

 (一二)汗臭い握飯《にぎりめし》

 その話は面白いが、しかし吾輩は山登りの汗が引込むに随《したが》い、だんだんと寒くなって仕方がなくなった。それもその筈《はず》である。吾輩は帽子もズボンもズブ濡れで、腰から上は丸裸、山頂の雲霧を交えた冷風がヒューヒュー吹き付けるのだから堪ったものではない。シャツや上衣《うわぎ》は今朝剛力の担ぐ荷物の中へ巻入れてしまったので、暑い道中は誠に結構であったが、この寒さでは閉口閉口。ブルブル震えながら山頂に立って、
「オーイ、剛力ィ――。オーイ、剛力ィ――」と叫んで見たが、応《こた》うるものは木精《こだま》ばかり、馬糞《うまくそ》剛力どこをマゴ付いている事やら。
 その内に再び雨さえ降って来たので、コリャ堪らぬ堪らぬと、杉田子はお年寄り役だけに、若手の面々を指揮して枯木枯枝を集めさせ、廃殿の横手に穴のような処を見付け出し、頻《しき》りに焚火《たきび》をしようと焦ってござるが、風が吹く、雨が降る、その上燃料が湿っているので火はなかなか付かぬ。エイ生意気な雨だと怒って見ても、雨は相手にならず。
 漸《ようや》く火の盛んに燃え付いた頃、剛力先生もまた漸く上《あが》って来たので、まず早速着服に及ぶ。何はともあれ腹が減って堪らぬから、一同は焚火を囲んで夕食に取掛かったが、これはしたり! 一行二日分の握飯は風呂敷に包んで若い方の剛力が背負《しょ》って来たのだが、この男元来の無精者、雨が降っても蔽《おお》いもしなかったものと見え、グチャグチャに崩れた上に、雨に濡れてベトベトになっている。
「こんな物食えるものか」と、怒っても、他《た》に食う物はないので、仕方なく一口やってみたが、これまたしたり! なんだか臭いようで、その塩からいこと夥《おびただ》しい。握飯がこんなに塩からい理由《わけ》はないと、よくよく調べてみると、ああ汚いかな、剛力先生数里の間汗だらけになって握飯を背負《しょ》って来たので、流るる汗が風呂敷を通して尽《ことごと》く握飯に染み込んだ次第、つまり握飯の汗漬《あせづけ》が出来た訳だ。
 コリャ堪らん。英雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦弱《よわ》い奴の汗を舐《な》めるのは御免である。万一その懦弱が伝染しては堪らぬと、吾輩はペッと吐出してしまったが、それでも背に腹は替えられずと、苦い顔をしながら食った連中もあった。剛力は無論自分の汗だから平気である。得意になってムシャムシャ頬張っている面の癪《しゃく》に触る事!
 吾輩等は握飯を失ったので仕方なく、コーンビーフの缶詰を切り、握飯の中の梅干だけはまさか汗漬にもなるまいと、塩からい冷肉をパク付き、梅干をしゃぶっている心細さ!

 (一三)駆落《かけおち》の落書

 このミゼラブルな夕食を終ったのは、午後の九時前後であったろう。夜《よ》は暗く、ただ焚火の光の空を焦がすのみ。雨は相変らずショボショボと降り、風は雑草を揺がして泣くように吹く、人里離れし山巓《さんてん》の寂莫《せきばく》はまた格別である。
 廃殿の柱や扉には、曾《かつ》てここを過ぎた者の記念と見え、色々様々の文字が記してあるが、中にこんな事も書いてあった。
[#ここから1字下げ]
「明治四十三年十月二十日、黒羽《くろばね》町|万盛楼《まんせいろう》の娼妓《しょうぎ》小万《こまん》、男と共に逃亡、この山奥に逃込みし筈《はず》、捜索のため云々《うんぬん》――」
[#ここで字下げ終わり]
と、捜索に来た人間の名も麗々と記してある。こんな山奥に逃込むとは驚いた女もあるものかな、もしや男と共に谷間へ投身《みなげ》でもしたのではあるまいか、どこかそこらの森林で首でも縊《くく》って死んだのではあるまいかと思うと、余り好《い》い気持はせぬ。
 その内に夜はシンシンと更けてくる。しかしまだ寝るには早い。イヤ寝るにも毛布《けっと》も蒲団も無いので、一同は焚火を取囲み、付元気《つけげんき》に詩吟するもあり、ズボンボ歌《うた》を唄《うた》うもあり。風上にいる者は雨の飛沫《しぶき》を受けるだけで我慢もなるが、風下にいる連中は渦巻く煙に咽《むせ》び返って眼玉を真赤《まっか》にし、クンクン狸のように鼻ばかり鳴らしている。
 とかくする内に、一同は咽《のど》が乾いて堪らなくなって来た。それもその筈だ。汗水たらして激しく山登りをして来た上に、握飯には有付けず、塩からい冷肉を無闇《むやみ》にパク付いたので、迚《とて》も堪《たま》ったものではない。
「ああ咽が渇く、咽が渇く」との嘆声八方より起る。なるほど八人口々に唸るのだから、これこそ本当の八方じゃ。
 なんでもこの山巓《さんてん》を少し降《くだ》った叢《くさむら》の中には、どこかに岩間から湧き出《いづ》る清泉《せいせん》があるとは、日中|麓《ふもと》の村で耳にしたので、
「オイ、その清泉《いずみ》の所在《ありか》を知らぬか」と剛力に聴いてみたが、
「一向知らねえだ」と澄ました顔をしている。後《あと》から考えてみると、数回この山に登った奴が全然知らぬ道理はない、きっとこの雨の中を汲みに遣られては堪らぬと、自分等も咽の渇くのを我慢して、焚火に噛《かじ》り着いていたいため、知らぬ顔の半兵衛を極《き》め込んでいたものと見える。
 一行は手分けをして、雨に濡《うるお》う身長《みのたけ》より高い草を押分け押分け、蚤取眼《のみとりまなこ》で四方八方捜索したが、いかにしても見出す事が出来ない。咽はいよいよ渇いて来る。ある先生はショボショボ降る雨でも飲んでくれようと考えたものか、空を仰いで大口開けて突立っているが、雨はなかなか旨《うま》く口中へ降り込んではくれぬ。その馬鹿気た風体は見られたものではなかった。

 (一四)暗中|水汲《みずくみ》隊

 いよいよ山巓《さんてん》に近く水が無いものとすれば、胸突《むねつ》き八丁を降《くだ》って金性水《きんせいすい》まで汲みに行かねばならぬ。オオ金性水よ! 金性水よ! そこには氷のごとき清水が瀑布《たき》のように落ちているのだ。それを考えただけでも咽《のど》がグウグウ鳴る。しかしこの疲れた足で金性水を汲みに行くのは容易な事ではない。この暗い夜! 胸突き八丁の険阻。ことにこんなジメジメした夜中《やちゅう》には、蝮《まむし》が多く叢《くさむら》から途中に出ているので、それを踏み付けようものなら、生命《いのち》にも係わる危険であるが、咽の渇きも迚《とて》も怺《こら》える事が出来ぬので、一同は評議の上、留守師団は水汲み隊の帰ってくるまでの間に、天幕《てんと》を張り、寝る用意を総《すべ》て整えておく事とし、未醒《みせい》子、杉田子、髯将軍の三人は、身を殺して仁を為すといわぬばかりに、甲斐甲斐《かいがい》しく身支度を整え、水筒はただの三個の他《ほか》はないので、こればかりの水では足らぬと、廃殿の中を捜し回り、古びた花立のような長い竹筒を見付け出したので、それ等をぶら下げ、懐中電灯に暗い険しい胸突き八丁の道を照らしつつ、雨を冒して金性水の方《かた》へと降りていった。
 跡に残った吾輩等は、焚火に燃ゆる枯枝を松明《たいまつ》と振り照らし、とある大木の下の草の上に天幕《てんと》を張り出したが、松明は雨で消える、鉄釘は草の中へ落ちて見えなくなる、その困却は一通りでなかったが、彼《か》の殿様然たる剛力どのには、水を汲みに行こうとはいわねば、天幕を張る手伝いをするでもなく、ただ焚火に噛《かじ》り着いてはや居眠りを始めてござる。
 三、四十分も掛かって漸《ようや》く天幕《てんと》を張り終り、筵《むしろ》を敷いてそこへ覚束《おぼつか》なくも焚火を始めた頃、水汲み隊は息を切らしヘトヘトになって帰ってきた。
「万歳万歳」の声は四方に起り、一同は蟻《あり》の甘味《あまき》に付くように水汲み隊の周囲《まわり》に集り、咽《のど》を鳴らして水筒の口から水を呷《あお》る。その旨《うま》い事! 甘露ともなんとも譬《たと》えようがない。
 スルト今まで居眠りをしていた剛力先生、二人共ノソノソやって来て、吾輩等の背後《うしろ》から猿臂《えんび》を伸ばして水筒を掴《つか》もうとする。
「コラッ、貴様ッ、ろくろく働きもせぬくせに、生血《いきち》のような水を唯《ただ》飲みしようとは、怪《け》しからん奴だ」と呶鳴《どな》り付けたが、考えてみればあれも人の子、咽の渇くのは同じだろうと惻隠《そくいん》の心も起り、
「皆飲むなよ」と、長い竹筒の水を渡してやれば、先生竹筒に口を当てるが早いか、逆様《さかさま》にして皆ゴボゴボと飲んでしまった。イヤ腹の中へ飲んだのならまだいいが、奴《やっこ》さん一口でも多く飲んでやろうと周章《あわ》てたため、水汲み隊が汗水流して汲んで来た大事な水をば、大半ゴボゴボと溢《こぼ》して地面に飲ませてしまったのだ。よくよく癪《しゃく》に触る奴等であるわい。

 (一五)巨大な天狗面

 しかし小言《こごと》をいったとて帰らぬ事、一同は些《いささ》か咽《のど》の渇きも止《とま》ったので、
「サァ明朝《あす》は早いぞ、もう寝ようか」と、狭い天幕《てんと》内へゾロゾロと入り込んだが、下は薄い筵《むしろ》一枚で水がジメジメ透《とう》して来る。雨はますます激しく、開放《あけはな》しの入口は風と共に霧さえ吹込んで来るので、なかなか以て横になる事も出来ない。その内に焚火は天幕の一隅に燃え付いて、天幕は鬼火のように燃え上がる。
「ヤア、火事だ火事だ」と、周章《あわ》てて揉み消す。火の粉は八方に散る。
「これは迚《とて》もいかん。寧《むし》ろ廃殿の中で眠った方が得策だ」と早速天幕を疊み、一同はまたもやゾロゾロと、簷《のき》は傾き、壁板は倒れ、床は朽ちて陥込《おちこ》んでいる廃殿に上《のぼ》り、化物の出そうな変な廊下を伝《つたわ》って奥殿へと進み、試みに重い扉を力任せに押してみると、鍵は掛《かか》っておらず、扉はギーと開《あ》いたので、これは有難いと、懐中電灯の光に中を照《てら》してみると、奥殿の床板は塵埃《ちりほこり》の山を為《な》し、一方には古びた巨《おお》太鼓が横《よこた》わり、正面には三尺四方程の真赤《まっか》な恐ろしい天狗の面がハッタとこちらを睨んでござる。一人でこんな場所へ来てこんな恐ろしい面を見たら、キャッと叫んで逃げ出すかも知れぬが、一行は大勢なのでチットも驚かない。
「ハハァ天狗様が祀《まつ》ってあるのだな、これは御挨拶を申さずばなるまい」と、そこで髯将軍は恭《うやうや》しく脱帽三拝し、出鱈目《でたらめ》の祭文《さいもん》を真面目|臭《くさ》って読み上げる。その文言《もんく》に曰《いわ》く、
「コレ、天狗殿、吾輩は東京天狗倶楽部の一|人《にん》、吉岡信敬なり。敢《あえ》て閣下の子分に非《あら》ずと雖《いえど》も、また多少の因縁なきにしもあらず。今夜ここに泊る。もし猛獣毒蛇|来《きた》らば、その眼玉で睨み殺して賜われ。猛獣ならばその皮は吾輩有難く頂戴《ちょうだい》する。終りッ!」
スルト側《そば》から水戸の川又子、俳号を五|茶《さ》と申す、宗匠気取りで、
 ああら天狗一夜の宿を貸し給え
と駄句《だく》れば、
「アーメン」と誰か混ぜ返した者がある。
「コラ、そんな事をいうと、天狗様の罰が当るぞ」と、未醒《みせい》子は眼を剥く。先生の相貌、羅漢に似たる為か、アーメンはよくよく嫌いと見えたり。

 (一六)拝殿[#「廃殿」の誤り?]の一夜

 サア天狗様へ御|挨拶《あいさつ》も済んだというので、一同は奥殿の片隅を拝借し、多くはビショビショに濡れたまま、雑嚢《ざつのう》や新しい草鞋《わらじ》を枕に横《よこた》わったが、なかなか以て眠られる次第ではない。下は毛布《けっと》一枚敷かぬ堅い床板なので、腰骨や肩先が痛くなる。深夜の寒気《さむけ》にブルブル震えて来る。その上得体も知れぬ虫がウジウジ出て来て、誰かの顔へは四寸程の蚰蜒《げじげじ》が這《は》い上《あが》ったというので大騒ぎ。あっちでもブウブウ、こっちでもブウブウ、その内にゴーゴーと遠雷のような音響《ひびき》、山岳鳴動してかなり大きな地震があった。
「ソラ、天狗様の御立腹だ」と、一同は眼玉を円《まる》くする。ヌット雲表《うんぴょう》に突立《つった》つ高山の頂辺《てっぺん》の地震、左程の振動でもないが、余り好《い》い気持のものでもない。しかしこんな高山絶頂の野営中に地震に出逢うとは、一生に再び有る事やら無い事やら、これも後日一つ話《ばなし》の記念となるであろう。
 とにかく寒気《さむさ》と虫類のウジウジ押し寄せるので、吾輩はいかに日中の疲労《つかれ》があっても容易に眠る事は出来ず、早く夜が明けてくれればいいがと待つばかり。その内に一時間位はウットリしたのであろう。なんだか悪魔に腰骨でも蹴られたような夢を見てハット驚き目を開《あ》くと、眼前には真赤《まっか》な恐ろしい天狗の面。将《まさ》に消えなんとする蝋燭《ろうそく》の光は朦朧《もうろう》とそれを照《てら》している。時計を出して見ると午前三時。まだ夜の明けるには間《ま》があるが、いつまでもこんな所に寝ていられるものかと、吾輩は突如《いきなり》跳ね起き、拳《こぶし》を固めて傍《そば》の巨《おお》太鼓を、ドドンコ、ドンドン、ドドンコ、ドンドンと無暗《むやみ》に打叩けば、何人《なんびと》も満足に睡《ねむ》っていた者はなかったものと見え、孰《いずれ》もムクムクと頭を擡《もた》げて、
「何時だ何時だ」
「まだ三時だが、もうそろそろ出立と致そう」
「よかろうよかろう」と、一同も起上《おきあが》り、着のみ着のままで寝たので身仕度の手間は入らず、顔を洗おうにも水はない。また握飯《にぎりめし》はオジャンとなったので朝食《あさめし》の世話もないが、今日の行程は七里以上、なにも食わずでは堪らぬと、昨夜《ゆうべ》咽《のど》を渇かしたにも懲りず、またしても塩からいコーンビーフに些《いささ》か腹を作り、氷砂糖などをしゃぶりつつ、出発の用意全く出来上ったが、ここに困った事には、例の剛力先生、今日のお伴は真平《まっぴら》だといい出した一件で、
「こんな苦しいお伴をした事は生れて初めてだ。荷物の重いばかりでなく、箆棒《べらぼう》に前途《さき》ばかり急いで、途中ろくろく休む事も出来ねえ。どこまでも付従《くっつ》いて行ったら生命《いのち》を取られるかも知れねえだ。俺達はここから帰る帰る」
とダダを捏《こ》ねている。
「そんな事をいっては困る。この深山で置いてきぼりを食っては、麓へ降りる道も分からぬではないか。今日は荷物もウント軽くしてやる。ゆっくり休ませてもやるから、ぜひ行ってくれ」と頼んでも、
「厭《いや》だ厭《いや》だ、ここで御免|蒙《こうむ》るだ」と、いつまでもグズグズいっているので、吾輩大いに腹を立て、
「勝手にしろ。山を降りれば何かあるに相違ない。何かに付いて降《おり》れば、どこかの村に着《つく》に極《きま》っている。汝等《なんじら》ごとき懦弱漢はかえって手足《てあし》纏《まと》いだ。帰れ帰れ」と追い帰し、重い荷物は各自分担して、駄馬のごとく、背に負い、八溝山万歳を三呼して廃殿を立ち出《い》でた。

 (一七)山中マゴツキ

 この時は午前の四時少し過ぎ、東の空は漸《ようや》く白んで来たようだが、濃霧は四方を立て罩《こ》めて、どこの山の姿も分らない。もし濃霧|霽《は》れて、東天に太陽の昇るのを見たならば、その絶景はいかばかりだろうと思うが、今日到底その望みはないので、一行は濃霧中に道を捜しつつ山を降《くだ》って行く。
 登る時には長い時間と多くの汗水とを費《ついや》させた八溝山も、その降《おり》る時は頗《すこぶ》る早い。しかし降《お》り道も決して楽ではなかった。濃霧は山を降《おり》るに随《したが》い次第次第に薄くなって、緑の山々も四方に見えるようになったが、道はしばしば草に埋没して見えなくなる。崖の崩れて進むに難《かた》い処《ところ》もある。赤土の道では油断をすると足を掬《すく》われて一、二回滑り落《おち》、巌石《がんせき》の道では躓《つまづ》いて生爪を剥がす者などもある。その上、虻《あぶ》の押寄せる事|甚《はなはだ》しく、手や首筋を刺されて閉口閉口。
 絶頂から一里ほど降《おり》ると、果《はた》して急流矢のごとくに走っている。急流の岸には一軒の水車小屋も淋《さび》し気に立っている。一行は今夜、那須野《なすの》ヶ原《はら》の黒羽《くろばね》町に一泊の予定で、その途中、有名な雲巌寺《うんがんじ》へ回ってみる積りなので、急流の岸の水車小屋に足を運び、
「ここから雲巌寺まで何里ある」と訊《き》けば、
「二里位だ」と答える。有難《ありがた》し有難し、二里位なら一足飛びだと、くわしく道を聴き、急流に沿うて、或《あるい》は水を渉《わた》り、或《あるい》は岩角を踰《こ》え、漸《ようや》く道らしい道に出たので、一行は勇気数倍し、髯将軍|真先《まっさき》に軍歌などを唱《うた》い出し、得意になってだんだん山を降《くだ》ること一里半ばかり、むこうから樵夫《きこり》らしき男が来たので、
「雲巌寺へはこの道を行けばいいのか」と訊《き》けば、
「滅相もない。この道を行けば棚倉《たなぐら》へ出てしまう。雲巌寺へはズット後戻りして、細い道を右へ曲がって行かねば駄目だ」と、悉《くわ》しく道を教えられて有難いやらガッカリやら。一同はその教えられた通りにまたもや一里半ほど進むと、今度は頬被《ほおかむ》りの馬士《まご》がドウドウと馬を曳《ひ》いてやって来たので、もう雲巌寺も間近だろうと胸算用をしながら、
「お寺へは何里だね」と軽く訊《たず》ねると、
「そうさね、二里半もあろうか」といい捨てて行き過ぎる。
「ハテナ、来れば来るほど道が遠くなるとはこれ如何《いか》に」禅宗の問答ではないが分からぬ事限りなし。初め雲巌寺まで二里と聴いた水車小屋からは、二里は愚《おろ》か無駄足をして既に四、五里は来たのに、この先まだ二里半あるとはガッカリガッカリ。孔明《こうめい》の縮地の法という事は聞いているが、この辺《へん》に伸地の魔法でも使う坊主でもいるのではあるまいかと、一同は俄《にわ》かに疲労《つかれ》を感じてきた足を引摺《ひきず》[#底本ではルビが「ひきずり」となっている]り引摺り、更に半里ほど歩んで、路傍《みちばた》の農家にチョン髷《まげ》の猿のような顔をした老爺《おやじ》が立っていたので、またしても懲《こ》り性《しょう》なく、
「雲巌寺まで何里だ」と問うと、
「二里半だ」と相変らずである。これでは歩いているのだか、ツクネンと立っているのだかさっぱり分からぬ。
「いくら歩いたって駄目だ。まだ二里半あるなどと、そんな馬鹿な事があるものか。道を近くいう奴は可愛らしいが、遠くいう奴は憎らしい。あの老爺《おやじ》の面《つら》も癪《しゃく》に触るではないか」と、老爺どのとんだお憎《にくし》みを受けたものだ。蓋《けだ》し足の重くなった旅行家の真情を暴露したものだ。

 (一八)焼酎《しょうちゅう》の御馳走

 一行は多少ヤケ気味に、それよりはブラリブラリと牛の歩み宜《よろ》しく、またもや一里あまり進んで、南方《みなみかた》村という寒村に来掛かれば、路傍《みちばた》の開放《あけはな》されたる一軒家では、褌《ふんどし》一本の村の爺《じい》さん達四、五人|集《あつま》って、頻《しき》りに白馬《どぶろく》か何か飲んでいる。ここでもまたまた雲巌寺へ何里あると問えば、
「そうさね、一里には近かろう」との答えだ。
「善哉《ぜんざい》! 善哉! この爺さん達はエライよ」と、一同はホッと一息。時刻は正午《ひる》間近なので、朝飯の不足に腹が減って堪らず、ここは掛茶家ではないが、一同は御免|候《そうら》えと腰を下し、何か食う物は無いかと聴くと、何も食う物は無いが、焼酎に漬物位なら有るという。
「焼酎でも結構結構」と、焼酎五、六合に胡瓜《きゅうり》の漬物を出して貰い、まだ一缶残っておった牛肉の缶詰を切って、上戸《じょうご》は焼酎をグビリグビリ、下戸《げこ》は仕方がないので、牛肉ムシャムシャ、胡瓜パクパク。漬物は五、六杯お代りをすれば、もう一家中にあるだけ尽《ことごと》く平《たいら》げてしまったので、今度は生の胡瓜に塩をつけて丸噛《まるかじ》り。減腹《すきはら》に焼酎を呷《あお》った連中はフラフラして来る。吾輩も白状すれば大いに参った。
 何しろ重い荷物を引担いで山道は迷う、炎天には照りつけられる、その上|昨夜《ゆうべ》の睡眠不足も手伝って、一行の足の重きこと夥《おびただ》しく、些《いささ》か意気消沈の気味にも見えるので、こんな事ではいかん、反対療法に如《し》くは無しと、その実吾輩も大いに凹垂《へこた》れているくせに、
「ここから雲巌寺まで約一里、クロスカンツリーレースを行《や》ろうではないか」と威張り出せば、誰も凹垂れたと見られるのは厭なものと見え、
「賛成賛成」と孰《いずれ》も疲れ切ったる毛脛《けずね》を叩く。
「お前様達、一里|駆《かけ》ッこをするのかね」と爺さん達は眼を円《まる》くしている。
 そこで農家の爺さん達にお頼み申し、重い荷物は尽《ことごと》く駄馬に着けて、近道を黒羽《くろばね》町まで送り届けて貰う事とし、黒羽町の宿屋は△△屋というのが一等だと聴いたのでそこと取極《とりき》め、さて一行は半身裸体なるもあればシャツ一枚となるもある、内心困った事になったと思いながらも、程よく一列に並び、一、二、三の掛声で砂塵を蹴立てて一目散に駆け出した。

 (一九)一里競争

 先頭は誰ぞと見れば、腕力自慢の衣水《いすい》子|韋駄天《いだてん》走り、遥か遅れて髯将軍、羅漢《らかん》将軍の未醒《みせい》子と前後を争っていたが、七、八町に駆けるうちに、衣水子ははや凹垂《へこた》れてヒョロヒョロ走《ばし》り、四、五町にいた水戸中学の津川五郎子、非常なヘビーを出して遥か先頭に進み、続いて髯将軍、羅漢将軍等、髭面《ひげづら》抱えてスタコラ走って行《ゆ》く有様は、全く正気の沙汰《さた》とは思われず、田畑の農民等は何事ぞと、腰を伸ばして眼を見張っているばかり。
 吾輩はいかにと自分で自分を見れば、これはいかなこと! 昨日《きのう》登山第一の元気はどこへやら、焼酎《しょうちゅう》は頭へ上《のぼ》って、胸の悪《あし》き事|甚《はなはだ》しく、十二、三町走るか走らぬに、迚《とて》も堪《たま》らず、煙草《たばこ》畑の中へ首を突込んで嘔吐《へど》を吐《つ》く。焼酎と胡瓜《きゅうり》は尽《ことごと》く吐《は》き出したが、同時に食った牛肉は不思議にも出て参らず、胃の腑《ふ》もなかなか都合好く出来たものかな。
 そこに背後《うしろ》に人の足音が聴こえたので、南無三宝! 見付けられたかと、大急ぎで煙草畑から首を突出してみると、幸いに嘔吐《へど》はくところは見付けられず、そこには六十ばかりの梅干|婆《ばあ》さん眼玉を円《まる》くして、あっちに駆け行く一行を眺めつつ、
「何事が起っただね」と、さも驚いた顔。
 吾輩は空惚《そらとぼ》けて、
「泥棒を追掛けているのだ」というと、婆さんなるほどといわぬばかり、
「あの髯生えた黒い洋服《ふく》、泥棒だんべい。お前様方刑事かね」と、ここから真先《まっさき》に逃げているように見える髯将軍は泥棒と間違えられ、吾輩等は刑事と相成った次第。
「そうだよそうだよ」と、吾輩焼酎を吐出してしまったので大いに気持もよく、またもやスタコラ走って漸《ようや》く雲巌寺の山門に着いてみると、先着の面々は丸裸となり、山門前を流るる渓流で水泳などをやっている。元気驚くべし!
 一着は水中の津川五郎子で、一|哩《まいる》の時間十五分十二秒、二着は髯将軍、三着は羅漢将軍、四着は走れそうもない木川子が泳ぐようにして辿《たど》り着いたという事で、吾輩はビリの到着。昨日《きのう》の第一着は差引きでゼロと相成った。残念残念。
 雲巌寺は開基五百余年の古寺《ふるでら》で、境内に後嵯峨《ごさが》天皇の皇子《おうじ》仏国《ふつこく》国師《こくし》の墳墓がある。山門の前を流るる渓流は、その水清きこと水晶のごとく、奇巌《きがん》怪石の間を縫うて水流の末はここから三里半ばかり、黒羽の町はずれを通っていると聴くので、足の重くて堪《たま》らぬ吾輩は一策を案じ出し、
「どうだ、大きな盥《たらい》を八個《やっつ》買ってそれに乗り、呑気《のんき》に四方の景色を見ながら水流《ながれ》に泛《うか》んで下ったら、自然に黒羽町に着くだろう」と、そこで新しい盥でも古い盥でも構わん、人間一|疋《ぴき》乗れそうな盥を売ってくれぬかと、そこらをウロウロ捜し回ったが、こんな寒村に大盥が八個《やっつ》もあろう筈はないので、せっかくの妙案もあわれオジャンと相成った。
 しかし雲巌寺を出発してから行く途々《みちみち》、渓流に沿うて断岸の上から眼下を見れば、この渓流には瀑布《たき》もあれば、泡立ち流るる早瀬もあり、また物凄く渦巻く深淵などもあって、好奇《ものずき》に盥に乗って下《くだ》ろうものなら、二人や三人土左衛門と改名したかも知れぬのだ。盥が無くて仕合《しあわせ》仕合。

 (二〇)とんだ宿屋

 雲巌寺から黒羽町《くろばねまち》までは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩などは茹章魚《うでだこ》のごとくになり申した。疲れに疲れし一行は、途中掛茶屋さえあれば腰を下《おろ》して、氷水を飲む、真桑瓜《まくわうり》を食う、饅頭《まんじゅう》をパク付く。衛生も糸瓜《へちま》もあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前途《さき》もう半里《はんみち》ばかりという処《ところ》まで来かかると、ここにも飴《あめ》ン棒など並べて一軒茶屋。一行はまたもや一休みして、
「黒羽で好《よ》い宿屋はどこだ」と試みに問うと、将棋を指していた四、五人の爺《じじい》連、
「そうさね、新しくできた花月がよかんべい。あの家《うち》は堅えだ。お前様方どこへ泊るね」というので、
「△△屋がいいと聞いたので、荷物も先回しに遣っておいた」と答えると、
「へへへへへ、あの家もよかんべい。梅《うめ》ヶ谷《たに》みたいな女《あま》も二人いるだで――」と妙に笑う。形勢|甚《はなは》だ穏やかならん。よくよく聴きただせば、△△屋というのは女郎屋と背中合せの曖昧《あいまい》屋で、我が一行の荷物は先回しに、淫売宿《いんばいやど》へ担ぎ込まれた次第と分ったり。
「サア大変じゃ!」
 第一に敦圉《いきま》き出したのは髯《ひげ》将軍、
「これはいかん! これはいかん! 淫売屋などへ泊れるものか、堅いという花月へ行こう」
「荷物はどうする」
「荷物なんか構うものか。△△屋の前は知らん顔に素通りして、後《あと》から宿屋の者を取りに遣る。ぐずぐずいったら査公《おまわり》に持って来て貰うさ」
「そうじゃそうじゃ」と評議一決。やがて黒羽町に入込《いりこ》むと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような宿屋が一軒、簷《のき》先には△△屋と記してある。
「これだな」と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店内《みせうち》を眺めると、有るわ有るわ、天幕《てんと》、写真器械、雑嚢《ざつのう》など、一行の荷物は店頭に堆高《うずたか》く積んである。宝の山に入りながらではないが、我が荷物ながらオイ遣《よこ》せと持出す訳にも行かず、知らぬ顔に一、二町スタスタ行き過ぎると、忽《たちま》ち背後《うしろ》からオーイオーイと呼ぶ者がある。振返ってみると、なるほど、梅ヶ谷のような大女《おおおんな》、顔を真白《まっしろ》に塗立てた人《じん》三|化《ばけ》七が、頻《しき》りに手招きしながら追っ掛けて来る。
「ソラ来た」というので、一同ワッと逃げ出す。その速い事! 今までの足の重さもどこへやら、五、六町|韋駄天《いだてん》走りに逃げ延びて、フウフウ息を切らしながら再び振返ってみると、これはしたり、一行中の杉田子は、件《くだん》の大女に掴《つか》まって何か談判最中。救助隊を出さねばなるまいという者もあったが、ナァニあの先生が捕虜になる気遣いはないと、一同は一足お先に那珂川《なかがわ》に架けたる橋を渡り、河畔の景色《けいしょく》佳《よ》き花月|旅店《りょてん》に着いて待っていると、間《ま》もなく杉田先生得意満面、一行の荷物を腕車《わんしゃ》に満載してやって来た。聴けば、杉田先生はお年寄役だけに、三十六計の奥の手も余り穏かならじとあって、単身踏み留《とど》まり、なんとかかんとか胡魔化《ごまか》して、荷物をことごとく巻上げて来たとの事だ。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎よりも大手柄大手柄。
 黒羽の宿屋で久し振りのビール一杯。ペコペコに減った腹に鰻飯《うなぎめし》! その旨《うま》かった事! 咽《のど》から手が出て蒲焼きを引摺《ひきず》り込むかと思われた。
 翌日《あす》は茫漠たる那須野《なすの》ヶ原《はら》を横断して西那須野|停車場《ステーション》。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。横断隊は未醒子、髯将軍、衣水子、木川子、これから日本海沿岸まで山中の突貫旅行をやるのである。
 小山《おやま》駅で水戸の三人武者とも別れて、後《あと》はただ一人、俄《にわ》かに淋《さび》しくなれば数日以来の疲労も格段に覚えて、吾輩は日光の鮮かに照《てら》す汽車の窓から遠近《おちこち》の景色を眺めていると、吾輩に向い合って腰掛けていたのは頬骨の高いハイカラ紳士、物もいわず猿臂《えんび》を伸ばして、吾輩が外を眺めている車窓の日除け扉《ど》を閉ざす。これは怪《け》しからん奴じゃ、他《ひと》の領分の扉を無断で閉ざす奴があるものかと、吾輩は用捨なくすぐに開けると、暫時《しばらく》してまたノコノコ手を伸ばして閉める。
「何をする」と呶鳴《どな》り付けると、
「日が射して困る」と、ハンカチーフなんかで鼻の頭を撫でている。
「馬鹿をいうな、太陽《おてんとう》様《さま》は結構じゃ」と、吾輩は遠慮会釈もなく再び扉を開け、今度は閉められぬようにと窓の上に肘《ひじ》を凭《もた》せて頑張っていると、これには流石《さすが》のハイカラ先生も閉口し、ブツブツいいながら日の当らぬ方へと退却に及んだ。こんな奴は自分で自分の身体《からだ》を弱くしようしようと掛かっている馬鹿者と見える。太陽の光線《ひかり》に当るのが左程《さほど》恐《こわ》ければ、来生《らいせい》は土鼠《もぐらもち》にでも生れ変って来るがいい。日陰の唐茄子《とうなす》の萎《しな》びているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒虫《どくちゅう》にでも襲われたように周章《あわ》てて窓を閉ざして得意でいる。事《こと》小《しょう》なりと雖《いえど》も、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光線《ひかり》がなんでそんなに恐《こわ》いのだ。現代の所謂《いわゆる》ハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴は終《つい》には亡国の種を播《ま》く糞虫《くそむし》となるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、須《すべか》らく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾身《こんしん》に吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
 午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまで癪《しゃく》の種も尽きぬ旅行であったわい。
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付記。吾輩の今回の旅行はこれで終ったが、横断隊は勇気|勃々《ぼつぼつ》として突貫旅行を続けている。髯将軍と衣水子の快筆は、未醒子の漫画、木川子の写真と共に、必ず痛快に本誌の次号を飾るであろう。
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底本:「〔天狗倶楽部〕快傑伝 ――元気と正義の男たち――」朝日ソノラマ
   1993(平成5)年8月30日第1刷発行
底本の親本:「本州横断 癇癪徒歩旅行」雑誌<冒険世界>、博文館
   1911(明治44)年9月号掲載
入力:H.KoBaYaShi
校正:伊藤時也
1999年11月30日公開
2003年8月31日修正
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