青空文庫アーカイブ



法衣
田中貢太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)壮《わか》い男
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 千住か熊谷かのことであるが、其処に某《ある》尼寺があって、その住職の尼僧と親しい壮《わか》い男が何時も寺へ遊びに来ていたが、それがふっつりと来なくなった。
 尼僧はそれを心配して、何人《だれ》かその辺の者が来たならその容子を聞いてみようと思っていると、ある日その男がひょっこりやって来た。
「どうしたかと思って、心配してたのですよ」
「少し病気でしてね」
「もう好いのですか」
「ああ、もう癒りました」壮い男はその後で、「今日は一つお願いがあって来ましたよ」と云った。
「なんですか」
「法衣《ころも》を貸してくれませんか」
「貸してあげましょうが、それをどうするのです」
「少し入用です」
 で、尼僧は奥から一枚の法衣を持って来て、壮い男の前に置いた。壮い男は嬉しそうにそれを持って帰って往った。
 そして、暫くして、何かの用事で尼僧が寺の玄関へ往ってみると、壮い男に貸したはずの法衣が置いてあった。玄関口を出て往く時に、壮い男がたしかに持って出たことを知っている尼僧は、不審でたまらなかった。それでは持って帰っているうちに、もういらないようになったから、それで返しに来たものであろうかと思った。それにしても、何とか一言云うはずであるにと、物堅い壮い男の平生を知っている尼僧は、どうしても不審が晴れなかった。
 其処へ壮い男の家から使いが来た。それは壮い男が長く病気をしていて、今日とうとう死亡したと云う知らせであった。尼僧ははじめてさきの壮い男は、壮い男が仮に姿をあらわしたものであると云うことを知った。
 しかし、それにしても壮い男の幽魂が法衣《ころも》を借りに来たことが不思議でたまらないので、その日、その家へ見舞に往って、壮い男の母親に向って、何か心当りがないかと云って聞いてみた。
「べつに心当りもないのですが、彼《あれ》の寝衣《ねまき》が後から後からと汚れるものですから、浴衣を着せましたが、その浴衣も皆汚れてしまったので、昨日から女の寝衣を着せましたところが、それを非常に厭がっていたのです」と、母親は涙を流しながら云った。



底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年初版発行
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
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