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足迹
徳田秋声

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お庄《しょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三台|誂《あつら》えた

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]
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     一

 お庄《しょう》の一家が東京へ移住したとき、お庄はやっと十一か二であった。
 まさかの時の用意に、山畑は少しばかり残して、後は家屋敷も田もすっかり売り払った。煤《すす》けた塗り箪笥《だんす》や長火鉢《ながひばち》や膳椀《ぜんわん》のようなものまで金に替えて、それをそっくり父親が縫立ての胴巻きにしまい込んだ。
「どうせこんな田舎柄《いなかがら》は東京にゃ流行《はや》らないで、こんらも古着屋へ売っちまおう。東京でうまく取り着きさえすれア衆《みんな》にいいものを買って着せるで心配はない。」
 とかく愚痴っぽい母親が、奥の納戸《なんど》でゴツゴツした手織縞《ておりじま》の着物を引っ張ったり畳んだりしていると、前後《あとさき》の考えのない父親がこう言って主張した。これまでにもさんざん道楽をし尽して、どうかこうか五人の子供を育てあげるにさしつかえぬくらいの身代を飲み潰《つぶ》してしまった父親は、妻子を引き連れてどこか面白いところを見物に行くような心持でいた。
 それまでに夫婦は長いあいだ、身上《しんしょう》をしまうしまわぬで幾度となく捫着《もんちゃく》した。母親はそのたびにいろいろの場合のことを言い出して、一つ一つなくなった物を数えたてた。
「あんらも今あれアたとい東京へ行くにしたってはずかしい思いはしないに」と、ろくに手を通さない紋附や小紋のようなものを、縫い直しにやると言って、一ト背負い町へ持ち出して行かれたことなどを、くどくどと零《こぼ》した。自分で苦労して、養蚕で取った金を夕方裏の川へ出ているちょっとの間に、ちょろりと占《せし》めて出て行ったきり、色町へ入り浸《びた》って、七日も十日も帰らなかったことなども、今さらのように言い立てられた。すると父親は煙管《きせる》を筒にしまって腰へさすと、ぷいと炉端《ろばた》を立って向うの本家へ外《はず》してしまう。
 お庄は母親が、売るものと持って行くものとを、丹念に選《え》り分けて、しまったり出したりしている傍《そば》に座り込んで、これまでに見たこともない小片《こぎれ》や袋物、古い押し絵、珊瑚球《さんごじゅ》のような物を、不思議そうに選り出しては弄《いじ》っていた。中には顎下腺炎《がっかせんえん》とかで死んだ祖母《ばあ》さんの手の迹《あと》だという黴《かび》くさい巾着《きんちゃく》などもあった。お庄は自分の産れぬ前のことや、稚《ちいさ》いおりのことを考えて、暗い懐《なつ》かしいような心持がしていた。
 家がすっかり片着いて、起《た》つ二日ばかり前に一同本家へ引き揚げた時分には、思い断《き》りのわるい母親の心もいくらか紛らされていた。明るい方へ出て行くような気もしていた。
 父親は本家の若い主《あるじ》と朝から晩まで酒ばかり飲んでいた。村で目ぼしい家は、どこかで縁が繋《つな》がっていたので、それらの人々も、餞別《せんべつ》を持って来ては、入れ替り立ち替り酒に浸っていた。山国の五月はやっと桜が咲く時分で裏山の松や落葉松《からまつ》の間に、微白《ほのじろ》いその花が見え、桑畑はまだ灰色に、田は雪が消えたままに柔かく黝《くろず》んでいた。
 道中はかなりに手間どった。汽車のあるところまで出るには、五日もかかった。馬車の通っているところは馬車に乗り、人力車《くるま》のあるところは人力車に乗ったが、子供を負《おぶ》ったり、手を引っ張ったりして上るような嶮《けわ》しい峠もあった。父親は早目にその日の旅籠《はたご》へつくと、伊勢《いせ》参宮でもした時のように悠長《ゆうちょう》に構え込んで酒や下物《さかな》を取って、ほしいままに飲んだり食ったりした。
「田舎の地酒もここがおしまいだで、お前もまあ坐って一つやれや。」と、父親はきちんと坐って、しゃがれたような声で言って、妻に酒を注《つ》いだ。
 母親は泣き立てる乳呑《ちの》み児《ご》を抱えて、お庄の明朝《あした》の髪を結《ゆ》ったり、下の井戸端《いどばた》で襁褓《むつき》を洗ったりした。雨の降る日は部屋でそれを乾《ほ》さなければならなかった。
「鼻汁《はな》をたらしていると、東京へ行って笑われるで、綺麗《きれい》に行儀をよくしているだぞ。」と、父親はお庄の涕汁《はな》なぞを拭《か》んでやった。気の荒い父親も旅へ出てからの妻や子に対する心持は優しかった。
 ある町場に近い温泉場《ゆば》へつれて行った時、父親はそこで三日も四日も逗留《とうりゅう》して、終《しま》いに芸者をあげて騒ぎだした。

     二

 一行が広い上野のプラットホームを、押し流されるように出て行ったのは、ある蒸し暑い日の夕方であった。
 父親は鞄《かばん》に二本からげた傘《かさ》を通して、それを垂下《ぶらさ》げ、ぞろぞろ附いて来る子供を引っ張ってベンチのところへ連れて行くと、母親も泣き立てる背中の子を揺《ゆす》り揺り襁褓《しめし》の入った包みを持って、めまぐるしい群集のなかを目の色を変えて急いで行った。停車場《ステーション》では蒼白《あおじろ》い瓦斯燈《ガスとう》の下に、夏帽やネルを着た人の姿がちらほら見受けられた。
 そこで一休みしてから、「私《わし》はまア後で行くで、お前たちは人力車《くるま》で一足先《ひとあしさき》へ行っとれ。」と言って、よく東京を知っている父親は物馴《ものな》れたような調子で、構外へ出て人力車《くるま》を三台|誂《あつら》えた。行く先は母親の側《かわ》の縁続きであった。父親は妻や子供をぞろぞろ引っ張って、そこへ入って行くのを好まなかった。
「それじゃ私は先へ行っておりますで、明朝《あした》はどうでも来て下さるだろうね。」母親は行李《こうり》を一つ股《また》の下へ挿《はさ》んで、車夫が梶棒《かじぼう》を持ち上げたときに、咽喉《のど》の塞《ふさ》がりそうな声を出して言うと、父親は頷《うなず》いて傘に包みを一つ下げながら、帽子を傾《かし》げて停車場前の広場へ出て行った。
 お庄は尻《しり》から二番目の妹と、一つの車に乗せられた。汽車に乗る前に、父親に町で買ってもらった花簪《はなかんざし》などを大事そうに頭髪《あたま》にさしていた。
 車は湯島の辺をあっちこっちまごついた。坂の上へあがると、煙突や灯《ひ》の影の多い広い東京市中が、海のような濛靄《もや》の中に果てもなく拡がって見えたり、狭いごちゃごちゃした街が、幾個《いくつ》も幾個も続いたりした。そのうちに日がすっかり暮れた。
 門構えや板塀囲《いたべいがこ》いの家の多い町へ来たとき、がた人力車《くるま》の音が耳につくくらいそこらが暗くシンとしていた。そこは明神《みょうじん》の深い森の影を受けているようなところで、地面が低く空気がしッとりしていた。碧桐《あおぎり》の蔭に埃《ほこり》を冠《かぶ》った瓦斯の見えるある下宿屋の前へ来かかったとき、母親と車夫との話し声を聞きつけて、薄暗い窓の簾《すだれ》のうちから、「鴨川《かもがわ》の姉さまかね。」と言って、母親の実家《さと》の古い屋号を声をかけるものがあった。見るとそこに髯深《ひげぶか》い丸い顔が、近眼鏡を光らしてニコニコしている。
 その顔はじきに入口の格子戸《こうしど》の方へ現われた。
「おや、みんなやって来たやって来た。」と言う、ここの女主《おんなあるじ》の声も耳に入った。
 しばらくすると帳場の次の狭苦しい部屋で物の莫迦叮寧《ばかていねい》な母親と、ここの人たちとの間に長い挨拶《あいさつ》が始まった。
 気象の烈《はげ》しい女主は、くどいお辞儀を続けている母親を見下すようにして、「東京は田舎と異《ちが》って、何もしずに、ぶらぶら遊んでいるような者は一人もいないで、為《ため》さあのような精《ずく》のない人には、やって行かれるかどうだか私《わし》ア知らねえけれど、まず一ト通りや二タ通りのことでは駄目だぞえ。」と、ずけずけ言った。
「そうでござんすらいに……。」と、母親は淋《さび》しい笑顔《えがお》を作って、ずらりと傍に並んで坐った子供を見やった。
 子息《むすこ》の菊太郎《きくたろう》は、ニコニコしながら茶をいれて衆《みんな》に侑《すす》めた。
「大きくなったな。お庄さんは幾歳《いくつ》になるえね。」と、お庄の丸い顔を覗《のぞ》き込んだ。
 部屋には薄暗いランプが点《とも》されて、女主の後から三男の繁三《しげぞう》が黒い顔に目ばかりグリグリさせて、田舎から来た子供の方を眺《なが》めていた。
 やがて繁三につれられて、お庄は弟と一緒に近所の洗湯《せんとう》へやられた。

     三

 その晩お庄は迷子《まいご》になった。
「お庄ちゃんは女だから、そっちへお入り。」と、お庄はパッと明るい女湯の中へ送り込まれて、一人できょろきょろしていた。そこには見たこともない大きい姿見がつるつるしていた。お庄は日焼けのした丸い顔や、田舎田舎した紅入《べにい》り友染《ゆうぜん》の帯を胸高《むなだか》に締めた自分の姿を見て、ぼッとしていた。
 湯から上ってみると、男湯の方にはもう繁三も弟も見えなかった。お庄は一人で暗い外へ出ると、温かい湯の匂《にお》いのする溝際《どぶぎわ》について、ぐんぐん歩いて行ったが、どこへ行っても同じような家と町ばかりであった。お庄はさっき車夫が上ったような暗い坂を上ったり下りたり、同じ下宿屋の前を二度も三度も往来《ゆきき》したりした。するうちに町がだんだん更《ふ》けて来て、今まで明るかった二階の板戸が、もう締まる家もあった。
 菊太郎と繁三とが捜しに来たころには、お庄はもう歩き疲れて、軒燈の薄暗い、とある店屋の縁台の蔭にしゃがんで、目に涙をにじませながらぼんやりしていた。
「お前まあ今までどこにいただえ。」女主は帳場の奥から、帰って来たお庄に声かけた。
「東京には人浚《ひとさら》いというこわいものがおるで、気をつけないといけないぞえ。」
 お庄はメソメソしながら、母親の側《そば》へ寄って行った。
 ごちゃごちゃした部屋の隅《すみ》で、子供同士|頭顱《あたま》を並べて寝てからも、女主と母親と菊太郎とは、長火鉢の傍でいつまでも話し込んでいた。
「為《ため》さあは、何をして六人の子供を育てて行くつもりだかしらねえけれど、取り着くまでには、まあよっぽど骨だぞえ。」と女主は東京へ出てからの自分の骨折りなどを語って聞かせた。
「私らも、田舎でこそ押しも押されもしねえ家だけれど、東京へ出ちゃ女一人使うにも遠慮をしないじゃならないで……。」
 田舎では問屋本陣《とんやほんじん》の家柄であった女主は、良人《おっと》が亡《な》くなってから、自分の経営していた製糸業に失敗して、それから東京へ出て来た。そして下宿業を営みながら、三人の男の子を医師に仕立てようとしていた。それまでに商売は幾度となく変った。
 翌日父親が来たとき、母親と子供は、狭い部屋にうようよしていた。
「とにかくどんなところでもいいで、家を一つ捜さないじゃ……話はそれからのことですって。」と父親は落ち着き払って莨《たばこ》を喫《ふか》していた。
 午後に菊太郎と父親とは、近所へ家を見に出た。家はじきに決まった。すぐ横町の路次のなかに、このごろ新しく建てられた、安普請《やすぶしん》の平屋がそれで、二人はまだ泥壁《どろかべ》に鋸屑《かんなくず》[#「鋸」はママ]の散っている狭い勝手口から上って行くと、台所や押入れの工合を見てあるいた。
「田舎の家から見れア手狭いもんだでね。」と菊太郎は砂でざらざらする青畳の上を、浮き足で歩きながら笑った。
「まあ仮だでどうでもいい。新しいで結構住まえる。東京じゃ、これで坪二十円もしますら。」
 晩方には、もうそこへ移るような手続きが出来てしまった。
 下宿からは、さしあたり必要な古火鉢や茶呑《ちゃの》み茶碗《ぢゃわん》、雑巾のような物が運ばれ、父親は通りからランプや油壺《あぶらつぼ》、七輪のような物を、一つ一つ買っては提《さ》げ込んで来た。母親は木の香の新しい台所へ出て、ゴシゴシ働いていた。
 その間お庄は、乳呑み児を背《せなか》に縛りつけられて、下宿と引っ越し先との間を、幾度となく通《かよ》っていた。

     四

 点燈《ひともし》ごろにそこらがようよう一片着き片着いた。
 広い田舎家の奥に閉じ籠《こも》って、あまり外へ出たことのない母親は、近所の女房連の集まっている井戸端へ出て行くのが、何より厭《いや》であった。子供たちも行き詰った家のなかを、そっちこっちうろつきながら、何にもない台所へ出て来ては水口のところにぴったりくっついて、暮れて行く路次を眺めていた。お庄は出たり入ったりして、そこらの門口にいる娘たちの頭髪《あたま》や身装《みなり》を遠くからじろじろ見ていた。
 父親は買立てのバケツを提げて、水を汲《く》みに行ったり、大きな躯《からだ》で七輪の前にしゃがんで、煮物の加減を見たりした。
「こんな流しは私《わし》ア初めて見た。東京には田舎のような上流《うわなが》しはありましねえかね。」
「ないこともないが田舎は何でも仕掛けが豪《えら》いで。まア東京に少し住んで見ろ。田舎へなぞ帰ってとてもいられるものではないぞ。」
「何だか知らねえが、私は家のような気がしましねえ。」母親は滌《すす》いでいた徳利《とくり》をそこに置いたまま、何もかも都合のよく出来ている、田舎のがっしりした古家をなつかしく思った。
 父親が、明るいランプの下でちびちび酒を始めた時分に、子供たちはそこにずらりと並んで、もくもく蕎麦《そば》を喰いはじめた。母親は額に汗をにじませながら、荒い鼻息の音をさせて、すかすかと乳を貧《むさぼ》っている碧児《みずご》の顔を見入っていた。
「今やっと晩御飯かえ。」と、下宿の主婦《あるじ》は裏口から声かけて上って来た。
「皆な今まで何していただえ。」
「お疲れなさんし。」母親は重い調子でお辞儀をして、「何だか馴れねえもんだでね。」と、いいわけらしく言った。
「それでもお蔭で、どうかこうか寝るところだけは出来ましたえ。まア一つ。」と父親は猪口《ちょく》をあけて差した。
 主婦《あるじ》は落ち着いて酒も飲んでいなかった。そしてじろじろ子供たちの顔を見ながら、「為さあはこれから何をするつもりだか知らねえが、こう大勢の口を控えていちゃなかなかやりきれたものじゃない、一日でも遊んでいれアそれだけ金が減って行くで。」
 父親は平手《ひらて》で額を撫《な》であげながら、黙っていた。父親の気は、まだそこまで決まっていなかった。行《や》って見たいような商売を始めるには、資本《もと》が不足だし、躯《からだ》を落して働くには年を取り過ぎていた。どうにかして取り着いて行けそうな商売を、それかこれかと考えてみたが、これならばと思うようなものもなかった。
「私《わし》も考えていることもありますで、まア少しこっちの様子を見たうえで。」と、父親はあまりいい顔をしなかった。
「相場でもやろうちゅうのかえ。」主婦《あるじ》はニヤニヤ笑った。
「そんなことして、摺《す》ってしまったらどうする気だえ。私《わし》はまア何でもいいから、資本《もと》のかからない、取着きの速いものを始めたらよかろうかと思うだがね。」
 父親は聴きつけもしないような顔をしていた。
「それに一昨日《おととい》神田の方で、少し頼んでおいた口もありますで。」
「そうですかえ。けど、そんな人頼みをするより、いっそ誰にでも出来る氷屋でも出せアいいに。氷屋で仕上げた人は随分あるぞえ。綺麗事《きれいごと》じゃ金は儲《もう》からない。」
「氷屋なぞは夏場だけのもんですッて。第一あんなものは忙《せわ》しいばっかりで一向儲けが細い。」
 母親も心細いような気がしだした。氷屋をするくらいならば……とも思った。

     五

「田舎ッぺ、宝ッぺ、明神さまの宝ッぺ。」と、よく近所の子供連に囃《はや》されていたお庄の田舎訛《いなかなま》りが大分|除《と》れかかるころになっても、父親の職業はまだ決まらなかった。
 父親は思案にあぐねて来ると、道楽をしていた時分|拵《こしら》えた、印伝《いんでん》の煙草入れを角帯の腰にさして、のそのそと路次を出て行った。行く先は大抵決まっていた。下宿屋の主婦《あるじ》にがみがみ言われるのが厭なので、このごろはその前を多くは素通りにすることにしていた。そして蠣殻町《かきがらちょう》の方へ入り込んでいる。村で同姓の知合いを、神田の鍛冶町《かじちょう》に訪《たず》ねるか、石川島の会社の方へ出ている妻の弟を築地《つきじ》の家に訪ねるかした。時とすると横浜で商館の方へ勤めている自分の弟を訪ねることもあった。浜からはよく強い洋酒などを貰《もら》って来て、黄金色したその酒を小さい杯《コップ》に注《つ》ぎながら、日に透《すか》して見てはうまそうになめていた。
「浜の弟も、酒で鼻が真紅《まっか》になってら。こんらの酒じゃ、もう利《き》かねえというこんだ。金にしてよっぽど飲むらあ。」
「あの衆らの飲むのは、器量《はたらき》があって飲むだでいい。身上《しんしょう》もよっぽど出来たろうに。」
「何が出来るもんだ。それでも娘は二人とも大きくなった。男の子が一人欲しいようなことを言ってるけれど、やらずかやるまいか、まアもっと先へ寄ってからのことだ。」
 そのころから、父親はよく夢中で新聞の相場附けを見たり、夜深《よなか》に外へ飛び出して、空と睨《にら》めッくらをしたりしていた。朝から出て行って、一日帰らないようなこともあった。するうちに金がだんだん減って行った。四月たらずの居喰《いぐ》いで、目に見えぬ出銭《でぜに》も少くなかった。
「手を汚さないで、うまいことをしようたって駄目の皮だぞえ。為さあらまだ苦労が足りない。」下宿屋の主婦《あるじ》は留守にやって来ると、妻に蔭口を吐《つ》いた。そして、「お安さあもお安さあだ。これまで裸に剥《は》がれてこの上何をぬぐ気だえ。黙って見てばかりいずと、ちっと言ってやらっし。」と言ってたしなめた。母親は、切ないような気がして、黙っていた。
 母親は、押入れの葛籠《つづら》のなかから、子供の冬物を引っ張り出して見ていた。田舎から除《よ》けて持って来てた、丹念に始末をしておいた手織物が、東京でまた役に立つ時節が近づいて来た。その藍《あい》の匂いをかぐと、母親の胸には田舎の生活がしみじみ想い出された。
 父親は一日出歩いて晩方帰って来ると、こそこそと家へ上って、火鉢の傍に坐り込んだ。傍にお庄兄弟が、消し炭の火を吹きながら玉蜀黍《とうもろこし》を炙《あぶ》っていた。六つになる弟と四つになる妹とが、附け焼きにした玉蜀黍をうまそうに噛《かじ》っている。父親はお庄の真赤になって炙っている玉蜀黍を一つ取り上げると、はじ切れそうな実を三粒四粒指で※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》って、前歯でぼつりぼつり噛《か》み始めた。四方《あたり》はもう暗かった。薄寒いような風が、障子を開けた縁から吹いて来た。母親はそこにいろいろな物を引っ散らかしていた。
「日の暮れるまで何をしてるだか……。」と、父親は舌鼓《したうち》をして、煙管《きせる》を筒から抜いた。
「何かやり出せア、それに凝って、子供に飯食わすことも点火《ひとも》すことも忘れてしまっている。」
 母親は急に出ていたものを引っ括《くる》めるようにして、「忘れているというでもないけれど、着せる先へ立って、揚げが短いなんて言うと困ると思って。」

     六

 丑年《うしどし》の母親は、しまいそうにしていた葛籠《つづら》の傍をまだもぞくさしていた。父親が二タ言三言|小言《こごと》を言うと、母親も口のなかでぶつくさ言い出した。きちんと坐り込んで莨を喫《す》っていた父親が、いきなり起ち上ると、子供の着物や母親の襦袢《じゅばん》のような物を、両手で掻《か》っ浚《さら》って、ジメジメした庭へ捏《つく》ねて投《ほう》り出した。庭には虫の鳴くのが聞えていた。
 お庄が下駄を持って来て、それを縁側へ拾い揚げるころには、父親は箒《ほうき》を持ち出して、さッさと部屋を掃きはじめた。母親がしょうことなしに座を起《た》つと、子供も火鉢の側を離れてうろうろしていた。お庄は泣き出す小さい子を負《おぶ》い出すと、手に玉蜀黍を持って狭い庭をぶらぶらしながら家の様子を見ていた。父と母とは台所で別々のことを働きながら言い合っていた。
 お庄は薄暗い縁側に腰かけて、母親のことを気の毒に思った。放埓《ほうらつ》な気の荒い父親が、これまでに田舎で働いて来たことや、一家のまごつき始めた径路などが、朧《おぼろ》げながら頭脳《あたま》に考えられた。お庄が覚えてから父親が家に落ち着いているような日はほとんどなかった。上州から流れ込んで来た村の達磨屋《だるまや》の年増《としま》のところへ入り浸っている父親を、お庄はよく迎えに行った。その女は腕に文身《ほりもの》などしていた。繻子《しゅす》の半衿《はんえり》のかかった軟かものの半纏《はんてん》などを引っ被《か》けて、煤《すす》けた障子の外へ出て来ると、お庄の手に小遣いを掴《つか》ませたり、菓子を懐ろへ入れてくれたりした。長く家へ留めておいた上方《かみがた》ものの母子《おやこ》の義太夫語《ぎだゆうかた》りのために、座敷に床を拵《こしら》えて、人を集めて語らせなどした時の父親の挙動《ふるまい》は、今思うとまるで狂気《きちがい》のようであった。母親も着飾って、よく女連と一緒に坐って聴いていた。父親や村の若い人たちは終いに浮かれ出して、愛らしい娘を取り捲《ま》いて、明るい燭台《しょくだい》の陰で、綺麗なその目や頬《ほお》に吸いつくようにしてふざけていた。お庄はきまりはずかしい念《おも》いをして、その義太夫語りに何やら少しずつ教わった。
「妾《あたい》にこのお子を四、五年預けておくれやす、きッと物にしてお目にかけます。」と太夫は言っていたが、父親はこんな無器用なものには、芸事はとてもダメだと言って真面目に失望した。
 秋風が吹いて、収穫《とりいれ》が済むころには、よく夫婦の祭文語《さいもんかた》りが入り込んで来た。薄汚《うすぎたな》い祭文語りは炉端《ろばた》へ呼び入れられて、鈴木|主水《もんど》や刈萱《かるかや》道心のようなものを語った。母親は時々こくりこくりと居睡《いねむ》りをしながら、鼻を塞《つま》らせて、下卑《げび》たその文句に聴《き》き惚《ほ》れていた。田のなかに村芝居の立つ時には、父親は頭取りのような役目をして、高いところへ坐り込んで威張っていた。
 養蚕時の忙《せわ》しい時期を、父親は村境の峠を越えて、四里先の町の色里へしけ込むと、きッと迎えの出るまで帰って来なかった。迎えに行った男は二階へ上ると、持って行った金を捲き揚げられて、一緒に飲み潰れた。そしてまた幾日も二人で流連《いつづけ》していた。
 夜の目も合わさず衆《みんな》が立ち働いているところへ心も体も酒に爛《ただ》れたような父親が、嶮しい目を赤くして夕方帰って来ると、自分で下物《さかな》を拵えながら、炉端で二人がまた迎え酒を飲みはじめる。棄てくさったような鼻唄《はなうた》や笑い声が聞えて、誰も傍へ寄りつくものがなかった。
 お庄は剛情に坐り込んで、薪片《まきぎれ》で打たれたり、足蹴《あしげ》にされたりしている母親の様子を幾度も見せられた。火の点《つ》いているランプを取って投げつけられ、頬からだらだら流れる黒血を抑《おさ》えて、跣足《はだし》で暗い背戸へ飛び出す母親の袂《たもと》にくっついて走《か》け出した時には、心から父親をおそろしいもののように思った。

     七

 そんなことを想い出している間に、父親は鉄灸《てっきゅう》で塩肴《しおざかな》の切身を炙《あぶ》ったり、浸《ひた》しのようなものを拵えたりした。
「お庄や、お前通りまで行って酢を少し買って来てくれ。」父親は戸棚から瓶《びん》を出すと、明るい方へ透して見ながら言った。
「酢が切れようが砂糖がなくなろうが、一向平気なもんだ。そらお鳥目《あし》……。」と、父親は懐の財布から小銭を一つ取り出して、そこへ投《ほう》り出した。
「あれ、まだあると思ったに……。」と、ランプに火を点《とも》していた母親は振り顧《かえ》って言おうとしたが、業《ごう》が沸くようで口へ出なかった。母親の胸には、これまで亭主にされたことが、一つ一つ新しく想い出された。
 お庄は気爽《きさく》に、「ハイ。」と言って、水口の後の竿《さお》にかかっていた、塩気の染《し》み込んだような小風呂敷を外《はず》して瓶を包みかけたが、父親の用事をするのが、何だか小癪《こしゃく》のようにも考えられた。常磐津《ときわず》の師匠のところへ通っている向うの子でも、仲よしの通りの古着屋の子でも、一度も自分のような吝《しみ》ったれた使いに出されたことがなかった。ちょっとしたことで、弟を啼《な》かすと、すぐに飛びかかって来て引っ掴《つか》んで、呼吸《いき》のつまりそうな厚い大きな田舎の夜具にぐるぐる捲きにされて、暗い納戸の隅にうっちゃっておかれたり、霙《みぞれ》がびしょびしょ降って寒い狐《きつね》の啼き声の聞える晩に、背戸へ締出しを喰わしておいて、自分は暖かい炬燵《こたつ》に高鼾《たかいびき》で寝込んでいたような父親に、子供は子供なりの反抗心も持って来た。
 お庄はどの家でも、明るい餉台《ちゃぶだい》の上にこてこてと食べ物が並べられ、長火鉢の側で晩飯の箸《はし》を動かしている、賑《にぎ》やかな夕暮の路次口を出て行くと、内儀《かみ》さん連の寄っているような明るい店家の前を避けるようにして、溝際《みぞぎわ》を伝って歩いていた。いつも立ち停って聞くことにしている通りの師匠の家では、このごろ聞き覚えて、口癖のようになっているお駒才三《こまさいざ》を誰やらがつけてもらっていた。お庄は瓶を抱えたまま、暗い片陰にしばらくたたずんでいた。
 お庄は振りのような手容《てつき》をして、ふいとそこを飛び出すと、きまり悪そうに四下《あたり》を見廻して、酒屋の店へ入って行った。
 急いで家へ帰って来ると、父親はランプの下で、苦い顔をして酒の燗《かん》をしていた。子供たちは餉台の周《まわ》りに居並んで、てんでんに食べ物を猟《あさ》っていた。
 母親は手元の薄暗い流し元にしゃがみ込んで、ゴシゴシ米を精《と》いでいた。水をしたむ間、ぶすぶす愚痴を零《こぼ》している声が奥の方へも聞えた。お庄はまた母親のお株が始まったのだと思った。父親はそのたんびにいらいらするような顔に青筋を立てた。
 母親が襷《たすき》をはずして、火鉢の傍へ寄って来る時分には、父親はもうさんざん酔ってそこに横たわっていた。お庄は、気味のわるいもののように、鼻の高い、鬢《びん》の毛の薄い、その大きな顔や、脛毛《すねげ》の疎《まば》らな、色の白い長いその脚《あし》などを眺めながら、母親の方へ片寄って、飯を食いはじめた。
 母親の口には、まだぶすぶす言う声が絶えなかった。臆病《おくびょう》なような白い眼が、おりおりじろりと父親の方へ注がれた。張ったその胸を突き出して、硬い首を据《す》え、東京へ来てからまだ一度も鉄漿《かね》をつけたことのないような、歯の汚い口に、音をさせて飯を食っている母親の様子を、よく憎さげに真似してみせた父親の顔に思い合わせて、お庄は厭なような気がした。達磨屋《だるまや》の年増や、義太夫語りの顔などをお庄は目に浮べて、母親は様子が悪いとつくづくそう思った。

     八

 次の年の夏が来るまでには、お庄の一家にもいろいろの変遷があった。暮には残しておいた山畑を売りに父親が田舎へ出向いて行って、その金を持って帰って来ると、ようやく諸払いを済まして、お庄兄弟のためにも新しい春着が裁ち縫いされ、下駄や簪《かんざし》も買えた。お庄らは田舎から持って来た干栗《ほしぐり》や、氷餅《こおりもち》の類をさも珍しいもののように思って悦《よろこ》んだ。正月にはお庄も近所の子供並みに着飾って、羽子《はね》など突いていたが、そのころから父親は時々家をあけた。
 下宿の主婦《あるじ》は、「為さあは、金が少し出来たと思って、どこを毎日そうぶらぶら歩いてばかりいるだい。」と、来ては厭味を言っていた。
 父親はニヤリともしないで、「私《わし》もそういつまでぶらぶらしてはいられないで、今度という今度は商売をやろうと思って、そのことでいろいろ用事もあるで……。」と言うていたが、父親の目論見《もくろみ》では、田舎の町で知っている女が浅草の方で化粧品屋を出している、その女に品物の仕入れ方を教わって、同じ店を小体《こてい》に出して見ようという考えであった。
 お庄は一月の末に、父親に連れられて一度その女の家へ行った。母親も薄々この女のことは知っていた。田舎からの父親の昵《なじ》みで、ずっと以前に、商売を罷《や》めて、その抱え主と一緒に東京へ来ていた。抱え主は十八、九になる子息《むすこ》と年上の醜い内儀さんとを置去りにして、二人で相当な商《あきな》いに取り着けるほどの金を浚《さら》って、女をつれて逃げて来た。そのころにはその楼《うち》も大分左前になっていた。
 その亭主は大して患《わずら》いもしないで、去年の秋のころに死んでから、男手の欲しいような時に、父親が何かの相談相手に、ちょいちょい顔を出し出ししていた。母親は、喧嘩《けんか》の時は、そのことも言い出したが、不断は忘れたようになっていた。父親は櫛《くし》など薄い紙に包《くる》んで来て、そっと鏡台の上に置いてくれなどした。
「こんらも高いものについているら。」と言って、母親は櫛を手に取って吐き出すように言ったが、抽斗《ひきだし》の奥へしまい込んで、ろくに挿《さ》しもしなかった。棄《す》てるのも惜しかった。
 お庄は手鈍《てのろ》い母親に、二時間もかかって、顔や頸《えり》を洗ってもらったり、髪を結ってもらったりして、もう猫《ねこ》になったような白粉《おしろい》までつけて出て行った。お庄は母親の髪の弄《いじ》り方や結い方が無器用だと言って、鏡に向っていながら、頭髪《あたま》をわざと振りたくったり、手を上げたりした。父親も側で莨を喫いながら口小言を言った。
「人に髪を結ってもらって、今からそんな雲上《うんじょう》を言うものじゃないよ。」と、母親も癇癪《かんしゃく》を起して、口を尖《とんが》らかしてぶつぶつ言いながら、髪を引っ張っていた。
「庄ちゃんの髪の癖が悪いからだよ。」
「阿母《おっか》さんに似たんだわ。」お庄もべろりと舌を出した。
 その女の家は、雷門《かみなりもん》の少し手前の横町であった。店にはお庄の見とれるような物ばかり並んでいたが、そこに坐っている女の様子は、お庄の目にも、あまりいいとは思えなかった。薄い毛を銀杏返《いちょうがえ》しに結って、半衿《はんえり》のかかった双子《ふたこ》の上に軟かい羽織を引っかけて、体の骨張った、血の気《け》の薄い三十七、八の大女であった。
「おや、お庄ちゃん来たの。」というような調子で、細い寝呆《ねぼ》たような目尻に小皺《こじわ》を寄せた。
 父親はじきに奥の方へ上って行った。奥は暗い茶の間で、畳も汚く天井も低く窮屈であったが、火鉢や茶箪笥などはつるつるしていた。そのまた奥の方に、箪笥など据えた部屋が一つ見えた。
 お庄は膝《ひざ》へ乗っかって来る猫を気味悪がって、尻をもぞもぞさせていると、女は長火鉢の向うからじろじろ見て笑っていた。

     九

 父親とその女との話は、お庄には解らないようなことが多かった。女はお庄のまだ知らないお庄の家のことすら知っていた。田舎の縁類の人の噂《うわさ》も出た。お庄はどこか父親に肖《に》ているとか、ここが母親に肖ているとか言って、顔をじろじろ見られるのが、むず痒《かゆ》いようであった。
「庄ちゃん小母《おば》さんとこの子になっておくれな、小母さんが大事にしてそこら面白いところを見せてあげたりなんかするからね。」と言ったが、お庄には、黙っている父親にも、その心持があるように思えた。
 女はそこらを捜して銀貨を二つばかりくれると、「お庄ちゃん、公園知っていて。観音さまへ行ったことがあるの。賑《にぎ》やかだよ。」と言って訊《き》いた。
「知ってるとも、すぐそこだ。」父親は長い顎《あご》を突き出した。
「独《ひと》りじゃどうだかね。」
「何、行けるとも。それは豪《えら》いもんだ。」
 お庄は銀貨を帯の間へ挟《はさ》んで、家だけは威勢よく駈《か》け出したが、あまり気が進まなかった。一、二度来たことのある釣堀《つりぼり》や射的の前を通って、それからのろのろと池の畔《はた》の方へ出て見たが、人込みや楽隊の響きに怯《おじ》けて、どこへ行って何を見ようという気もしなかった。
 お庄は活人形《いきにんぎょう》の並んだ見世物小屋の前にたたずんで、その目や眉《まゆ》の動くさまを、不思議そうに見ていたが、うるさく客を呼んでいる木戸番の男の悪ごすいような目や、別の人間かと思われるような奇妙な声が気になって、長く見ていられなかった。幕の外に出ている玉乗りの女の異様な扮装《ふんそう》や、大きい女の鬘《かつら》を冠《かぶ》った猿《さる》の顔にも、釣り込まれるようなことはなかった。
 今の家と同じような小間物店や、人形屋の前へ来たとき、お庄は帯の間の銀貨を気にしながら、自分にも買えるようなものを、そっちこっち見て歩き歩きしたが、するうちに店が尽きて、寒い木立ち際の道へ出て来た。
 公園を出たころには、そこらに灯の影がちらちら見えて、見せ物小屋の旗や幕のようなものが、劇《はげ》しい風にハタハタと吹かれていた。お庄はいつごろ帰っていいか解らないような気がしていた。
 帰って行くと、父親は火鉢の側《そば》で、手酌《てじゃく》で酒を飲んでいた。女も時々来ては差し向いに坐って、海苔《のり》を摘《つま》んだり、酌をしたりしていたが、するうちお庄も傍《そば》で鮓《すし》など食べさせられた。
「お前今夜ここで泊って行くだぞ。」父親は酒がまわると言い出した。
「この小母さんが、店の方がちと忙しいで、お前がいてしばらく手伝いするだ。」
「私帰って家の阿母《おっか》さんに聴いて見て……。」お庄は紅味《あかみ》のない丸い顔に、泣き出しそうな笑《え》みを浮べた。
「阿母さんも承知の上だでいい。」
 お庄は黙ってうつむいた。
「お庄ちゃん厭……初めての家はやっぱり厭なような気がするんでしょうよ。」と、女は傍《わき》の方を向きながら、拭巾《ふきん》で火鉢の縁《ふち》を拭いていた。
「お前はもう十三にもなったもんだで、そのくらいのことは何でもない。」
「少し昵《なじ》んでからの方がいいでしょうよ。」と、女も気乗りのしない顔をしていた。
 お庄はその晩、簪《かんざし》など貰《もら》って帰った。
 花見ごろには、お庄も学校の隙《ひま》にここの店番をしながら、袋を結《ゆわ》える観世綯《かんぜよ》りなど綯らされた。

     十

 品物の出し入れや飾りつけ、値段などを少しずつ覚えることはお庄にとって、さまで苦労な仕事ではなかったが、この女を阿母さんと呼ぶことだけは空々《そらぞら》しいようで、どうしても調子が出なかった。それに女は長いあいだの商売で体を悪くしていた。時々頭の調子の変になるようなことがあって、どうかするとおそろしい意地悪なところを見せられた。お庄はこの女の顔色を見ることに慣れて来たが、たまに用足しに外に出されると、家へ帰って行くのが厭でならなかった。
 お庄は空腹《すきはら》を抱えながら、公園裏の通りをぶらぶら歩いたり、静かな細い路次のようなところにたたずんで、にじみ出る汗を袂《たもと》で拭きながら、いつまでもぼんやりしていることがたびたびあった。
 慵《だる》い体を木蔭のベンチに腰かけて、袂から甘納豆《あまなっとう》を撮《つま》んではそっと食べていると、池の向うの柳の蔭に人影が夢のように動いて、気疎《けうと》い楽隊や囃《はやし》の音、騒々しい銅鑼《どら》のようなものの響きが、重い濁った空気を伝わって来た。するうちに、澱《よど》んだような碧《あお》い水の周《まわ》りに映る灯《ひ》の影が見え出して、木立ちのなかには夕暮れの色が漂った。
 女は、帰って来たお庄の顔を見ると、
「この人はどうしたって家に昵《なじ》まないんだよ。」と言って笑った。店にはこのごろ出来た、女の新しい亭主も坐って新聞を見ていた。亭主は女よりは七、八つも年が下で、どこか薄ンのろのような様子をしていた。この男は、いつどこから来たともなく、ここの店頭《みせさき》に坐って、亭主ともつかず傭《やと》い人ともつかず、商いの手伝いなどすることになった。お庄は長いその顔がいつも弛《たる》んだようで、口の利き方にも締りのないこの男が傍にいると、肉がむず痒くなるほど厭であった。男はお庄ちゃんお庄ちゃんと言って、なめつくような優しい声で狎《な》れ狎《な》れしく呼びかけた。
 男は晩方になると近所の洗湯へ入って額や鼻頭《はなさき》を光らせて帰って来たが、夜は寄席《よせ》入りをしたり、公園の矢場へ入って、楊弓《ようきゅう》を引いたりした。夜遊びに耽《ふけ》った朝はいつまでも寝ていて、内儀《かみ》さんにぶつぶつ小言を言われたが、夫婦で寝坊をしていることもめずらしくなかった。
 お庄は寝かされている狭い二階から起きて出て来ると、時々独りで台所の戸を開け、水を汲《く》んで来て、釜《かま》の下に火を焚《た》きつけた。親たちが横浜の叔父の方へ引き寄せられて、そこで襯衣《シャツ》や手巾《ハンケチ》ショールのような物を商うことになってから、東京にはお庄の帰って行くところもなくなった。お庄は襷《たすき》をかけたままそこの板敷きに腰かけて、眠いような、うッとりした目を外へ注いでいたが、胸にはいろいろのことがとりとめもなく想い出された。水弄《みずいじ》りをしていると、もう手先の冷え冷えする秋のころで、着物のまくれた白脛《しろはぎ》や脇明《わきあ》きのところから、寝熱《ねぼて》りのするような肌《はだ》に当る風が、何となく厭なような気持がした。
 お庄は雑巾を絞ってそこらを拭きはじめたが、薄暗い二人の寝間では、まだ寝息がスウスウ聞えていた。
 お庄は裾《すそ》を卸《おろ》して、寝床の下の方から二階へ上って行くと、押入れのなかから何やら巾着《きんちゃく》のような物を取り出して、赤い帯の間へ挟んだが、また偸《ぬす》むようにして下へ降りて行ったころに、亭主がようやく起き出して、袖《そで》や裾の皺《しわ》くちゃになった単衣《ひとえ》の寝衣《ねまき》のまま、欠《あくび》をしながら台所から外を見ながらしゃがんでいた。
 お庄は体が縮むような気がして、そのままバケツを提げて水道口へ出て行った。泡《あわ》を立てて充《み》ち満ちて来る水を番しながら考え込んでいたお庄は、やがて的《あて》もなしにそこを逃げ出した。

     十一

 お庄はごちゃごちゃした裏通りの小路《こみち》を、そっちへゆきこっちへ脱けしているうちに、観音堂前の広場へ出て来た。紙片《かみきれ》、莨の吸殻などの落ち散った汚い地面はまだしっとりして、木立ちや建物に淡い濛靄《もや》がかかり、鳩《はと》の啼《な》き声が湿気のある空気にポッポッと聞えた。忙しそうに境内を突っ切って行く人影も、大分見えていた。お庄はここまで来ると、急に心が鈍ったようになって、渋くる足をのろのろと運んでいたが、するうちに、堂の方を拝むようにして、やがて仁王門《におうもん》を潜《くぐ》った。
 仲店《なかみせ》はまだ縁台を上げたままの家も多かった。お庄は暗いような心持で、石畳のうえを歩いて行ったが、通りの方へ出ると間もなく、柳の蔭の路側《みちわき》で腕車《くるま》を決めて乗った。
「湯島までやって頂戴な。」と、お庄は四辺《あたり》を見ないようにして低い声で言うと、ぼくりと後の方へ体を落して腰かけた。
 上野の広小路まで来たころに、空の雲が少しずつ剥《は》がれて、秋の淡日《うすび》が差して来た。ぼっと霞《かす》んだようなお庄の目には、そこらのさまがなつかしく映った。
 お庄は下宿の少し手前で腕車を降りて、それから急いで勝手口の方へ寄って行った。
 屋内《やうち》はまだ静かであった。お庄は簾《すだれ》のかかった暗い水口の外にたたずんで、しばらく考えていた。
「どうしてこんなに早く来ただい。」
 主婦《あるじ》は上って行くお庄の顔を見ると、言い出した。蒼白《あおざ》めたような頬に、薄い鬢《びん》の髪がひっついたようになって、主婦《あるじ》は今起きたばかりの慵《だる》い体をして、莨を喫《す》っていた。
 お庄はただ笑っていた。
「小言でも言われただかい。」
「いいえ。」
「何か失敗《しくじり》でもしたろ。」主婦《あるじ》はニヤニヤした。
「いいえ。」
「それじゃあすこが厭で逃げて来ただかい。逃げて来たって、お前の家はもう東京にゃないぞえ。」
 お庄は袂で括《くく》れたような丸い顎《あご》のところを拭いていた。
「それにあすこはお父さんが、ちゃんと話をつけて預けて来たものだで、出るなら出るで、またその話をせにゃならん。お前は黙って出て来ただかい。」
「…………。」
「そんなことしちゃよくないわの。向うも心配しているだろうに。」と、主婦《あるじ》は煙管《きせる》を下におくと、台所の方へ立って行った。そして、楊枝を使いながら、「家へ帰ったっていいこともないに、どうして浅草で辛抱しないだえ。銀行へ預けた金もちっとはあるというではないかい。」
 お庄はしばらく見なかったこの部屋の様子を、じろじろ見廻していた。
 奥から二男の糺《ただす》も、繁三も起き出して来た。今茲《ことし》十九になる糺はむずかしい顔をして、白地の寝衣《ねまき》の腕を捲《まく》りあげながら、二十二、三の青年のように大人《おとな》ぶった様子で、火鉢の傍に坐ると、ぽかぽか莨を喫い出した。
「糺や、お庄が浅草の家を逃げて来たとえ。」と主婦《あるじ》は大声で言った。
 糺は目元に笑って、黙っていた。
「また詫《わ》びを入れて帰って行くにしろ、このまま出てしまうにしろ、断わりなしに出て来るというのはよくないで、お前は葉書を一枚書いて出しておかっし。」
 糺はうるさそうに口を歪《ゆが》めていた。
 朝飯のとき、お庄も衆《みんな》と一緒に餉台《ちゃぶだい》の周《まわ》りに寄って行った。
「浅草へ行ってから、お庄もすっかり様子がよくなった。」糺は飯を盛るお庄の横顔を眺めながら笑った。

     十二

 ここの下宿は私立学校の医学生と法学生とで持ちきっていた。長いあいだ居着いているような人たちばかりで、菊太郎や糺とも親しかった。中には免状を取りはぐして、頭脳《あたま》も生活も荒《すさ》んでしまった三十近い男などが、天井の低い狭い部屋にごろごろして、毎日花を引いたり、碁を打ったりして暮した。夜はぞろぞろ寄席へ押しかけたり、近所の牛肉屋や蕎麦屋《そばや》で、火を落すまで酒を飲んだりした。北廓《なか》の事情に詳しい人や、寄席仕込みの芸人などもあった。
「××さんもいつ免状をお取りなさるだか。お国のお父さんも、すっかり田地を売っておしまいなすったというに、そうして毎日毎日茶屋酒ばかり飲んでいちゃ済まないじゃないかえ。」
 主婦《あるじ》は楊枝を啣《くわ》えて帳場の方へ上り込んで来る書生の懦弱《だじゃく》な様子を見ると、苦い顔をして言った。
「私らンとこの菊太郎も実地はもうたくさんだで、今茲《ことし》は病院の方を罷《よ》さして、この秋から田舎に開業することになっておりますでね、私もこれで一ト安心ですよ。病院ももう建て前が出来た様子で、昔のことを思《おも》や地面も三分の一ほかないけれど、旧《もと》の家の跡へ親戚《しんせき》で建ってくれたと言うもんだでね。」
 主婦《あるじ》は同じようなことを、一人に幾度も言って聞かせた。
 その書生は鼻で遇《あしら》って、主婦が汲んで出す茶を飲みながら、昨夜《ゆうべ》の女の話などをしはじめた。
「あれ、厭な人だよ、手放しで惚気《のろけ》なんぞを言って。」
と、主婦はじれじれするような顔をした。
 するうちに、奥の暗い部屋で差《さ》しで弄花《はな》が始まった。主婦は小肥りに肥った体に、繻子《しゅす》の半衿のかかった軟かい袷《あわせ》を着て、年にしては派手な風通《ふうつう》の前垂《まえだれ》などをかけていた。黒繻子の帯のあいだに財布を挟んで、一勝負するごとに、ちゃらちゃら音をさせて勘定をした。
 学校から衆《みんな》が帰って来ると、弄花《はな》の仲間も殖えて来た。二男の糺も連中に加わって、出の勝つ母親のだらしのない引き方を尻目にかけながら、こわらしい顔をしていた。
 夕方になると、主婦《あるじ》は乗りのわるい肌の顔に白粉などを塗って、薄い鬢を大きく取り、油をてらてらつけて、金の前歯を光らせながら、帳場に坐り込んでいた。
「お神さんがまた白粉を塗っているのよ。」と、女中は蔭でくすくす笑った。
「××さんがこのごろほかに女が出来たもんだから、焼けてしようがないのよ。」
 女中は廊下の手摺《てす》りに凭《もた》れながらお庄に言って聞かせた。
 この書生は、外へ出ない時はよく帳場の方へ入り込んでいた。主婦と一緒に寄席へ行くこともあった。帰りにはそこらの小料理屋で一緒に酒を飲んで、出て行った時と同じに、別々に帰って来た。その書生は二十八、九の、色の白い、目の細い、口の利《き》き方の優しい男であった。
 主婦がその部屋へ入り込んでいるのを、お庄は幾度も見た。
「ちょいとちょいと、面白いものを見せてあげよう。」剽軽《ひょうきん》な女中はバタバタと段梯子《だんばしご》から駈け降りて来ると、奥の明るみへ出て仕事をしているお庄を手招ぎした。
 女中は二階へあがって行くと、足を浮かして尽頭《はずれ》の部屋の前まで行って、立ち停ると、袂で顔を抑えてくすくす笑っていた。
 十時ごろの下宿は、どの部屋もどの部屋もシンとしていた。置時計の音などが裏《うら》からかちかち聞えて、たまに人のいるような部屋には、書物の頁《ページ》をまくる音が洩れ聞えた。
 お庄は逃げるように階下《した》へ降りて行くと、重苦しく呼吸《いき》が塞《つま》るようであった。
 お庄は冬の淋しい障子際に坐って、また縫物を取りあげた。冷たい赭《あか》い畳に、蝿《はえ》の羽が弱々しく冬の薄日に光っていた。

     十三

 横浜の店をしまって、一家の人たちがまた東京へ舞い戻って来るまでには、お庄も二、三度その家へ行ってみた。
 家は山手の場末に近い方で、色の褪《あ》せたような店には、品物がいくらも並んでいなかった。低い軒に青い暖簾《のれん》がかかって、淋しい日影に曝《さら》された硝子《ガラス》のなかに、莫大小《メリヤス》のシャツや靴足袋《くつたび》、エップルのような類が、手薄く並べられてあった。
 飴屋《あめや》の太鼓の周《まわ》りに寄っている近所の鍛冶屋《かじや》や古着屋の子供のなかに哀れなような弟たちの姿をお庄は見出した。弟たちは、もうここらの色に昵《なじ》んで、目の色まで鈍いように思えた。
「正《まさ》ちゃん正ちゃん。」と、お庄が手招ぎすると、一番大きい方の正雄は、姉の顔をじっと見返ったきり、やはりそこに突っ立っていた。
 上って行くと、荒《さび》れたような家の空気が、お庄の胸にもしみじみ感ぜられた。母親は、この界隈《かいわい》の内儀《かみ》さんたちの着ているような袖無しなどを着込んで、裏で子供の着物を洗っていた。目の色が曇《うる》んで、顔も手もかさかさしているのが、目立って見えた。
 母親は傍へ寄って行くお庄の顔をしげしげと見た。頬や手足の丸々して来たのが、好ましいようであった。
「湯島じゃ皆な変りはないかえ。」
 お庄は台所の柱のところに凭《もた》れて、頭髪《あたま》を撫でたり、帯を気にしたりしながら、母親の働く手元を眺めていたが、やがて奥へ引っ込んで、店口へ出て見たり、茶の間のなかを歩いて見たりした。部屋には、東京で世帯を持った時、父親が小マメに買い集めた道具などがきちんと片着いて、父親が蒲団《ふとん》の端から大きい足を踏み出しながら、安火《あんか》に寝ていた。父親は何もすることなしに、毎日毎日こうしてだらけたような生活に浸っていた。皮膚に斑点《しみ》の出た大きい顔が、脹《むく》んでいるようにも思えた。
 お庄は家が淋しくなると、賑やかな大通りの方へ出て行った。羽衣町《はごろもちょう》に薬屋を出している叔父の家へも遊びに行った。
 叔母はその父親が、長いあいだある仏蘭西人《フランスじん》のコックをして貯えた財産で有福に暮していた。その外人のことを、お庄はよく叔母から聞かされたが、屋敷へ連れられて行ったこともあった。叔母は主人のいない時に、綺麗なその部屋部屋へ入れて見せた。食堂の棚から、銀の匙《さじ》や、金の食塩壺、見事なコーヒ茶碗なども出して見せた。錠を卸《おろ》してある寝室へ入って、深々した軟かい、二人寝の寝台の上へも臥《ね》かされた。よく薬種屋の方へ遊びに来ている、お島さんという神奈川在|産《うま》れの丸い顔の女が、この外人の洋妾《らしゃめん》であった。
「ここへ、あの人たちが寝るのさ。」と、色気のない叔母は、寝台に倚《よ》っかかっていながら笑った。
 お庄は目のさめるような色の鮮やかな蒲団や、四周《あたり》の装飾に見惚《みと》れながら、長くそこに横たわっていられなかった。湯島の下宿の二階で、女中に見せられた、暗い部屋のなかの赤い毛布の色が浮んだ。
 淡紅《うすあか》い顔をしたその西洋人が帰って来ると、お島さんもどこからか現われて来て、自堕落《じだらく》な懶《だる》い風をしながら、コーヒを運びなどしていた。
 この叔母が飲んだくれの叔父に、財産を減らされて行きながら、やはり思い断《き》ることの出来ない様子や、そのまた叔父に、父親が次ぎ次ぎに金を出し出ししてもらってる事情が、お庄にも見え透いていた。

     十四

 父親は時々、この叔母の所有に係《かか》る貸家の世話や家賃の取立て、叔母の代のや、父親から持越しの貸金の催促――そんなようなことに口を利いたり、相談相手になったりした。田舎にいたおり、村の出入りを扱うことの巧《うま》かった父親は、自家《うち》の始末より、大きな家の世話役として役に立つ方であった。
 叔母は手箪笥《てだんす》や手文庫の底から見つけた古い証文や新しい書附けのようなものを父親の前に並べて、「何だか、これもちょっと見て下さいな。」と、むっちり肉づいた手に皺《しわ》を熨《の》した。
「うっかりあの人に見せられないような物ばかりでね。」と、叔母は道楽ものの亭主を恐れていたが、義兄《あに》の懐へ吸い込まれて行く高も少くなかった。
 店の品物が、だんだん棚曝《たなざら》しになったころには、父親と叔母との間も、初めのようにはなかった。叔母が世話をしてくれたある生糸商店の方の口も、自分の職業となると、長くは続かなかった。
「堅くさえしていてくれれば、なかなか役に立つ人なんだけれど、どうもあの人も堅気の商人向きでないようでね。」と、叔母はしまいかけてある店頭《みせさき》へ来て、不幸なその嫂《あによめ》に話した。
 父親は、その姿を見ると、煙草入れを腰にさして、ふいと表へ出て行った。店には品物といっては、もう何ほどもなかった。雑作の買い手もついてしまったあとで、母親は奥でいろいろのものを始末していた。横浜へ来てから、さんざん着きってしまった子供の衣類や、古片《ふるぎれ》、我楽多《がらくた》のような物がまた一《ひ》ト梱《こおり》も二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行《はや》らないような手縞の着物を残らず売り払って来てから、不断《ふだん》着せるものに不自由したことが、ひどく頭脳《あたま》に滲《し》み込んでいた。
「東京の方が思わしくなかったら、また出てお出でなさいよ。」
 叔母は襤褸片《ぼろぎれ》や、風呂敷包みの取り散らかった部屋のなかに坐って、黒繻子の帯の間から、餞別に何やら紙に包んだものを取り出して、子供に渡したり、水引きをかけた有片《ありきれ》を、火鉢の傍に置いたりした。
「さんざお世話になって、またそんな物をお貰い申しちゃ済みましねえ。」
 母親はそれを瞶《みつ》めていながら、押し返すようにした。
「お庄ちゃんか正ちゃんか、どっちか一人おいて行けばいいのにね。」と、叔母は子供たちの顔を眺めた。
「田舎において来たつもりで、お庄ちゃんを私に預けておおきなさい。ろくなお世話も出来やしないけれど、どこかいいところへ異人館へ小間使いにやっておけば、運がよければ主人に気に入って、西洋《むこう》へでも連れて行かないものとも限らない。そして真面目に働きさえすれア、お金もうんと出来るし、見られないところを方々見てあるいて、おまけに学問まで仕込んでくれるんだからありがたいじゃないかね。」
 叔母はそんな人の例を一つ二つ挙《あ》げた。帰朝してから横浜で女学校の教師に出世した女や、溜《た》めて来た金を持って田舎へ引っ込んで、いい養子を貰った女などがそれであった。母親はそういう気にもなれなかった。叔母が亭主と一緒に洋食を食ったり、洋酒を飲んだりするのすら、見ていて不思議のようであった。
「まア、もう少し大きくでもなりますれアまた……。」と、重い口を利《き》いた。
「義兄《にい》さんも思いきって、正ちゃんをくれるといいんだがね。」叔母は色白の、体つきのすンなりした正雄に目を注いだ。
 母親はこの子は手放したくなかった。
「何なら定吉の方を貰っておもらい申したいっていうこンだで……。」と、母親は、赧《あか》らんだような顔をしながら、莨《たばこ》を吸い着けて義妹《いもうと》に渡した。
 お庄は傍に坐って、二人の談《はなし》に注意ぶかい耳を傾けていた。

     十五

 お庄は母親と、また湯島の下宿に寄食《かか》っていた。正雄は、横浜から来るとじきに築地の方にいる母方の叔父の家に引き取られるし、妹は田舎で開業した菊太郎の方へ連れられて行った。次の弟は横浜の薬種屋の方に残して来た。
「男の子一人だけは、どうにかものにしなくちゃア。」と、叔父は、姉婿が壊《くず》れた家を支えかねて、金を拵えにと言って、田舎へ逃げ出してから、下宿の方へ来てその姉に話した。
 その叔父は夙《はや》くから村を出て、田舎の町や東京で、長いあいだ書生生活を続けて来た。勤めていた石川島の方の会社で、いくらか信用ができて株などに手を出していたが、頚《くび》に白羽二重《しろはぶたえ》を捲きつけて、折り鞄を提げ、爪皮《つまかわ》のかかった日和下駄《ひよりげた》をはいて、たまには下宿へもやって来るのを、お庄もちょいちょい見かけた。肩つきのほっそりしたこの叔父と、頚《くび》の短い母親とが、お庄には同胞《きょうだい》のようにも思えなかった。
「小崎の迹取《あとと》りはお前だに、皆を引き取ればよい。この節は大分株で儲《もう》けるというじゃないか。」下宿の主婦《あるじ》は叔父を揶揄《からか》うように言ったが、叔父は取り澄ました風をして莨を喫《ふか》しながら、ただ笑っていた。
 それから二、三日|経《た》ってから、ある晩方母親は正雄をつれて行ったが、一人で外へ出たことのないお庄も一緒に家を出た。
 そのころ引っ越した築地の家の様子は、お庄の目にも綺麗であった。三味線や月琴《げっきん》が茶の間の火鉢のところの壁にかかっている、そこから見える座敷の方には、暮に取りかえたばかりの畳が青々していた。その飾りつけも町屋風《まちやふう》で、新しい箪笥の上に、箱に入った人形や羽子板や鏡台が飾ってあり、その前に裁物板《たちものいた》や、敷紙などが置いてあった。
 田舎の町で、叔父が教師をしていた若い時分に、そこの商家から迎えたという妻は、堅気な風をして大柄の無愛想な女であった。
「私のところも、入る割りには交際は多いもんでね、せっかく正ちゃんをお引き受け申しても、お世話が出来ることやら出来ぬことやら、……。」と、叔母は茶箪笥のなかから、皮の干からびたような最中《もなか》に、気取った箸をつけて出してくれた。
「それに女のお児《こ》だと、また始末がようござんすがね、お庄ちゃんも浅草の方へお出でなさるんだとかでね……。」
「どうでござんすか。あすこも出て来たきり、庄《これ》が厭がるもんだで、一向|音沙汰《おとさた》なしで……。」と、母親は四つになった末の弟とお庄との間に坐って、口不調法に挨拶していた。
 母親は病身な正雄の小さい時分のことや、食事の細いこと、気の弱いことなどを、弟嫁に話しかけていたが、子供を持ったことのない叔母には、その気持の受け取れようがなかった。お庄は骨張ったようなその大きな顔を、時々じろじろと眺めていた。
 母親は四つになる末の子を負《おぶ》いかけては、取りつきかかる正雄の顔を見ていた。
 やがてお庄は足の遅い母親を急《せ》き立てるようにして、道を歩いていた。
 母親は下宿にいても、何も手に着かないことが多かった。父親が妻子をここへあずけて田舎へ立ってから、もう一ト月の余にもなった。
「それでも為さあは田舎で何をしているだか、また方々酒でも飲んであるいて、こっちのことは忘れているずら。書けねえ手じゃなし、お安さあもぼんやりしていないで、手紙を一本本家の方へ出して見たらどうだえ。」
 主婦《あるじ》はランプの蔭で、ほどきものをしながら齲歯《むしば》を気にしている母親を小突いた。お庄は火鉢の傍で、宵《よい》の口から主婦の肩をたたいていた。お庄は時々疲れた手を休めて、台所の方で悪戯《わるさ》をしながら、こっちへ手招ぎしている繁三の方を見ていた。
 繁三は河童《かっぱ》のような目をぎろぎろさせながら、戸棚へ掻《か》い上って、砂糖壺のなかへ手を突っ込んでいた。
「あらア、おばさん繁ちゃんが……。」お庄は蓮葉《はすは》な大声を出した。
 繁三はどたんと戸棚から飛び下りると、目を剥《む》き出して睨《にら》めた。

     十六

 田舎から上って来た身内の人の口から父親の消息がこの家へも伝わって来た。
 その人は母方の身続きで、下宿の主婦《あるじ》とは従兄弟《いとこ》同志であった。村では村長をしていて、赤十字の大会などがあると花見がてらにきっと上って来た。田舎で春から開業している菊太郎の評判などを、小父《おじ》が長い胡麻塩《ごましお》の顎鬚《あごひげ》を仕扱《しご》きながら従姉《いとこ》に話して聞かせた。
「為さあも、油屋の帳場に脂下《やにさが》っているそうだで、まア当分東京へも出て来まい。」小父は笑いながら話した。
 お庄は母親の蔭の方に坐っていて、柱も天井も黝《くろず》んだ、その油屋という暗い大きな宿屋の荒れたさまを目に浮べた。そこは繭買《まゆか》いなどの来て泊るところで、養蚕期になるとその家でも蚕を飼っていた。主《あるじ》は寡婦《やもめ》で、父親は田舎にいる時分からちょいちょいそこへ入り込んでいた。お庄の家とはいくらか血も続いていた。
 母親は齲歯《むしば》の痛痒《いたがゆ》く腐ったような肉を吸いながら、人事《ひとごと》のように聞いていた。
「それ、そんなこンだろうと思ったい。」と、主婦《あるじ》は吐き出すような調子で言った。
「あすこも近年は料理屋みたいな風になってしまって、ベンベコ三味線も鳴れア、白粉を塗った女もあるせえ。」
「いっそもう、そこへ居坐って出て来なけアいい。」母親も鼻で笑った。
「出て来なけアどうするえ。稚《ちいさ》いものがいちゃ働くことも出来まいが……。」
 小父は主婦とお庄とをつれて、晩方から寄席《よせ》へ行って、帰りに近所の天麩羅屋《てんぷらや》で酒を飲んだ。
「小崎の姉さまも一ト晩どうだね。」と、田舎の小父は大きな帽子のついた、帯のある鳶《とんび》を着ながら、書類の入った折り鞄を箪笥の上にしまい込んで、出がけに母親に勧めた。
「私はヘイ。」と、母親は二十日《はつか》たらずも結ばない髪を気にしながら言った。
「お安さあは寄席どころではないぞえ。」と、主婦は古い小紋の羽織などを着込んで、莨入れを帯の間へ押し込みながら、出て行った。
 母親は東京へ来てから、まだろくろく寄席一つ覗《のぞ》いたことがなかった。田舎にいた時の方が、まだしも面白い目を見る機会があった。大勢の出て行ったあと、火鉢の傍で、母親は主婦《あるじ》が手きびしくやり込めるように言った一ト言を、いつまでも考えていた。気楽に寄席へでも行ける体にいつなれるかと思った。
「私は東京へ来て、商業《これ》に取り着くまでには、田町で大道に立って、庖丁《ほうちょう》を売ったこともあるぞえ。」と、主婦の苦労ばなしが、また想い出された。
 自分には足手纏《あしでまと》いの子供のあることや、長いあいだ亭主に虐《しいた》げられて来たことが、つくづく考えられた。
「あの人も、えらい出ずきだね。」
 やがて女中と二人で、主婦の蔭口が始まった。
 皆の跫音《あしおと》が聞えた時、火鉢に倚《よ》りかかって、時々こくりこくりと居睡《いねむ》りをしていた母親は、あわてて目を擦《こす》って仕事を取りあげた。
 主婦は眠そうな母親の顔に、すぐに目をつけた。
「この油の高いに、今までかんかん火をつけて、そこに何をしていただえ。」
 主婦は褄楊枝《つまようじ》を啣《くわ》えながら大声にたしなめた。
「私が石油くらいは買うで……。」と、母親は言い返した。
 主婦の声はだんだん荒くなった。母親も寝所へ入るまで理窟《りくつ》を言った。
 暗いところで小父の脱棄《ぬぎす》てを畳んでいながら、二人の言合いをおそろしくも浅ましくも思ったお庄は、終《しま》いに突っ伏して笑い出した。

     十七

 お庄はごちゃごちゃした日暮れの巷《まち》で、末の弟を見ていた。弟はもう大分口が利けるようになっていた。うっちゃらかされつけているので、家のなかでも、朝から晩までころころ独《ひと》りで遊んでいた。
「どうせもうそんなにたくさんはいらないで、この子を早く手放しておしまいやれと言うに――。」と、主婦《あるじ》は気を苛立《いらだ》たせたが、母親は思い断《き》って余所《よそ》へくれる気にもなれなかった。
 弟は大勢の子供の群れている方へ、ちょこちょこと走って行った。しまっておいた簾《すだれ》が、また井戸端で洗われるような時節で、裾《すそ》をまくっておいても、お尻の寒いようなことはなかった。お庄は薄暗くなった溝際《みぞぎわ》にしゃがんで、海酸漿《うみほおずき》を鳴らしていた。
 そこへ田舎から上野へ着いたばかりの父親が、日和下駄をはいて、蝙蝠傘《こうもりがさ》に包みを持ってやって来た。
「庄そこにいたか。」
 父親はしゃがれたような声をかけて行った。お庄は猫背の大きい父親の後姿を、ぼんやり見送っていた。
 お庄が弟をつれて家へ入って行くと、父親はぽつねんと火鉢のところに坐って、莨を喫《ふか》していた。母親も傍に黙っていた。お庄は父親と顔を合わすのを避けるようにして、台所の方へ出て行った。
「女房子を人の家へ打《ぶ》っつけておいて、田舎で今まで何をしていなさっただえ。」と、主婦《あるじ》は傍へ寄って行くと、ニヤニヤ笑いながら言った。
 父親はどこかきょときょとしたような調子で、低い声でいいわけをしていた。
「それならそれで、手紙の一本もよこせアいいに……。」と、主婦は父親に厭味を言うと、「ちっとあっちへ行って、台所の方でも見たらどうだえ。」と母親を逐《お》い立てた。
 母親は始終不興気な顔をして、父親が台所へ出て声をかけても、ろくろく返事もしなかった。
「酒を一本つけてくれ。私《わし》が買うから。」と、しばらく東京の酒に渇《かつ》えていた父親は、暗いところで財布のなかから金を出して、戸棚の端の方においた。
「そんな金があるなら、子供に簪《かんざし》の一本も買ってやればいい。」母親は見向きもしないで、二階から下って来た膳の上のものの始末をしていた。
「それアまたそれさ。来る早々からぶすぶすいわないもんだ。」
 お庄が弟を負《おぶ》って、裏口から酒を買って来たころには、二人の言合いも大分|募《つの》っていた。お庄は水口の框《かまち》に後向きに腰かけたまま、眠りかけた弟を膝の上へ載せて、目から涙をにじませていた。
 父親が自分でつけた酒をちびちびやりながら、荒い声が少し静まりかけると、主婦《あるじ》がまた母親を煽動《けしか》けるようにして、傍から口を添えた。
 やがて父親は酒の雫《しずく》を切ると、財布のなかから金を取り出して、そこへ置いた。
「私はこれから、浜の方へ少し用事があるで……持って来た金は皆《みんな》ここへ置きますで……。」
 主婦は鼻で笑った。
「行けアまたいつ来るか解らないで、子供を持って行ってもらったらよからずに。」
「子供をどうか連れて行っておもらい申したいもんで……。」と、母親も強《きつ》いような調子で言った。
 父親の出て行くあとから、お庄は弟を負《おぶ》せられて、ひたひたと尾《つ》いて行った。

     十八

 父親は時々|途《みち》に立ち停っては後を振り顧《かえ》った。聖堂前の古い医学校の黒門の脇にある長屋の出窓、坂の上に出張った床屋の店頭《みせさき》、そんなところをのろのろ歩いている父親の姿が、狭い通りを忙《せわ》しく往来《ゆきき》している人や車の隙《すき》から見られた。浜へ行くといって潔《いさぎよ》く飛び出した父親の頭脳《あたま》には何の成算もなかった。
 父親が立ち停ると、お庄もまた立ち停るようにしては尾いて行った。するうちに、父親の影が見えなくなった。道の真中へ出てみても、端の方へ寄ってみても見えなかった。
「お前気が弱くて駄目だで、どうでもお父さんに押っ着けて来るだぞえ。」
 お庄は、主婦《あるじ》が帽子や袖無しも持って来て、いいつけたことを憶い出しながら、坂を降りて、暗い方へ曲って行った。おろおろしていた母親の顔も目に浮んだ。
 お庄は広々した静かな眼鏡橋《めがねばし》の袂へ出て来た。水の黝んだ川岸や向うの広い通りには淡い濛靄《もや》がかかって、蒼白い街燈の蔭に、車夫《くるまや》の暗い看板が幾個《いくつ》も並んでいた。お庄は橋を渡って、広場を見渡したが、父親の影はどこにも見えなかった。お庄は柳の蔭に馬車の動いている方へ出て行くと、しばらくそこに立って見ていた。駐《とま》った馬車からは、のろくさしたような人が降りたり乗ったりして、幾台となく来ては大通りの方へ出て行った。
 暗い明神坂を登る時分には、背《せなか》で眠った弟の重みで、手が痺《しび》れるようであった。
「それじゃまたどこかそこいらを彷徨《ぶらつ》いているら。」と、主婦は独りで呟《つぶや》いていたが、お庄は母親に弟を卸《おろ》してもらうと、帯を結《ゆわ》え直して、顔の汗を拭き拭き、台所の方へ行って餉台《ちゃぶだい》の前に坐った。
 お庄がある朝、新しいネルの単衣《ひとえ》に、紅入りメリンスの帯を締め、買立ての下駄に白の木綿足袋《もめんたび》をはいて、細く折った手拭や鼻紙などを懐に挿み、兜町《かぶとちょう》へ出ている父親の友達の内儀《かみ》さんに連れられて、日本橋の方へやられたころには、この稚《ちいさ》い弟も父親に連れられて、田舎へ旅立って行った。父親はそれまでに、横浜と東京の間を幾度となく往《い》ったり来たりした。弟の家の方を視《うかが》ったり、浅草の女の方に引っかかっていたりした。終いにまた子供を突き着けられた。
 お庄はまた弟をつれて、上野まで送らせられた。弟は衆《みんな》の前にお辞儀をして、紐《ひも》のついた草履《ぞうり》をはきながら、ちょこちょこと下宿の石段を降りて行った。
 お庄は構内の隅の方の腰掛けの上に子供をおろして、持って来たビスケットなどを出して食べさせた。子供はそれを攫《つか》んだまま、賑やかな四下《あたり》をきょろきょろ眺めていた。
 父親の顔は、長いあいだの放浪で、目も落ち窪《くぼ》み骨も立っていた。昨日浅草の方から、母親に捜し出されて来たばかりで、懐のなかも淋しかった。母親は、主婦《あるじ》に噬《か》みつくように言われて、切なげに子供を負って馬車から降りると、二度も三度も店頭《みせさき》を往来して、そのあげくにやっと入って行った。
 父親はその時二階に寝ていた。女の若い情人《おとこ》は、そのころ勧工場のなかへ店を出していた。
 父親は山の入った博多《はかた》の帯から、煙草入れを抜き出して、マッチを摺《す》って傍で莨を喫った。お庄は髯《ひげ》の生えたその顎の骨の動くさまや、痩《や》せた手容《てつき》などを横目に眺めていた。
 汽車の窓から、弟は姉の方へ手を拡げては泣面《べそ》をかいた。
 お庄は父親に、巾着《きんちゃく》のなかから、少しばかりの銀貨まで浚《さら》われて、とぼとぼとステーションを出た。

     十九

 お庄は日本橋の方で、ほとんどその一ト夏を過した。
 その家は奥深い塗屋造《ぬりやづく》りで、広い座敷の方は始終薄暗いような間取りであったが、天井に厚硝子の嵌《はま》った明り取りのある茶の間や、台所、湯殿の方は雨の降る日も明るかった。お庄はその茶の間の隅に据《す》わった、釜《かま》の傍に番している時が多かった。
 朝起きると、お庄は赤い襷《たすき》をかけ、節のところの落ち窪むほどに肉づいた白い手を二の腕まで見せて塗り壁を拭いたり、床の間の見事な卓や、袋棚《ふくろだな》の蒔絵《まきえ》の硯箱《すずりばこ》などに絹拭巾《きぬぶきん》をかけたりした。主《あるじ》の寝る水浅黄色の縮緬《ちりめん》の夜着や、郡内縞《くんないじま》の蒲団《ふとん》を畳みなどした。
 主人は六十近い老人で、禿《は》げた頭顱《あたま》の皮膚に汚い斑点《まだら》が出来ており、裸になると、曲った背骨や、尖《とが》った腰骨のあたりの肉も薄いようであったが、ここに寝泊りする夜はまれであった。
「ただ今お帰りですよ。」
 お庄は時々、こんな電話を向島《むこうじま》の方の妾宅《しょうたく》から受け取って、それを奥へ取り次ぐことがあった。
 内儀《かみ》さんは背の低い、品のない、五十四、五の女で、良人《おっと》に羽織を着せる時、丈《たけ》一杯|爪立《つまだ》てする様子を、お庄は後で思い出し笑いをしては、年増《としま》の仲働きに睨《にら》まれた。
 客の多い家で、老主人が家にいると、お庄は朝から茶を出したり、菓子を運ぶのに忙しかった。店の方を切り廻している三十前後の若主人や、その内儀《かみ》さんも、折々来ては老人の機嫌を取っていた。縁づいている娘も二人ばかりあった。
 年取った内儀さんは、よく独りで、市中や東京|居周《いまわ》りの仏寺を猟《あさ》ってあるいた。嫁や娘たちが、海辺や湯治場で、暑い夏を過すあいだ、内儀さんは質素な扮装《みなり》をして、川崎の大師や、羽田の稲荷《いなり》へ出かけて行った。この春に京都から越前《えちぜん》まで廻って秋はまた信濃《しなの》の方へ出向くなどの計画もあった。そのたんびに寺へ寄附する金の額《たか》も少くなかった。お庄は時々、そんな内幕のことを、年増の女中から聴かされた。
 内儀さんは、家にいても夫婦一つの部屋で細々《こまごま》話をするようなことは、めったになかった。悧発《りはつ》そうなその優しい目には、始終涙がにじんでいるようで、狭い額際《ひたいぎわ》も曇っていた。階上の物置や、暗い倉のなかに閉じ籠《こも》って、数ある寝道具や衣類、こまこました調度の類を、あっちへかえしこっちへ返し、整理をしたり置き場を換えて見たりしていた。着物のなかには、もう着られなくなった、色気や模様の派手なものがたくさんあった。
「私が死ねば、これをお前さんたちみんなに片身分《かたみわ》けにあげるんですよ。」
 内儀さんはその中に坐りながら言った。
 老人は、頭脳《あたま》が赫《かっ》となって来ると、この内儀さんの顔へ、物を取って投げ着けなどした。得がたい瀬戸物が、柱に当って砕けたり、大事な持物が、庭の隅へ投《ほう》り出されたりした。
 お庄らは、この老人の給仕をしているあいだに、袖で顔を掩《おお》うて、勝手の方へ逃げ出して来ることがしばしばあった。内儀さんに就いていいのか、老人に就いていいのか、解らないようなこともたびたびであった。
 夜は若いものが店の方から二、三人来て泊った。酒好きな車夫も来て、台所の方によくごろ寝をしていた。若い人たちは時間が来ると入り込んで来て、湯に入ってから、茶の間の次で雑誌を見たり、小説を読んだりした。湯に入っていると牡丹色《ぼたんいろ》の仕扱《しごき》を、手の届かぬところへ隠されなどして、お庄は帯取り裸のまま電燈の下に縮まっていた。

     二十

 こっちの仲働きが向島のと入れ替った。そのころからお庄の心もいくらか自由になった。向島の方のお鳥という女が、何か落ち度があって暇を出されるところを、慈悲のある内儀《かみ》さんが、入れ替らせて本宅で使うことにした。
「お前がしばらく行って、あすこを取り締っておくんなさいよ。お絹には若いものはとても使いきれないから。」
 こっちの仲働きは内儀さんからこう言い渡されたとき、奥から下って来ると厭な顔をして、黙って火鉢の傍で莨ばかり喫《ふか》していた。顔に蕎麦滓《そばかす》の多い女で、一度は亭主を持ったこともあるという話であった。腹には苦労もありそうで、絶えず奥へ気を配り、うっかりしているようなことはなかった。
 お庄は目見えの時、内儀さんからこの女の手に渡されて、二、三日いろいろのことを教わった。お茶の運び工合から蒲団の直しよう、煙草盆の火の埋《い》け方、取次ぎのしかた、光沢拭巾《つやぶきん》のかけ方などを、少しシャがれたような声で舌速《したばや》に言って聴かせた。お庄が笑い出すと、女はマジマジその顔を瞶《みつ》めて、「いやだよ、お前さんは、真面目に聞かないから。」と、煙管《きせる》をポンと敲《たた》いた。お庄はこの「お前さん」などと言われるのが初めのうち強《きつ》く耳に障《さわ》って、どうしても素直に返辞をする気になれなかった。そんな時にお庄は、低い鼻のあたりに皺《しわ》を寄せてとめどなく笑った。一緒に膳に向う時、この女の汚らしい口容《くちつき》をみるのが厭な気持で、白い腰巻きをひらひらさせてそこらを飛び歩いたり、食べ物を塩梅《あんばい》したりする様子も、どうかすると気にかかってならなかった。お庄はそういう時にも、顔に袂を当てがって笑う癖があった。
 一緒に湯に入ると、女はお庄の肉着きのいい体を眺めて、「わたしは一度もお庄ちゃんのように肥《ふと》ったことがなくて済んだんだよ。」と、うらやましがった。
 お庄はまた、骨組みの繊細《きゃしゃ》なこの女の姿だけはいいと思って眺めた。髪の癖のないのも取り柄のように思えた。
「まアこちらのお宅に辛抱してごらんなさい。こちらもあまりパッパとする方じゃないけれど、内儀《おかみ》さんが目をかけて使って下さるからね。どこへ行ったって、そういい家というものはないものですよ。」と、女はお庄がやや昵《なじ》んだ時分に、寝所でしみじみ言って聴かせた。
 お庄はそうして奉公気じみたことを考えるのが、厭なようであった。
 女が包みと行李とを蹴込《けこ》みに積んで、ある晩方向島の方へ送られて行くと、間もなくお鳥がやって来た。
 お鳥は躯《からだ》の小さい、顔の割りに年を喰った女であったが、一ト目見た時から、どこか気がおけなそうに思えた。
 お鳥は来た晩から、洗い浚《ざら》い身の上ばなしを始めた。向島の妾宅のこと、これまでに渉《わた》りあるいた家のことなども、明けッ放しに話した。
 お庄は時々この女に、用事をいいつけるようになった。女は「そう」「そう」と言って、小捷《こばしこ》く働いたが、そそくさと一ト働きすると、じきに懈《だる》そうな風をしてぺッたり坐って、円《まる》い目をパチパチさせながら、いつまでも話し込んだ。この女が平気で弁《しゃべ》ることが、終《しま》いにはおそろしくなるようなことがあった。
 お鳥は冷《ひや》っこい台所の板敷きに、脹《ふく》ら脛《はぎ》のだぶだぶした脚を投げ出して、また浅草で関係していた情人《おとこ》のことを言いだした。
「堅気の家なんか真実《ほんとう》につまらない。奉公するならお茶屋よ。」
 お鳥は溜息をついて、深い目色をした。
 お庄も足にべとつく着物を捲《まく》しあげて、戸棚に凭《もた》れて、うっとりしていた。奥も台所の方も、ひっそりしていた。

     二十一

 水天宮の晩に、お鳥は奥の方へは下谷《したや》の叔母の家に行くと言って、お庄に下駄と小遣いとを借りて、裏口の方から出て行った。この女は来た時から何も持っていなかった。押入れのなかに転《ころ》がした風呂敷のなかに、寝衣《ねまき》と着換えが二、三枚に、白粉の壜《びん》があったきりで、昼間外へ出る時は傘までお庄のをさして行くくらいであったが、金が一銭もなくても買食いだけはせずにいられなかった。お鳥と一緒にいると、お庄は自分の心までが爛《ただ》れて行くように思えた。
 台所ばかりを働いている田舎丸出しの越後《えちご》女は、よくお鳥に拭巾と雑巾とを混合《ごっちゃ》にされたり、奥からの洗濯物のなかに汚い物のついた腰巻きをつくねておかれたりするので、ぶつぶつ小言を言った。
「お前が来てから、何だかそこいらが汚くなったようだよ。」と、内儀《かみ》さんは時々出て来てはそこいらに目を配った。
「私口を捜しに行くんですから、奥へは黙っていて下さいね。どこかいいところがあったら、あなたも行かないこと。」お鳥は出て行く時お庄にも勧めた。
 お庄はただ笑っていたが、この女の口を聞いていると、そうした方が、何だか安易なような気もしていた。貰いのたくさんあるようなところなら、自分の手一つで、母親一人くらいは養って行けそうにも思えた。
 お庄は落ち着かないような心持で、勝手口の側《わき》の鉄の棒の嵌《はま》った出窓に凭《もた》れて路次のうちを眺めていた。するうちに外はだんだん暗くなって来た。一日曇っていた空もとうとう雨になりそうで、冷たい風は向うの家の埃《ほこり》ふかい廂間《ひさしあい》から動いて来た。
 お庄はじれったいような体を、窓から引っ込めて行くと、自分たちの荷物や、この家の我楽多《がらくた》の物置になっている薄暗い部屋へ入って、隅の方に出してある鏡立ての前にしゃがんだ。ふと呼鈴《よびりん》がけたたましく耳に響いた。茶の間へ出て行くと、今店の方から来たばかりの小僧が一人、奥へ返辞もしないで、明るい電燈の下で、寝転んで新聞を読んでいた。お爨《さん》は台所で、夕飯の後始末をしていた。
「お前さんちょっと行ってくれたってもいいじゃないの。」
 お庄は小僧に言いかけて、手で臀《しり》のあたりを撫《な》でながら、奥の方へ行った。奥は四、五日|甲高《かんだか》な老人の声も聞えなかった。内儀《かみ》さんは、時々二階へあがって、そこで一人かけ離れて冬物を縫っているお針の傍へ行ったり、物置の方へ物を捜しに行ったりして、日を暮した。お鳥に聞かされるいろいろの話に引き寄せられていたお庄は、しばらくこの主人とも疎《うと》くなったような気がしていた。
 内儀さんは樟脳《しょうのう》の匂いの染《し》み込んだような軟かいほどきものを一枚出して、お庄に渡した。
「お前、旦那《だんな》がお留守で、あんまり閑《ひま》なようなら、ちっとこんなものでもほどいておくれ。」
 お庄はそれを持って引き退《さが》って来たが、今急に手を着ける気もしなかった。
 水天宮へ出かけて行った店の若い人たちが、雨に降られてどかどか[#「どかどか」に傍点]と帰って来た時分には、お庄もお鳥の帰りが待ち遠しいような気がして来た。そして明りの下でほどきものをしながら、心にいろいろのことを描いていた。
 お鳥の帰ったのは、その翌朝であった。
「どうも済みません。」
 お鳥は疲れたような顔をして、紅梅焼きを一ト袋、袂の中から出すと、それを棚の上において、不安らしくお庄の顔を見た。お庄はまだ目蓋《まぶた》の脹《は》れぼったいような顔をして、寝道具をしまった迹《あと》を掃いていた。お鳥は急いで襷《たすき》をかけて、次の間へハタキをかけ始めた。

     二十二

 お庄は久しぶりで湯島の方へ帰って行った。もといた近所を通って行くのはあまりいい気持でもなかったし、母親の顔を見るのも厭なような気がして、お庄は日蔭もののように道の片側を歩いて行った。昨夜《ゆうべ》お鳥のところへこの間の話の人にいい口があると言って、浅草の方から葉書で知らせて来た。先方は食物屋《たべものや》で、家は小さいけれど、客種のいいということは前からもお鳥に聞かされていた。それに忙《せわ》しいには忙しいが芸者なども上って、収入《みいり》も多いということであった。体が大きいから、年などはどうにもごまかせると言って、お鳥は女文字のその葉書を見せた。お庄は何だか担《かつ》がれでもするようで、こわかったが、行って見たいような心がしきりに動いた。お庄はもう半分、ここにいる気がしなかった。
 下宿へ入って行くと、下の方には誰もいなかったが、見馴れぬ女中が、台所の方から顔を出して胡散《うさん》そうにお庄を眺めた。そこらはもう薄暗くなっていた。
 母親は二階の空間で、物干しから取り込んだ蒲団の始末をしていた。窓際に差し出ている碧桐《あおぎり》の葉が黄色く蝕《むしば》んで、庭続きの崖《がけ》の方の木立ちに蜩《かなかな》が啼《な》いていた。そこらが古くさく汚く見えた。お庄は自分の古巣へ落ち着いたような心持で、低い窓に腰かけていた。
「阿母《おっか》さん、私お茶屋などへ行っちゃいけなくて。」お庄は訊《き》いた。
 母親は畳んでいた重い四布《よの》蒲|団《とん》をそこへ積みあげると、こッちを振り顧《かえ》って、以前より一層肉のついたお庄の顔を眺めた。
「お茶屋ってどんなとこだか知らないが、堅気のものはまアあんまり行くところじゃあるまい。」
「ちゃんとした家なら、行ったっていいじゃないの。」
「さア、どんなものだかね、私《わし》らには一向解りもしないけれど……どこかそんなところでもあるだか。」母親は立っていながら言った。
 お庄はこの母親に言って聞かせても解らないような気がしてもどかしかった。
「お前そうして、そこへ行くと言うだかい。」母親はマジマジ娘の顔を見た。
「どうだか解りゃしない。行って見ないかと言う人があるの。」お庄は外の方を見ていながら、気疎《けうと》いような返辞をした。
「誰からそんなことを言われたか知らないけれど、まアあんまり人の話にゃ乗らない方がいい。もしか間違いでもあって、後で親類に話の出来ないようなことでもあっちゃ済まないで。」と、母親は暗いような顔にニヤニヤ笑って、
「その人はやっぱりあすこへ出入りする人でもあるだか。」
「一緒に働いている人さ。その人も近いうちにあすこを出るでしょうと思うの。」
「じゃ、その人はお前より年とった人ずら。自分が出るでお前も一緒に引っ張って行かずかという気でもあるら。」
 母親は蒲団の前に坐り込んで芥《ごみ》を捻《ひね》りながら、深く思い入っているようであった。
 夕暮の色が、横向きに腰かけているお庄の顔にもかかって来た。
「よくせき困ってくれば、時と場合で女郎さえする人もあるもんだで、身を落す日になれア、何でもできるけれど、家じゃ田舎にちゃんとした親類もあるこんだもんだで、あの人たちに東京で何していると聞かれて、返辞の出来ないようなむやみなことも出来ないといったようなもんせえ。あすこへ世話してくれた人にだって、そんなことを言い出せた義理じゃないしするもんだで……。」
 お庄は、重苦しい母親の調子が、息ぜわしいようであった。
 やがて下から声かけられて、母親が板戸を締めはじめると、お庄もむっ[#「むっ」に傍点]と黴《かび》くさい部屋から脱けて、足元の暗い段梯子を降りて行った。

     二十三

「おや厭だぞえ、誰かと思ったらお庄かい。」
 段梯子の下に突っ立っていながら、目の悪い主婦《かみさん》は、降りて来るお庄の姿を見あげて言った。お庄は牡丹の模様のある中形《ちゅうがた》を着て、紅入《べにい》り友禅《ゆうぜん》の帯などを締め、香水の匂いをさせていた。揉揚《もみあ》げの延びた顔にも濃く白粉を塗っていた。
「お前今ごろ何しに来たえ。塩梅《あんばい》でも悪いだか。」
 主婦《かみさん》は帳場のところへ来てお辞儀をするお庄のめっきり大人びたような様子を見ながら訊いた。
 お庄はそこにあった団扇《うちわ》で、熱《ほて》った顔を煽《あお》ぎながら、畳に片手を突いて膝を崩《くず》していた。
「これがお茶屋に行かずかと言いますがどんなもんでござんすら。」と母親が大分経ってから、おずおず言い出したとき、主婦《かみさん》はお庄の顔を見てニヤリと笑った。
「そろそろいい着物でも着たくなって来たら、そして先アどこだえ。」
「何だか浅草に口があるそうで……。」
 主婦は詳しくも聞かなかった。そこへ客が入り込んで来たりなどして、話がそれぎりになった。
 お庄は台所の隅の方で、また母親とこそこそ立ち話をしていた。
 九時ごろにお庄は、通りの角まで母親に送られて帰って行った。
「それじゃ世話する人にも済まないようだったら、今いる家へ知れないように目見えだけでもして見るだか。」
 母親は別れる時こうも言った。お庄は断わるのに造作はなかったが、それぎりにするのも飽き足らなかった。
 帰って行くと、奥はもうひっそりしていた。茶の間と若い人たちの寝る次の部屋との間の重い戸も締められて、心張り棒がさされてあった。お鳥は寝衣《ねまき》のまま起きて出て、そっと戸を開けてくれた。
「私あのことどうしようかしら。」
 お庄はお鳥の寝所《ねどこ》の傍にべッたり坐って、額を抑えながら深い溜息を吐《つ》いた。
 お鳥はだらしのない風をして、細い煙管《きせる》に煙草を詰めると、マッチの火を摺《す》りつけて、すぱすぱ喫《の》みはじめた。
「どうでもあんたの好きなようにすればいいじゃありませんか。あんまりお勧めしても悪いわ。」お鳥はお庄の顔をマジマジ見ていた。
「そこは真実《ほんとう》に堅い家なの。」
「それア堅い家でさね。だけど、どうせ客商売をしてるんですから、堅いと言ったって、ここいらの堅いとはまた違ってますのさ。」お鳥は鼻にかかった声で言って澄ましていた。
 お鳥は寝所《ねどこ》へ入ってからも、自分の知っているそういう家の風をいろいろ話して聞かした。
 二、三日経ってから、お鳥が浅草の叔母の方へ帰って行ったころには、店の方からよく働く女が一人ここへ廻されていた。方々ですれて来たお鳥の使いにくいことが、その前から奥へもよく解っていた。店の荷造りをする男と、一緒に仕舞湯へ入ってべちゃくちゃしながら、肌の綺麗な男の背を流しなどしているところを、台所働きに見られて、言いつけられた。内儀《かみ》さんはお鳥を呼びつけて、しねしね叱言《こごと》を言った。
「もう厭になっちゃった。どうせこんなところは腰かけなんだから、どうだってかまやしない。」
 お鳥は奥から出て来ると、太《ふて》くさったような口を利いて、茶の間にごろごろしていた。
 お鳥は出て行くとき、荷部屋へ入って、お庄としばらく話し込んでいた。それから借りた金なども綺麗に返して、包みを一つ抱えて裏から脱けて行った。
 後で多勢でこの女の噂が始まった。若い男たちは、お庄らの気着かぬことまで見ていた。お庄も一緒になって、時々切なげな笑い方をした。

     二十四

 お庄の行った家は、お鳥の言うほど洒落《しゃれ》てもいなかった。
 お庄は家からかかった体裁に、お鳥から電話をかけてもらって、ある晩方日本橋の家を脱けて出た。その日は一日|気色《きしょく》の悪い日で、店から来た束髪の女ともあまり口を利かなかった。お庄には若い夫婦の傍にいつけて、理窟っぽくなっているこの女の幅を利《き》かすほど、煮物や汁加減《つゆかげん》が巧いとは思えなかった。学校出の御新造を笠に被《き》て、お上品ぶるのも厭であった。
 その晩は、白地が目に立つほど涼しかった。お庄は母親に頼んであるネルの縫直しがまだ出来ていなかったし、袷羽織《あわせばおり》の用意もなかったので、洗濯してあった、裄丈《ゆきたけ》の短い絣《かすり》の方を着て出かけて行った。
 馬車の中は、水のような風がすいすい吹き通った。お庄は軽く胸をそそられるようであった。
 お庄は賑やかな池《いけ》の畔《はた》から公園の裾《すそ》の方へ出ると、やがて家並みのごちゃごちゃした狭い通りへ入った。氷屋の簾《すだれ》、床屋の姿見、食物屋《たべものや》の窓の色硝子、幾個《いくつ》となく並んだ神燈の蔭からは、媚《なまめ》かしい女の姿などが見えて、湿った暗い砂利の道を、人や俥《くるま》が忙しく往来した。ここはお庄の目にも昵《なじ》みのないところでもなかった。
 お鳥のいる家はじきに知れた。大きい木戸から作り庭の燈籠《とうろう》の灯影や、橋がかりになった離室《はなれ》の見透《みすか》されるような家は二軒とはなかった。お庄は店頭《みせさき》の軒下に据えつけられた高い用水桶《ようすいおけ》の片蔭から中を覗《のぞ》いて、その前を往《い》ったり来たりしていたが、するうち下足番の若い衆に頼んで、お鳥に外まで出てもらった。やがてお鳥は下駄を突っかけて料理場の脇《わき》の方から出て来た。
 その家は仲見世《なかみせ》寄りの静かな町にあった。お鳥は花屋敷前の暗い木立ちのなかを脱けて、露店《ほしみせ》の出ている通りを突っ切ると、やがて浅黄色の旗の出ている、板塀囲いの小体《こてい》な家の前まで来てお庄を振り顧《かえ》った。お庄は片側の方へ寄って、遠くから入口の方を透《すか》し視《み》していた。
 裏から入って行くと、勝手口は電気が薄暗かった。内もひっそりしていて、菰被《こもかぶ》りの据わった帳場の方の次の狭い部屋には、懈《だる》そうに坐っている痩せた女の櫛巻《くしま》き姿が見えた。上に熊手《くまで》のかかった帳場に、でッぷりした肌脱ぎの老爺《おやじ》が、立てた膝を両手で抱えて、眠そうに倚《よ》りかかっていた。
 お鳥は女中を一人片蔭へ呼び出すと、暗いところで立ち話をしはじめた。そうしてから外に立っているお庄を呼び込んだ。
「じゃこの人よ。どうぞよろしくお願い申します。」お鳥は口軽にお鳥を紹介《ひきあわ》すと、やがて帰って行った。
 女中はお庄を櫛巻きの女の方へつれて行った。女は落ち窪んだヒステレー性の力のない目でお庄をじろじろ眺めたが、言うことはお庄はよく聴き取れなかった。
 帳場前の廊下へ出ると、そこから薄暗い硝子燈籠の点《とも》れた、だだッ広い庭が、お庄の目にも安ッぽく見られた。ちぐはぐのような小間《こま》のたくさんある家建《やだ》ちも、普請が粗雑《がさつ》であった。お庄はビールやサイダーの広告のかかった、取っ着きの広い座敷へ連れられて行くと、そこに商人風の客が一ト組、じわじわ煮立つ鶏鍋《とりなべ》を真中に置いて、酒を飲んでいるのが目についた。お庄は入口の方に坐って、しばらくぼんやりしていた。
「あんたも来て手伝って頂戴。」
 女は骨盤の押し開いたような腰つきをして、片隅に散らかったものを忙しそうに取り纏《まと》めていた。
 お庄は気爽《きさく》に返事をして、急いで傍へ寄って行った。
 その晩から、お庄は衆《みんな》に昵《なじ》んだ。

     二十五

 正雄がある朝十時ごろに、一《いち》の家《や》を訪ねて行くと、お庄は半襟《はんえり》のかかった双子《ふたこ》の薄綿入れなどを着込んで、縁側へ幾個《いくつ》も真鍮《しんちゅう》の火鉢を持ち出して灰を振《ふる》っていた。お庄が身元引受人に湯島の主婦《あるじ》を頼みに行ったとき、主婦はニヤニヤ笑って、
「お前そんなことをしてもいいだかい。自分の娘のことじゃないから、私はまア何とも言わないが、長くいるようじゃダメだぞえ。」と、念を押しながら判を捺《お》してくれた。
 お庄は二日ばかりの目見えで、毎日の仕事もあらまし解って来た。家の様子や客の風も大抵|呑《の》み込めた。どこのどんな家のものだか知れないような女連の中に交じって立ち働くのも厭なようで、自分にもそれほど気が進んでもいなかったが、日本橋の方へ帰って、気むずかしい老人夫婦ばかりの、陰気な奥の方を勤めるのも張合いがなかった。
「今いる家は、体が楽でも気が塞《つま》っていけないそうで……。」と、母親も傍から口を添えた。
 お庄はここへ書附けを入れてから、もう二タ月にもなった。
 お庄は裏口の戸の外に待っている正雄の姿を見ると、顔を赧《あか》くして傍へ寄って行ったが、目に涙がにじんだ。明けると十四になる正雄の様子は、しばらくのまにめっきり下町風になっていた。頭髪《かみ》を短く刈り込んだ顔も明るく、縞《しま》の綿入れに角帯をしめた体つきものんびりしていた。
「何か用があったの。」とお庄は何か語りそうな弟の顔を見た。
「いいえ。」正雄は頭《かぶり》を掉《ふ》った。
「どうしてここにいることが解ったの。阿母《おっか》さんに聞いて来たの。」
 それぎりで、二人は話すことも、想い出せないような風で立っていた。
 しばらくたつと、お庄は顔や髪などを直して、出直して来た。大きい素足に後歯《あとば》の下駄をはいて、意気がったような長い縞の前垂を蹴るようにして蓮葉に歩き出すと、やがて芝居や見世物のある通りへ弟を連れ出して来た。
 見世物場はまだそれほど雑踏していなかった。帽子も冠《かぶ》らないで、ピンヘットを耳のところに挟んだような、目容《めつき》のこわらしい男や、黒足袋をはいて襷がけしたような女の往来《ゆきき》している中に、子供の手を引いた夫婦連れや、白い巾《きれ》を頚《くび》に巻いた女と一緒に歩いている、金縁眼鏡《きんぶちめがね》の男の姿などが、ちらほら目についた。二人はその間をぶらぶらと歩いていたが、弟はどこを見せても厭なような顔ばかりしていて、張合いがなかった。お庄は見世物小屋の木戸口へ行って、帯のなかから巾着《きんちゃく》を取り出しながら、弟を呼び込もうとしたが、弟はやはり寄って来なかった。
「何か食べる方がいいの。」お庄は橋の手摺りに倚《よ》りかかって、あっちを向いている弟の傍へ寄り添いながら訊いたが、弟はやはり厭がった。
「じゃ、何か欲しいものがあるならそうお言いなさい。姉さんお鳥目《あし》があるのよ。」
「ううん、お鳥目《あし》なんか使っちゃいけない。」弟はニヤニヤ笑った。
 二人は橋を渡って木立ちの見える方へ入って行った。弟は姉と一緒に歩くのが厭なような風をして、先へずんずん歩いた。
 別れる時、お庄は片蔭へ寄って、巾着から銀貨をあらまし取り出して渡した。
「姉さんも早くあの家を出るようにしておくれ。」と、弟の言ったのを時々思い出しながら、お庄は裏通りをすごすごと帰って行った。

     二十六

 帰って行くと、内儀《かみ》さんが帳場の方に頑張《がんば》っていた。
 内儀さんは上州辺の女で、田舎で芸妓《げいしゃ》をしていた折に、東京から出張っていた土木の請負師に連れ出されて、こっちへ来てから深川の方に囲われていた。ここの老爺《おやじ》と一緒になったのは、その男にうっちゃられてから、浅草辺をまごついていた折であった。前の内儀さんを逐《お》い出すまでには、この女もいくらかの金をかけて引っ張って来た老爺の手から、幾度となく逃げて行った。今茲《ことし》十三になる前妻の女の子は、お庄がここに来ることになってから、間もなく鳥越《とりごえ》にいる叔母の方へ預けられた。この継子《ままこ》を、内儀さんがその父親の前で打《ぶ》ったり毒突いたりしても、爺さんは見て見ない振りをしていた。
「それアひどいことをするのよ。」と、女中たちは蔭で顔を顰《しか》め合った。
「あんなにいびるくらいなら、余所《よそ》へくれた方がいいわ。」
「あの年をしていて、わが子よりは内儀《かみ》さんの方が可愛いなんて、お爺《じい》さんも随分だわね。」
 蒼《あお》い顔をして、女中と一緒に、隅の方で飯を食っている、その女の子の様子を見ると、お庄も厭な気がした。「それでもお前たち子供が可愛そうだと思ったもんで……。」と、いつか母親の言った語《ことば》を思い出された。
「外聞が悪いから、いい加減にしときなよ。」と、爺さんは内儀《かみ》さんのいびり方が劇《はげ》しくなると、眠いような細い目容《めつき》をして、重い体をのそのそと表へ出て行った。そうでもしなければ、彼女の病気がどこまで募るか解らなかった。内儀さんは、請負師の妾《めかけ》をしているころから、劇しいヒステレーに陥っていたらしく思われた。
「おいおい、家は忙《せわ》しいんだよ、朝ッぱらからどこを遊んであるくんだ。」
 隙《すき》のない目で、上って来るお庄の顔を見て、内儀さんは怒鳴った。その顔にはいつものように酒の気《け》もするようであった。どこかやんばらなようなところのある内儀さんは、継子《ままこ》がいなくなってからは、時々劇しくお爺さんに喰ってかかった。喧嘩《けんか》をすると、じきに菰冠《こもかぶ》りの呑み口を抜いて、コップで冷酒《ひやざけ》をも呷《あお》った。
「どうも済みません。」
 お庄は笑いながら言って、奥の方へ入って行った。
 座敷の方では、赤いメリンスの腰捲きを出して、まだ雑巾がけをしている女もあった。並べた火鉢の側に寄って、昨夜《ゆうべ》仲店で買って来た櫛《くし》や簪《かんざし》の値の当てッこをしている連中もあった。
「あれお前さんの弟……。」一人はお庄にこう言って訊きかけた。
「え、そう」お庄は頷《うなず》》いた。
「道理で似ていると思った。」
「同胞《きょうだい》だって似るものと決まってやしないわ。」
「当然《あたりまえ》さ。親子だって似ないものもあるじゃないか。」
 てんでんに下らなく笑って、顔の話などをしはじめた。お庄は形の悪い鼻を気にしながら、指頭《ゆびさき》が時々その方へ行った。奥の小間《こま》では、お庄が出る前から飲みはじめて、後を引いている組もあった。都々逸《どどいつ》の声などがそっちから聞えて、うるさく手が鳴った。誰かが、「ちょッ」と舌うちして、鼻唄《はなうた》を謳《うた》いながら起って行った。お庄も寒い外の風に吹かれながら鼻頭《はながしら》を赤くして上って来た客に声かけて、垢染《あかじ》みた蒲団などを持ち出して行った。
 夜お庄は、弟から端書《はがき》を受け取った。端書には、読めないような生意気なことが、拙《まず》い筆で書いてあったが、茶屋奉公などしている姉を怒っている弟の心持は、お庄の胸に深く感ぜられた。

     二十七

 正月の十五日過ぎに、お庄は肩にショールをかけ、銀杏返《いちょうがえ》しに白い鬢掻《びんか》きなどをさして奥山で撮《と》った手札形の自分の写真と、主婦《あるじ》や母親、女中に半襟や櫛のようなものを買って、湯島の方へ訪ねて来た。そのころ湯島ではもう大根畠《だいこんばたけ》の方の下宿屋を引き払っていた。田舎で潰《つぶ》れた家を興して、医師の玄関を張っている菊太郎から、倹約すれば弟二人を学校へ出して行けるだけの金が、月々送られることになってから、主婦《あるじ》は下宿を売り払って、その金の幾分で路次裏にちょっとした二階屋を買って、そこへ引っ越していた。二階にはごく気のおけない人を一人二人置いてあった。
 主婦のお元は、お庄の風を見てあまり悦《よろこ》ばなかった。
 お庄が半襟などを取り出して、「阿母《おっか》さんがいろいろお世話になりまして……。」と、ひねた挨拶《あいさつ》ぶりをすると、婆さんは紙に包んだその品を見もしないで、苦い顔をしていた。
「お前は、そしてその家で何をしているだい。やっぱり出てお客のお酌《しゃく》でもするだかえ。」
「え、時々……。」お庄はニヤニヤしながら、「やっぱりね、それをしないと怒る人があるものですから。」
「そんなことをしてはいけないぞえ。ろくなお客も上るまいに。金でもちっと溜ったと言うだか。」お庄は笑っていた。
「お安さあのところへ時々送るという話だったじゃないかえ。」
「それはそうなんですけれど、ああしておれば何だ彼だと言ってお小遣いもいりますから……。」
「それじゃお前、初めの話と違うぞえ、そのくらいなら日本橋にいた方がまだしも優《まし》だ。続いて今までおればよかったに。」
 お庄もそんなような気がしていないこともなかった。お酉《とり》さま前後から春へかけて、お庄は随分働かされた。一日立詰めで、夜も一時二時を過ぎなければ、火を落さないようなこともあった。脚も手も憊《くたび》れきった体を、硬い蒲団に横たえると、すぐにぐッすり寝込んだ。朝起きるとまた同じように、重い体を動かさなければならなかった。お庄は婆さんの前に坐っていると、膝やお尻の、血肉《ちにく》が醜く肥ったことが情ないようであった。
「それにあすこいらはおそろしい風儀がよくないと言うじゃないかい。お前もそんなことをしていれア、一生頭があがらないぞえ。」
 お庄の耳には、根強いような婆さんの声が、びしびし響いた。お庄は聞いて聞かないような振りをして、やっぱり笑っていた。そして時々涙のにじみ出る目角《めかど》を、指頭《ゆびさき》で拭《ぬぐ》っていたが、終《しま》いにそこを立って暗い段梯子の方へ行った。お庄は婆さんに何か言われるたんびに、下宿の二階で見たことなどがじきに頭に浮んだ。鬢の薄い、唇の黒赭《くろあか》いようなその顔が、見ていられなくなった。
「兄さんはお二階……。」お庄は落ち着かないような調子で訊いた。
 二階では、取っ着きの明るい部屋で、糺《ただす》が褞袍《どてら》を着込んで、机に向って本を見ていた。
「御免なさい。」と言って、お庄はそこへ上り込んで行った。
「誰か来ているのかと思ったらお庄か。」従兄《いとこ》はこっちを向いて、長い煙管《きせる》を取り上げた。
 お庄は挨拶をすますと、窓のところへ寄って来て、障子を開けて外を覗《のぞ》いた。そこはすぐ女学校の教室になっていた。曇ったガラス窓からは、でこでこした束髪頭が幾個《いくつ》も見えた。お庄は珍しそうに覗き込んでいた。
「どうしたい。」従兄はお庄の風に目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》っている。
「今下で、お婆さんにさんざん油を絞られましたよ。」
「お前のいるところはどこだえ。」
 お庄はそこへ坐って、煙管を取りあげた。
「何だ、お庄ちゃんか。」と言って、繁三も次の室《ま》から顔を出した。

     二十八

 日の暮れ方まで、お庄はここに遊んでいた。二階の連中と出しっこをして、菓子も水ものを買って、それを食べながら、花を引いたり、燥《はしゃ》いだ調子で話をしたりするうちに、夜|寄席《よせ》へ行く約束などが出来た。
「そんなことをしていてもいいかえ。築地の小崎もお前のことを心配していたで、今夜にも行って見た方がよくはないかえ。お前の風を見て、小崎が何と言うだか。」
 婆さんは、飯も食わずにそわそわしているお庄に小言を言った。もうランプが点《とも》れていた。お庄は隅の方へ鏡を取り出して大人ぶった様子をして髪の形などを直していた。
「今日でなくとも、明日という日もありますから……。」と、お庄は安火《あんか》に入って、こっちを見ている糺の苦い顔を見ながら言った。
「余所《よそ》へ出て働くというのは辛いものだろう。」と、糺は傍から口を利いた。
「どうせそれは楽じゃないわ。」と、お庄も鏡に映る自分の髪の形に見入りながら、気なしに言った。
「今初めてそんなことが解っただか。お前が独りで口を拵えて行ったじゃないかえ。」
 お庄も糺も黙っていた。
「さあ、若いものは遅くなると危いで、化粧《つくり》などはいい加減にして、早くおいでと言うに。」と、婆さんはやるせなく急《せ》き立てた。
 築地の方へは、この家が下宿を引き払った時分から、母親が引き取られていた。弟も相変らずいた。そこへ行くには、叔母にもちゃんとした挨拶をしなければならず、自分の身の上の相談を持ち込むのも厭であった。
「それじゃ行ったらいいだろう。そして小崎の叔父に話をして、浅草なぞは早く足を洗った方がよさそうだぜ。」糺も興のない顔をして言った。
「え、それじゃ行きます。」お庄は急に髪の道具をしまいかけた。
「どうせお前たちを見るのは、一番縁の近い小崎のほかにアないもんだで、行ったらよく話して見るがいい。あすこには子供がないで、そのくらいのことをするが当然《あたりまえ》だ。」
 するうち古茶箪笥の上の方にかかっている時計が五時を打った。お庄は何だか気が進まなかった。寄席へも行きそびれたような気がして、心がいらいらした。糺に話したいことも胸につかえているようであった。お庄思いの糺には、家もなくて方々まごついているお庄の心持が、一番解っているように思えた。
 お庄は帯を締め直すと、二階に忘れて来た手※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《ハンケチ》を捜しに上った。二階には寒い夕方の風が立てつけの悪い障子をがたがた鳴らして、そこらの壁や机の上にまだ薄明りがさしていた。お庄はその薄暗いなかに坐って、しばらく考え込んでいた。するうちにそっと起ちあがって、段梯子を降りた。
 お庄はやがて、堅く凍《い》てついた溝板《どぶいた》に、駒下駄《こまげた》の歯を鳴らしながら、元気よく路次を出て行った。外は北風が劇しく吹きつけていた。十五日過ぎの通りには人の往来《ゆきき》も少く、両側の店も淋しかった。砂埃に吹き曝《さら》されている、薄暗い寄席の看板などが目についた。
 お庄はまだ思い断《き》って、独りで築地へ行く気がしなかった。それよりは、浅草の方へ帰って行った方が、まだしも気楽なように思えた。そして時々立ち停って思案していた。
 浅草へ帰ったのは、八時ごろであった。お庄は馬車を降りると、何とはなし仲居の方へ入って行ったが、しばらくそこらを彷徨《ぶらつ》いているうちに、四下《あたり》がだんだん更《ふ》けて来た。
 お庄はその晩大道で、身の上判断などしてもらって、それからとぼとぼと家の方へ帰って行った。身の上判断は思っているほど悪い方でもなかった。

     二十九

 築地へ行くと言って出かけたきり行かなかったことが後で知れてから、お庄は糺に電話できびしく小言を喰った。電話のかかって来た時、客が立て込んでいて、お庄は落ち着いて先の話を聴くことも出来なかったが、衆《みんな》が意《おも》いのほか心配していることと、叔父や湯島のお婆さんの怒っていることだけは受け取れた。お庄は何だか軽佻《かるはずみ》なことをしたように思って、一日そのことが気にかかった。
「それじゃ二、三日の中にきっと行くね。たびたびそんなことをすると、終《しま》いに誰もかまってくれなくなってしまうからね。」と、糺が念を押した語《ことば》も、お庄の頭脳《あたま》をいらいらさせた。お庄は客のいない部屋の壁のところに倚《よ》りかかって、腹立たしいような心持で、じっと考え込んでいた。築地へはこれきり行かないことにしようかとも思った。一生誰の目にもかからないようなところへ行ってしまいたようにも思った。暮に田舎へ流れて行ったお鳥のことなどが想い出された。
「もし工合がいいようだったら知らしてあげるから、ことによったらお前さんも来るといいわ。少しは前借《ぜんしゃく》も出来ようというんだからいいじゃないか。」
 立つ少し前に、奥山で逢った時、お鳥はこう言って、その土地のことを話して聞かせた。それは茨城《いばらき》の方で、以前関係のあった男が、そこで鰻屋《うなぎや》の板前をしていることも打ち明けた。
「お前さんなんざまだ幼《うぶ》だから、行けばきっと流行《はや》りますよ。」お鳥はこうも言った。
 お庄はおそろしいような心持で聴き流していたが、時々そうした暗い方へ向いて行くような気もしていた。
「お清さんお清さん。」と、廊下で自分を呼んでいる朋輩《ほうばい》の慵《だる》い声がした。(お庄はこの家ではお清と呼ばれている。)お庄は聞いて聞えない風をして黙っていた。するうちに手※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《ハンケチ》で目を拭いて客の方へ出て行った。
 それから二、三日して、お庄は菓子折などを持って、築地の方を尋ねた。奥の方では叔母の爪弾《つまび》きの音などが聞えて、静かな茶の間のランプの蔭に、母親が誰かの不断着を縫っていた。お庄がそっとその側へ寄って行くと、母親は締りのない口元に笑《え》みを見せて、娘の姿にじろじろ目をつけた。
「お前がここへ来ると言って、それきり来ないもんだで、どうしたろうかと言って、叔父さんも豪《えら》い心配していなすったに。」と言って、今夜は同役のところへ碁を打ちに行っていることを話した。正雄も二、三日前田舎から出て来た叔母の弟をつれて銀座の方を見に行って、いなかった。
 お庄は、そこで二、三服ふかしてから奥の方へ叔母に挨拶に行った。寒がりの叔母は、炬燵《こたつ》のある四畳半に入り込んで、三味線を弄《いじ》りながら、低い声で端唄《はうた》を口吟《くちずさ》んでいたが、お庄の姿を見るとじきに罷《や》めた。
「おやお庄ちゃんかい、しばらくでしたね。」と言って振り顧《かえ》った。叔母はその晩気が面白そうに見えた。そして、堅苦しく閾《しきい》のところにお辞儀をしているお庄に気軽に話をしかけながら、茶の間へ出て来た。
 しばらくすると、叔母の弟が正雄と一緒に帰って来た。色の白い目鼻立ちの優しいその弟は、いきなりそこにべたりと坐って溜息を吐いた。
「ああ、魂《たま》げてしまった。実に剛気なもんですね。」
「この人は銀座を見て驚いているんだよ。」弟は笑い出した。
 部屋が急に陽気になった。お庄も晴れ晴れした顔をして、衆《みんな》の話に調子を合わした。

     三十

「叔父さんはことによると今夜も帰って来ないかしら。」叔母は柱時計を見あげながら気にしだした。時計はもう十二時近くであった。
「あの人の碁も、このごろは一向当てにならないでね。」
 茶箪笥から出した煎餅《せんべい》も、弟たちが食い尽し、茶も出《だ》し殻《がら》になってしまった。母親は傍《はた》の話を聞きながら時々針を持ったまま前へ突っ伏さるようになっては、また重い目蓋《まぶた》を開いて、機械的に手を動かした。お庄はその様子を見て腹から笑い出した。
「阿母さんは何ていうんでしょうね。そんなに眠かったら御免|蒙《こうむ》って寝《やす》んだらいいでしょう。」
「お寝みなさい。どうせ今夜は帰らないでしょうから。」叔母はその方を見ないようにして言った。
「いいえ、眠ってやしません。」
 おそろしい宵《よい》っ張《ぱ》りな母親は、居睡りをしながら、一時二時まで手から仕事を放さない癖があった。頭脳《あたま》が悪いので、夜も深い睡りに陥ちてしまうなんということがなかった。
「僕はどうしても兄貴の世話にゃ何ぞならないで、きっと独りで行《や》り通してみせる。」と、昨日《きのう》から方々東京を見てあるいて、頭脳《あたま》が興奮しているので、口から泡《あわ》を飛ばして自分のことばかり弁《しゃべ》っていた叔母の弟も、叔父の机のところから持って来た、古い実業雑誌を見ていながら、だんだん気が重くなって来た。この少年の家は、田舎の町で大きな雑貨店を出していた。お庄は時々その狂気《きちがい》じみた調子に釣り込まれながら、妙な男が来たものだと思って綺麗《きれい》なその顔を眺めていた。
「さあ、鶴二《つるじ》も正ちゃんもお寝みなさいよ。」と、広い座敷の方へ寝道具を取り出して、そこへ二人を寝かせてしまうと、叔母は心配そうな顔をして、火鉢の傍へ寄って来た。近所はもう寝静まって、外は人通りも絶えてしまった。霊岸島《れいがんじま》の方で、太い汽笛の声などが聞えた。
 叔母はその晩、しみじみした調子で、家の生活向《くらしむ》きのことなどを、お庄|母子《おやこ》に話して聞かせた。今の会社でいくらか信用が出来るまで、二度も三度もまごついたことや、堅くやっておりさえすれば、どうにかこうにか取り着いて行けそうな会社の方も、少し尻が暖まると、もうほかのことに手を出して、事務がお留守になりそうだということなどを気にしていた。叔父はそのころから株に手を出したり、礦山《こうざん》の売買に口を利いて、方々飛び歩いたりした。そして儲《もう》けた金で茶屋小屋入りをした。
「良人《うち》もあすこは、今年がちょうど三年目だでね、どうか巧い工合に失敗《しくじ》らないでやってくれればいいと思ってね……三年目にはきっと失敗《しくじ》るのが、これまでのあの人の癖だもんですからね。」
 母親は性のないような指頭《ゆびさき》に、やっぱり針を放さなかった。
「もう年が年だから、弟もちっとは考えていますらい。」と、弟|贔屓《びいき》の母親は眠そうな顔をあげた。
「それに私も、この年になるまで子がないもんですからね。」
「まだないという年でもござんすまいがね。弟だって、四十には三年も間のあることだもんだから……。」
 お庄はやがてこの叔母の傍へ寝かされた。叔母は床についてからも、折々寝返りをうって、表を通る俥や人の足音に耳を引き立てているようであった。するうちお庄はふかふかした蒲団に暖められて快い眠りに沈んだ。

     三十一

 翌朝目がさめて見ると、叔父はまだ復《かえ》っていなかった。明け方近くに、ようやく寝入ったらしい叔母は、口と鼻の大きい、蒼白いその顔に、どこか苦悩の色を浮べて、優しい寝息をしながら、すやすやとねていた。頬骨《ほおぼね》が際立って高く見えた。お庄は何だか淋しい顔だと思って眺めていた。
 お庄は仮りて着て寝た叔母の単衣物《ひとえもの》をきちんと畳んで蒲団の傍におくと、そッと襖《ふすま》を開けて、暗い座敷から茶の間の方へ出た。台所では、母親がもう働いていた。七輪に火も興《おこ》りかけていたし、鉄瓶にも湯を沸かす仕掛けがしてあった。お庄も襷がけになって、長火鉢の掃除をしたり茶箪笥に雑巾をかけたりした。
 そこらが一ト片着き片着いてしまうと、衆《みんな》は火鉢の傍へ寄って、母親が汲《く》んで出す朝茶に咽喉《のど》を潤《うるお》した。鶴二も正雄も、もう朝飯の支度の出来た餉台《ちゃぶだい》の側に新聞を拡げて、叔母の起きて出るのを待っていた。
 するうちに座敷の方へ日がさして、朝の気分がようやく惰《だら》けて来た。東京地図を畳んだり拡げたりして、今日見て歩くところを目算立《もくさんだ》てしていた鶴二は、気がいらいらしてきたように懐中時計を見ては、しきりに待ち遠しがっていた。母親も茶碗を手にしながら欠《あくび》をしだした。お庄は二人に飯を食べさしてから、正雄に小遣いを少し持たして鶴二と一緒に出してやった。正雄は暮から学校の方も休《よ》していた。
「頭脳《あたま》の悪いものは、強《し》いて学問などさして苦しますより、いっそ商売を覚えさすか職人にでもした方が早道だそうでね。」と母親は叔父の言ったことをお庄に話した。
「どっちにしても、叔父さんが今に資本《もと》を卸《おろ》して、店を出さしてやるというこんだから、何が正雄の得手だか、それが決まると口を見つけて、すぐそっちへ行くことになっているだけれどね……。」
「正ちゃんは何がいいていうんです。」
「それが自分にも解らないそうで……。」母親は茶の湯気で逆上目《のぼせめ》を冷やしていた。
 叔母が起きて来て、三人で飯を済ましてもまだ叔父は帰って来なかった。叔母は出勤の時間を気にしながら、始終表の方へ耳を引き立てていた。顔に淡《うす》く白粉などを塗って、髪も綺麗に撫《な》でつけ、神棚に榊《さかき》をあげたり、座敷の薄端《うすばた》の花活《はないけ》に花を活けかえなどした。お庄はそんな手伝いをしながら、昼ごろまでずるずるにいた。
 叔父は三時ごろにやっと帰って来た。叔母は待ち憊《くたび》れて安火に入って好きな講釈本を読んでいたし、お庄は帰ろう帰ろうと思いながら、もう外へ出るのが億劫《おっくう》になって、暖かい日のあたる縁側で、雲脂《ふけ》の多い母親の髪を釈《と》いて梳《す》いてやっていた。
 叔父はどこか酒の気もあるようであった。細い首に襟捲きを捲いて、角帯の下から重い金時計を垂下《ぶらさ》げ、何事もなさそうな顔をして入って来た。
「叔父さんの碁は大変長いって、今もそう言っていたところだに。」と母親は笑いながらその方を振り顧《かえ》った。
 叔父は黙って火鉢の傍に坐ると、赤く充血したような目をして、そこにあった新聞を長い膝の上で拡げて見ていたが、奥で叔母に床を延べさせて大欠をしながら寝てしまった。
「お庄ちゃんも昨宵《ゆうべ》から来て待っていますのに……。」と、叔母は言いかけたが、叔父は深く気にも留めなかった。
 お庄は座敷で叔父の脱棄《ぬぎす》てを畳みながら今日も夜まで引っかかっているのかと思った。叔母は箪笥の上に置いた紙入れのなかを検《しら》べなどしていた。
 夜になっても、叔父の目は覚めそうにもなかった。

     三十二

 晩飯の時、叔母は叔父の好きな取っておきの干物《ひもの》などを炙《あぶ》り、酒もいいほど銚子《ちょうし》に移して銅壺《どうこ》に浸《つ》けて、自身|寝室《ねま》へ行って、二度も枕頭《まくらもと》で声をかけて見たが、叔父は起きても来なかった。ランプに火を点《つ》けてお庄が呼び起しに行くと、叔父は顎《あご》の骨をガクガク動かして、細長い筋張った手を蒲団の外へ延ばして、ぐったり寝込んでいた。お庄は「厭な叔父さんね。」とげらげら笑いながら出て来た。
「あんなに疲れるまで遊んであるいて、体に障《さわ》らにゃいいが……。」
 叔母は拍子ぬけがして、自分で猪口《ちょく》に二、三杯酒を注いで飲んだ。叔母と叔父とは、年がそんなに違っていなかった。
 お庄は叔父の寝相《ねぞう》を真似をしながら、「どうすればあんなに正体なくなるんでしょう。」といってまだ笑っていた。
 飯を済ましたところへ、小原という会社の男が遊びに来た。三十少し出たくらいの、色の蒼白い、敏捷《はしっ》こそうな目をした小柄の男で、給仕から仕上げたのだということを、お庄は後で聞いた。
「小崎さん今日は見えませんでしたね。」と小原は叔母が火を入れて出す手炙《てあぶ》りの側へ、お庄が奥から持って来た座蒲団を敷いて、小綺麗な指頭《ゆびさき》で両切りの短く切ったのを、象牙《ぞうげ》のパイプに嵌《は》めて喫《の》みはじめた。お庄は古《ふる》こびれたようなその顔を横から見ながら、時々|傍《わき》を向いて何やら思い出し笑いをしていた。するうちに叔母に睨《にら》まれて奥の方へ逃げ込んで行った。
 小原は袱紗《ふくさ》に包んだ紙入れのなかから、女持ちの金時計を一つ鎖ごと取り出して、ランプの心を掻き立て、鎖の目方を引いたり型の説明をしたりして叔母に勧めていた。お庄も傍へ行って見た。その時計は同じ会社の上役の某という人の細君の持物であった。その女が花に負けて、一時の融通に質屋へ預けてあったのを、今度厭気がさして、質の直《ね》で売るのだということを、小原は繰り返して、出所《でどころ》の正しいことを証明した。
 叔母はさんざん弄《いじく》りまわした果てに、気乗りのしない顔をして男の手へ品物を返した。
「また余所《よそ》へお売りになればったって、決して御損の行く品物じゃありません。」小原は傍に手を突いて覗いているお庄と叔母との顔を七分三分に見比べながら言い立てた。お庄はまた顔に袖を当てて笑い出した。
「いや真実《ほんとう》に。」と、その男も笑い出した。そして一順人々の手を経廻《へめぐ》って来た時計を、そっと懐へしまいこんだ。
 やがてランプの釣《つ》り手を掛けかえて、この男と叔母と母親とで、花が始まった。
「あなたもお入りなさいな。」と、お庄も仲間に引き入れられた。お庄は身幅の狭い着物の膝を掻き合わせながら、目にちらちらする花札を手にした。鶴二は後の方で今日の日記を小さい手帳に書きつけていた。
 叔父が奥から、のそりと起き出して来たころには、花も大分進んでいた。
 叔父はお庄の背後《うしろ》の方に坐り込むと、時計を見あげて懈《だる》い欠をしていた。時計はもう九時を過ぎていた。
「そんな手で出るというのがあるものか、お庄は花を知らないかい。」叔父はお庄の肩越しに覗き込んで、煙管を咬《くわ》えながら一ト勝負後見した。
 やがて叔父が褞袍《どてら》を羽織って、連中の間へ割り込むと、お庄は席をはずれて、酒の燗《かん》をしたり、弟と二人で寒い通りへ衆《みんな》の食べる物を誂《あつら》えに走ったりした。
 花札の音が夜遅くまで、籠《こも》った部屋に響いた。

     三十三

 去年薬くさい日本橋で過した初夏《はつなつ》を、お庄は今年築地の家で迎えた。浅草から荷物を引き揚げて来たころから見ると、叔父の体は一層忙しくなっていたし、家も景気づいていたのだ。お庄も叔父が見立ててくれた新しい浴衣《ゆかた》などを着せられて、夕化粧をして、叔母と一緒に鉄砲洲《てっぽうず》の稲荷《いなり》の縁日などへ出かけた。
 叔母はどこへ行っても、気の浮き立つというようなことはなかった。好きな芝居を見に行っても、始終家のことを気にかけていた。お庄は倹約家《しまりや》の叔母が、好きな狂言があるとわざわざ横浜まで出向いてまで見に行くのを不思議に思った。たび重なると叔母は袋へ食べ物などを仕入れて行ってお庄と二人で大入り場で済まして来ることもあった。
 家にいると、仕立てものをするか、三味線を弾《ひ》くかして、やっと日を暮したが、そうしていてもやはり心が淋しそうであった。
「私は子がないので真実《ほんとう》につまらない。」お庄と二人で裁物板《たちものいた》に坐っている時、叔母は気が鬱《ふさ》いで来るとしみじみ言い出した。
「お庄ちゃんを貰って養子でもしようかね。」叔母は時々そんなことも考えた。そして親身《しんみ》になって着物の裁ち方や縫い方を教えた。少しは糸道が明いているのだからといって、三味線も教えてくれた。お庄は体の大きい叔母と膝を突き合わして、湯島の稽古屋《けいこや》で噛《かじ》ったことのある夕立の雨や春景色などを時々一緒に謳《うた》った。叔母の知っている端唄《はうた》なども教わったが、声がそんなものには太過ぎたし、手もしなやかに動く方ではなかったので、自分でも気がはずまなかった。
「わたし叔母さん駄目よ。」と、お庄は叔母が三味線を取り出すと、次の室《ま》へ逃げて行った。叔母は田舎風の節廻しで、独りで謳っていた。
 叔母はお庄の欲しがるような大きな人形を買って来て、それに好みの衣裳《いしょう》を縫って着せなどした。向うの子供を呼び込んで、玩具《おもちゃ》を買って懐《なつ》かしたり芝居の真似をさしておかしがったりしていたが、厭味なほどませたその子供は、お庄に馴染《なじ》んで、夜も一緒に抱かれて寝た。お庄は子供を負《おぶ》って日に幾度となく自分の家と向うの家とを往復した。
 金毘羅《こんぴら》で講元をしていた大きな無尽の掛け金を持って、お庄は取り縋《すが》るこの子供を負《おぶ》いながら、夕方から出かけて行った。ここから金毘羅まではかなりの道程《みちのり》であった。お庄は鉄道馬車で行けるところまで乗って、それからえッちらおッちら歩いて行った。その晩は銀座の地蔵の縁日であった。お庄は帰りにそっちへ廻って、人込みのなかを子供を負ったり歩かせたりして彷徨《ぶらつ》いていた。土の臭《にお》いと油煙と人瘟気《ひといきれ》とで、呼吸《いき》のつまりそうな通りをおりおり涼しい風が流れた。お庄は背《せなか》や股《もも》のあたりにびっしょり汗を掻きながら、時々蓄音機の前や、風鈴屋の前で足を休めて、背《せなか》で眠りかける子供を揺り起した。汚い三尺に草履《ぞうり》を突っかけた職人などが、幾度となくお庄の顔を覗いて行った。「こんなに若くて子持ちかい。」などと大声に言って、後から押して来る連中もあった。
 帰って子供を卸《おろ》してから、お庄は袂《たもと》のなかに悪戯《いたずら》されたことにやっと気がついた。
 翌日お庄は、涼しい朝のうちに、水口の外へ盥《たらい》を持ち出して、外の浴衣と一緒に昨夜《ゆうべ》の汚れものの洗濯をしていた。手拭を姉さん冠《かぶ》りにして着物を膝までまくって、水を取り替え取り替え滌《すす》いでいた。そこへ腹掛けに半纏《はんてん》を着込んだ十三、四の子供が、封書のようなものを持って来た。そして、「……公が、ちょっとこれを見て下さいッて。」と言ってお庄に手渡した。
「変な小僧さんが、こんなものをくれましたよ。」とお庄は前垂で手を拭き拭き上へあがって、叔父の前へ差し出した。そしてその小僧の様子をしながら、笑い出した。封書のなかには、汚い墨で妙なことが書いてあった。叔父はにっこりともしないで、袋ごと丸めてそこへ棄てた。
 お庄は赧《あか》い顔をして、また水口へ降りて行った。胸がしばらくどきどきしていた。

     三十四

 燥《はしゃ》ぎきった廂《ひさし》にぱちぱちと音がして、二時ごろ雨が降って来た。その音にお庄は目をさまして、急いで高い物干竿《ものほしざお》にかかっていた洗濯物を取り入れた。中にはまだ湿々《じめじめ》しているのもあった。お庄はそれを縁側の方へ取り入れてから、障子に懈《だる》い体を凭《もた》せて、外の方を眺めていた。水沫《しぶき》と一緒に冷たい風が、熱《ほて》った顔や手足に心持よく当って、土の臭いが強く鼻に通った。お庄は遅い昼飯がすむと間もなく、四畳半の方で針を持ちながら居睡りをしていた。
 座敷の方では、暑さに弱い叔母が赭《あか》い広東枕《かんとんまくら》をしながら、新聞と団扇《うちわ》とを持ったまま午睡《ひるね》をしていた。叔母は夏に入ってから、手足にいくらか水気をもった気味で、肥った体が一層|懶《だる》かった。飯も茶をかけて、やっと流し込んでいるくらいで、そっちへ行ってはばッたり、こっちへ来てはばッたりたおれていた。それに下《しも》の方の病気などがあって、日本橋の婦人科の病院に通いはじめてから、もう二週間の余にもなっていた。神経も過敏になって、ちょっとした新聞の三面記事にもひどく気を悩ました。人殺し、夫婦別れ、亭主の妾狂《めかけぐる》いというようなものを読むと、「厭なことだね。」と言ってつくづく顔を顰《しか》めていた。
 三、四日叔父がまたどこかに引っかかっていた。晩に家で酒を飲んでいると、向島の社長の家から電話がかかって来たと言って、酒屋の小僧が取り次いでくれた。お庄がその酒屋へ行って聞き取ってみると、社長の夫人が例の賭場《とば》を開いているのだということが、じきに解った。こんな連中は用心深い屋敷の奥の室《ま》へ立て籠って、おそろしい大きな花を引くということをお庄も叔母から聞いて知っていた。その見張りには巡査が傭《やと》われるということもあながち嘘《うそ》ではないらしかった。
 叔父は着物を着換えると俥《くるま》に乗って急いで出かけて行ったが、それきり家へ帰って来なかった。向島へ聞き合わしても、社へ問い合わしても、叔父のその後の居所が解らなかった。
「あの晩の電話だって、どこからかかって来たのだか解りゃしない、お庄ちゃんこの間の紙入れを貰って、それで叔父さんと共謀《ぐる》になっていやしませんか。」猜疑深《うたぐりぶか》い叔母は淋しい顔にヒステリー性の笑《え》みを洩《も》らした。
 お庄は呆《あき》れた顔をしていた。そうしてから笑い出した。
「そうでしょう。」叔母は火鉢の縁を拭きながら言った。
「私そんなことしやしませんよ。あの時はもう確かに社長さんのお宅だったんですもの。」お庄は真顔になった。
「それじゃそうかも知れない。」叔母は苦笑した。
 それからお庄は、また方々電話で聞き合わした。近いところは歩いて尋ねて見た。終いには洲崎《すさき》の引手茶屋へ問い合わしてみると、そこでは返事が少し曖昧であった。お庄はそれから叔母に相談して、俥でそこまで出かけて行った。その晩会社の方では叔父がいなければ解らないような用事が出来ていた。
 お庄を載せた俥は、だんだん明るい通りを離れて暗いしっとりした町へ入って行った。舟や材木のぎっしり詰った黒い堀割りの水に架《かか》った小橋を幾個《いくつ》となく渡ると、そこにまた賑やかな一区画があった。川縁の柳の蔭には、俥屋の看板が幾個《いくつ》となく見えて、片側には食物屋《たべものや》がぎっしり並んでいた。
 広々した廓内《くるわうち》はシンとしていた。じめじめした汐風《しおかぜ》に、尺八の音《ね》の顫《ふる》えが夢のように通って来て、両側の柳や桜の下の暗い蔭から、行燈《あんどん》の出た低い軒のなかに人の動いているさまが見透《みすか》された。

     三十五

 お庄は芝居の書割りのなかに誘《おび》き入れられたような心持で、走る俥の上にじッと坐っていられなくなった。ふわふわするような胸の血が軽く躍《おど》っていた。
 叔父が行きつけの福本という茶屋は、軒並びでは比較的大きくて綺麗な方であった。お庄はその少し手前のところで俥を降りて、そこから薄明るい店へ入って行った。端の方に肥った二十三、四の色の浅黒い女が、酸漿《ほおずき》を鳴らしながら、膝を崩して坐っていたので、お庄はそっとその傍へ行って聞いてみた。
「今ちょッと電話で伺ったんですがね、こちらに小崎という人が来ておりませんですか。」
 女は軽く頷いてみせて、「石川島の小崎さんでしょう、それならば、もう少し前にお連れの方と御一緒にお帰りになりましてすよ。」
「そうですか。」と、お庄は考えていた。
「まアお上んなさいまし。」長火鉢の方に坐っていた四十四、五の、これも色の黒い女が奥から声かけた。
「小崎さんは、かれこれもうお宅へお着きの時分でございますよ。」
 お庄は何だか嘘のような気がした。
「急に用事が出来たものですからね、今夜もし帰らないようだと家で大変困るんです。」
 内儀《かみ》さんはそれぎりほかの方へ気をとられていた。若い女も酸漿を鳴らしはじめた。お庄は叔母から、叔父の上る楼《うち》まで行って突き留めなければ駄目だと言われたことを憶《おも》い出して、しばらく押し問答していた。
「それじゃ念晴しに行ってごらんなさいまし。御案内しますから。」と女は笑いながら言い出した。
「それがいいでしょうよ。花魁《おいらん》の部屋もちっと見ておおきなさいまし。」内儀さんも言った。
 お庄は店頭《みせさき》へ出してくれた出花《でばな》も飲まずにまた俥に乗った。
 家へ帰ると、叔父はもう着いていた。奥の四畳半で、一ト捫着《もんちゃく》した後で、叔父の羽織がくしゃくしゃになって隅の方に束《つく》ねてあった。叔母は赤い目縁《まぶち》をして、お庄が上って行っても、口も利かなかった。その晩叔父は按摩《あんま》などを取って、宵のうちから寝床へ入った。お庄らも、早く戸締りをして寝かされた。
 その翌日の今朝、叔父は早めに社の方へ出て行った。朝飯の時、お庄が洲崎へ迎えに行った話が初めて出て、衆《みんな》は大笑いした。
 叔父が出て行くと、叔母はまたせッせと体を動かしていたが、長く続かなかった。涼しいところへ枕を移しては、寝臥《ねそべ》っていた。
 お庄は目につかぬほどの石炭の滓《おり》のついた、白い洗濯物に霧を吐きかけては、皺《しわ》を熨《の》しはじめた。雨はじきに霽《あが》って、また暑い日が簾《すだれ》に差して来た。
「お庄ちゃん、私氷が飲みたいがね。」と、叔母は傍から唸《うな》った。
 お庄は洗濯ものに押しをしておいて、それから近所の氷屋へ走った。
 氷が来た時分に、表から風の吹き通す茶の間の入口の、簾屏風《すだれびょうぶ》の蔭に眠《ね》ていた正雄も、やっと目を覚ましかけて来た。正雄はそのころ、叔父の知っている八重洲河岸《やえすがし》の洋服屋へ行っていた。東京で一番古いその洋服屋は、外国へ行って来た最初の職人であった。お庄は外から帰りがけに、正体なく寝込んでいる弟の二の腕に彫りかけた入れ墨のあるのに目を着けた。
「正ちゃんは大変なことをしていますよ。」お庄が叔母に言いつけると、叔母もびっくりして出て来て見た。弟の腕には、牡丹《ぼたん》のような花が、碧黒《あおぐろ》く黛《すみ》を入れられてあった。
「誰にそんなことをされたんです。こんなもの早く取っておしまいなさい。正ちゃんは自分の体を何と思っているの。」と、お庄は叔母と一緒になって小言を言った。
 夕方に弟はすごすご帰って行った。お庄はまた釜《かま》の下へ火を焚《た》きつけて、行水の湯を沸かしにかかった。

     三十六

 少し涼気《すずけ》が立ってから、叔母が上州の温泉へ行った留守に、しばらく田舎へ行っていた母親がまた戻って来て、お庄と一緒に留守をすることになった。夏の中ごろに年取った伯母の老病を見舞いに行った母親は、そのころまでも伯母の傍に附いていた。伯母の病気は長い間の腎臓やリュウマチでこの幾年というもの床に就きづめであった。周囲の人たちも介抱に倦《う》んで病人は自分の業《ごう》をはかなんだ。いつ死ぬか解らないその病人の臭い寝所の側に、母親も際限なく附いていられなかった。それに久しく東京で母子《おやこ》ともまごついている母親は、村の表通りを晴れて通ることすら出来なかった。身装《みなり》が見すぼらしいので久しぶりで墓参をするにも、そっと裏山の裾《すそ》を伝って行かなければならなかった。母親はどんなことをしても、広々した東京の方がやはり住みよいと思った。
 母親が帰って来ると、父親の近ごろの様子もほぼ解った。父親は本家の方の家の世話をしたり、町で長く公立の病院長をしていて、金を拵《こしら》えて村へ引っ込んでから、間もなく腐骨症の脚を切って死んだ親類の、妾と、独り取り残されたその祖母との家を見たりして日を暮していた。田舎で見聞きして来た厭な出来事を、母親から話を聞かされると、お庄は十一の年に出たばかりの自分の家や周囲の暗い記憶が、また胸に浮んだ。
「あのお祖母《ばあ》さんも、若い時分にどこのものか知れない庭男と私通《くっつ》いて院長のお父さん……つまりお祖母さんの添合《つれあ》いに髪を切られた騒ぎもあったでね。その庭男が癩病筋《らいびょうすじ》だったというこんで院長の脚の病気も何だか知れやしないて風評《うわさ》をする人もあるそうで……。」と、母親は帰った晩に弟夫婦やお庄の前で話した。
「そんな莫迦《ばか》なことがあるもんで。」と、叔父は笑った。
「そうすれば、院長の祖母さんところへ入り浸っている義兄《あに》さんなぞも危いわけじゃないか。」
「それだで私も気味が悪くて、帰っているうちに一度もあの人と行き逢わずしまったに。」と母親は親のようなその婆さんのところへ浸《つか》っている良人のことを悪く言い立てた。
 お庄は父親が、いつのまにあのお婆さんとそんな関係になったものかと、恥じもし惘《あき》れもして聞いていた。
「お庄も、野口屋で貰いたいなどという話もあったけれども、あすこへくれるくらいなら、まだやるところもあろうと思ってね。」と、母親はお庄の顔をまじまじ見ながら言い出した。その家は、村で呉服物などを商う家だということを、お庄も思い出した。お庄は自分の帯など買う時に、その店から板に捲いたなりの長い友禅片《ゆうぜんぎれ》などを、そこの亭主が担ぎ込んで来て、納戸《なんど》で母親があれこれと柄を見立てていたことなどを想い出すと、ばかばかしいような気がした。
「あすこも近ごろは身上《しんしょう》を作ったそうで、良人《おやじ》からお庄をくれてやろうかなんて言ってよこしましたけれど、私は返事もしましねえ。」母親が父親のことを怒っている風がお庄にもおかしく思われた。
「お庄はまた会社の方で、くれろと言うものもあるで、少し裁縫でも上手になったら、私《わし》が東京で片づける。」と、叔父は自分の目算を話した。
 お庄の縁談は、そのころもないことではなかった。小原という男なども、その胆煎《きもい》りの一人であった。お庄を見に、小原と一緒に花など引きに来る男も一人二人あった。
 叔母が湯治に行く時、叔父も湯治場まで送って行って二、三日|逗留《とうりゅう》した。
 叔母がいなくなると、その日その日の経営を、お庄は叔父から委《まか》されることになった。
 お庄は長火鉢のところに坐って、世帯女のような気取りで、時々小遣い帳を拡げて拙《まず》い字でいろいろの出銭を書きつけた。

     三十七

 叔母は荒《さび》れた秋口の湯治場に、長く独りで留まっていられなかった。宿はめっきり閑《ひま》になって、広くて見晴しのよい部屋が幾個《いくつ》も空いていた。経費も何ほどもかからなかったので、叔父はその一つに病気のある妻を入れておいて帰ったのであったが、叔母はそこが寂しいと言って、端書で零《こぼ》して来た。そのたんびに家のことを気にかけてあった。戸締りや火の元の用心、毎日の小遣いのことなどがきっと書いてあった。
「こんなくらいなら、湯治に行ったって効験《ききめ》がありゃしない。」と言って、叔父は笑っていたが、するうちに叔母は二十日《はつか》もいないで帰って来た。
 叔父は留守の間もよく家を明けた。時とすると五、六日も家へ寄り着かないことがあった。洲崎の女を落籍《ひか》すとか、落籍して囲ってあるとかいう風評《うわさ》が、お庄らの耳へも伝わった。どっちにしても叔父が女に夢中になっていることだけは確かであった。母親がそっと小原に様子を訊いてみると、小賢《こざか》しい小原はえへら[#「えへら」に傍点]笑いばかりしていて容易に話さなかった。
「どんな女でござんすかね。」母親は女のことをしきりに聞きたがった。
「なに、女はそれほどよかありませんよ。けどなかなか如才のない女です。まア手取りでしょう。小崎さんも大分お使いになったようです。」
 叔母に隠して、叔父が無理算段をしては入れ揚げていることが、この男の話でも解った。叔父の持ち株で、近ごろ小原の手で、他へ譲り渡された口の幾個《いくつ》もあることも、その口から洩れた。そのなかで女の身に着くものも少くなかった。お庄は話を聞いただけでも惜しいと思った。ここへ来てからお庄はまだこれと言って、纏《まと》まって叔父に拵えてもらったようなものもなかった。
「お此《この》さんもあんまり家を約《つ》めるもんだで、かえって大きい金が外へ出るらね。」と母親は後で弟嫁のことを非《くさ》しはじめた。母親はお庄が叔母から譲り受けた小袖の薄らいだようなところに、丹精して色紙《しきし》を当てながら、ちょくちょく着の羽織に縫い直す見積りをしていた。お庄はその柄を、田舎くさいと思って眺めていた。
「お前たちのお父さんが、親譲りの身上を飲み潰したことを考えれア、叔父さんのは自分で取って使うのだで、まアまアいいとしておかにゃならん。」母親はこうも言った。
 また母親の長たらしい愚痴が始まった。二人は色紙ものを弄《いじ》ながらいつまでも目が冴《さ》えていた。腹がすいて口が水っぽくなって来ると、お庄は昼間しまっておいた、蒸した新芋《しんいも》の冷たいのを盆ごと茶箪笥から取り出して来て、また茶をいれかえなどした。もうお終いものの枝豆なども持って来た。
 叔父はその晩も帰って来なかった。お庄は汚れた茶道具や、食べ残しの芋を流しへ出しておいて、それから寝しなに、戸棚のなかから醋《す》を茶碗に汲んで、暗いところで顔を顰《しか》めながら飲んだ。
 刳盆《くりぼん》や糸捲きのような土産物《みやげもの》を、こてこて持ち込んで、湯治から帰って来た叔母は、行った時から見ると、血色が多少よくなっていた。体の肉にも締りが出来て帰った当座は食も進み夜も心持よく眠れた。
 叔父がまた旅へ出ることになった。線路《レール》の枕木を切り出す山林《やま》を見に、栗山《くりやま》の方へ、仲間と一緒に出向いて行った。大分|費《つか》い込みの出来た叔父は一層|儲《もう》け口を見脱《みのが》すまいとして燥《あせ》っていた。
「これが当れば、お前にだって水仕はさしちゃおかん。」と、叔父はお庄にも悦ばせた。
 叔父は行ったきり、いつまでも今市《いまいち》の方に引っかかっていた。一行はそこから馬に乗って、栗山の方へ深く入って行かなければならなかった。日光で遊んでいるような噂も伝わった。
 霖雨《ながあめ》で、大谷川《だいやがわ》の激流に水が出たということが、新聞で解った時、叔母は蒼くなって心配した。そしてお庄と一緒に良人の安否を八方へ聴き合わした。
 十月の末に、家から電報で取り寄せた旅費で、からがら帰って来た叔父はひどい睾丸炎《こうがんえん》で身動きもならなかった。

     三十八

 お浜という茶屋の女中をつれ出して、近所の料理屋へ行った叔父を送り出してから、叔母は屈托《くったく》そうな顔をして、今紙入れを出してやった手箪笥の鍵《かぎ》を弄《いじ》りながら、そこに落胆《がっかり》して坐った。
「私がせッせと骨を折って、家を始末したって、これじゃ何にもなりゃしないわね。」と、叔母は散らかったそこらを取り片着けているお庄に零《こぼ》すともなく溜息をついた。
 お庄は前《ぜん》に茶屋の店頭《みせさき》でちょっと口を利いたことのあるその女が、手土産に持って来てくれた半衿《はんえり》を、しみじみ見ることすら出来ずにいた。半衿は十六のお庄には渋過ぎるくらいであったので、お浜は、最中《もなか》の折と一緒に取次ぎをしてくれたお庄の前に差し出してから、年を聞いて惘《あき》れていた。
「それじゃいけませんでしたわね。」と、お浜は幾度もいいわけをしていた。
 日光の方でさんざんの失敗を演じてから、叔父は借りの溜っている洲崎の方へは寄り着きもしなかった。女にも厭気がさしていたので、河岸《かし》をかえてちょくちょく烏森《からすもり》の方へ足を運びはじめていた。
「お立替えの分なぞはどうでもよござんすから、ちっと入らして下さいよ。このごろまたいい花魁《おいらん》が出ましたから。」と女は如才なく店の閑《ひま》なことを零《こぼ》した。
 叔父は自分の病気のことや、暮で会社の忙しいことなどを大げさに言い立てていた。お浜はお庄にも、いろいろの話をしかけて、今度遊びに来るなら、大八幡《おおやはた》を案内して見せるなどと、愛想を言いながら出て行った。叔父は奥へ引っ込んで、叔母に紙入れを出さすと、余所行《よそゆ》きの羽織を引っかけて、ぶらりと女をつれ出した。
 暮の決算報告などに忙しい時期であったが、叔父は会社の方もあまり顔出ししなかった。出にくい事情のあるらしいことだけは叔母にも解っていたが、それを訊《き》こうとしても、無口な叔父はにやにや笑っていて、何事をも語らなかった。戦捷後《せんしょうご》持ちあがったいろいろの事業熱が、そろそろ下火になって、一時浮き立った人の心がまた沈んでいた。叔父もそんなような波動に漂わされた端くれの一人であることが、お庄の胸にも朧《おぼ》ろげに感ぜられた。
 会社の提灯《ちょうちん》を持った爺さんが、叔父の居所を捜しに来た。お庄はへどもどして奥へ駈け込んだ。
「困るね。」と、叔母は厭な顔をして、玄関口へ現われた。
「何、小崎さんがお預かりになっている鍵さえあれば解ることなのです。別に御心配なことじゃありませんでしょう。けど、いよいよ鍵がないとなると、今夜中に金庫を打《ぶ》ち壊《こわ》さんけれアならんそうですからな。」
 実体《じってい》そうなその爺さんは、上《あが》り框《かまち》のところに腰をかけ込んで、脱《ぬ》け目《め》のない目で奥口を覗《のぞ》き込んだ。
 側に聞いている母親もお庄も、胸がどきどきしていた。
「まさか弟が費消《つかいこみ》をするようなことはありゃしまいと思うがね。」母親は目を擦《こす》りながら、傍から呟《つぶや》いた。
「いずれ小崎さん一人の責任というんでもござんすまい。」爺さんは、小倉の洋服の衣兜《かくし》から莨《たばこ》を出して吸いながら、いつまでもそこを動かなかった。
 お庄はまた俥《くるま》で、夜遅く叔父を迎いに出かけた。叔父の居所はじきに解った。そこは烏森のある小さい待合で、叔父はその奥まった小室《こま》に閉じ籠って女ぬきで、酒を飲みながら花に耽《ふけ》っていた。一座はお庄の知らない顔ばかりであった。顎鬚《あごひげ》の延びた叔父の顔は、蒼白い電燈の光に窶《やつ》れて見えた。

     三十九

 叔母の健康が、また綯《よ》りが戻ったように悪い方へ引き戻されて来た。暮から春へかけての叔父の一身の動揺が、一家の人々にも差し響きを起さずにはいなかった。
 責めを引いて会社を罷《や》めてから、叔父は閉じ籠って毎日碁ばかり打っていた。叔父のかなりに使えることを知っている人たちは、他へ周旋しようと言って勧めてくれたが、叔父は当分遊ぶつもりだと言って応じなかった。
「何を計画《もくろ》んでいるだか知らないが、月給はちっと下っても、やっぱり出た方がいいかと思うがね。」と、母親は弟嫁と一緒になって、叔父の心を動かそうとしたが、叔父は姉や妻にも、へこたれたような顔を見せるのが、忌々《いまいま》しかった。
 株屋仲間といったような連中が、時々遊びに来た。一緒に会社を退いた人たちも、その当座寄ると触《さわ》ると儲け口を嗅《か》ぎつけようとして、花を引いていても目の色が変っていたが、そんな人たちも長くこの家を賑わしてはいなかった。会社で引き立ててやったような人たちや、一緒に遊んであるいた仲間も姿を見せなくなった。
「あれほど繁々《しげしげ》来た小原さんも、近ごろはかんぎらともしないね。」と、叔母は、お庄や母親を奥へ呼んで、内輪だけで花札を調べながら、時々そのころの賑やかだったことを想い出していた。そうして花を引いても気の興《はず》むということがなかった。やがて母親の巾着から捲き揚げた小銭をそこへ投《ほう》り出して、叔母は張りが抜けたように、札を引き散らかした。
 始終眠っているような母親は、自分の番が来たのも知らずにいては、お庄に笑われた。
「阿母さんは誰にお辞儀しているんでしょう。」と、お庄は下から覗き込んでは、げらげら笑い出した。
 母親は、そうしていながら、いつまでも札を手から棄てなかった。
「もう済んだのよ。堪忍してあげますよ。」
「姉さまも花はどのくらい好きだか……。」と、叔母も業腹《ごうはら》のような笑い方をした。
「好きというでもないけれど……。」と、母親はやっと性がついたような顔をあげた。
 お庄はせッせと札を匣《はこ》へしまい込んで、蒲団《ふとん》の上に置いた。まだ寝るには早かった。三人は別の部屋へ散って行った。
 母親は、茶の間の方で、また針箱を拡げはじめた。するうちに、叔父が講釈の寄席《よせ》から帰って来た。
 淋しくなると、叔父はよくお庄を引っ張り出して、銀座の通りへ散歩に出かけた。芝居や寄席のような、人の集まりのなかへも入って行ったが、傷《て》を負ったようなその心は、何に触れても、深く物を考えさせられるようであった。お庄は高座の方へ引き牽けられている叔父の様子を眺めると、いたましいような気がしてならなかった。叔父の横顔には、四十前とは思えぬくらい、肉の衰えが目に立った。
「私も、もう一度は盛り返してみせるで、その時は、お前にだって立派な支度をしてくれる。」と、叔父は通りの陳列などを見て行きながらいいわけらしくお庄に言って聴かせた。
 築地で掛りつけの医師に、局部を洗ってもらっていた叔母の妊娠だということが、間もなくその医師にも感づけて来た。叔母はまた日本橋の婦人科の医師に診《み》てもらった。
「こんなものをむやみと洗っちゃたまらない。確かに妊娠です。もう四ヵ月になっています。」その医師は断言した。
 去年の夏のような水気が、また叔母の手足に張って来た。陽気が暖かくなるにつれて、体がだんだん重くなって来た。産をするまでは、荒い療治もしかねる局部の爛《ただ》れが、拡がって来るばかりであった。叔母は聞いていても切なそうな呻吟声《うなりごえ》を挙げて、夜も寝られない大きな体を床の上に転がっていた。

     四十

 箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》のなかに、赤子に着せる白や赤や黄のような着物が、一枚一枚数が殖えて来る時分に、叔母の体もだんだん重くなって来た。叔母はほとんど十年目で三度目の出産に逢うのであった。始末のよい叔母は、田舎住居《いなかずまい》のそのころから持ち越して来た、茜木綿《あかねもめん》や麻の葉の型のついた着物をまた古葛籠《ふるつづら》の底から引っ張り出して来て眺めた。産れて百日生きていた子供のために拵えたという、節の多い田舎織りの黒斜子《くろななこ》の紋附などもあった。こんな子供の顔は、今想い出そうとしても何の印象も残っていなかった。お庄はその着物を見ながら、げらげら笑い出した。三十にもなって、まだ初産《ういざん》のような騒ぎをしている叔母の様子がおかしかった。
「四十になって初産する人だって、世間には随分ありますよ。お庄ちゃんだってなにかと言ってるうちに、もうじき三十ですよ。」
「三十ですって……。」お庄はあまり嵩高《かさだか》なような気がして、そんな年数《としかず》の考えが、どうしても頭脳《あたま》へ入らなかった。
「私三十なんて厭ですね。」
「厭だってしかたがない、もう目擦《めこす》る間《ま》だから。それにお嫁にでも行って自分で世帯を持ってごらん、それこそすることは多くなって来るし、苦労は殖えるばかりだし、年を拾うのがおかしいくらい早いものですよ。」
 産婆が、手提鞄《てさげ》をさげてやって来ると、叔母は四畳半の方へ自分で蒲団を延べて、診てもらった。
「男か女か、まだ解りませんかね。」叔母は腹を擦《さす》っている産婆に気遣《きづか》わしげに訊《き》いた。
 お庄は手洗い水を持って行って、襖《ふすま》の蔭で聞いていた。
「そうね、解らないこともありませんよ、まア男と思っていらっして下さいませ。何しろ大きゅうございますからね。おおこの動くこと。」と、九州訛《きゅうしゅうなま》りのあるその産婆は、これが手、これが肩などと言って、一々妊婦の手に触らせていた。
「六月《むつき》やそこいらで、そう育っているのでは、お産がさぞ重いでしょうね。」叔母はまた自分の年取っていることを気にした。
「そんなことがあるもんですか。少しぐらい体が弱っていたって、私が大丈夫うまく産ませておあげ申しますから……それにあなたは初産《ういざん》じゃないのですからね。年取ってからの初産は少し辛《つろ》うございますよ。」
 産婆は象牙《ぞうげ》に赭《あか》く脂《あぶら》の染み込んだ聴診器を鞄にしまい込むと、いろいろのお産の場合などを話して聴かせた。畸形《かたわ》や双児《ふたご》を無事に産ませた話や、自分で子宮出血を止めたという手柄話などが出た。
 叔父は苦い顔をして、座敷の縁の方に新聞を見ていた。叔母が妊娠と解ってから、夫婦はまだ見ない子のことを、いろいろに考えていた。が、叔父は時々自分の年とその子の年とを繰って見たりなどした。
「もう晩《おそ》い、私が五十七になってやっと二十《はたち》だで。」
 叔母はまた死んだ子の年など数えはじめた。
 去年の夏よりも一層、叔母は冷たい物を欲しがった。氷や水菓子を、叔父に秘密《ないしょ》でちょくちょくお庄に取りに走らせた。暑い日は、半病人のような体を、風通しのよい台所口へ這《は》い出して来て、脛《はぎ》の脹《むく》んだ重い足を、冷たい板敷きの上へ投げ出さずにはいなかった。下《しも》の方も始終苦しそうであった。婦人科の若い医者が時々廻って来ては、その方の手当てをしていた。腹に子があるので、思いきった療治もできなかった。
 痛痒《いたがゆ》くなって来ると、叔母は苦しがって泣いていた。それが堪えられなくなると、近所から呼んで来た按摩《あんま》を蚊帳《かや》のなかへ呼び込んでは、小豆《あずき》の入った袋で、患部を敲《たた》かせた。
 お庄が朝目をさますと、薄野呂《うすのろ》のようなその按摩は、じっと坐ったきりまだ機械的に疲れた手を動かしていた。明け方から眠ったらしい叔母の蒼白い顔に、蚊帳の影が涼しく戦《そよ》いでいた。

     四十一

 やがて胎児の死んでいることが、出産前から医師《いしゃ》や産婆に解って来た。しばらく床に就きッきりであった叔母が産気づいて来たのは、それから間もないある日の夕方であった。奥で腹痛を訴える産婦の声を聞きながらお庄はその時食べかけていた晩飯を急いで済ました。
 産婆はじきに駈けつけて来た。
「ちッと早く出るかも知れませんよ。」と、産婆はすぐに白い手術着を被《き》て産婦の側へ寄って行った。産婦は蒼脹《あおぶく》れたような顔を顰《しか》めて、平日《いつも》よりは一層|切《せつ》なげな唸《うな》り声を洩らしていた。そのうちに、電話で報知《しらせ》を受けた医師《いしゃ》が、助手を連れてやって来た。
 叔父は客と一緒に、座敷で碁を打っていた。
「どうせ死んだ塊《かたまり》を引っ張り出すだけのもんだからね、素人《しろうと》が騒いだって何にもなりゃしない。」と言って、平気でぱちりぱちりやっていた。
 二、三度腹が痛んだかと思うと、死んだ胎児はじきに押し出された。死児はふやけたような頭顱《あたま》が、ところどころ海綿のように赭く糜爛《びらん》して、唇にも紅い血の色がなかった。
「男の子ですかね、女の子ですかね。」産婦は後産《のちざん》の始末をしてもらうと、ぐったり疲れてそのまま凋《しぼ》んで行きそうな鈍い目で医師や産婆の顔を眺めて不安そうに尋ねだした。そして落ち入りそうな細い喘《あえ》ぐような呼吸遣《いきづか》いをしていた。
「赤さんは大きな男のお児《こ》ですよ。」と、産婆は死児をそっと次の室《ま》へ持ち出した。そこには母親が、畳の上に桐油《とうゆ》を敷き詰めて、盥《たらい》に初湯《うぶゆ》か湯灌《ゆかん》かの加減を見ていた。どの部屋も、人が動くばかりで、誰も声を立てるものはなかった。
 死んだ赤子は、やがて真白い産着《うぶぎ》を着せられて、二枚折りの屏風《びょうぶ》の蔭に臥《ね》かされた。医師や産婆の帰る時分には長い悩みのあと産婦も安静な眠りに沈んでいた。
「あまり気を揉《も》まして、後で力を落さしても悪いですから、少し落ち着いたら子供の死んでいることをお話しなすった方がいいでしょう。」医師は叔父に注意して引き揚げて行った。
 産婆の指図で、その夜のうちに、子供は壺《つぼ》のなかへ入れられた。何か事があると来てもらうことに決まっている植木屋の幸さんという男が、通りから火消し壺を買って来て、自分で小さいその死骸《しがい》を中へ収めた。その上へ白い片《きれ》が被《か》けられた。
「そんなことだろうと思った。どうせ私《わし》は子に縁がないのだでね。」
 叔父と母親とが、赤子の死んで出たことを話して聞かすと、叔母は片頬《かたほ》に淋しい笑《え》みを見せて、目に冷たい涙を浮べた。
 その一夜は、何となく家が寂しかった。母親と幸さんとは、壺の前に時々線香を立てたり、樒《しきみ》に湿《うるお》いをくれたりしていたが、お庄は爛《ただ》れた頭顱《あたま》を見てから、気味が悪いようで、傍へ寄って行く気になれなかった。
「お此《この》さんは、あまり氷や水菓子が過ぎたもんで、それで腹が冷えて、赤子があんなになったろうえね。」と母親は、夜更けてから、茶の間で衆《みんな》が鮨《すし》を摘《つま》んで茶を飲んでいる時言い出した。
 叔父はそこへ臥《ね》そべりながら、黙っていた。長いあいだ叔母の体が根底から壊されていることや、血の汚れていることが、深く頭脳《あたま》に考えられた。
 叔父はやがて、すごすごと座敷へ入って寝てしまった。
 蒸し暑いような、薬くさいような産室の蚊帳のなかから、また産婦の呻吟声《うめきごえ》が洩れた。お庄と一緒に、そこいらの後片着けをしていた母親は、急いでその部屋へ入って行った。

     四十二

 叔父にお庄と植木屋と、この三人が翌日に死んだ赤子を谷中《やなか》の寺へ送って、午過《ひるす》ぎに帰って来ると、母親は産婦に熱が出たと言って、心配そうに一同を待っていた。
「……それに昨夜《ゆうべ》から見ると、また今朝水気が出たようでね。重い病が体にあれば、かえってお産が軽いと言うくらいのものだから、まだまだ安心は出来まいよ。」
 母親は叔父の着換えなどを、そっと奥から取り出して来て、そこへ脱ぎ棄てられた白足袋の赭土《あかつち》を、早速|刷毛《はけ》で落しなどした。
 産婦は疲れた顔をこっちへ向けて、縁側へ出て羽織の埃を払ったり、汗ばんだ襦袢《じゅばん》を軒に干したりしている人々の姿を、じろじろと眺めていた。
「皆さん御苦労でしたね。」と、その口から呻吟《うめ》くような声も洩れた。
「それでお庄ちゃんどうでした、坊さんはよくお経を読んでくれましたか。」産婦はお庄の覗《のぞ》く顔に、淋しく微笑《ほほえ》んで見せたが、目に涙が浮んでいた。
「ええ、もう長いあいだ……。」と、お庄は浴衣《ゆかた》に着換えながら、ぽきぽきした顔をして、紅入りメリンスの帯を締めていた。
「お墓はどんなとこだかね……癒《なお》ったらお庄ちゃんに連れてってもらって、お詣《まい》りをしてやりましょうよ。そして小さい石塔を建ってやりましょう。闇《やみ》から闇って言うのは、ほんとうにあのことだわね。」産婦は泣くような声で言っていた。
 壺は植木屋の幸さんが、紐《ひも》で首から下げて持って行った。その後へ叔父とお庄の俥が続いた。三人は帰りに蓮《はす》の咲いている池の畔《はた》を彷徨《ぶらつ》きながら、広小路で手軽に昼飯などを食ったのであった。お庄は久しぶりで、こんな晴々《せいせい》したところを見ることが出来た。
 二時ごろに、昨夜《ゆうべ》の医師《いしゃ》が来て診て行った。医師は首を傾《かし》げながら、叮寧《ていねい》な診察のしかたをしていたが、別に深い話もしなかった。少し血脚気《ちがっけ》の気味もあるようだし、産褥熱《さんじょくねつ》の出たのも気にくわぬが、これでどうかこうか余病さえ惹《ひ》き起さなければ、大して心配することもなさそうだと言って局部へ手当てを施し、新しい処方などを書きつけて置いて行った。
 この医師《いしゃ》から、病人が見放されたのは、それから八日目であった。叔母の体は、手をかければ崩れでもしそうに、顔も手足も黄色く脹《ぶく》ついて来た。時々差し引きのある熱も退《ひ》かなかった。下《しも》の方からは厭な臭気《におい》が立って、爪《つめ》や唇に血の色がなかった。腹膜、心臓、そんなような余病も加わって来た。
「こう何も彼も一時になって来ては、とても手のつけようがありませんな。何なら大学へでも入れて御覧になりますか。」医師は絶望的に言い断《き》った。
 その日の暮れ方に、湯島の糺《ただす》の方へ大学の病室の都合を訊いてもらいに駈けつけたお庄は、九時ごろに糺と一緒に戻って来た。大学の方は明きがなかった。糺は方々駈けずりまわった果てに、前に下宿していたことのある友達が助手をしている、駿河台《するがだい》の病院の方へようやく掛け合ってくれた。
「どっちにしたって死ぬ病人だもんだで、病院に望みはない。」叔父はこう言ってすぐ入院の準備に取りかかった。
 体の重い病人は、床のなかで着替えをさせられると、母親や叔父や、多勢の手で上り口へ掻き据えられた吊《つ》り台の上にやっと運び込まれた。そんなにまでして病院へ担《かつ》ぎ込まれるのを、病人はあまり好まなかった。
「どうか早く癒って帰るようになっておくれよ。」母親は目に涙をためながら、門まで出て、担ぎ出される吊り台の中を覗き込んだ。
「留守を何分お願い申します。」と叔母は喘ぐような声で言った。
 叔父と糺とは、提灯《ちょうちん》をさげた植木屋と一緒に、黙って吊り台の傍へ附き添ったが、その灯影にちらちら見える人々の姿の見えなくなるまで、母親とお庄は門に立って見送っていた。静かな夜であった。

     四十三

 この病人には、おもにお庄と、田舎から出て来た病人の母親とが、附き添うことになった。
 田舎の母親の出て来たのは、入院した翌日《あくるひ》の晩方であった。お庄はその日、朝はやく手廻りのものを少し取り纏《まと》めて、それを持って病院へ行った。病室には、糺が知合いの医員に話して、自由を利《き》かせて、特別に取り入れた寝台のうえに、叔父が一人、毛布を着てごろりと転がっていた。床《ゆか》の上には、蓙《ござ》を敷いて幸さんも寝ていた。看護婦と雑仕婦とが、体温を取ったり、氷の世話をしたりしている。朝の病院は、どの部屋もまだ静かであった。
 叔父と幸さんとは、食堂の方で、賄《まかな》いから取った朝飯を済ましたり、お庄が持ち込んで行ったお茶や菓子を食べたりしてから、やがて十時ごろに帰って行った。
「それじゃ私はまた来るから……。」と、叔父は深いパナマの帽子を冠《かぶ》って、うとうとしている病人の枕頭《まくらもと》へ寄ると、低声《こごえ》に声をかけた。
 体を動かすことの出来ない病人は昨夜《ゆうべ》初めて特に院長の診察を受ける時、手を通しやすいように、濶《ひろ》くほどかれた白地の寝衣《ねまき》の広袖から、力ない手を良人の方へ延ばした。「私もこんな体になって、いつどんなことがあるか知れないで、夜分だけはどこへもお出なされないようにね。」と、水ッぽいような目で叔父の顔を眺めながら言った。
 叔父は頷《うなず》いて見せた。
「そのうちには阿母さんもきっと出て来るで。電報は遅くも昨夜《ゆうべ》のうちに着いているはずだからね。」
 お庄は母親の来るまで、病人の側に一人でいた。そして雑仕婦に手伝って、時々氷を取り換えたり、下《しも》の方の始末をしたりした。氷は頭と言わず、胸といわず幾個《いくつ》も当てられてあった。もう長いあいだの床摺《とこず》れも出来ていた。
「重い患者さんね。」と、雑仕婦は臀《しり》へ油紙を宛《あ》てがうときお庄に話しかけながら笑った。
「昨夜《ゆうべ》寝台へお載せ申すのが、大変でしたよ。」
 患者もきまりわるそうに力ない笑い方をした。
 家に箪笥にしまってある着物の話が出た。まだ仕立てたばかりで、仕着《しつ》けも取らない夏帯のことなどを、病人は寝ていて気にしはじめた。白牡丹《はくぼたん》で買ったばかりの古渡《こわた》りの珊瑚《さんご》の根掛けや、堆朱《ついしゅ》の中挿《なかざ》しを、いつかけるような体になられることやらと、そんなことまで心細そうに言い出した。
 お庄はこの叔母が、長いあいだ自分の物ばかりに金をかけて来たことを憶《おも》い出していた。母親の物を、叔父も父親と一緒に田舎の町で遊びに耽《ふけ》っていた時分、取り出して行った。叔父の学資を、父親は少しは助《す》けたこともあった。昔から油を絞って暮して来た母親の実家《さと》は、その時分村の大火に逢って、家も帑蔵《どぞう》も灰になってから、叔父は残っていた少しばかりの田地を売って、やっと学校へ通っているのであった。その代りにお庄の支度を叔父が引き受けることになっていた。叔父は時々それを言い立てては、お庄の身につく物を買おうとした。そのたびに叔母はいい顔をしなかった。
 話に疲れると病人は、長い溜息を吐いて、水蒸気の立つ氷枕に、痺《しび》れたような重い頭顱《あたま》を動かした。
「私も永いあいだ、世帯の苦労ばかりして来て、今死んで行っては真実《ほんとう》につまらない。」叔母は唸るように独り語《ごと》を言った。
 お庄は心から憎いと思って、その顔を眺めた。
 部屋に電気がついてから間もなく、叔母の母親が幸さんに連れられてやって来た。母親は五十五、六の背の高い女であった。田舎にしては洒落《しゃれ》た風をしているのが、まずお庄の目に着いた。
「私もこんな体になってしまってね。」と叔母は母親の顔を見ると、めそめそと泣き出した。
 母親の優しい小さい目にも、一時に涙が湧《わ》き立った。そして何にも言わずに、手巾《ハンケチ》で面を抑《おさ》えた。お庄も傍で目を曇《うる》ませながら、擽《くすぐ》ッたいような気がした。

     四十四

「私は、それじゃお庄さんに後をお願い申して、ちょっと髪を結いに帰って来ますわね。」と、洒落ものの母親は、来た晩から気にしていた小さい丸髷《まるまげ》を撫《な》でながら言い出した。二、三日側についていると、母子の間にもう大分話の種がなくなってしまった。来ると早々窮屈な病室の寝台などに臥《ね》かされて、まだろくろく帯を釈《と》いて汽車の疲労《つかれ》を休めることすら出来なかった。
 牛乳とスープだけで活きている叔母が時々、「ああ、おいしいおこうこでお茶漬が食べたいね。」と唸ると、老婦《としより》は傍からもどかしがって、看護婦に尋ねてみたが、看護婦やお庄は笑っていて取り合わなかった。
「院長さんに伺ってみましょう。」看護婦はその場のがれに言って出て行った。
「それでも、ちっとは何か食べさすものの工夫がつきそうなものだね。」と、母親は隅の方で、お庄が運び込んで来ておいた、細かいかき餅の鑵《かん》を見つけて振って見たり、籠《かご》のなかの林檎《りんご》を取り出して眺めたりした。そして口淋しくなると、自分でポリポリ摘《つま》んで食べては、お庄に田舎の嫁の話などをして聞かせた。その嫁の荷のたくさんあることが母親の自慢であった。夜になると、母親はまた腹をすかして、お庄に近所で鮨《すし》を誂《あつら》えさせ、そっと茶盆を持ち込ませなどして、少しの間も食ったり飲んだり、お饒舌《しゃべり》をしていなければ気が済まなかった。
「私の病気がよくなったら、阿母さんもゆっくり東京見物でもして下さいよ。」病人は寝台のうえから話しかけた。
「私もこんなことでもなければ、めったに出て来るようなこともないでね。」母親は、銀の延べ煙管《ぎせる》に莨《たばこ》をつめて、マッチで内輪に煙草を吸っていた。
 このごろ田舎で見た、東京役者の芝居の話などが始まった。東京で聞えた役者のことをこの母親もなにかとなく知っていて、独りで調子に乗って弁《しゃべ》った。
 母親が出て行くと、病室はにわかに淋しくなった。暑い日中、熱に浮かされたような患者は、時々|床《ゆか》の敷物のうえに疲れて居睡《いねむ》りをしているお庄を、幾度となく呼んだ。お庄があわてて枕頭《まくらもと》へ顔を持って行くと、叔母は鈍いうっとりした目を開いて、一両日姿を見せない叔父のことを気にかけて訊いた。
「叔父さんに急いで来てもらうように、電話でそう言ってね……。」と、患者は囈言《うわごと》のように呟《つぶや》いた。
 患者も附添いも倦《う》んだように黙って、離れていた。埃深い窓帷《まどかけ》には、二時ごろの暑い日がさして来た。そこへ院長が、助手を二人つれて入って来た。
 院長が先の見えすいている患者の体に綿密な診察をしている間、叔母は傍に立っている、髭《ひげ》のちょんびりした、愛嬌《あいきょう》のある若い助手の顔を、下からまじまじ眺めていた。
「この助手さんは別品だねえ――。」と言って、狂気《きちがい》じみた笑い方をした。
 お庄も看護婦も、後の方でくすくす笑い出した。
 厳粛な院長は、にっこりともしないで、じっと聴診器に耳を当てていた。披《はだ》けた患者の大きい下腹が、呼吸《いき》をするたびにひこひこして、疲れた内臓の喘ぐ音が、静かな病室の空気に聞えるのであった。
 院長は、物慣れた独逸語《ドイツご》で、低声《こごえ》で助手に何やら話しかけると、やがて静かに出て行った。
 お庄は後でしばらく笑いが止らなかった。
 夕方になると、叔母はまた叔父の来ないのに、気を焦立《いらだ》たせた。お庄は幾度となく家へ電話をかけた。

     四十五

 六尺ばかり隔てをおいて、寝台のうえに臥《ね》ていながら、叔母と叔父とは嫉妬喧嘩《やきもちげんか》をした。昨夜《ゆうべ》あのくらい電話をかけて来てもくれなかったとか、気塞《きづま》りな病院よりも他に面白いところがあるから来なかったのだとか、愚にもつかぬことを言い出して、叔母は終いに泣いた。
「どこも行くところなぞありゃしない。私《わし》ア丸山さんのとこで捕《つかま》って花を引いていたんだ。」と、叔父は小川町の通りで買って来たばかりのウイスキーの口を開けて、メートルグラスに注《つ》いで飲んでいた。
「それは何でござんすね。」と、叔母は淡《うす》い橙色《オレンジいろ》のその盞《コップ》を遠くから透《すか》して見た。
「自分ばかり飲まないで、私にも少し飲まして下さいよ。」叔母は水張った蒼白い手を延ばした。
「こんなもの飲めば死んじまう。」叔父は渋い顔をして、瓶に口をさすと、それを寝台の端の方へ隠した。そして、ごろりと背後向《うしろむ》きになって懈《だる》い目を瞑《つぶ》ろうとした。
「いやな人だね、後向きなぞになって……病気をするものはどのくらい割りがわるいか。」叔母はじろじろ叔父の寝姿を見ながら溜息を吐いた。昼眠れば夜は眠れないのが自分には苦しかった。
 昼からお庄は、汚れた病人の寝衣《ねまき》や下の帯のようなものを一包み蹴込みに入れて家に帰って行った。
 叔母はまた家のことをいろいろ頼んだ。
「田舎の阿母《おっか》さんも、疲れが癒《なお》ったらまた少しお出でなすって下さいってね。そしてあの帯が重いようなら、私の不断帯でもおしめなすってね、着物もじみなのがいくらもありますから……。」病人は自分の母のことばかり心配した。
 お庄はその顔を眺めて立っていた。
「お庄ちゃんも、行ったり来たりするんだから、私の雪駄《せった》でも出してはいたらどうだね。」病人はくっつけたようにお愛想を言った。「私は癒ればまた買いますわね。」
 お庄は隅の方で帯を締め直したり、顔を直したりして、それから出て行った。
 田舎の母親が、もう片身分《かたみわ》けの見立てでもするように、座敷でいろいろなものを拡げて見ていた。大抵は叔母がこの三、四年に丹精して拵えたものばかりで、ついこの春に裾廻しを取り替えてから、まだ手を通したことのない、淡色の模様の三枚襲《さんまいがさね》などもあった。お庄は嫁に行くとき、この古い方の紋附を叔母から譲ってもらうことになっていたことを思い出した。
 樟脳《しょうのう》の匂いの芬々《ぷんぷん》するなかで、母親を相手に、老婦《としより》はまたお饒舌《しゃべり》を始めていた。
 やがて母親は済まぬ顔をして、茶の室《ま》の方へ出て来た。
「あの人は妙なことを言う人だえ。」母親は白い目をしてお庄に呟いた。
「何でも彼でも、自分の家で拵えてやったようなことばかり言うでね。それもいいけれど、あの紋附を、もうお此《この》さんには派手だで、帰るとき田舎へ持って行ってお花さんに着せるそうだよ。」
「いいわねそんなこと……私は叔父さんにまた拵えてもらうから。」お庄は日焼けのしたような顔を手巾《ハンケチ》で拭いた。
「どこから捜して来たか、あの碧《あお》い石の入った大きい指環《ゆびわ》まで出して来て、指環というものはまだ嵌《は》めたことがないで、少しお借り申したいなんてね。」と、母親は歯茎《はぐき》に泡を溜めながら言い立てた。
 昨日《きのう》から家中引っ掻き廻している、老婦《としより》の仕打ちが、母親にはくやしくもあった。
「どれさ。」と、お庄は邪慳《じゃけん》そうに訊いた。
「ほれ、あの……いつか丸山さんとお対《つい》に、叔父さんが拵えたのがあるじゃないかえ。」母親は急《せ》き込んで、同じようなことを幾度も繰り返した。
 四時ごろに、老婦《としより》は娘の意気な櫛《くし》などを挿し込んで、箪笥にきちんと錠を卸《おろ》して、また病院の方へ出かけて行った。

     四十六

 三週間も経った。そのころには、病人の体もただ薬の灌腸《かんちょう》や注射で保《も》たしてあるくらいであった。頭脳《あたま》がぼんやりして、言うことも辻褄《つじつま》が合わなかった。体が冷えて、爪に血の色が亡《う》せて来ると、医師《いしゃ》がやって来て注射を施した。患者はしばらくのまに渾身《みうち》が暖まって来た。
「ことによると、今夜もたないかも知れませんよ。御親類へお報《しら》せになった方がよろしいでしょう。」
 老婦《としより》やお庄が、昏睡《こんすい》状態にある患者の傍で、医師からこう言い渡されるのも、もう二、三度になった。
 息を吐《ふ》き返して来ると、患者は暗い穴の底から、縁《ふち》に立っている人を見あげるように、人々の顔を捜した。
「私だよ。」母親はその手を握って、娘の頬のところへ自分の顔を摺り寄せて行った。
 患者は心から疲れたような、長い厭な唸り声を立てた。
「おお可哀そうだな。」と、母親は鼻を塞《つま》らせた。
 病人の顔は少しずつはっきりして来た。
「そこの茶箪笥に、私の湯呑があったかね。」患者はにちゃにちゃする口をもがもがさせた。
 看護婦が、渇《かわ》きを止めるような薬を、管《くだ》で少しずつ口へ注いでやった。
「病気が癒ったら、床あげに弁松《べんまつ》からおいしいものをたくさん取って、食べましょうね。」患者は思い出したように言い出して、衆《みんな》を笑わせた。
「ああ、それどころじゃない。どんなお金のかかることでもして上げるで、もう一度癒っておくれよ。」母親は泣くような声を出した。
 集まって来た人たちは、また寝台を離れて、床《ゆか》のうえに坐った。
「この塩梅《あんばい》じゃ、また二、三日もちますかね。」
「お庄ちゃん、叔父さんは……。」患者はうとうとしたかと思うと、また訊きだした。
「叔母さん、いまじきですよ。」
 お庄は叔父を見に行く風をして蒸《む》れるような病室を出て行った。そして廊下の突当りにある医員の控え室に入った。
 控え室は十畳ばかり敷ける日本室《にほんま》であった。糺の知合いの医員を、お庄も湯島時代から知っていた。そして一緒に茶を呑んだり、菓子を摘んだりした。この部屋へよく遊びに来る、軽い脚気患者の、向うの写真屋のハイカラ娘とも、ちょくちょく口を利くようになった。お庄は叔父のいいつけで、この連中へ時々すしや蕎麦《そば》のようなものを贈った。叔母が別品だと言った助手が、西洋料理などを取り寄せて食べているのを見て、お庄は時々口に手※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《ハンケチ》を当てて思い出し笑いをした。
「ああ、何て暑い晩でしょう。」お庄はその入口に膝を崩して、ベッタリ坐った。
「暑けアこの上の物干しへでもお上んなさい。」そこにワイシャツ一つになって臥《ね》そべっていた知合いの医員は、傍《はた》から揶揄《からか》うように言った。
 糺の兄弟の噂が二人の間に始まった。糺に近ごろ女が出来たということも男がお庄に話して聞かした。
「そうですかね、私ちっとも知りません。」お庄は顔を赧《あか》らめて、子猫のような低い鼻頭を気にして時々指で触った。
 お庄は暗い物干しで、しばらく涼んでいた。中形の浴衣《ゆかた》に、夜露がしっとりして、肩のあたりが冷たくなって来た。
 暑い病室へ入って行くと、患者の呻吟声《うめきごえ》がまた耳についた。お庄は老婦《としより》に替って、患者の傍の椅子に腰かけた。
 夜明け方から、叔母の様子があやしくなって来た。寝台に倚《よ》りかかって、疲れてうとうとしていたお庄が目をさますと、看護婦が出たり入ったりしていた。助手も注射器を持って入って来た。
 お庄は外の白《しら》むのを待って、俥を築地へ走らせた。

     四十七

 家の戸がまだ締っていた。格子戸も板戸も開かなかった。お庄は俥屋を表に待たしておいて、裏口へ廻って、母親を呼んだ。母親は「おいおい。」と返辞をしながら出て来た。
「どうしたえ。お此さんの容体がまた悪いだか。」母親は台所の框《かまち》に腰掛けて訊いた。
 お庄も懈《だる》い体を水口の柱に凭《もた》せかけながら、叔母の容態を話した。
「それじゃとうとう駄目だかな。」と、母親はがっかりしたように言って、天窓を引いたり、窓を開けたりした。
「それでもまあ保《も》った方さ。あのくらいにして駄目なのなら、よくよく寿命がないのだ……。」
 叔父がまた家を開けていた。
「丸山さんへ行って、花でも引いているら。」と母親は昨夜《ゆうべ》も二時ごろまで待たされたことを話しながら、床をあげたり、板戸を開けたりした。
 お庄は人気のない家のなかを、落ち着かぬ風であっちゆきこっち行きしていた。葬式《とむらい》や骨《こつ》あげに着て行く自分の着物のことなどが気にかかった。田舎から来る、叔母の身内の人たちの前も、あまり見すぼらしい身装《みなり》はしたくないと想《おも》った。
 母親とお庄は、奥座敷の箪笥の前に立っていながら、そのことについていろいろと相談した。
「なあに間に合うて。今日の午前《ひるまえ》に目を落したって、葬式《とむらい》は明後日《あさって》だもんだで……それも紋を染めていたじゃ間に合いもすまいけれど、婚礼というじゃなし石無地《こくむじ》でも用は十分足りるでね。それでなけれアお此さんの絽《ろ》の方のを直すだけれどな。」
 母親は落ち着きはらって、いろいろの見積りを立てていた。
 とにかくお庄は、叔父を捜しに出かけることにした。入舟町の方から渡って行く中ノ橋あたりは、まだ朝濛靄《あさもや》が深く、人通りも少かった。その家では、女中と娘の子とが起きているぎりで、遊びに疲れた主人夫婦も叔父も、今ようやく寝たばかりのところであった。叔父のたおれている座敷には、帯や時計や紙入れや飲食いした死骸《から》などがだらしなく散らばっていた。
「まアいい、大丈夫今に行くで……。」正体なく眠っている叔父は、顎をがくがくさせながら、お庄の顔をじろりと見たきりで、長い体をぐらりと横へ引っくら返った。
 お庄はそこへ俥をおいて、ついでに近所の髪結のところへちょっと声をかけてから家へ帰った。
 死んだという電報が、八時ごろにお庄の髪を結っているところへ舞い込んだ。
「それじゃやっぱりそうだったんだ。」と、母子は幾度も電報を読み返した。
 母親は気忙しそうに起ち上ったが、さしあたって何をするという考えも思い浮ばなかった。お庄は急いで合せ鏡をしながら、紙で頚《えり》などを拭いて、また叔父のところへ駈けつけた。
 その家では、衆《みんな》がぞろぞろ起きて、脹《は》れぼッたいような顔をして茶の室《ま》へ集まった。
 叔父は内儀《かみ》さんの汲《く》んでくれた茶を飲みながら、電報の時間附けなどを見ていたが、するうちにお庄と一緒に家を出た。主《あるじ》夫婦も、着換えをして後から続いた。
 衆《みんな》が病院へ駈けつけた時分には、死骸はもう死亡室の方へ移されてあった。げっそり嵩《かさ》の減ったような叔母の死骸には、白い布《きれ》が被《か》けられて、薄い寝台の敷物のうえに、脚を押っ立てながら、安らかに臥《ね》かされてあった。母親は皆の顔を見ると、また泣き出した。そして側へ寄って死者の冷たい顔から、白い布《きれ》を取り除けた。衆《みんな》は寄ってその顔を覗き込んだ。

     四十八

「真実《ほんとう》にあっけないもんでござんした。」と、母親は目を擦《こす》りながら言い立てた。
「すっと息を引き取って行くところを、お医者さまたちは、傍に多勢立って黙って見ておいでなさるだけのものでございましたよ。それでいよいよ目を落してしまったところを見届けると、また黙って、各々《めいめい》すいと出ておいでなすってね。それに平常《いつも》はあんなに多勢入り交り立ち替り附いていて下すったのに、あいにく今朝は真《ほん》の私一人きりでね。」と、母親は後の方に立っているお庄の結立ての頭髪《あたま》や、お化粧をして来た顔に目をつけた。
「何のために使いをして下すっただか、こっちじゃ今目を落すという騒ぎだのに、行けば行《い》たきりで、気長にお洒落《しゃれ》なぞなすっておいでなさるでね。」母親はお庄に繰り返し繰り返し厭味を言った。
 お庄も少し逆上《のぼ》せたようになっていた。そして自分は自分だけの理窟を言った。人中にいるのに、そう姿振《なりふ》りにかまわないわけにも行かないと思った。自分の身じんまくもする代りに、病人の看護も、長い間まだしもよくして来た方だとも思った。
 お庄は理も非も判《わか》らないような老婦《としより》の愚痴に終《しま》いに笑い出した。
 吊り台で、死骸が担ぎ出されるまでには、大分時間がかかった。そのころにはまだ温《あたた》か味《み》の通っている死人の腹部も、だんだん冷えて来た。家を出るとき、声をかけて来た手伝いの人たちもそれぞれ集まって来た。中には叔父も資本の幾分を卸して、車を五、六十台ばかり持って、挽子《ひきこ》に貸し車をしている安という物馴れた男もいて真先に働いた。
「小崎さん、患者さんの代りに、あなたの紀念の写真を一枚|撮《と》って下さいな。」中ごろから替って来た気のやさしい上方産《かみがたうま》れの看護婦が、病室を取り片着けているお庄の傍へ寄って来て言いかけた。お庄は夜も昼も聞かされた病人の唸り声が、まだ耳についているようであった。
 お庄は気忙しいなかで、叔父に断わって看護婦と一緒に向うの写真屋へ行った。看護婦の望みで、母親にも勧めたが、母親の心はそれどころではなかった。
 やがてお庄は積めるだけの物を、蹴込みに積んで、母親と一緒に一と足先に病院を引き揚げた。
 格子戸や上り口の障子を外して、吊り台を家のなかまで持ち込んだのは、午後の三時過ぎであった。叔父はこれまでに丸山の主《あるじ》や糺に手伝ってもらって、死亡の報知《しらせ》を大方出してしまった。病院の帰りに、電話や電報を出した口も少しはあった。その中に、墨西哥《メキシコ》公使館の通弁をしているという仏の従弟《いとこ》に当る男などもいた。
「すみませんが、六尺を一本ずつ切って戴きたいもんで。」安公は座敷に蓙《ござ》を敷いて、仏に湯灌を使わそうとするとき、女連《おんなれん》の方へ声かけた。吊り台から移された死骸は屏風の蔭に白い蒲団の上に臥《ね》かされてあった。
 晒木綿《さらしもめん》を買いに、幸さんが表へ飛び出して行った。
 女連は、別の部屋の方で、経帷子《きょうかたびら》や頭陀袋《ずたぶくろ》のようなものを縫うのに急がしかった。母親はその傍でまた臨終の時のたよりなかったことを零《こぼ》しはじめた。

     四十九
「田舎の人は真実《ほんとう》に物が解らない。」と、お庄はまだ叔母の母親に言われたことが、頭脳《あたま》にあった。
 お庄は手伝いに来ている安公のところの、お留という十四、五の娘にいいつけて買わした、乾物や野菜ものをそこへ拡げながら、お通夜《つや》の人に出す食べ物の支度に取りかかろうとしていた。母親のお安も仕事の手を休めて、そこへ来て見ていた。お庄は蓮《はす》の白煮を拵《こしら》えるつもりで皮を剥《む》きはじめた。傍には笹《ささ》ばかり残った食べ荒しの鮨《すし》の皿や空《から》になった丼《どんぶり》のようなものが投《ほう》り出されてあった。
 奥ではもう湯灌もすんで、仏の前にはいろいろの物が形のごとく飾られ、香の匂いが台所までも通って来た。座敷の話し声が鎮《しず》まったと思うと、時々|鈴《りん》の音などが聞えて来た。
「お婆さんたちは何にもしないで、病人の傍にめそめそ泣いてればいいと思って。それは病人だって、大切にしなけれアならないけれど、そのために看護婦がつけてあるんじゃないか。病院だって、叔母さんだけが患者じゃないんだわ、お婆さんは真実《ほんとう》に勝手が強いんだよ。」
「なにかと言ったって、お此さんは幸福《しあわせ》せえ。田舎じゃどうして、あんな手当ては出来るもんじゃない。」母親も言った。
「どういうものでしょうかね、明日《あした》の葬式《とむらい》に小崎さんはおいでなさるでしょうね。」
 丸山の主《あるじ》が、何やら長い帳面と筆とを持って、白足袋を気にしながら、散らかった台所口へ来てしゃがんだ。
「そうでござんすね。」と、母親は椎茸《しいたけ》を丼で湯に浸《つ》けていながら、思案ぶかい目色《めいろ》をした。
「後《あと》を貰うものとすれば、やっぱりお寺まで行くべきものでしょうかね、弟もまだ四十にゃ二、三年|間《ま》のある体だもんですからね、これぎり貰わないっていうわけにも行きませんか知らんて。」
「それアそれどころじゃない。」
「それとも、田舎から姑《しゅうとめ》も来ているものですから、お葬式《とむらい》の時だけは遠慮すべきもんでしょうか。」
「あらかじめ再婚を発表するようでもあまり感服しないでね。」丸山はこういって、母親とお庄の顔を見比べた。
「それでお庄ちゃんは香炉持《こうろも》ち、正ちゃんがお位牌《いはい》、それアようござんすね。」
「まアそういった順ですかね。」
 葬儀社が来たとか言って、丸山は奥へ呼び込まれて行った。
 叔父はぼんやりしたような顔をして、時々そこいらへ姿を現わした。
「電報はもう届いていますらね。」と叔母の母親も、田舎の伜《せがれ》夫婦の出て来るか来ぬかを気にしては、訊いていた。
 この晩、お庄は経を読んでいる法師《ぼうず》の傍へ来て坐る隙《ひま》もなかった。座敷の方が散らかって来ると、丸山の内儀《かみ》さんと一緒に、時々そこらを取り片着けて歩いた。そしてまた新しく酒や食べ物を持ち運んだ。
 夜が更《ふ》けてから、母親は昼間しかけておいた、お庄の襦袢《じゅばん》などを、茶の間の隅の方で、また縫いにかかった。
「私はそれじゃ、御免|蒙《こうむ》って少し横にならしておもらい申しますわね。」
 叔母の母親は、ひとしきり仏の前へ行って来ると、脹《は》れ爛《ただ》れたような目縁《まぶち》を赤くして、茶の室《ま》の方へ入って来た。そして母親と一緒に茶を飲んだり、煮物を摘《つま》んだりしていた。
「さあさあ明日もあるもんだて、一ト休みお休みなすって……。」と、母親も眠い目をしながら、四畳半の方から掻捲《かいま》きや蒲団を持ち出して来てやった。
 静かになった座敷の方からは碁石の音などが響いて来た。

     五十

「さあ皆さん打《ぶ》っ着けてしまいますよ。」葬儀屋の若いものと世話役の安公とが、大声に触れ立てると、衆《みんな》はぞろぞろと棺の側へ寄って行った。
 細長い棺の中には、布《きれ》の茶袋が一杯詰められてあった。冠《かぶ》り物《もの》や、草鞋《わらじ》のような物がその端の方から見えた。生前にいろいろの着物を縫って着せるのが楽しみであった人形を入れてやろうかやるまいかということについて、女の連中がまた捫着《もんちゃく》していた。
「入れないそうです。」と、誰やらが大分経ってから声かけた。
衆《みんな》が笑い出した。
「残しておいても何だか気味がわるいようですから入れて下さい。」とお庄は言ったが、母親は惜しがった。
「私《わし》が娘《あれ》の片身に田舎へ連れて帰らしておもらい申しますわね。」と、姑も言い出した。安公がでこぼこの棺のなかを均《なら》しながら、ぐいぐい圧《お》しつけると、「おい来たよう。」と蓋《ふた》がやがてぴたりと卸《おろ》された。白襟《しろえり》に淡色の紋附を着た姑は、その側に立って泣いていた。母親も涙を拭きながら、口のなかにお題目を唱えていた。
 田舎から来た人たちも、皆な着替えをすまして、そこらに彷徨《うろつ》いていた。
 お庄は今朝から、今日の着物のことで気が浮わついていた。昨日の昼過ぎにやっと注文した紋附が、一時出棺の間にあいそうにもなかった。
「やっぱりお此さんのをお前のに直した方が早手廻しだったかな。」今朝の九時ごろまでかかって、やっと家で縫えるようなものを縫いあげた母親は、そんな物を積み重ねた、茶の室《ま》の隅の方で、お庄とひそひそ話し合っていた。田舎から出て来た叔母の弟嫁が良人と一緒に入って来た。そうして鞄からそこに出しておいた着物の包みをほどきながら、良人の羽織や袴《はかま》を取り別《わ》けて、着替えをさせに取りかかった。顔の綺麗なその良人は、ごりごりした帯や袴の紐に金鎖を絡《から》ませながら、ぬッとした顔をして出て行った。嫁はそれから隅の方で、背後向《うしろむ》きになって自分の支度に取りかかろうとした。
「どうも済んません、遅くなって……。」お冬という叔母やお庄の結いつけの髪結が、ごたくさのなかへ、おずおず入って来た。
「さあ、あなたからお結いなすって……後はお婆さんにお庄に私くらいなものですで……。」
「そうですか。じゃお先へ御免蒙って……東京でもやっぱり島田崩しに結いますかね。」と、嫁はそこへこてこて[#「こてこて」に傍点]取り出した着替えをそっくり片寄せておいて、明るい方へ出て来て坐った。姑も側へやって来て、嫁の着物の衿糸《えりいと》を締めなどした。お庄はそこへ鏡台や櫛《くし》道具を持ち運んで来た。
「東京じゃもう、大抵毛捲きなんですがね。どうしましょうか。」髪結は油でごちごちした田舎の人の髪を、気味わるそうにほどいて梳《す》きはじめた。
 お庄も母親も、取り外したその髪の道具に側から目をつけていた。
 葬式《とむらい》にたつ人や、人夫に食べさすものを拵えている台所の方を、母親はその隙にまた見に行った。
「皆さんも、今のうち何か食べておおきなすって……。」母親はそこらを片寄せて、餉台《ちゃぶだい》の上へ食べ物を持ち運んだ。
 お庄は食べる気もしなかった。
「あの人たちは、あれでなかなか金目《かねめ》のものを挿していますよ。」
「何しろある身上《しんしょう》だでね。」
 お庄は隙になった茶の室《ま》で、今やっと裏口から届けて来た、着物の包みをほどきながら、母親と額を鳩《あつ》めて話し合った。包みのなかには、正雄に着せる紋附や袴も入っていた。二人は気忙しそうに、仕着《しつ》け糸を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》りはじめた。母親はその中で、紋を一つ一つ透《すか》しては見ていた。
 長く田舎に蟄居《ひっこ》んでいる父親に物を亡《な》くされた愚痴が、また言い出された。

     五十一

「……後をお貰いなさればと言っても、私はまたちょくちょく寄せておもらい申しますわね。」と、姑《しゅうとめ》が皆に暇乞《いとまご》いして帰ってしまってからは、叔父の家も急に寂しくなった。弟夫婦は、葬式《とむらい》がすむと、じきに立って行った。
 それまでに、姑は片見分けに自分の持って帰るようなものを、母親と一緒に、すっかり箪笥のなかから択《え》り分けた。中には叔母が田舎にいた時分から離さなかった頭髪《あたま》のものなどもあった。姑は自分がそれを拵えてやたころのことを言い出して、三十やそこいらで死んでしまった娘の不幸をまた零《こぼ》しはじめた。
 そんな物を択り分けるに、二人は毎日毎日暇を潰《つぶ》した。出して見てはしまったり、やって見てはまた惜しくなったりした。
「欲しいと言うものは何でも持って行かした方がいい。姉さまやお庄には、どうせまた拵えるで……。」と、叔父は蔭で母親をたしなめた。
 姑はお庄に案内してもらって、久しぶりで浅草や増上寺を見てあるいた。芝居や寄席へも入った。姑はそのたんびに、何かしら死んだ娘の持ちものを一つや二つは体に着けて出ることにしていたが、お庄も叔母の帯などを締めて、いつもめかしこんで出て行った。四畳半にはまだ白い位牌《いはい》が飾ってあった。姑は外から帰って来ると、その側へ寄って、線香を立てたり鈴を鳴らしたりした。
「新仏《あらぼとけ》さまにまた線香が絶えておりましたに。」と言って、姑は余所行《よそゆ》きのままで、茶の室《ま》へ来て坐った。
「へ、そうでござんしたかね。」と、母親は此間《こないだ》中の疲れが出て、肩や腰が痛いと言って、座敷の隅の方に蒲団を延べて按摩《あんま》に療治をさせながら、いい心持に寝入っていた。
 叔父は明後日《あさって》の初七日《しょなぬか》のことで、宵から丸山へ相談に行っていた。
「ああ、お蔭さまで、私もいい気保養をさしてもらいました。」と、姑は誰もいない部屋や、火の消えている火鉢のなかを寂しそうに眺めた。
 二、三日めっきり涼気《すずけ》が立って来たので、姑は単衣《ひとえ》の上に娘の紋附の羽織などを着込んでいた。お庄も中形のうえに縞《しま》の羽織を着て、白粉を塗った顔を撫《な》でながら傍へ来て坐った。そして母親に小言をいいながら火を興しはじめた。
「たまに私《わし》が按摩でも取れば、じきに口小言だでね。」と、母親は座敷の方から寝ぼけたような声で言った。
「自分は遊んであるいて、そう親ばかりいじめるもんじゃないよ。」
「またあんな解らないことを言うんだよ。いくら遊んであるいたって、帰ってお茶一つ飲まずにいられますかね。そのための留守じゃありませんか。」お庄もやり返した。
「まあいいわね。」と、姑は優しい調子で宥《なだ》めた。「姉さまもお疲れなさんしたろうに、私でも帰ったら、またゆっくらと骨休めをなすって……。」
「そんなことを言や、病院で長いあいだ、夜の目も合わさずに看護したものはどうするでしょう。」お庄はまた母親をきめつけた。勝手の強い姑の伴《とも》ばかりして、毎日行かせられるのを、お庄も飽き飽きしていた。口で言うほどでもない姑は、外へ出れば出たで腥《なまぐさ》いものにも箸を着けていた。「気晴しに、御酒を一つ。」と言って食物屋《たべものや》で飯を食うとき銚子《ちょうし》を誂《あつら》えてお庄にも注いでくれた。
「自分が出不精のくせに、人が出ると機嫌がわるいのだよ。真実《ほんとう》に妙な人。」お庄は終《しま》いに笑った。
 湯が沸く時分に姑は着替えをすましてまたそこへ坐った。母親も側へ来て、お愛想をした。そうしてからまた、明後日《あさって》のお寺詣《てらまい》りに着て行く、自分の襦袢の襟をつけにかかった。

     五十二

 姑が帰ってから二、三日の間、お庄|母子《おやこ》は家の片着けにかかっていた。箪笥の抽斗《ひきだし》が残らず抽《ぬ》き出され、錠の卸《おろ》された用心籠や風を入れたことのないような行李が、押入れの奥から引っ張り出された。そんな物のなかから、蝕《むしば》んだ古い錦絵《にしきえ》が出たり、妙な読本《よみほん》が現われたりした。母親は叔母が嫁入り当時の結納の目録のような汚点《しみ》だらけの紙などを拡げて眺めていた。
「お此さんも、こんなにして嫁入りしたこともあったにな。十年と一緒にいなかった。」
 お庄は袋のなかから、こまこました叔母の細工物を取り出して見ていた。縮緬《ちりめん》の小片《こぎれ》で叔母が好奇《ものずき》に拵えた、蕃椒《とうがらし》ほどの大きさの比翼の枕などがあった。それを見ても叔母の手頭《てさき》の器用なことが解った。体の頑固な割りに、こうした女らしい優しい心をもっていたことが、荒く育ったお庄にもうらやましかった。叔母の側にくっついていて、もう少し何かの手業《てわざ》を教わっておくのだったとも考えた。
「叔母さんのすることは、少し厭味よ。」お庄は捻《こ》ねくっていた枕をまた袋の底へ押し込んだ。よく四畳半で端唄《はうた》を謳《うた》っていた叔母の艶《つや》っぽいような声が想い出された。
「阿母《おっか》さんもそんなものを持って来て。」
 お庄も目録を取り上げて畳の上に拡げた。
「阿母さんだって、木曽へ行った時分はねえ。」と、母親は木曽《きそ》の大百姓の家へ馬に乗って嫁に行ったことを想い出していた。
「あの家に辛抱しておりさえすれば、今になってまごつくようなことはなかったに。」
「どうして辛抱しなかったの。」
「どうしてって、家の遠いのも厭だったし、姑という人が、物がたくさんあり余る癖に吝《けち》くさくて、三年いても前垂一つ私の物と言って拵えてくれたことせえなかった。田地もあったが、種馬を何十匹となく飼っておいて、それから仔馬《こうま》を取って、馬市へも出せば伯楽《ばくろう》が買いにも来る――。」と、母親は重い口で、大構えなその暗い家の様子を話した。お庄は、そんなところにもいたのかと思って、口に泡をためている母親の顔を瞶《みつ》めた。
「その家じゃ機《はた》もどんどん織るし、飯田《いいだ》あたりから反物を売りに来れば、小姑たちにそれを買って着せもしたが、私《わし》には一枚だって拵えてくれやしない。万事がそれだで私も欲しくはなかったけれど、いい気持はしなかった。それで初産《ういざん》の時、駕籠《かご》で家へ帰ったきり行かずにしまったというわけせえ。」
「その人はどんな人さ。」
「どんなって、馬飼うような人だで、それはどうせ粗《あら》いものせえ。それでも気は優しい人だった。今じゃ何でもよっぽどの身上《しんしょう》を作ったろうえ。私はその時分は、身上のことなぞ考えてもいなかったで、お産のあと子供が死んでから、どう言われても帰る気になれなかった。それでも、その子が育ってでもいれば、また帰る気になったかも知れないけれど。」
「そうすれば、私たちだっていなかったかも知れないわ。」
「そうせえ。」と、母親は弛《ゆる》んだような口元に笑《え》みを浮べながら、娘の顔を眺めた。
 田舎の思い出|咄《ばなし》がいろいろ出た。お庄はべったり体を崩して、いつまでも聴き耽《ふけ》っていた。するうちに疲れたような頭脳《あたま》が懈《だる》くなって来た。
「叔父さんはまた内儀《かみ》さんを貰うでしょうか。」お庄は訊き出した。
「さあ、どうするだかね。先がまだ長いでね。」
 お庄は倦《う》み疲れたような心持で、壁に凭《もた》かかって、そこに取り散らかったものを、うっとりと眺めていた。

     五十三

 四十九日の蒸物《むしもの》を、幸さんや安公に配ってもらってから、その翌日《あくるひ》母親とお庄とは、谷中《やなか》へ墓詣りに行った。その日はおもに女連であった。公使館の通訳の細君に、丸山の内儀《かみ》さんたちが家へ集まって、それから一緒に出かけた。子供がよく遊びに来るので、近しくしていた向うのある大店《おおだな》の通い番頭の内儀《かみ》さんも、その子供をつれてやって来た。この内儀さんは、叔母が存命中ちょくちょく芝居を見に行った。入院中も時々来て見舞ってくれた。その子供は見て来た芝居の真似をして衆《みんな》を笑わせるほど、ませて来た。お庄は子を膝に抱いて俥《くるま》に乗った。
 寺で法師《ぼうず》がお経を読んでいる間も、一回はにやけた風をさせたその子供の仕草で始終笑わされ通しであった。お庄も母親もどこかに叔母の遺《のこ》して行った物を体につけていた。お庄は小紋の紋附に、帯を締めて、指環で目立つ大きい手を気にしながら、塔婆《とうば》を持って衆《みんな》と一緒に墓場の方へ行った。
「そんなに塗《なす》くってどうするつもりだ。まるで粉桶から飛び出したようだ。」と、出がけに叔父はお庄の顔を見て笑ったが、お庄は欲にかかってやっぱり塗り立てて出た。
 帰りに衆《みんな》は上野をぶらぶらした。池には蓮がすっかり枯れて、舟で泥深《どろぶか》い根を掘り返している男などがあった。森もやや黄ばみかけて、日射《ひかげ》が目眩《まぶ》しいくらいであった。学生風の通訳の細君が、そこから一ト足先に別れて行ってから、一同は広小路の方へ出て、それから梅月《ばいげつ》で昼飯を食べた。大阪生れの丸山の内儀さんは、お庄にそう言って酒を一銚子誂えて、天麩羅《てんぷら》に箸をつけながら、猪口《ちょく》のやり取りをした。
 斑点《しみ》の多い母親の目縁《まぶち》が、少し黝赭《くろあか》くなって来た時分に、お庄の顔もほんのりと染まって来た。色の浅黒い、痩《や》せぎすな向うの内儀さんは、膝に拡げた手拭の上で、飯を食べはじめた。
 そこを出たのは、もう日の暮れ方であった。
 叔父がまた新たに成り立とうとしている会社のことで、家で仲間と相談会を開いていた。叔父は真面目な他の会社などへ勤めて、間弛《まだる》っこい事務など執っていられなかった。子供に続いて、妻が長患《ながわずら》いのあげくに死んでから、家というものを、あまり考えなくなった。それだけ心が安易にもなっていたし、緩《ゆる》んでもいた。
 しばらく絶えていた烏森の方へ、叔父はまたちょくちょく足を運び始めた。家にいる時は、寝ても起きても新しく企てられた会社のことを考えていた。
「どんな向きの会社だか知らないけれど、そんなことをやりはねて、また失敗《しくじ》るようなことがあっては困るでね。それよりかやっぱり口を捜して、月給を取っていた方が気楽のように思うがね。」母親は時々弟に頼むように意見をした。これという資本もない考案中の会社が、どうせいかさま[#「いかさま」に傍点]なものだということが、母親の頭脳《あたま》にも不安に思われた。
「まあ黙って見ておいでなさい。私も今となって、不味《まず》い弁当飯も食っていられないで。」
 石川島へ出ている時分セメントの取引きをして親しくなった男や、金貸しや地所売買の周旋屋をしている丸山などと一緒に叔父はその会社を盛り立てようとしていた。中には古い友達の中学の先生もあった。
 金六町の方に設けられたその事務所へ、やがて一家が引き移ることになった。そこは灰問屋と舟宿との間に建った河岸《かし》に近いところであった。
 田舎から出た当時から、方々持ち廻ったお庄親子の古行李が、叔父の荷物に紛れて、またそこの二階へ積み込まれることになった。

     五十四

 この家の格子先へ、叔父の能筆で書いた看板が掲《か》けられたり、事務員募集の札が張られたりした。毎日寄って来る人たちは、店にならべた椅子|卓子《テーブル》によって、趣意書や規則書のような刷り物の原稿を書いたり、基金や会員募集の方法を講じたりした。基金はまだ刷り物に書き入れてある額に達していなかった。会社のする仕事は、無尽のような性質を帯びた手軽な一種の相互保険であった。
 二、三人の募集員が、汚い折り鞄を抱えて、時々格子戸を出入《ではい》りした。昼になると、お庄はよく河岸《かし》の鰻屋《うなぎや》へ、丼を誂《あつら》えにやられた。
 ここに寝泊りしている、若い事務員がただ独り、新しい帳簿のならんだデスクの前に坐って、退屈そうに、外を眺めたり、新聞を見たりしていた。そして時々想い出したように、会員名簿のようなものを繰ったり、照会《といあわせ》の端書に返辞を書いたり、会費の集まり高を算盤《そろばん》で弾《はじ》いたりしていた。
 事務員が、日当りの悪い三畳の室《ま》に、薄い蒲団に包《くる》まって、まだ寝ているうちに、叔父は朝飯の箸も取らずに、蒼い顔をして出かけて行った。
 長いあいだ少し積んで来た貯金を提《さ》げて仲間に加わって来た中学の教師が、二階で昨夜《ゆうべ》遅くまで、叔父と何やら争論めいた口を利き合っていたことが、お庄|母子《おやこ》も下で聞いていて気にかかった。後では一緒に碁など打って、平常《いつも》のような調子で別れたが、叔父の顔色はよくなかった。二人は事務員に帳簿を持ってこさして、長いあいだ細かしいことを話し合っていた。
「あの人は、もう手を退《ひ》きたいとでも言うだか。」
 ランプの下で、白足袋《しろたび》を綴《つづ》くっていた母親は、手の届かぬ背《せなか》の痒《かゆ》いところを揺《ゆす》りながら訊いた。
 叔父はお庄の退《ど》いた火鉢の前の蒲団に坐って、莨《たばこ》を喫《ふか》した。
「なあにそうでもない。あの男にとっては、大切な金だでやっぱり気を揉《も》むだ。」
「金を返せという話にでも来たろう。」
「それほど大した金でもない。」叔父は欠《あくび》をしながら言っていた。
 お庄は剛愎《ごうふく》なような叔父の顔を、傍からまじまじ見ていた。この会社の崩れかかっていることは、あれほど毎日集まって来た人が、にわかに足踏みをしなくなったことだけでも解ると思った。頚筋《くびすじ》や肩のあたりが、叔母のいたころから比べると、著しい痩せが目立って、影が薄いように思えた。
 叔父が出て行くと、やがて母子は差し向いに朝飯の膳に向った。
「昨夜《ゆうべ》の人に返す金の工面にでも行ったろうえ。」
 二人は、また叔父の噂をしはじめた。叔父が遊んでいる女に費《つか》う金だけでも、このごろの収入では追っ着きそうなこともなかった。応募者が、予期した十分の一もなかったことが、女連にもだんだん呑《の》み込めて来た。
 事務員が、寝飽きたような腫《は》れぼッたい顔をして、暗い三畳の開き戸を開けて出て来た。そして目眩《まぶ》しそうな目を擦《こす》った。綻《ほころ》びた袖口からは綿が喰《は》み出し、シャツの襟も垢《あか》や脂《あぶら》で黒く染まっていた。お庄はくすくす笑い出した。この男がここへ来てから、もう三月《みつき》にもなった。
「もう何時です。」事務員は目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って時計を眺めた。
 それから水口の方へ出て顔を洗うと、間もなく膳の側へ寄って来た。紫色に爛《ただ》れたような面皰《にきび》が汚らしかった。
 飯がすむと、お庄は二階へあがって叔父の寝所《ねどこ》を片着けにかかった。冬の薄日が部屋中に行《ゆ》き遍《わた》っていた。お庄は蒲団や寝衣《ねまき》を持ち出して手擦《てす》りにかけながら、水に影の浸った灰問屋の庫《くら》が並んだ向う河岸《がし》をぼんやり眺めていた。

     五十五

 向う河岸は静かであった。倉庫で働いている男や、黙って荷積みをしている人夫の姿が、時々お庄の目に侘《わび》しく映った。碧黒《あおぐろ》くおどんだ水には白い建物の影が浸って、荷船が幾個《いくつ》か桟橋際《さんばしぎわ》に繋《つな》がれてあった。お庄はもう暮が近いと思った。
 部屋を掃除してから、雑巾バケツに水を張っていると店頭《みせさき》で事務員と押し問答している、聞きなれぬ声が耳についた。会員から、会費の払い戻し請求を受けているのだということがすぐに解った。台所を働いている母親も、茶の室《ま》へ出て、気遣《きづか》わしそうに店の方へ耳を引き立てていた。勤め人とも商人ともつかぬようなその男は、社主に逢いたいと言って、物慣れぬ事務員を談じつけているらしかった。
「いやだいやだ、叔父さんは……。」と、お庄はこの前のことを思い出した。
「だって叔父さんが一人で引き被《かぶ》るわけのものでもあるまいがね。」と、母親も台所の隅に突っ立って溜息を吐《つ》いていた。
 お庄は、この家をいつ引き払うことになるか解らないと思った。拭き掃除をする気にもなれなかった。そしてバケツをそこへ投《ほう》り出したまま、うんざりしていた。
 叔父は出て行ったきり、二、三日家へ寄りつきもしなかった。
 その間に中学の先生だという例の男が、二度も来て店へ坐り込んでいた。お庄は色の褪《あ》せたインバネスに、硬い中折を冠ったその姿を見ると、またかと思って奥へ引っ込んで行った。火の気の少い店頭《みせさき》で、事務員はこの男と日が暮れるまで向い合っていた。男は近所の蕎麦屋《そばや》へ行って、空《す》いた腹を満たして来ると、赤い顔をしてまたやって来た。
「まだお帰りになりませんか。どこか心当りはありますまいかね。」男は楊枝《ようじ》で口を弄《せせ》りながら、奥を覗《のぞ》き込んで、晩飯を食べている三人の方へ声をかけた。
「ああして来て待っているのに、あんまりうっちゃり放しておいてもね。」と、お庄は晩飯をすますと、顔を直したり、着物を着替えたりして、仕立て直しの叔母の黒いコートを着込んで、叔父を捜しに出かけた。
 しばらく出なかった間に、町はそろそろ暮の景気がついていた。早手廻しに笹の立った通りなどもあった。賃餅の張り札や、カンテラの油煙を立てて乾鮭《からざけ》を商っている大道店などが目についた。
 やがて湯島の伯母の家の路次口に入って行ったのが、九時近くであった。
「私のとこへは、小崎はまだ葬式《とむらい》の挨拶にも廻って来やしないぜ。」と、伯母は二階から降りて来て、火鉢の前に坐ると、めかし込んだお庄の様子をじろじろ眺めた。
「何だか会社を始めるとか、始めたとかいうことを聞いたが、そんな投機《やま》をやってまた失敗《しくじ》らなけアいいが。」伯母は苦い顔をしてこうも言った。
 二階で糺の友達が多勢寄って花を引いていた。お庄はしばらく、そんな音を聞いたことがなかった。
「お前いくらか懐にあるだかい。」花には目のない伯母がにやにや笑いながら、段梯子を上って行くお庄に言いかけた。
 その晩おそくまで、お庄はそこで花を引いていた。取られ分を取り復《かえ》そうと焦心《あせ》っているうちに、夜が更けて来た。連中には古くから昵《なじ》みの男もあり、もう髭を生やして細君を持っているらしい顔もあった。お庄はそんな中に交って燥《はしゃ》いだ調子で弁《しゃべ》ったり笑ったりした。
 明日《あした》昼ごろに、お庄は金六町の家へ帰って来ると、昨夜《ゆうべ》帰った叔父が二階にまだ寝ていた。三和土《たたき》に脱いである見なれぬ女の下駄がお庄の目を惹《ひ》いた。
「……芸者だか何だか……。」と、母親は笑っていた。

     五十六

 お庄らが母子《おやこ》の仕事として、ひっそりした下宿を出そうと思いついたのは、この事務所を畳んでから、一家が丸山の隣の小さい借家へ逼塞《ひっそく》してからであった。それまでに会社の方はパタパタになっていた。欠損を補うべき金や、下宿の資本《もと》を拵えると言って、叔父は暮に田舎へ逃げ出したきり、いつまでも帰って来なかった。
 河岸《かし》の家で、叔父が一、二度二階へ連れ込んで来た女が、丸山の田舎の嫂《あによめ》の姪《めい》であることが、お庄母子にじきに解った。その女はお照と言って年はお庄からやっと一つ上の十九であったが、もう処女ではなかった。東京へ出るまでには思い断《き》ったこともして来た。
 丸山の隣へ引っ越して行ってから、この女とお庄はじきに近しい間《なか》になった。女は痩せぎすな※[#「※」は「兀+王」、第3水準1-47-62]弱《ひよわ》いような体つきで、始終黙ってはずかしげにしていたが、表に見えるほど柔順《すなお》ではなかった。お庄にはどこか調子はずれのところがあるようにも思えた。叔父は丸山へ行って碁を打っているうちに、この女と親しくなった。女は碁もかなりに打てたが、字なぞも巧《うま》かった。
 一ト晩中、女は安火《あんか》に当って、お庄母子に自分のして来たことを話して聞かした。田舎で親々が長いあいだ取り決めてあった許婚《いいなずけ》の人を嫌《きら》って北国の学校へ入っている男を慕って行った時のことなどが詳しく話された。女は暑中休暇に帰省している親類先のその男の家へ、養蚕の手助けに行っているうちに、男と相識《あいし》るようになった。
 男が学校へ帰って行ってから間もなく、女は目ぼしい衣類や持物を詰め込んだ幾個《いくつ》かの行李をそっと停車場まで持ち出して、独りで長い旅に上った。
「その時のことは、今から想《おも》うとまったく小説のようよ。」と、女は汽車のない越後から暗い森やおそろしい河ばかりの越中路を通るとき、男に跡を尾《つ》けられたことや脅迫されたことなどを話した。
 制裁の厳《きび》しい寄宿に寝泊りしていた男は、一、二度女の足を止めている宿屋へ来て、自分の事情を話して帰ったきり、幾度訪ねても逢わなかった。手紙を出しても来なかった。
 三月ほど経って、兄が女を連れ戻しに行ったころには、女は金も持物もなくして、霙《みぞれ》の降る北国の寒空に、着るものもなくて、下宿屋に下女働きをしていた。田舎へ引き戻されてからも、町に落ち着いていることも出来なかった。許婚先へ対しても、家にいるのがきまり悪かった。
「どうせ私は田舎などへ帰りゃしませんよ。嫁にだって行きゃしません。家で怒ってかまわなくなったって何でもありゃしない。金沢で下宿の厠《はばかり》の掃除までしたことを思や、自分一人ぐらい何をしたって食べて行かれますよ。」女は太腐《ふてくさ》れのような口を利いた。
「一人でやって行くなら、碁会所でも出したらどうだ。」叔父はこの女に時々そんな心持も洩らした。
「彼奴《あいつ》も変だが、小崎さんも少しひどいや。」と丸山は、叔父の田舎へ行っている留守に、折々茶を呑みに来ては、お照の噂をして母親に厭味を言った。
 女はお庄の家へ来て、机に坐って叔父へ長い手紙を書いた。手紙にはお庄に解らないようなむずかしいことが書いてあった。女は小説でも読むような気取りで、母子にその文句を読んで聞かせた。お庄は狂気《きちがい》じみたその顔を瞶《みつ》めながら笑い出した。
 叔父から返事が来た。女は手紙の字が巧いと言って、独りで感心していた。
「あなたの叔父さんは真実《ほんとう》に深切よ。」
「深切だか何だか知らないけれど、家の叔父さんはもうお爺さんよ。」
「お爺さんだっていいじゃないの。一生一つにいやしまいし……。」

     五十七

 繁三をつれて、三月の東京座を見に行った叔父が、がちがち顫《ふる》えて帰って来た。顔が真青《まっさお》になって、唇に血の気《け》がなかった。
 叔父は田舎から帰ってからも、家に閉じ籠《こも》って考えてばかりいたが、気が塞《つま》って来ると、時々想い出したように、誰かを引っ張り出して芝居や寄席へ行った。その日はちらちらと雪が降っていた。芝居のなかも暗く時雨《しぐら》んだようで、底冷えが強く、蒲団を被《か》けていても、膝頭《ひざがしら》が寒かった。叔父は背筋へ水をかけられるようで、永く見ていられなかった。
 日の暮れ方に、俥で金助町の新しい家へ帰って来ると、褞袍《どてら》を引っかけて、火鉢の傍に縮まっていた。
「どうしたというんだろう。」と、母親は会社の紛擾《ごたごた》から引き続いて、心配事ばかり多い弟の体を気遣った。
「なあに感冒《かぜ》だ。ヘブリンの一服も飲めば癒《なお》るで。」叔父はそう言いながら、繁三を相手に酒を飲んで芝居の話などしていた。
 お照がしばらくここの家に隠れていた。あっちの家を引き払うころから、お照のことで、叔父と丸山とは互いに気持を悪くしていたが、ここへ引っ越してからも、あまり往来《ゆきき》をしなかった。丸山が女を捜しに来ると、女は二階へあがって客の部屋に隠れていた。丸山は終《しま》いに女をかまいつけなくなった。
 病院以来懇意になった糺の友達の医師《いしゃ》が、その晩もぶらりと遊びに来て、叔父と碁を打ちはじめた。叔父は一勝負やっと済ますと、碁盤を押しやって顔を顰《しか》めた。石持っている間も時々|顫《ふる》えていた。
「おかしいな。」と、医師《いしゃ》は繁三に糺の聴診器を取り寄せさして、叔父の体を見た。
 医師は骨立った叔父の胸をそっちこっち当って見ているうちに、急に首を捻《ひね》って肺のところをとんとんと強く敲《たた》きはじめた。
「どうも少しおかしい。」医師は側を離れると、溜息を吐いて、急いで縁側へ手を洗いに行った。
「肺病にでもなっているのじゃないらか。」母親は傍から心配そうに言った。お照もお庄も、黙って叔父の顔を眺めていた。
「私の肺は、人に優《すぐ》れて丈夫だと言われたもんだが……。」
と、叔父は肩を入れながら呟《つぶや》いた。
 医師も繁三も、じきに帰った。
「とにかく院長に一度|診《み》ておもらいなさい。うっちゃっておいちゃいけない。」医師《いしゃ》は繰り返しそう言って出て行った。
 酔いのさめた叔父は、また酒でも飲まずにはいられなかった。
「そんなに酒を飲んでもいいらか。あの医師《いしゃ》がああ言うくらいだで、どこかよい医師に診てもらうまで、むやみなことをしない方がいい。」
「あの竹の子医師に何が解るもんで……。」
 叔父はお照に酌《しゃく》をしいしい自分にも飲んだ。
 湯島の伯母に引っ張り出されて、叔父はその翌日《あくるひ》駿河台の病院へ診てもらいに行った。
「結核も結核、ひどい結核だと言うでないかい。」と、伯母はお庄と母親が朝飯を食べているところへ飛び込んで来て顔を顰めた。
 二人はびっくりして、箸を休めた。
「昨夜《ゆうべ》の××さんの話じゃ、片肺まるでないというこんだぞえ。」
 叔父はまだ奥座敷に寝ていた。昨夜《ゆうべ》二人でおそくまで起きていたらしいお照も、まだ目が覚めなかった。
 叔父は院長からはっきりした診断を下されるのを怖れて、行くのを渋くった。
「やっぱり肺だということだぞえ。」と、昼ごろに叔父をつれて帰って来た伯母は、蔭で母親に告げた。
 治療に望みのないことが、診察をおわった叔父が帯を締めている背後《うしろ》から、大きい手と首を振って見せた院長の様子でも知れていた。

     五十八

「叔父さんが帰って来たら、僕からよく話をする。」二階の部屋を借りて、ここから一ツ橋の商業学校へ通っている磯野《いその》という群馬県産れの書生が、薬師の縁日に手を引き合って通りを歩いているときお庄に話しかけた。磯野は糺の友人の知合いで、糺とも知っていた。そんな関係からここの二階を借りることになった。家は肥料問屋で磯野はその時分からいろいろの遊び友達を持っていた。酒も飲んだり唄も謳《うた》った。叔父とも碁を打ったり、花を引いたりした。深川へ荷がつくと、母親が托《あず》けてよこした着物や、麦粉菓子《むぎこがし》のようなものが届いて、着物のなかから可愛い末の子に心づけてくれた小遣い銭などが出て来たが、家をやっている兄の方にはあまり信用がなかった。磯野は一、二の官立学校の試験を、いつも失敗して、今通っている学校は、学課の程度が低く、卒業生の成績や気受けも香《かんば》しい方ではなかった。磯野はそこへ学籍を置きながら、月々の学費を取り寄せていた。
 叔父は四月の末ごろから海辺へ行っていた。前の会社の用事でもと行きつけた浦賀から、三浦三崎の方へ廻って、そこで病を養っていた。田舎から取って来た金も、会社の跡始末に消えてしまって、この家へ引き移って来た時も、かけてあった取り残しの無尽を安く競《せ》って落したくらいであったので、病気になってからも思うような保養も出来なかった。母親の内職に出さした素人下宿も間数《まかず》が少く、まだ整ってもいなかった。
「生身《なまみ》の体はいつどんなことがあるか知れないで、それで私《わし》が言わないことじゃなかった。いい加減に締っておくだったい。」と、母親は弟に怨《うら》みを言った。
 叔父は立つ間際まで、お照を傍から離さなかった。寝衣《ねまき》に重ねた白地の単衣《ひとえ》がじっとり偸汗《ねあせ》に黄ばんで蒲団をまくると熱くさい息がむれているくらいであったが、痩せ我慢の強いお照は平気で叔父のところへ寄って行った。一緒に食べ物に箸を突っ込んだり、一つ湯呑《ゆのみ》で茶を呑んだりした。
「厭ねお照さんは。あんな中へ入って行くと、伝染しますよ。」と、お庄は蔭で眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。
「大丈夫よ。私の体には病気が移りゃしませんよ。」と、お照は黄色い、かさかさした顔に寝白粉を塗って、色の褪《あ》せた紡績織りの寝衣に、派手な仕扱《しごき》などを締めながら、火鉢の傍に立て膝をして寝しなに莨を喫《す》っていた。
「移るものなら、もうとっくに移っていますよ。今から用心したって追っつきゃしない。」お庄は尖《とんが》ったようなその顔を、まじまじ眺めていた。
「めったに移る案じはないけれどね。」と、母親も、傍で茶を呑みながら言った。
「それに叔父さんのは咳《せき》も痰《たん》も出ないもんだで、まだそれほど悪いのじゃないとも思うがな。」
「それがなお悪いのですよ。」お庄は打ち消した。
「どうしてあんな病気が出たものかな。家にゃ肺病の筋はなかったがな。」
「いいえお女郎から伝染《うつ》るといいますよ。お女郎にゃ随分あるんですって。」
 酒や女に耽《ふけ》っていた弟のだらしのない生活が、母親の胸に想《おも》い回《かえ》された。
「あれで臥《ね》つきでもしたらどうするだか。」
「いいですよ。叔父さんだって可哀そうじゃありませんか。私きっと叔父さんを見達《みとど》けてあげますよ。」お照は痩せこけた手で、豆ランプに火を点《つ》けると、やがてずるずるした風をして、段梯子を上って行った。
「田舎へ帰れアあれでもちゃんとした家の娘でいられるに。」母親は後で呟いた。
 自棄《やけ》になったようなこの女の心持が、母親には呑み込めなかった。

     五十九

 島田髷《しまだまげ》に平打《ひらうち》をさして、こてこて白粉や紅を塗って、瘟気《いきれ》のする人込みのなかを歩いているお庄の猥《みだ》らなような顔が、明るいところへ出ると、羞《はじ》らわしげに赧《あか》らんだ。薬師裏を脱けた広場には、もう夏菊の株などが拡げられてあった。
 帰りに暗い路次のなかの家へ入って、衝立《ついたて》の蔭で一緒に麦とろなどを喰べた。酒も取って飲んだ。そこを出たとき、お庄は紅い顔をしていた。
「阿母《おっか》さんも行くなら行っておいでなさいよ。たまにゃ外へも出て見るといいのよ。」お庄は家へ帰って行くと、今やっと行水から上ったばかりの母親を促した。母親はにやにやした顔で二人を見迎えたが、女中と一緒に買物がてらお庄から金を渡されて出て行くまでには、大分暇がかかった。
 中江という医学生のところへよく遊びに来る、お増という女が二階から降りて来ると、二人のなかへ割り込んで、辻占入《つじうらい》りの細かい塩煎餅《しおせんべい》を摘《つま》みながら、間借りをしている自分の宿やここへ出入りする男の品評などを始めた。この女はもう二十六、七であった。縁づいていた田舎医師の家で不都合なことがあって、子供のあるなかを暇を出されてから、東京へ来て長い間まごついていたことを、お庄も中江などから聞いて知っていた。「お前のような女には手切れの金より着物の方が身について安全だろう。」と言って、その良人から拵えてもらった支度が亡《な》くなった時分には、もういろいろの男を亭主に持って来たことを、女の口からもたびたび聞かされた。女はしみじみした調子で亭主運の悪いことをよく零《こぼ》した。行き詰って、田舎の医師の家へまた詫《わ》を入れに行ったとき、姑《しゅうとめ》が頑張《がんば》っていて、近所に取っていた宿から幾度逢いに行っても逢うことが出来なかった。女は夜更けてから梯子をさして、そっと二階の主《あるじ》の部屋の戸を敲《たた》いたが、やはり入ることが出来ずに、外から悪体を吐《つ》いて帰って来た。
「私あんなくやしかったことはありゃしませんよ。」と、女は目に涙をにじませて、自分と自分の興味に耽《ふけ》りながら話していた。
「まあ聞いて下さいよお庄ちゃん――。」と、女は今度の試験を、長く一緒にいる男がまた取り外してしまったことを零しはじめた。
「あんなに私が一生懸命になって、図書館に通わしてやっても、駄目なものはやはり駄目なんでしょうかね。これからまた一年、毎日毎日お弁当を拵えてやらなけアならないのかと思うと、私うんざりしちまいますよ。」お増は磯野に莨を吸いつけてやりながら、哀れな声で言った。
「今度私磯野さんに芝居を奢《おご》って頂きましょう。ねえお庄ちゃんいいでしょう。」お増は帰りがけに、甘い調子で磯野に強請《ねだ》った。
「あの人は芝居がどのくらい好きだか――。」と、お庄は後で磯野に話した。
「芳村さんには煮豆ばかり食べさしておいて、暇さえあると自分は芝居へ行ってるの。」
「ふとすると家の中江に乗り換えようとしているんかも知れないね。若い人から絞るという話もあるぜ。」と、磯野は笑った。
「そうでもしなくちゃ、芝居道楽が出来ないでしょう。」
 磯野がお庄の詰めてくれた弁当を持って、朝おそく、学校へ出て行った。
 お庄は磯野の出たあとの部屋を自身綺麗に取り片着けながら、磯野の蒲団のうえに坐って、時計のオルゴルを鳴らして見たりした。
 お庄は机の抽斗《ひきだし》を開けて見た。抽斗からは、コスメチックや香水のような物が出た。写真や手紙なども出た。手紙のなかには磯野がよく行ったことのある小塚から来たらしいのもあった。お庄はそれを読みながら、劇《はげ》しい耳鳴りを感じた。舌も乾くようであった。
 昼過ぎに、軽い夏の雨が降って来た。お庄は着物を着替えて、蝙蝠傘《こうもりがさ》を持って学校まで出かけて行った。そして路傍《みちわき》の柳蔭にたたずんで、磯野の出て来るのを待っていた。

     六十

 盆時分に問屋の決算をしに出て来て小網町の方に宿を取っていた兄が帰る時、磯野も一緒に田舎へ行くことになった。磯野が兄の取引き先から二十円三十円と時借りをした金の額の少くないことが、その時すっかり解った。お庄のところへ来たてに磯野はそんな金で、軟かい着物を拵えたり、持物を買ったりして景気づいていたが、湯島|界隈《かいわい》の料理屋にもちょいちょい昵近《ちかづき》の女があった。お庄と一緒に歩いている時、磯野は途《みち》で知った女に逢うと、こっちから声をかけて、お庄をそっち退《の》けに、片蔭でひそひそ話をすることがたびたびあった。
「あれには僕が少し義理の悪い借金もある。いつか芸者の祝儀を立て替えさしてそれッ放しさ。」と、磯野は何か思い出したような顔をして、またお庄と一緒に歩いた。
 磯野がいろいろの女を知っていることが、お庄にも解って来た。
 部屋で机のなかから写真を出して見ていると、磯野は手切れまで取られて別れた一年前の女をまた憶い出した。そしてお庄の見ている傍で急に思い着いて手紙を書きはじめた。
「厭な人ね。」と、お庄は机の端に両肱《りょうひじ》をついて目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》っていたが、いきなり手を伸ばして巻紙を引っ褫《たく》った。
「何大丈夫だよ。どうしているかちょっと訊いて見るだけだ。」磯野はお庄を宥《なだ》めておいてまた手紙を書きはじめる。
 半分ほど書くと、お庄はまたべったり墨を塗った。
 女は手紙で呼び出されて、それから三度ばかり遊びに来た。二度目には自家《うち》で拵えた紙入れなどをお庄へ土産《みやげ》に持って来てくれて、二階で二、三時間ばかり遊んで帰って行った。女の父親は袋物の職人で、家は新右衛門町の裏店《うらだな》にあった。磯野の郷里の町へ旅芸者に出ていた時分からの馴染《なじ》みで、土地でしばらく一緒に暮したこともある。女は亡くなった磯野の父親の気に入りで、町でも評判のよい素人くさい芸者であった。
 磯野はその女を一、二度引っ張りまわすと、またふっつりと忘れてしまった。
 亡くなった叔母の弟が田舎へ帰省するときお庄はその男と約束しておいて、自分で路費を少しばかり拵えて、叔父にも母親にも秘《かく》して、磯野の田舎へ遊びに行った。叔父は海辺から帰って、また家にぶらぶらしていた。病気が快くなったとも思えなかったが、いくらか肉づきもよくなっていたし、色沢《いろつや》も出て元気づいていた。叔父は自分では肺尖加答児《はいせんカタル》だと称していた。
 狭い田舎の町では、お庄は姿《なり》が人の目に立って、長くもいられなかった。磯野とも一度|鰻屋《うなぎや》で二人一緒に飯を食ったきりで、三日目の午後には、もう利根川《とねがわ》の危い舟橋を渡って、独りで熊谷《くまがや》から汽車に乗った。
 停車場で買った五加棒《ごかぼう》などを土産に持って、お庄はその夕方に家へ帰った。
 帰って来たことが知れると、湯島の伯母がすぐにやって来た。
「お前まあ何てことをするだえ。」と、伯母は前から感づいていたお庄の不乱次《ふしだら》を言い立てた。
「田舎へでも知れて見ない。それこそ親類のいい顔汚《かおよご》しだぞえ。」
 叔父は傍に黙っていた。
「お安さあも、年中傍についていて、何をしているだい。」伯母は母親にも当り散らした。
 叔父と伯母とのあいだに、お庄を片着けるような家の詮索《せんさく》が始まった。伯母はその男との関係があまり縺《もつ》れて来ないうちに早くお庄の体を始末をしなければならぬことを主張した。
「やっぱり田舎がいいらと思うが――。」

     六十一

 お庄を田舎へ片着けるという話が、本家の従兄《いとこ》の出て来た時伯母の口からまた言い出された。
 叔父の知合いで、本家と同じ村から出た男に勧められて、石川島の廃《すた》れ株をうんと背負い込んだ従兄は、そのころ悩まされていた神経痛の療治かたがた株の配当を受け取りに出て来ていたが、そんな株に何の値打ちもないことが知れて来ると、急に落胆《がっかり》して毎日の病院通いも張合いが脱け、背《せなか》や腕にぴったり板を結び着けられた自由の利かぬ体を、二階の空間に蒲団を被《かぶ》って寝てばかりいた。
 株をすすめられた時、のぼせがちの従兄が親類の誰某《たれそれ》と仲違《なかたが》いまでして、二度も三度も田地を抵当に入れて、銀行から金を借りた事情を、母親も伝え聞いて知っていた。これまでに村の大火の火元をしたり、多勢の妹を片着けたりして、ようやく左前になりかけていた身上《しんしょう》を、従兄は盛り返そうとして気を燥《あせ》った。お庄母子兄弟のことも始終気にかけていた。
 峠を一つ越して十里ばかりかけ離れた親類の家に、ちょうどお庄の片着くような家が一軒あった。従兄はその家のことを話して母子の心持を確かめようとした。
 そこには家着きの娘に養子が貰ってあったが、この春その娘が死んだということや、病気は肺病だという評判もあったが、実際はそんな悪い病気でもなかったらしいということや、昔からの親類関係、人柄財産の高なども、従兄は詳しく話して聞かした。
「どうだお庄さん、行く気はないかい。」
 従兄はお庄親子と三人顔を突き合わしている時笑いながら言った。
「叔父さんの病気も、あの様子じゃどうも面白くないようだし、こうしていちゃだんだん究《つま》って来るばかりだで、少しでも物のあるうち片着いた方がよかないかい。」
 お庄はただ笑っていた。東京から離れるということを考えるだけでも厭な気がした。肺病で死んだ娘の後へ坐るのも薄気味が悪かった。磯野の産れ故郷で見せつけられて来たような百姓家で一生を送る人の惨《みじ》めさが、想いやられた。その町では、宿へ呼んでもらうような髪結一人なかった。
「どういうものだかね。」と、母親もお庄を手放したくはなかった。
「東京に育ったものには、百姓家にとても辛抱が出来まいらと思うが――。」
「百姓家だって、野良《のら》仕事をするようなこともないで。」
「それでも、やれ田の草取りだことの、やれ植えつけだことの、養蚕だことのと言って、ずぶ働かないでいるわけにも行かないでね。」
「そんなことくらい何でもないじゃないか。気に苦労がないだけでもいい。またあのくらいよく出来た養子もないものせえ。働くことも働くし姑も大事にする。」
 母親もお庄も、我《が》を張って断わることも出来ないと思った。
 お庄は日が暮れると、天神下にある磯野の叔父の家へ、時々訪ねて行った。以前はかなりの船持ちであったという磯野の叔父はもと妾であった女と一緒に、そのころそこに逼塞《ひっそく》していた。下谷で営《や》っていた待合も潰《つぶ》れて、人手に渡ってから、することもなく暮していた。
 お庄は夏の末に、また出て行くと言った磯野の言《ことば》を想い出しては、この叔父から、田舎の消息を聞き出そうとした。

     六十二

 お庄と母親とが障子張りをやっていると、そこへお増も来て手伝った。
 免状を取ると一緒になるはずの芳村が、学資の継続問題で、秋の末に郷里へ帰ってから、お増は始終ここへ入り浸っていた。四つも五つも年上のこの女に附き絡《まと》われるのをうるさがって、二階にいた中江という書生も、そのころはどこへか引っ越して行方《ゆくえ》が知れなかった。
 お増はお庄と一緒に、茶の間で障子を張りながら、自分の身の上のたよりないことを話した。お増は自分の親を知らなかった。浜町のある遊び人の家で育ったことだけは解っているが、そのほかのことは何にも知れていなかった。ようやく小学校を出た時分から男とと関係して、田舎の医師《いしゃ》のところへ縁づく前には、ある薪炭商《しんたんしょう》の隠居の世話になっていた。
「真実《ほんとう》に私ほど苦労したものはありませんよ。」と、お増は粗雑《ぞんざい》な障子の張り方をしながら、自分のことばかり語った。
「これで芳村がまた駄目となれア、私だって考えまさね。」
 お庄も母親も人のこととばかり聞き流してもいられなかった。
 奥では磯野が叔父と碁を打っていた。磯野がまた東京へ出て来たのは十一月の初旬で、お庄は叔父や母親に隠れて、時々叔父の家で逢っていた。問屋の方をすっかり封ぜられた磯野は、前のように外を遊び行《あ》るいていてばかりもいられなかった。碁敵《ごがたき》や話し相手に渇《かつ》えている叔父も、磯野の寄りついて来るのを、結句|悦《よろこ》んでいた。医師《いしゃ》の糾や繁三が来ると、すぐに石を消毒して、済んだあとでもまた自分の手を注意深く消毒するのが気にくわなかったが、それすら今はあまり相手をしてくれなくなった。
 障子張りが一ト片着き片着いてから、衆《みんな》は一緒に晩飯を食べた。お増は芳村のいない宿の部屋へ帰って、昨日から持越しの冷たい飯を独りで食べる気がしなかった。
「話を聞いてみれば、あの人だって可哀そうですよ、寄りつくところがないんですからね。」と、お庄は後でお増のことを噂した。
「一生懸命芳村さんに噛《かじ》りついていたって、その芳村さんがどうなるか知れやしない。」
 お庄はそう言いながら、奥の箪笥のうえに置かれた鏡の前に立って、髪を直していた。磯野とお増と三人で、晩に寄席に行く相談が、飯の時取り決められてあった。磯野はお増に寄席を強請《ねだ》られると、そのつもりで、飯が済んでからお増と一緒に、一旦帰って行った。
 お庄は顔も化粧《つく》り、着物も着替えて待っていたが、時計が七時を打っても八時を打っても誰も来なかった。お庄はじっとして落ち着いていられなかった。
 軒の外へ出て見ると、雨がしぶりしぶりと降り出している。お庄は出たり入ったりしていたが、待ちきれなくなって、傘《かさ》を持ち出して、つい近所のお増の宿の前まで様子を見に行った。
 お増の宿は、その番地の差配をしている家の奥の方の離房《はなれ》で、黒板塀《くろいたべい》の切り戸を押すと、狭い庭からその縁側へ上るようになっている。お庄はその切り戸の節穴から、そっと裏を覗《のぞ》いてみると、離房《はなれ》の方の板戸は、ぴったり締っていて、中に人気《ひとけ》もしなかった。お庄は急いで天神の通りの方へ出て行った。
 磯野の叔父の家では、やっと飯を済ましたところであった。叔父は茶の室《ま》の火鉢のところに胡坐《あぐら》を組んで、眼鏡をかけて新聞を見ていた。
 お庄は上《あが》り框《がまち》のところに膝を突いて、奥の方を覗き込んだが、磯野は三時ごろにぶらりと出て行ったきり、まだ帰っていなかった。
「私アまた庄ちゃんのとこだと思ったら、そいつアおかしいね。」叔父はそう言いながら、また新聞に目を移した。
 寄席へ入って行くと、目をきょろきょろさせながら、四下《あたり》を見廻しているお庄のすぐ目の前に、磯野とお増が狎《な》れ狎《な》れしげに肩を並べて坐っていた。

     六十三

 お庄はその側《なか》へ割り込んで行くことも出来なかったが、そのままそこを出る気にもなれなかった。幾度も声をかけようとしたが、咽喉《のど》が渇《かわ》きついているようで、声も出なかった。高座からは調子はずれの三味線の音ばかり耳について、二人並んだ芸人の顔なぞは、目にも入らなかった。二人は時々顔を見合って話をしていた。お庄はそのたびに胸がいらいらした。いつか番傘を借りて行ってから顔を覚えられてしまった、近所の折を拵える家の子息《むすこ》だという顎《あご》の長い中売りの男が、姿を見つけて茶を持って来ながら、
「お連れさんがそこへ来ていらっしゃいやすよ。」と言ってその顎を杓《しゃく》った。その時にお増が後を振り顧《かえ》った。磯野も振り顧った。
 お庄は明けてくれた磯野の右側の方へ座を移した。
「人を出し抜いたり何かして随分ね。私を誘うという約束だったじゃありませんか。」と、少し強《きつ》いような調子で言った。
 この前にも夜天神を散歩している時、お増は浮いた調子で磯野に歌を謳《うた》って聞かせたり、暗いところをしな垂《だ》れかかるようにして歩いていた。その時は男に媚《こ》びることに慣れている厭味なこの女のそうした癖だと思って見て見ぬ振りをしていたが、そうとばかりに澄ましていられなくなった。
「そういうわけじゃないのよお庄ちゃん。」とお増は小さい可愛い手頭《てさき》に摘んだ巻莨などを喫《ふか》して、「誘おうと思ったけれど、もう時間も遅かったしきっとお庄ちゃんが先へ来ているだろうと思ったのよ。決して出し抜いたわけじゃないんですから、どうぞ悪しからずね。」
 御簾《みす》がおりてからも、二人はしばらくそんなことを言い合った。
「まあいいじゃないか。己《おれ》が悪かったんだから。」と、磯野は制した。
 お庄は世間摺れのした年上の女に、そう突っかかって行くことも出来なかった。二人だけのおり、後で磯野に話をすれば筋道の解ることだとも思った。
 三人はもう落ち着いて高座へ耳を澄ましてもいられなかった。お庄は始終磯野に話しかけるお増の様子に気を配ることを怠らなかった。お庄を傍につけておいて、時々|謎《なぞ》のようなことを言い合っている二人の素振りには、ずうずうしいようなところがあった。
 中入り前に寄席を出ると、その足で蕎麦屋《そばや》へ入って、それから寒い通りを縺《もつ》れ合って歩いていた。蕎麦屋を出る時には、お庄の心も多少落ち着いていた。
「私のようなものでも、どうぞ姉と思って交際《つきあ》って頂戴ね。磯野さんにも、芳村の弟のつもりで、これから力になって戴《いただ》くことに私お願いしたんですからね。」と、お増は猪口《ちょく》を差しながらお庄に話しかけた。なにかにつけて源之助の仮声《こわいろ》ぶりを演《や》るその調子が、お庄の耳には舐《な》めつかれるようであった。
 帰りに磯野もお庄もお増の宿へ寄ることになった。六畳ばかりのその部屋はきちんと片着いていた。先刻《さっき》出て行ったままに、鏡立てなどが更紗《さらさ》の片《きれ》を被《か》けた芳村の小机の側に置かれて、女の脱棄てが、外から帰るとすぐ暖まれるように余熱《ほとぼり》のする土の安火《あんか》にかけてあった。
「私冷え性なものですから、安火がなくちゃどうしても寝つかれないの。」と、お増は中へ手を挿《さ》し入れて、火を掘《ほじ》くった。そしてそこから小さい火種を持ち出して、火鉢に火を興《おこ》しはじめた。長いあいだ慣らされて来たこの夫婦の切り詰めた世帯が、炭の注《つ》ぎ方にも思いやられた。田舎からの細い仕送りで、やっと図書館通いをしている芳村が、三度の食事を切り詰めても、傍に女がいなくては、一日も本を読んでいられないということを、お庄はお増から聞いて知っていた。
 口を窄《つぼ》めて火を吹いている、生《は》え際《ぎわ》の詰ったお増の老《ふ》けた顔を横から眺めながら、お庄は毎日弁当を持って図書館へ通っていた芳村の低い音声や、物優しい蒼い顔を想い出していた。脚気《かっけ》で悩んでいる時も、お増は男を低い自分の肩に寄りかからせながら、それでも図書館通いを続けさせていた。

     六十四

 三人で安火に当っているうちに、磯野は腹が痛むと言い出して、そこへ突っ伏した。お増は押入れから自分の着物を出して来て、背《せなか》へ被《か》けたり、火鉢の抽斗《ひきだし》から売薬を捜して飲ませたりしたが、磯野の腹痛は止まなかった。
「いけないわね。」と、お増は独りで気を揉《も》みながら、枕など持ち出して来て、
「気味が悪いでしょうけれども、少しそこにお寝《よ》っていらっしゃいよ。」
「あまり晩《おそ》くならないうちに、お庄ちゃんは一足先へお帰り。叔父さんが心配するといけませんよ。」と、大分経ってから、安火に逆上《のぼ》せたような赫《あか》い顔をあげながら磯野はいいつけるように言った。
「僕も少し治まったら、すぐ後から行って、叔父さんにお庄ちゃんを引っ張り出したお詫《わ》びをするからね。」
 お庄は二人の様子を見て見ぬ振りをして黙っていた。
「心配しなくたっていいのよお庄ちゃん。」と、お増も言い出した。
「磯野さんは私がきっとお預かりしてよ。家で病気が出たのですから、このまま帰しちゃ私も心持が悪いわ。」
「……大変ですね。」と、お庄は少し笑いつけるような調子で、「私そんなに心配なぞしやしませんよ。」
 お庄は途中まで出て行ったが、やっぱりその部屋のことが気にかかった。家へ帰ると、母親が一人火鉢のところに坐っていた。お庄はその側に寄って行くと、叔父のと決まっている座蒲団を側へ退《の》けて坐りながら、不興気に火を掻き廻していた。自分独りでは口上手のお増と喧嘩《けんか》をすることも出来なかった。磯野の気心も解らなかった。
「また喧嘩でもして来たろうえ。」と、母親は何を言いかけても、お庄がつんけんしているので、腹のなかでそうも思った。これまでにも、お庄は磯野とよく言合いをした。天神下の叔父の家で、友達と一所に酒を飲んで、それから一同《みんな》遊びに出かけようとしているところへ行き合わせた時も、外へ出てから雨のなかで喧嘩を始めて、傘で腕を撲《ぶ》たれたりした。女を引っ張り込んでいるところへ踏み込んで行ったこともあった。
 お庄は押入れから夜具を卸していながら、ぴしゃんと閉《た》てつけた戸と柱の間へ挟んだ指をなめながら、「お痛《い》た。」と大げさな声を立てて突っ立っていた。母親が戸締りをしてからそこへ寄って来た。
「外で気に喰わないことがあって、家でそうぷりぷりするものじゃないよ。手がどうかなたかえ。舐めてやろうかい。」と笑った。
「阿母さんに舐めてもらったってしようがないわ。」と、お庄は呟《つぶや》きながら、やっぱり突っ立っていた。胸がむしゃむしゃして、そのまま床に就く気もしなかった。
 臥《ね》てからも、お庄は始終外を通る人の跫音《あしおと》に気をいらいらさせた。
 翌朝床を離れて手洗《ちょうず》をすますと、お庄は急いで、お増の宿まで行って見たが、切り戸はまだ締っていた。隙間から覗くと、靴脱《くつぬ》ぎの上にあった下駄も取り込んだらしく、板戸もぴったり締って、日当りの悪い庭の、立枯れの鉢植えの菊などが目についた。差配の方の格子戸もまだ開かなかった。お庄はしばらくそこを彷徨《ぶらぶら》していた。
 昼少し前に、お庄が台所で飯の支度をしているところへ、磯野はぶらりとやって来た。そして奥で叔父や母親に調子を合わせて、何やら話し込んでいた。お庄はその顔を一目見たきりで口を利くことも出来なかった。
 飯の支度の出来た時分に、磯野は母親の止めるのも聞かずに、そわそわした風で帰って行った。
 お庄は目に涙をにじませながら、台所の方から出て来ると、「昨夜《ゆうべ》のことどうしたんです。」と出口で外套《がいとう》を着かけている磯野に声かけた。
「どうもしやしないよ。」と、磯野はにやにや笑いながら、「後で遊びにおいで」と言って出て行った。

     六十五

 田舎にいる芳村のもとへ、友達がそっと電報を打ってやった時分には、磯野は公然《おおぴら》にお増の部屋に入り込んでいた。
 糺や芳村の友達仲間に後援《あとおし》をされて、ある晩お庄が磯野を連れ出しに行った時、お増はちょうど餅を切っていた。磯野も褞袍《どてら》などを着込んで、火鉢の前に構え込んでいた。その前にも、お庄は天神の年の市に二人一緒に歩いているところを人中で見つけて、一度お増に突っかかって行った。
「あなたも何か悪いことがあるから、家へ寄っ着かないんでしょう。私ちゃんと知っていますよ。随分ひどい人ね。」とお庄は暗いところで、磯野に厭味を言ってからお増を詰《なじ》った。
「お庄ちゃん、あなたにはすまないが、お察しの通りよ。」とお増は磯野を庇護《かば》うようにして落ち着きはらっていた。
「こうなれば、意地にも磯野さんは私が一緒になって見せますよ。お気の毒ですけれど、まあそう思ってもらいましょうよ。」お増は仮声《こわいろ》のような調子で言った。
「しかたがないから磯野さんも、お庄ちゃんにきっぱりした挨拶をして下さい。」
「そんなことを言うもんじゃないよ。ここで逢ったんだから、とにかく一緒に歩こう。」と、磯野は二人を明るい方へ連れ出して行った。
 それからも逢って、話をするような折もなかった。
 お庄は夜になると、よく一人で家を脱け出して、お増の部屋の切り戸の外に立ち尽していた。
「お前が騒ぐからなおいけない。」と、母親はたしなめたが、お庄はそっとしておけなかった。
 糺や芳村の友達が集まって、そんな相談をしている時も、叔父は棄ておく方がいいと言って、傍で笑っていたが、一同はお庄を連れて押しかけて行った。
「誰の許しであなたは人の家へなんか入って来ました。家宅侵入罪ですよ。」と、お増はこわい目をして、磯野を外へ連れ出すつもりで、独りで入り込んで行ったお庄を睨《ね》めつけながら呶鳴《どな》った。
「いいじゃありませんか。私は磯野さんに用事があって来たんですから。あなたこそ誰に断わって磯野さんなどをこんなところへ引っ張り込んでいるんです。」
「引っ張り込もうとどうしようと私の勝手ですよ。そのために、あなたにもお断わりしたんじゃありませんか。」
「いいえ、私はまだ磯野の口から、一言も断わりを言われたことはありません。あなただって、芳村さんという人があるじゃありませんか、あんまりずうずうしいことをなさると私がいいつけてやるからいい。」
「ええいいんですとも。芳村が帰って来たって、私逃げも隠れもするじゃありません。よけいな心配などして頂かなくとも、私が綺麗に話をつけて別れますよ。憚《はばか》りながら、そんな意気地のないお増じゃありませんよ。」
 二女《ふたり》は長い間、凄《すご》い勢いで言い合った。傍で制する磯野の語《ことば》も耳に入らなかった。
「あなたになぞ係り合っていませんよ。」と、お庄は終《しま》いに磯野の方へ向いて、
「磯野さん、ちょっとそこまで私と一緒に来て頂戴。」
「お気の毒ですが行きゃしませんよ。磯野は私の良人《おっと》です。」
 お庄は糺や友達に呼び出されて、そのまま引き取った。田舎から出て来た芳村は、上野へ着くとすぐその足でお庄の家へやって来た。友達からの報知《しらせ》を受け取った時、芳村は何のこととも想像がつかなかったが、すぐ宿へ乗り込むのは不得策だということだけは、電文にも書き入れてあった。
 一同《みんな》から事情を聞いてから、芳村は自分の宿へ帰って行った。

     六十六

 その晩芳村は行ききりであったが、お増と綺麗に手を切ったことは、翌朝芳村が友達のところへやって来てから、やっと解った。そのことを話しに二人はお庄のところへもやって来た。
 芳村は旅の疲労《つかれ》やら、昨夜《ゆうべ》の騒ぎやらでめっきり顔に窶《やつ》れが見えた。今朝友達の宿で飲んだ酒の気もまだ残っていた。
「それにしても可哀そうな女です。彼《あれ》自身も思い設けない結果になってしまって――。」と、芳村はまだ女の心持を愍《あわれ》んでいた。
「それにしても随分ずうずうしいやね。」と、友達は芳村から聞いた昨夜《ゆうべ》の事情を、お庄や母親の前で話した。磯野とお増とが、芳村の顔を見ると、いきなり二人がそうなった動機を話して、芳村にも同情してくれろと言ったことや、お増が部屋にあったいろいろの世帯道具や夜の物、行李《こうり》のなかの芳村の持物までを強請《ねだ》って、おおかた|浚《さら》って行ったことなどが、憎さげに話し出された。
「それで磯野と一緒に出て行ったんですか。」と、お庄はあの部屋を出て行った二人の様子を心に描いた。
「それでも出て行くとなれば、あまりいい心持はしなかったろうがね。」と母親も傍から口を利いた。
「今度こそは、意地にも添い通して見せるなんて言って出ては行きましたがね、長持ちがするかどうかは疑問ですよ。」と言って、淋しく笑っている芳村の顔では、女がまた自分の懐に復《かえ》って来る時が、きっとあるものと信じているらしかった。
「どうせ一人を守っちゃいられない女なんだからね。」友達が言った。
「そうなんでしょうね。あの人は私の聞いているだけでも、随分いろいろの人を知っていましたからね。」と、お庄も芳村の心をもどかしく思った。
 二階に寝ていた叔父が起きて来てから、芳村は昨夜《ゆうべ》托《あず》けておいた鞄を提げ出して、やがて友達と一緒に帰って行った。叔父は淋しい朝飯の膳に向いながら、母子《おやこ》がしている磯野らの噂に耳を傾《かし》げていた。
「お庄も、築地にいる時分にどこかへ片着けておくだったい。」と、母親はお庄の厭がる弟の給仕をしながら、以前のことを思い出していた。運の向きかけて来てから、まだまだ前途があるように言っていた弟が、こんなにばたばたと息ついて来ようとは思わなかった。
 お庄はすることが手に着かなかった。縫直しに取りかかろうとしていた春着の襦袢《じゅばん》なども、染物屋から色揚げが届いたばかりで、この四、五日のどさくさ紛れに、まだ押入れへ突っ込んだままであった。ひとしきり自分の体に着くものと決まっていた数ある衣類も、叔父に言われて、世帯の足しに大方|余所《よそ》へ持ち出してしまった。磯野が時に工面《くめん》に行き詰ったおりおり、母親に秘密で、二人でそっと持ち出して行った品も少くなかった。今度磯野に逢ったら、せめてそれだけでも取り返す工夫をしなければならぬとも考えた。
 天神下の叔父の家の二階に潜伏《しゃが》んでいる磯野とお増のことが、時々思い出された。お庄は明りがつく時分になると、天神の境内から男坂の方へ降りて行った。どの町を歩いても、軒ごとに門松や輪飾りが綺麗に出来|揚《あが》って、新しい春がもう来たようであった。羽子板を突いている少《わか》い娘たちの顔にも待ち遠しい色があった。
 お庄は淋しい男坂を、また一人で登って来た。
「お庄も、ああしてうっちゃっておいちゃ悪いがな。」と、湯島の伯母が、蔭で気を揉んだ。

     六十七

 お庄が下谷《したや》の方のある眼鏡屋の子息《むすこ》と見合いをさせられることになったのは、一月の末であった。その眼鏡屋を、湯島の伯母の家主が懇意にしていた。家主が以前下谷で瀬戸物屋をしていた時分からの知合いで、今茲《ことし》二十四になった子息《むすこ》のこともよく解っていた。
 お庄は伯母の家で、時々この家主の家の娘と顔を合わして双方が知っていた。娘はもう三十歳《さんじゅう》余りで、出戻りであったが、瀬戸物屋をしまってから、湯島の方へ引っ越して来た。母子二人きりで質素に暮し、田舎へ小金を廻しなどしていた。五、六軒ある借家の家賃の額も少くなかった。娘は名の聞えた呑んだくれの洋画家に縁づいていたが、父親が死ぬ前に、病気の見舞いに来ていて、父の遺言でそれきり帰らずじまいになっていた。
 伯母とこの家とは、大屋と店子《たなこ》との関係以上の親しみがあった。瀬戸物屋などしている時分から界隈《かいわい》に美人の評判が高かったその娘は、糺を弟のように可愛がっていた。
「東京で開業なさるなら、資本ぐらいは家でどうにかしますよ。」と、その娘は伯母の前にも公然《おおぴら》に言っていた。
 糺が田舎の身内続きのある医者の家を継がなければならぬことになってからも、この交際は続いていた。そのころには、画家から籍を取り復《かえ》されて、娘に養子が迎えられた。
 この女が、母子《おやこ》と一所にあり余る財産を持っていながら、いつも着物らしい着物を引っ張っていたこともなく、顔には白粉一つ塗らずに、克明な姿《なり》をして、家賃を取り立てて歩いているのがお庄には不思議なようであった。惰《なま》けものの美術家に縁づいて、若い盛りを嫌《いや》な借金取りのいいわけに過して来た話を、お庄は時々この女の口から聞かされた。
 この家へ、糺や繁三と一緒に、正月カルタを取りに行った時、女はしみじみした調子でお庄に縁談を勧めた。 
「どこか堅いところへ速くお片着きなさい。やっぱり商売屋がいいんですよ。商いは何といっても強《つよ》ござんすからね。」
 女は父親の死ぬ間際に、質に入っている着物が出せなくて、見舞いに来ることも出来ずにいた時の切なかったことなどを、また新しく語りだした。昼間うるさく借金取りに襲われる画家は、夜戸締りをしてから、やっと落ち着いて画板に向うことが出来た。幾晩もかかってその絵が出来揚ってから、久しぶりでようやく父親を見舞ったころには、病勢がもうよほど進んでいた。女の体は、それきり実家に押えられてしまった。
 眼鏡屋の話は、その晩も母子の口から言い出された。そこはかなりに古い店で、財産と言うほどのものもないけれど、子息《むすこ》は小さい時から大事にして育ててあったから、世間摺れのしているようなこともないし、母親は少しは芸事なども出来て、気爽《きさく》な女だから、そんなに窮屈な家ではなかろうということであった。
 磯野との関係を深くも知らないこの母子の前で、お庄は応答《うけこたえ》のしようもなかった。纏《まと》まって何一つ|躾《しつ》けられたことのない体で、そんな母子のなかへ入って、日が暮せそうにも思えなかった。
 その子息《むすこ》が、遊びに来ている時、お庄は迎えを受けて、湯島の伯母に連れられてしょうことなしに出て行った。
「あらたまった姿《なり》をして行くには及ばんで、羽織でも一枚上へ引っ被《か》けて……。」と、母親と二人、支度でごたごたしている奥の方へ伯母が声をかけた。
 子息《むすこ》は茶の室《ま》の火鉢のところに坐って、老母《としより》と茶を呑んでいた。撫《な》で肩の男の後姿が、上り口の障子の腰硝子から覗くお庄の目についた。同時に振り顧った男ののっぺりした色白の細面《ほそおもて》も、ちらと目に入った。
 裏口の方へ廻されたが、お庄はそこからも入り得ずにやがて逃げて帰った。

     六十八

 春の末に郊外のある町へ片づいて行くまで、お庄は家にぶらぶらしていた。
 その町は飯田町《いいだまち》から汽車で行って、一時間ばかりの道程《みちのり》であった。家は古い料理屋で、東京から西新井《にしあらい》の薬師やお祖師様へ参詣《さんけい》する人たちの立ち寄って飲食する場所であったが、土地の客も少くなかった。中野の方の電信隊へ勤める将校連も、時々来ては騒いだ。
 四ツ谷に縁づいている父方の従姉《あね》の家へ出入りしている男が、その家をよく知っていたところから、大蔵省へ出ている従姉《あね》の良人と叔父との間にそんな話が纏まることになった。
 それまでに、お庄は二度も三度も四ツ谷の従姉《あね》の家へ遊びにやらされた。従姉《あね》の家とは長いあいだ打ち絶えていた。互に居所も知らずにいたのが、この三月ごろ田舎から出て来た人の口から、ふとその消息を聴くことが出来た。古いころの早稲田を出たというその良人の浅山は、ある会社の外国支店長をしている自分の姉の添合《つれあ》いの家宅《やしき》の門内にある小さい家に住まっていた。家には、幼い時に二度逢ったきりで、顔も覚えていない従姉《あね》の母親も一緒にいた。
 媒介人《なこうど》はそこでお庄を見てから、思いついて双方へ口を利くことになった。
 先方の家の母親だという、四十四、五の女が、媒介人《なこうど》と一緒にお庄を見に来たとき、お庄は浅山の晩酌の世話をしていた。下《しも》の病気で始終悩まされていた従姉《あね》は、頭が痛むと言って奥で臥《ふ》せっていた。
 むかし品川で芸者をしていたとかいうその母親は、体の小肥《ぶと》りに肥った、目容《めつき》に愛嬌《あいきょう》のある鼻の低い婆さんであった。半衿のかかった軟かい着物のうえに、小紋の羽織などを抜き衣紋《えもん》にして、浅山が差してくれる猪口を両手に受けなどして、お庄にもお愛想を言っていた。
 お庄も酒の酌をしながら、この婆さんの気質を知ろうとして、時々顔色を見ていた。
「家は別にむずかしいことはございません。お爺さんはもうごく気のいい人ですし、私もこれっきりの人間なのですから、ただ子息《むすこ》のお守りをしてもらいさえすればそれでいいのです。」と、母親は帰りがけに、ずっと打ち釈《と》けたような調子で、猪口を浅山にさしながら言った。
 少年のような顔をした浅山は、ぐずりぐずりした調子で、媒介人《なこうど》とこの婆さんとを相手に、ちびちびいつまでも後を引いていた。そして時々お庄の失笑《ふきだ》すような笑談口《じょうだんぐち》を利いた。お庄は奥の方へ逃げ込んで行った。
 母親の話では、嫁がうまく落ち着いてくれて、銭遣いの荒い子息《むすこ》がそれで締ってくれさえすれば、自分ら夫婦は早晩商売を若夫婦に譲り渡して、この春建てた裏の離房《はなれ》へ別居してしまいたいということであった。自分が来て世話を焼くようになってから、メキメキ商売が繁昌《はんじょう》するようになったという自慢話も出ていた。
 婆さんが媒介人《なこうど》と一緒に、いい機嫌で帰って行ってから、従姉《あね》は鬱陶《うっとう》しい顔をして、茶の室《ま》へ出て来た。浅山は手酌で、まだそこに飲んでいた。
「どうだお庄さん行って見るかね。己《おれ》のような安官員のところなぞへ行って、年中ぴいぴいしてるよりか、どのくらい気が利いているか知れないよ。」浅山は景気づいて言い出した。浅山がなにかにつけて、始終|実姉《あね》の家の厄介《やっかい》になっていることは、お庄も従姉《あね》の愚痴談《ぐちばなし》で知っていた。
「腰弁当こそ駄目よ。」と、従姉《あね》もそうけ立った頭髪《あたま》を押えながら呟いた。
「お庄の前祝いに、私も一つ頂きましょうかね。」と、酒ずきな伯母が傍から浅山に猪口を催促した。
 お庄は伯母にも愛想よく酌をしてやったが、まだそこまで気が進んでいなかった。

     六十九

 婚礼の日にも、お庄は母親と一緒に、昼間から従姉《あね》の家に行っていて、そこから媒介人《なこうど》夫婦と浅山夫婦とが附いて行くことになった。
 四ツ谷から汽車に乗ったのは、その日の夕暮れであった。線路沿いの濠端《ほりばた》には葉桜ばかりが残っていて、暗い客車の窓には若葉の影が流れた。お庄はもうそんな時節かと思って、初めてそこらを見廻した。先が急いでいたのに叔父の手もとが苦しく、持っている物も、その日の間に合わすことも出来なかった。じみな色合いの紋附の上に、衿の型の少し古くなったコートを着て、手に指環一つないのが心淋しかった。
 お庄は二、三日前に受け取った磯野の手紙のことなどを想い出していた。その手紙には磯野から折れてこの間のことを詫びた文句などが書いてあった。磯野が後悔していることは、その手紙でも解ったが、そんなことは他の女に対しても、これまでないことではなかった。お庄は体が忙《せわ》しかったので、その返辞を書く隙《ひま》すらなかった。これぎり手紙のやり取りをする時がありそうにも思えなかった。
 停車場へ着くと、提灯《ちょうちん》を持った男が十人余り出迎えていた。法被《はつぴ》を着た男や、縞《しま》の羽織に尻端折《しりはしょ》りをして、靴をはいた男などがいた。中には羽織袴《はおりはかま》の人もあった。
「どうも御苦労さまで……。」という挨拶が、双方から取り交された。
 その家は停車場から五、六町も隔たった通りにあった。暗い町中にはところどころに人立ちがしていた。広い空地に集《つど》うている子守の哀れな声で謳《うた》う唄《うた》の節が、胸に染みるようであった。お庄らの入って行ったところは、近ごろの普請と思われる扉《とびら》のある新しい門口で、そこを潜《くぐ》ると、木立ちを切り拓《ひら》いて作ったような、まだ落着きのない山ばかりの庭を通って、橋廊下で繋《つな》がれた一棟の建物の座敷の縁側へ出るように、飛び石が置いてあった。池の縁には松の葉蔭に燈籠《とうろう》の灯が見えなどした。
 お庄らの上って行った部屋は、六畳ばかりの小間《こま》であった。浅山も媒介人《なこうど》も、インバネスを脱ぎ棄て、縁側から上って行くと、やがていろいろの人がそこへ顔を出した。老人《としより》夫婦もちょっと来て挨拶をして行った。
 店の方で、何やらごたごたしている様子が、こっちへも解った。お庄が女中に頼んで、そこへ鏡台を持って来てもらって、顔を直したり、衣紋を繕ったりしている間に、媒介人《なこうど》は二度も三度も、店の方へ呼ばれて行った。
「困ったな。」と、媒介人《なこうど》は部屋へ復《かえ》ってくると、入口でそっと浅山に耳打ちをした。一行が乗り込んで来る二、三時間前に、ぶらりと店頭《みせさき》から出て行ったきり、子息《むすこ》の姿が見えないと言うのであった。
「どうしたというんだ。肝腎のお婿さんの行方が知れないなぞは少しおかしいね。」とチョッキの間ぬけて衿の濶《ひろ》いフロックを着けて坐り込んでいた浅山は、興のさめたような顔をして、薄い口髭《くちひげ》を捻《ひね》っていた。
 頭の地の透き透きになった、色の黒い大柄の媒介人《なこうど》は、落着きのない顔を顰《しか》めてまた母屋《もや》の方へ渡って行った。
 二十二になる新婿《にいむこ》が、床前《とこまえ》に伏目がちに坐っている嫁の側へ押し据えられたのは大分経ってからであった。お庄はその顔を見ることすら出来なかったが、べろべろに酔っていることだけは、媒介人《なこうど》に引っ張られて入って来た時の様子でも解った。並みはずれに身長《たけ》の詰ったじくじくした体や色の蒼白い細面なども、坐る時薄々目に入った。
 親戚たちの挨拶が長く続いた。
 燭台《しょくだい》の火が目にちらつくようで、見まいとしている婿の姿が、横からまた目に映った。
 盃《さかずき》の時、骨細い婿の手が、ぶるぶる顫《ふる》えていた。

     七十

 翌朝お庄が目を覚ました時分は、屋内《やうち》がまだひっそりしていたが、立て廻した屏風《びょうぶ》の外の日影は闌《た》けていた。昨夜《ゆうべ》は寝室《ねま》へ退《ひ》けてからも、衆《みんな》はいつまでも騒いでいた。終《しま》いにはお袋の三味線などが持ち出された。汽車の間に合わなくなって、東京へ帰れなかった連中もあった。意地の汚い浅山も酔い潰れて、次の室《ま》に衆《みんな》と一緒にごろ寝をすることになった。そんな人たちの疲れた寝息や鼾《いびき》が、こっちまでも聞えた。
 子息《むすこ》の芳太郎《よしたろう》は、蒲団の外へ辷《すべ》り出したまま、まだ深い眠りに沈んでいた。角刈りにした頭の地も綺麗で、顔立ちも優しい方であったが、手足の筋肉がこちこちと硬かった。時々板前をやると見えて、どこか腥《なまぐさ》い臭《にお》いのするのも胸につかえるようであった。お庄は明け方までおちおち眠ることが出来なかった。
 芳太郎の口から聞かされる家の様子の、お袋の話と違ったところのあることが、じきにお庄にも感づけた。盃をする間際《まぎわ》に、近所の飲み屋で酒を呷《あお》っていたのも、衆《みんな》が揶揄《からか》っていたように、きまりの悪いせいばかりとも思えなかった。芳太郎の父親が死んでから、父親の生きているうちに外妾《めかけ》から後妻に直ったお袋が、引っ張り込んで来た今の親父を、始終不快に思っている芳太郎の心持も呑み込めた。親父には、牛込にいる女房も子もあった。実の父親が逐《お》い出した芳太郎の母親は、長いあいだ田舎の方を流れ歩いて、今は消息も絶えていた。
「お前も、あの親父にいびられることくらいは覚悟していなくちゃ駄目だよ。」少し口がほぐれてきた時分に、芳太郎はそう言って狎《な》れ狎《な》れしげに、酒くさい息を吐《ふ》きかけた。
 お庄はそんなことを憶い出しながら急いで床を離れると、屏風の外で着物を着換えて部屋を出た。
 橋廊下から母屋《もや》の方の台所へ出て行くと、年増《としま》のと少《わか》いのと、女中が二人で昨夜《ゆうべ》の膳椀や皿小鉢の始末をしていた。筒袖《つつそで》に三尺を締めて、土間を掃《は》いている男衆の姿も目に着いた。
 従姉《あね》が起きて来た時分には、母屋の方の座敷も綺麗に掃除が出来て、麗《うらら》かな日影が畳のうえまで漂ういていた。床の間には、赤々した大きい花瓶に八重桜《やえざくら》が活けられて、庭のはずれの崕《がけ》からは鶯《うぐいす》の声などが聞えた。
 二人で縁端《えんばた》に坐っていると、女中が蒲団を持って来たり、朝茶や梅干《うめぼし》を運んだりした。
「花の時分は随分忙がしござんしたよ。小金井ももう駄目でしょうよ。」と、女中は茶を汲《く》みながら、お庄の顔をじろじろ見た。
「姐《ねえ》さんはどこ……。」などと、従姉《あね》は珍しそうに女中の相手になって、離房《はなれ》の普請を賞めなどした。
「私もこれからちょいちょい寄せてもらいましょう。こんなところで一日も遊ばしてもらえると、どんなに気が晴れ晴れするか知れやしない。」
「ええ、東京から皆さん随分いらッしゃいますよ。」
 媒介人《なこうど》や浅山の起き出した時分に、また迎え酒が始まった。昨夜《ゆうべ》店の方に構え込んでいて、あまり座敷へ顔出しをしなかった親父も、そこへ来て一緒に飲んだ。お庄は従姉《あね》と一緒に、離房《はなれ》の方の二階座敷へ上って見たり、庭を逍遥《ぶらつ》いたりした。
 芳太郎のことが、従姉《あね》の口からいろいろ訊《たず》ねられた。
「この家で衆《みんな》に思わるれば、お庄さんも幸福《しあわせ》だよ。婿さんは若くて幼《うぶ》だし、物はあるしさ。」と、従姉《あね》は手擦《てす》りに凭《もた》れていながらうらやましそうに言った。
 お庄は男の無作法さが腹立たしかった。「あまりそうでなさそうなの。家も随分ごたごたしているようですよ。」お庄は赧《あか》らんだ顔に淋しく笑った。

     七十一

 躑躅《つつじ》の時分に一度ここへ寄って、半日ばかり遊んで行った外神田の洋服屋だとかいう男が、どこかの帰りに友達を一人連れて来て、新建ちの方の座敷で、女中を相手に無駄口を利きながら酒を飲んでいた。そこへお庄も酌に出された。
 来た当座|丸髷《まるまげ》に結って、赤い手絡《てがら》などをかけているのが、始終帳場に頑張っている親父の気に入らないことが、素振りでも解って来た。そんなことを口へ出して言うこともあった。
「こんな客商売をする家へ来たら、お前もちっと気を利かさなくちゃいけないよ。」
 お庄はお袋の指図で、浅草にいたころ挿したような黄楊《つげ》の櫛《くし》などを、前髪を広く取った島田髷の頭髪《あたま》に挿さされた。そして手の足りない時は、座敷へ出て客の相手をもしなければならなかった。
「あんたはここの家の何です。」と言って客に訊《き》かれると、お庄はいつも曖昧《あいまい》な返事をして笑っているのが切なかった。お袋に教わった通りに、ここの養女だということが、慣れて来るまでは口へ出なかった。
 親父もお袋も、血を引いていない子息《むすこ》の芳太郎のことをあまり気にかけてもいなかった。芳太郎の生みの母親が、いつかどこからか帰って来はしないかということも、始終|気遣《きづか》われた。この家を芳太郎に譲れば、自分たちはやがてここから逐い出されて行かなければならぬようなことがないとも限らぬと不安のある様子も、お庄の心に感じられて来た。
 お袋は土間へ降りてビールや正宗の空罎《あきびん》を、物置へしまい込んでいるお庄の側へ来て、
「こんな物は皆なお前にあげるよ。三月も溜めておいちゃ空罎屋へ売るんですがね、どうして大きいものですよ。お前はそのお鳥目《あし》を自分のものにして除《の》けておおきよ。これまでは芳の儲《もう》けにしておいたけれど、彼《あれ》にやったって皆な飲んでしまうから何にもなりゃしない。」と言って、薄暗い物置の中を窺《のぞ》いていた。
 お袋は、これまでに骨折って、幼《ちいさ》い芳太郎を育てて来ても、芳太郎の頭脳《あたま》にはまだ田舎にいる母親のことが、時々憶い出されているということや、今の親父と折合いの悪いことなどを言い出して零《こぼ》した。お袋の口ではこの界隈で顔利きの親父が、帳場にでも坐っていてくれなければ、一日もこんな商売がして行かれないということであった。
「それでお前さえ柔順《おとな》しく辛抱してくれれば、私は何でもして上げるよ。芳太郎が厭なら厭でもいいのさ。彼《あれ》に身上を配《わ》けて別家さして、お前に他から養子をしたっていいんですからね。」
 お庄は空罎の積みの前に立って、「え、え。」と言って聴いていたが、ぽつぽつ痘痕《あばた》のような穴のあるお袋の顔が、薄気味わるく眺められた。四、五日前に、親父がどこからか、延べの指環を一つ持って来てくれた時も、同じようなことを聴かされた。相談ずくで、自分を店の売り物にしようとしているような二人の心持が、ようやく見えて来たようにも思えた。
 洋服屋が前に来て騒いだ時も、お庄は着物など着替えさせられて、座敷へ出された。その男は酒に酔うと浮かれて唄《うた》など謳《うた》い出した。そして帰りがけに、衣兜《かくし》から名刺を取り出して、お庄にくれた。名刺には高等洋服店|何某《なんのなにがし》と記してあった。
 洋服屋は、今日もお袋にちやほやされて、養女のお庄を相手に騒いでいた。お庄は銚子《ちょうし》を持って母屋《もや》の方へ来たきり、しばらく顔出しをしずにいると、また呼び立てられて、離房《はなれ》の方へ出て行った。
「お客さまの前へはあまり出さないことにしておりますものですから……。」と、お袋はお愛想を言いながら、入れ替りに部屋を出た。

     七十二

 暮れてから客が引き揚げて行くと、家が急に淋しくなった。お庄も強いられた酒の酔いがさめかかって来た。取り散らかった座敷を片着けている女中を手伝いがてら、二階へ上って手擦りに凭《よ》りかかっていると、裏の田圃《たんぼ》で啼《な》き立てている蛙《かえる》の声が耳について、頭脳《あたま》が掻き乱されるようであった。いつもそのころになると、お庄は東京を憶い出していた。
 ここへ来る少し前に、茨城の方から叔父のところへ長い手紙をよこしたお照のことなどが、思い浮べられた。叔父が悪い病気に罹《かか》ってからも、一日も傍を離れなかったお照は、田舎から持って来た着物までなくして、終《しま》いにやりきれなくなって、姿を隠してしまった。それが茨城まで流れて行ったことは、叔父も知らなかった。手紙には相変らず狂気《きちがい》じみた文句ばかり並べてあったが、何をして暮しているかということを考えると、人事のようにも思えなかった。 
 女たちは、そこに置き忘れて行った敷島を吸いながら、客の品評《しなさだめ》などをし合っていた。この女たちも方々を渉《わた》り歩いて、いろいろの男を知っていた。いつもよく来る中野の隊の方の、若い将校連の風評《うわさ》なども出た。
 こんな連中にも評判のいい洋服屋の様子は、お庄にも悪くはなかった。男はお庄に東京へ出たら、是非店へ遊びに来いと言って、そこを委《くわ》しく教えてくれた。お庄のこともいろいろ聞きたがった。お庄は女たちにそのことをいろいろ言われた。
「私はあんなのッぺりしたような人嫌いですよ。」と、お庄は顔を背向《そむ》けながら言った。
「それでも家の芳ちゃんよりかもいいでしょう。」と、年増の方の女は、そこにべッたり坐っていた。
「芳ちゃんも可哀そうね。」と、若い方の女は、餉台《ちゃぶだい》の上を拭きながら呟いた。
 八時ごろに、お庄はお袋に断わって、ちょっと四ツ谷まで出かけた。何だか今夜は家にじッとしてもいられなかった。
 停車場まで来ると、前の床屋で将棋仲間に加わっていた芳太郎が、すぐにお庄の姿を見つけた。お庄が客の前へ出るのを、芳太郎は快く思わなかった。そんな時にはきっと料理場で菰冠《こもかぶ》りの飲口を抜いてコップで酒を呷《あお》ったり、お袋に突っかかったりした。そうしたあげくに、金を掴《つか》みだして、ぷいと家を飛び出して行った。手近に金のない時は、板片《いたぎれ》の端に黐《もち》をつけて、銭函《ぜにばこ》の中から銀貨を釣り出した。
「家のものは皆な己《おれ》のものだ。己の物を己が持ち出すに不思議はない。」
 芳太郎はこう言って、銭函の前に、どかりと胡坐《あぐら》をかきながら、銀貨の勘定をしていた。
「それが厭なら、身上を速く己に渡すがいいんだ。」と、駄々を捏《こ》ねた。
 親父は苦い顔をして、帳場の方で見ぬ振りをしていた。
「誰がこの身上を作ったとお思いだい。莫迦《ばか》お言いでないよ。」と、お袋はたしなめたが、強いて止めることも出来なかった。お庄が来る少し前に、親子の間《なか》が揉《も》めてしばらく家を出ていた親父を、また引っ張り込もうとして大喧嘩をした時、外から食《くら》い酔って帰って来た芳太郎に、刃物を振り廻されたことが、お袋にも気味が悪かった。
 芳太郎は金を持ち出して行くと、宿《しゅく》の方へ入り浸って、二日も三日も帰らなかった。お庄が来てからも、新婦《にいよめ》の仕打ちに癇癪《かんしゃく》を起して、夜中に家を飛び出すこともめずらしくなかった。
 お庄はぷりぷりして出て行く芳太郎を送り出すと、そっと戸締りをして、また寝所《ねどこ》へ復《かえ》った。そして楽々と手足を伸ばして甘い眠りに沈むのであった。
「おいおい。」
 床屋の店から、芳太郎が声をかけた。お庄は黙って行き過ぎようとした。

     七十三

「おい、お前どこへ行く。」と、芳太郎は後から追いかけて来た。
「四ツ谷の従姉《ねえ》さんのとこまで行って来ますの。」と、お庄は振り顧りながら言った。
「何しに行くんだい。」芳太郎は釈《と》けかかった太い白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》をぐるぐる捲《ま》きつけながら、「お前今夜は帰りゃしないんだろう。己も一緒に行こう。」
「人に嗤《わら》われますよ。」と、お庄は後歯《あとば》の下駄を鳴らしながら、停車場へ入って行った。
 お庄が切符を買うと、芳太郎も鰐口《がまぐち》から金を出して同じように四ツ谷行きを買った。
「一緒に行ったり何かして、後で叱《しか》られてもいいんですか。」お庄は念を押しながら埒《らち》の外へ出て行った。
 お庄は内密《ないしょ》で、従姉《あね》にいろいろ話したいこともあった。この前にもちょっと従姉《あね》の耳へ入れておいた家の様子や自分の立場について、媒介人《なこうど》の利いた口と大した相違のあることを、今一度委しく話して見たかった。
「いいんだよ。」と、芳太郎は耳に挟んでいた両切りの莨に火を点《つ》けて吸いながら、お庄の傍を離れなかった。帽子も冠《かぶ》らない顔が蒼白く、目の色も澱《おど》んでいる。二人はこのごろ、ろくろく話をするような折もなかった。芳太郎は昼間も酒の気を絶やさず、夜はまたふらふらとそこらをほつき廻り、友達と一緒に宿場を騒《ぞめ》き歩いた。
 お庄は時々お袋からいいつかって、心の荒びたような男の機嫌をも取らなければならなかった。
 座敷の閑《ひま》な時は、お庄も寄りついて来る芳太郎と一緒にたまには打ち釈《と》けた話をすることもあった。隠し立てのない芳太郎の口から、お袋や親父の噂を聞き出すのも興味があったし、芳太郎の関係した女のことを知るのも面白かった。
「お前が出て行けア、己だって家にアいねえ。」と、芳太郎は駄々《だだ》ッ児《こ》のように言い出した。
 そんなところを見つけると、お袋はすぐに厭な顔をした。
「ふざけていちゃいけないよ。」と、お袋は呶鳴《どな》りつけて、お庄に用事をいいつけた。
 酒で頭脳《あたま》の爛《ただ》れたようになっている芳太郎は、汽車のなかでも、始終いらいらしていた。そして時々独り語《ごと》のような棄て鉢を言った。金を掻《か》っ浚《さら》って家を逃げ出してくれるとか、お袋を撲《なぐ》り殺して高飛びをするとか、そんなことをすらお庄の耳元で口走った。これまでにも、酔って正体がなくなると、芳太郎は、時々そうした口吻《くちぶり》を洩らした。
 お庄は暗い窓の外を眺めながら、顔に笑っていた。
 新宿まで来た時、お庄はとうとう一緒に降りることにした。そうでもしなければ、男を撒《ま》くことが出来ないと考えた。
 停車場を出ると、二人は並んで暗い片側町を歩いていた。芳太郎は時々|気狂《きちがい》の発作のように、お庄の手を引っ張って、明りの差さない草ッ原に連れ出した。足場の悪い草叢《くさむら》にはところどころに水溜りが、ちらちらと空明りに黒く光った。お庄はけたたましい声を立てながら、芳太郎の手に掴まってそこを渉《わた》った。四方《あたり》はシンとしていた。
 広い通りへ出ると、両側の妓楼《ぎろう》の二階や三階に薄暗い瓦斯燈《ガスとう》が点《とも》れて、人影がちらほら見えた。水浅黄色の暖簾《のれん》のかかった家の入口からは、周《まわ》りに色硝子の障子の嵌《はま》った中庭や、つるつるした古い光沢《つや》のある廊下段階子などが見透《みすか》された。芳太郎は時々そこらの門口に立ち停った。
「今夜中に、私きっと帰ってよ。」と、お庄がやっと芳太郎と手を分ったのは、それから大分経ってからであった。
 お庄は大木戸から俥をやとって、荒木町の方へ急がせた。二度と帰って来るような気がしていなかった。

     七十四

 荒木町の家では、従姉《あね》が相変らず色沢《いろつや》の悪い顔をして、ランプの薄暗い茶の間に坐っていた。いつも気が浮き浮きしたということもない従姉《あね》の、髪一つ綺麗に結った姿をお庄は見たことがなかった。
「またどうかしたんですか。」と、お庄は気遣わしげに訊《き》いた。
「いいえ。相変らずぶらぶらしているもんですからね。」と、従姉《あね》はぽきぽきしたお庄の顔を眺めた。行った時から見ると、どこかお茶屋風になっているのも目についた。
 浅山は、このごろしばらく帰朝している姉婿の家へ行っていて、留守であったが、台所にいた伯母は、手を拭きながらすぐに傍へ寄って来た。
「お前もそうしていいところへ片着いて、どんなに幸福《しあわせ》だか知れやしないわね。」と、お饒舌《しゃべり》の伯母は独りでお庄の身の上をうらやましがった。浅山の月給が細いのに、娘が始終寝たり起きたりしているので、長いあいだ胃が持病の自分が、六十|幾歳《いくつ》になってこうして立働きもしなければならぬという愚痴が、じきに始まった。
「私が寝てばかりいるもんだから、浅山にも気の毒でね。」と、従姉《あね》も萎《しお》れて言った。
 浅山が、今の役所を罷《や》めて、今度の帰朝を幸いに姉婿の方へ使ってもらう運動をしているのだが、それがうまく行きそうにもない様子が、母子《おやこ》の口から洩れた。
 お庄は伯母と従姉《あね》が、着るものを着ないでも、膳の上にうまいものの絶えたことのないのを知っていた。伯母が浅山と同じに、刺身などに箸をつけながら、ちびちび晩酌をやっていることもめずらしくなかった。お庄はこの人たちの貧乏するのに不思議はないと思った。
「……少し媒介人《なこうど》に瞞《だま》されたようですよ。」と、お庄は帯の間から莨入れを取り出して、含嗽莨《うがいたばこ》をふかしながら言い出した。
「始終家が揉《も》み合っているものですし、あの人だってちっとも柔順《おとな》しかありませんよ。」
「それでもいい男だという話じゃないかえ。――酒癖でも悪いと言うのかい。」と、伯母は切り髪頭の、長い凋《しな》びた顔を顰《しか》めながら言った。
 お庄は思っていることを、話すことも出来なかった。
 芳太郎を嫌っているお庄の心持は、従姉《あね》によく解った。
「老人《としより》の思うようじゃないんですよ。」と、従姉《あね》は、お庄の顔をじろじろ眺めながら、薄ら笑いをしていた。
「でもまア辛抱していさえすれば、あの家も始終はお前たち夫婦のものだでね。」
「そうは言っても、欲ばかしにかかってもいられませんよ伯母さん。」
 鮨《すし》を少しばかりおごって、茶呑み話にごまかしていながら、お庄はしみじみした話もしずに、やがてそこを出た。
「浅山から、中村さんによく話してもらって上げるからね、自棄《やけ》を起さないで、まア当分辛抱した方がいいでしょう。」
 帰りがけに、従姉《あね》はお庄の様子を気遣いながらそう言った。お庄がお照の稼《かせ》ぎに行っている茨城の方へでも行けば、自分の体一つぐらいは、自分の腕一つで、どうにでもして行けると言ったことが、従姉《あね》にも気にかかった。
「今夜は家へお帰りよ。心配さしても悪いでね。」と、伯母も門口まで送って出ながら行った。
 外はもう更けていた。そこらの芸妓屋や、劇場の居周《いまわ》りも静かであった。お庄は暗い町をすごすごと歩いていたが、どこへ行くという的《あて》もなかった。
 伝馬町の方へ出ようとする途中で、二、三度車夫に声をかけられたが、乗る決心もつかぬうちに、皆なやり過してしまった。
 停車場へ来たのは、もうよほど晩《おそ》かった。構内には、疲れたような人の姿がちらほら見えていた。お庄は薄暗い隅の方のベンチに腰を卸《おろ》しながら、上り下りどっちの切符を買おうかと思案していた。

     七十五

 その晩お庄は本郷の方に泊った。
 ちょうど正雄が来合わせていて、姉弟《ふたり》は久しぶりで顔を合わした。正雄はこれまでにも二度ばかり親方を取り替えた。体の弱いので、あまり仕事の劇《はげ》しい家では、辛抱がしきれなかった。お庄はそのたびに弟をつれて、前の主人へ話をつけたり、新しい洋服店へ交渉したりした。今の家は女主《おんなあるじ》であった。その主人はお庄のところへも遊びに来て、一緒に花など引いたこともあった。
 正雄は脚気で蒼い顔をしていた。お庄の変った様子を見て、にやにや笑っていたが、お庄も弟の様子がめっきり落ち着いて来たと思った。
「医師《いしゃ》が転地しろと言うそうで。」と、母親は一番体が弱くて可愛い正雄のことで先刻《さっき》から気を揉んでいた。
「しばらく田舎へでもやらずかと思うけれど……そうすれば叔父さんも一緒に行くと言うでね。――叔父さんも梅雨《つゆ》が体に障《さわ》ったようで、あれからずッと工合が悪いで、どうでも田舎へ帰ると言って、今その支度中さね。」母親は火鉢に凭《よ》りかかっていながら、屈托そうな顔をして、火箸で火を弄《いじ》っていた。
 家の荒《さび》れている様子が、ひしひしお庄の胸に感ぜられた。お庄が行くとき傭《やと》い入れた女中の姿も見えず、障子の破けた台所の方もひっそりして、二階にも人気がなかった。掃除ずきな自分がいなくなってから、そこらのだらしなく汚くなった状《さま》も、心持悪いようであった。
 この家を早晩畳まなければならぬことは、行く時分からお庄にも解っていたが、また帰って来てここを盛り返したいような気も、時々しなくもなかった。
 母親は、ここの雑作が売れ次第、借金を少し片着けて、それから田舎へ行きたいと言っている叔父のことや、お庄が行ってから、ここへ寄り着く人もめっきり少くなったことなどを言い出した。叔父が会社にいた時分の連中も、近ごろはとんと顔出しをしなくなったし、ちょいちょい金を貸してあった人たちも、かんぎら[#「かんぎら」に傍点]ともしなかった。
 そんな話が長く続いて、母子《おやこ》の目はいつまでも冴《さ》えていた。
「姉さんの家はどんなとこだえ。」と、弟はもう捲莨《まきたばこ》などを喫《ふか》して、お庄に訊いた。
「今までのように、不断にお鳥目《あし》を使ったり何かしちゃいけないからって、今阿母さんともその話をしていたのさ。」
「それアそうさ。私だってそんな白痴《ばか》じゃないよ。」と、お庄は磯野との関係以来、自分がさもだらしのない女のように、衆《みんな》に思われているのが切なかった。誰よりも一番苦労をして来たことも考え出された。
「見かけによらない、私はこれで苦労性ですよ。」と、お庄は長い指に莨を揉んで、煙管に詰めながら言った。話そうと思って来たことを、二人の前に打ち明けることも出来なかった。
「何だか知らないけれど、皆な運が悪い。」と、母親は、この家が畳まれてからの、自分の体の行き場のないことを零《こぼ》した。
「湯島で来ておれと言うだけれど、たびたびのことだし、そうも行かないでね。」
 衆《みんな》のまごついているのを、田舎に傍観している父親のことが、また噂された。廃《すた》れ株《かぶ》の買占めで失敗《しくじ》ってから、家のばたばたになった本家の後始末に気骨を折っている父親が、このごろは皆なの思うほど気楽でもないことは、こっちへも解って来た。本家が銀行から差押えを喰って、ぴたぴた庫《くら》を封ぜられ、若い主《あるじ》が取り詰めたようになって気の狂い出したという消息の伝わったのは、お庄が行ってから間もないことであった。
 頭脳《あたま》に異状のある本家が、わざわざ町から診察に来た医師《いしゃ》の頭を、撲《なぐ》り飛ばしたということを言い出して、正雄もお庄も、腹を抱えて笑った。
 宵から奥で寝ている叔父が、目をさましたと見えて、力ない咳《せき》の声が洩れて来た。

     七十六

 家へ帰って行ったのは、その翌々日の午後であった。それまでお庄は伯母の家へ行ったり、親しい近所の家を訪ねたりして遊んでいた。伯母の家では、相変らず皆と花など引いたが、その間も心は始終今の家に辛抱していいか悪いかということについて思い惑うていた。
「前途《さき》に見込みがないから、私もうあすこを逃げてしまおうかとも思っているんです。」と、お庄は思い断《き》って伯母や糺にも、自分の心持を打ち明けてみたが、二人ともあまり真面目に聞いてもくれなかった。
「そんなことを言って、今家へなんか帰ってどうするつもりだい。」と、伯母は頭ごなしに言って、先の家の深い事情などは、ろくろく考えもしないらしかった。
「むやみなことをして、中へ入った浅山の顔を潰《つぶ》すようでも悪いじゃないか。」と、糺も言った。
 始終聞きたい聞きたいと思い続けていた磯野やお増のことを、お庄は時々言い出そうとしたが、それも詳しくは二人の口から聞き出すことが出来なかった。
「何だかまた別れたとかいう話だぜ。」と言って糺は笑っていた。
 芳村が前からよく行きつけていた碁会所の娘と約束が出来て、そこへ荷物を持ち込んで引っ越すようになってから、お増がまた気を焦《あせ》って、このごろでは磯野の手を離れて、芳村との関係が旧《もと》へ復《かえ》ったとか、芳村がお増をどこかに隠しておくとかいうことだけは、糺の話でも解った。お庄は磯野と自分との縁が、またどこかで繋がれていそうな気もして、もどかしいようであったが、こっちから訪ねて行く心にもなれなかった。
 お庄は、叔父がいよいよ田舎へ帰るようになったら、ちょっと報《しら》してほしいとそのことを母親に頼んで帰って行ったが、途中で小石川の伝通院前の赤門の家で占いの名人のあるということを想い出して、ふとそこへ行って観《み》てもらう気になった。占いやお神籤《みくじ》はこれまでにも、たびたび引いて見たことがある。磯野との縁が切れそうになった時も、わざわざ水天宮で御籤《みくじ》を引いた。その時の籤はそんなに悪くもなかったが、三十過ぎるまでは、心に苦労が絶えないというようなことは、一、二度|売卜者《うらない》にも聞かされた。着ることや食うことには大して不足もないが、処《お》るところがまだ決まらないというようなことも言われた。
 赤門ではその日がちょうど休日《やすみ》であった。お庄はさらに伝通院横にある、大黒の小さいお寺へ行って、そこに出張っている法師《ぼうず》に見てもらうことにした。
 派手な衣を着けて、顔のてらてらしたその法師《ぼうず》は、じろじろお庄の顔を見い見い水晶《すいしょう》の数珠玉《じゅずだま》などを数えていたが、示されたことはあまり望ましいことでもなかった。法師は古びた易書を繰って、卦《け》などを読んで聞かせた。
「あなたの心は、今二つにも三つにも迷っている。」と、言って、お庄が亭主運のまだ決まっていないことや、今いる場所と動こうとしている方角のよくないことなどを説いて聞かせた。どちらにしても、当分|足掻《あが》きがつかないということだけは確かめられた。
 お庄は銀貨を一顆《ひとつぶ》紙に捻《ひね》って、傍に出してあった三方《さんぽう》の上に置いて、そこを出て来た。出る時、俥で乗り着けて来た一人の貴婦人に行き逢った。その婦人は繻珍《しゅちん》の吾妻袋《あずまぶくろ》を提げて、ぱッとした色気の羽二重の被布《ひふ》などを着け、手にも宝石のきらきらする指環を幾個《いくつ》も嵌《は》めていた。夫人は法師《ぼうず》に目礼をすると、すぐにどたばたとお庄らの控えている傍を通って、本堂の奥の方へ入って行ったが、それを見受くる法師《ぼうず》のしおしおした目元には、悪狡《わるごす》いような笑いが浮んでいた。
 お庄は何となしもの足りぬような暗い心持で、夏の日ざしの強い伝通院前の広い通りを、片蔭づたいに歩いていた。

     七十七

「お前は帳場に見張りをしていておくれ、芳が来てまたお鳥目《あし》を持ち出すといけないから。」と、お袋にそう言われて、お庄は店の方へ来て坐っていた。
 爺《じい》さんは二、三日東京へ出ていて、留守であった。お庄が帰って来る前に、母子三人のあいだに大揉《おおも》めがあって、お袋も爺さんに頭脳《あたま》をしたたか撲《なぐ》られた。お庄には深い事情の解りようもなかったが、牛込の自分の弟のところに母子厄介《おやこやっかい》になっている親爺《おやじ》の添合《つれあ》いや子供のことから、時々起る紛紜《ごたくさ》が、その折も二人の間に起っていた。お庄が四ツ谷へ行ッったきり帰らなかったことも一つの問題であった。芳太郎がそのことで暴れ出して、二人に突っかかって行ったのが、一層騒ぎを大きくした。
 お庄が帰って来た時分には、家がひっそりしていた。お袋は頭が痛むと言って結び髪のまま氷袋をつけて奥で寝ていたし、芳太郎もそこらで自暴酒《やけざけ》を飲んで行《ある》いて家へ寄りつきもしなかった。
 奥の客座敷で、お庄は年増の女中からその話を聞いて、体がぞくぞくするほど厭であった。お庄を速く呼び還《かえ》せと言って、芳太郎がお袋と長いあいだ捫着《もんちゃく》したあげくに、争いが爺さんの方へも移って行った。お袋が死んでしまうと言って、素足のまま帯しろ裸で裏へ飛び出して行ったことや、狂気《きちがい》のように爺さんに武者《むしゃ》ぶりついて泣いたことなどを、女中は手真似をして話した。
「お神さんが独りでいさえすれば、何のことはないんでしょうがね。」と、世帯崩しのこの女中は、婆さんの男意地の汚いのを憎んだ。
「自分じゃ稚《ちいさ》い時分から育てた芳ちゃんが、まんざら可愛くないこともないんでしょうけれどね、やっぱりあの爺さんと別れられないんでしょうよ。お爺さんだって、今となっちゃ空手《ただ》じゃ出て行きゃしませんからね。」
 お庄は、お袋からは何のことも聞かされなかった。
 今日もお袋は、朝のうち料理場や帳場の方を見廻っていたが、まだ顔色が悪く、髪も取り乱したままであった。そして掃除がすむと神棚へ切り火をあげて、お庄と一緒に餉台《ちゃぶだい》に向いながら、これまでに自分の苦労して来た話などをして聴かした。
「何も辛抱ですよ。辛抱気のない人間はどこへ行っても駄目だよ。」と、お袋は、東京へ行って二日も帰らなかったお庄の心が、まだ十分ここに落ち着いていないのをもどかしく思った。
 昼からお袋は、また頭が痛むと言って奥へ引っ込んで行った。
 三時ごろ、お庄は帳場の蔭で、新聞の三面記事に読み耽《ふけ》りながら、そうした世間や自分の身のうえなどをいろいろに考えていた。広い通りには折々荷車が通って、燥《はしゃ》ぎきった砂がぼこぼこと立った。箪笥や鏡、嫁入り道具一式を売る向いの古い反物屋の前に据えた天水桶《てんすいおけ》に、熱そうな日が赫々《かっか》と照して、埃深《ほこりぶか》い陳列所の硝子のなかに、色の褪《さ》めたような帯地や友染《ゆうぜん》が、いつ見ても同じように飾られてあった。来た当座は寂しいその店などは、目にも留らなかったが、見馴れるにつれて、思いのほか奥行きのあることも知れて来た。幽暗《ほのぐら》い帳場格子のなかで、算盤《そろばん》をはじいている四十ばかりの内儀《かみ》さんも、そんなに田舎くさくはなかった。
 店頭《みせさき》まで来てちょっと立ち停って、そのまま引き返して行った洋服姿の男が、ふと目についた。新しい麦稈《むぎわら》帽子を着て、金縁眼鏡をかけていた丸顔の横顔や様子が、どうやら磯野らしく思われた。お庄はここを覗《のぞ》かれたような気がして、胸がどきりとした。
 やがて門の方から奥庭へ入って行く男の姿が、目に入った。男は庭の真中に立って、うそうそ家のなかを見廻していた。お庄は帳場格子の蔭に深くうつむいてしまった。男は確かに磯野であった。

     七十八

「お客さまが若い方のお神さんに、ちょっといらして下さいってそうおっしゃるんですよ。」と、一人の女中が莨盆などを運んで行ってから、やがてお庄を呼びに来た。
 お庄はその時帳場を離れて、料理場から物置の方へ出ていた。
「私に。」と、お庄はじめじめした物置の蔭に積んである薪《まき》に体を凭《もた》せていながら、胸を騒がせた。
「あの人が私を知っているとでも言うの。」
「何ですか、ただお目にかかりさえすれば解るからって……。」
 お庄はそこから庭の方へそっと出て行って見た。あれほど不人情な仕向けをしておきながら、のこのこ嫁入り先へやって来た男の愚かしい心持が腹立たしいようであったが、床柱のところに胡坐《あぐら》を組んで、団扇《うちわ》遣いをしているその姿が目に入ると、何のことも考えていられなくなった。
「しばらくだったね。」と、磯野に挨拶されると、お庄は胸が一杯になって、涙が湧《わ》き立つようににじみ出て来た。
 磯野の目にも涙が溜っていた。
「どうして来たんです。」と、お庄はめずらしくチョッキに金鎖などを光らせている男の様子を見ながら、大分経ってから、やっと口を利くことが出来た。ここへ来るためにわざわざこんな身装《みなり》を拵えたのであろうと、お庄はしっくり体に合っていない洋服などがおかしかった。
「僕は実に悪いことをした。お庄ちゃんにも済まなかった。」と磯野は気弱そうな調子で言い出した。
 お庄がここへ来たことが、磯野の耳に伝わった時分には、お増はもう天神下の家にもいられなかった。磯野も、時の機《はずみ》でしたことが振り顧って見られたし、お増にも、始終変ってゆく男の心の頼みがたいことが解って来た。学資もろくろく送ってもらえなくなっていた磯野を世に出すまでには、また新しい苦労も重ねなければならぬということも考えられた。
 碁会所の若い娘と一緒に歩いている芳村の姿を、天神の境内で見たとき、お増は芳村に鼻を明かされたような気がした。
「芳村さん、あなたは随分ね。」と、お増はその時追い縋《すが》るようにして芳村の後から声かけた。
 芳村は黙って行き過ぎようとしたが、後悔の影のさしている女の心をいじらしく思った。
「ちっと遊びにおいで。」と、芳村は娘と離れて、磯野の消息を訊《たず》ねなどした。
 芳村がお増を自分の方へ引きつけようとしていることが、磯野の前に何事をも包み隠さぬお増の口吻《くちぶり》でも解った。二人は磯野の叔父の家の二階でよく言合いをした。毎日|頭脳《あたま》のふらふらしている磯野は、気ままなお増に責められて芳村へ詫《わ》び手紙をさえ書いて送らせられ、お増と別れるについて、手切れの金の算段にも出歩かなければならなかった。
「僕はあの時の罰が来て、実にひどい目に逢わされた。」と言って、磯野は涙を出しながら愚痴を零《こぼ》した。
 お庄は終いに笑い出した。
「お庄ちゃんも、ここに辛抱おしなさい。ここの家には、相当に金もあるというじゃないか。」と、磯野は手※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《ハンケチ》で眼鏡を拭きながら、お庄の顔を眺めた。
「どうですか。何だかあんまり面白いこともないんですけれど。」と、お庄は自分の立場を打ち明ける気にもなれなかった。
「しかし変だね。何にも取らないで話ばかりしていちゃ。」と、磯野は気にし出した。
 お庄はそうして長く坐り込まれても困ると思った。母屋《もや》の座敷で昼寝をしている芳太郎のことも気にかかったが、とにかく酒だけは出すことにした。しばらくしてから、卵焼きに海苔《のり》などが酒と一緒に上衣《うわぎ》を脱いで寛《くつろ》いでいる磯野の前に持ち運ばれた。

     七十九

 磯野がちびちび酒を飲んでいる間も、お庄はちょいちょい母屋《もや》の方を気にして覗きに来た。磯野は切り揚げそうにしては、また想い出したように銚子《ちょうし》をいいつけいいつけしたが、お庄が傍ではらはらするほど、気が熬《い》れて話がこじくれて来た。
「僕はここの家の人に紹介してもらおう、そしてお庄ちゃんのことも頼んで行きたいと思うが悪いかね。」磯野は衣兜《かくし》のなかから、帳場へおく祝儀などを取り出して、お庄の前におきながら言った。
「そんなことをしなくともいいんですよ。かえっておかしゅうござんすから。」と、お庄は押し戻した。
「芳太郎という人にも、ここでちょッと逢って行こうじゃないか。僕は第三者として、お庄ちゃん夫婦のためにいささか健康を祝したいと思う。」と酒の廻った磯野は芝居じみたような調子で、真面目に言い出した。
「それもおかしいでしょう。家は今少しごたごたしているんですよ。」と、お庄は遊《あそ》び人《にん》肌《はだ》のようなところのある芳太郎を、磯野に見らるるのも厭であった。
 日が蔭《かげ》りかかる時分に、磯野はやっと帰って行った。
 お庄が帳場へ勘定をしに行った時、いつの間にか起き出して、庭の植木に水をやっていた芳太郎が、橋廊下の下の方にたたずんで、莨を喫《ふか》しながらうッとりした顔をしていた。廊下に雑巾《ぞうきん》がけをしていた年増の方の女中が、手を休めて手擦りに凭《もた》れながら、芳太郎と何やら話しているところであった。
「お客さまはもうお帰りですか。」と、女中は落ちかかった着物の裾を帯の間へ押し込んで、また働きはじめた。西日を受けた廊下の板敷きは、砂埃でざらざらしていた。
「ちょいと勘定なんですがね。」と、お庄は立ち停って、芳太郎に声かけた。
 帳場へ上って来た芳太郎の目には不安の色があった。
「お前にあんな親戚があるなんて、何だかおかしいじゃないか。」と、芳太郎は書付けを書きはじめながら詰《なじ》った。
「私にだって親類がありますよ。」と、お庄は顔を赧《あか》めながら言った。
「それじゃお前の何に当る人だ。」
 お庄はへどもど[#「へどもど」に傍点]して、もう口が利けなかった。目にも涙が出た。
「お前の親類が、座敷へあがって酒を飲むなんて、変じゃないか。」
「え、だから皆さんにもお目にかかるって、そう言ったんですけれど、阿母さんは加減がわるいし、あなただって、今まで寝《やす》んでいらしったじゃありませんか。またそれほど近しい親類でもないんですもの。あの人が思いがけなくここを通って、ちょっと寄ったまでなんです。」
「うまく言ってら。四ツ谷へ行って聞いて見るからいいや。」
「え、いいんですとも。私そんな嘘なぞ吐《つ》きゃしませんよ。」
 しばらく言い合ったが、お庄は秘《かく》し逐《おお》せないような気がした。そして袂《たもと》で顔ににじみ出る汗を拭きながら、黙って裏口の方へ出て行った。
 女中に呼びに来られて出て行った時分には、磯野は書付けを前に置いて、座敷にぼんやりしていた。お庄は目に涙を一杯溜めていた。
「どうかしたの。」と、磯野は薄笑いをしていた。しばらくしてから、勘定が足りなくて、磯野のもじもじしていることが解った。
「勘定なんぞどうでもいいんです。」と、お庄は邪慳《じゃけん》そうに言ったが、磯野はまだそこにもじもじしていた。

     八十

 磯野を送り出してから、お庄はしばらく座敷にぼんやりしていた。
 磯野はまだ話したいこともあるから、金助町の方へ来たら、一度訪ねてくれと、靴の紐を結びながら言っていたが、お庄は磯野のここへ来たことを、伯母などの耳へ入れたくないと思った。十八の年に初めて男に逢ったのが磯野で、それから三年ばかり関係していた。田舎から出て来てからは、磯野も比較的落ち着いて勉強していたし、お増の事件さえなければ二人の交情《なか》は何のこともなく続けられたかも知れなかった。磯野も始終気の移って行く男だから、あれで別れてかえってよかったようにも思えたが、やきもきしてこっちから騒ぎを大きくした傾きのあったのがくやしかった。
 お庄はそこに坐って少しばかり銚子に残っていた酒を注いで、独りで飲んだ。器などの散った部屋には今まで差していた西日の影が消えて、野良《のら》くさい夕風が吹いていた。お袋の耳へ入れば、どうせ一騒ぎ持ち上らずには済まないだろうし、もう長くはここにもいられないような気がしていた。書付けばかり持って帳場へ行くのも厭であった。
 お庄は勘定前を合わそうと思って、帯の間の財布から自分の小遣いをさらけ出して、磯野の置いて行った祝儀と一緒にしているところへ、芳太郎が入って来た。お庄は急いで財布を帯の間へ挟んだ。
「情人《いろ》でも何でもないものなら、お前が自腹を切る謂《い》われはないじゃないか。家だってお前の親類の人から、勘定を取ろうとは言やしまいし。」芳太郎はお庄の側へ来て、胡坐《あぐら》を掻いていながら言った。もう飲口を捻《ひね》って二、三杯|呷《あお》って来たらしかった。
「それアそうですけれどもね、そうしないと私も何だか厭ですから。」とお庄は気味悪そうにそこらを片着けはじめた。
「まアそんなことはどうでもいいや、お前にごまかされるような己《おれ》じゃないんだからな。」
「それはそうですとも。私もこんなつもりでこちらへ来たんじゃないんですよ、話と実際とは、随分違っていたんですからね。」
 がちゃがちゃと軍刀の音をさして、いつも来て飲む大隊の方の将校が、二人門の方から入って来て、縁側へ腰かけて靴を脱いだころには、芳太郎もお庄も大分頭が熱していた。芳太郎はそこにあった盃洗《はいせん》を取って投げつけるし、お庄は胸から一杯に水を浴びながら、橋廊下の方へ逃げて行って、手※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《ハンケチ》で頚首《えりくび》などを拭いていた。芳太郎はまた空の銚子を持って、部屋を飛び出した。
 ここの家の様子をよく知っている、頭の禿《は》げた年取った方の将校は、ふらふらと追っかけて行く芳太郎の姿を見ると、次の部屋から出て来て見た。
「おいおいどうしたんだい。」と、その将校が声をかけた時分には、お庄はもう素足で庭へ飛び出していた。
 暗い物置のなかへ逃げ込んだお庄が、料理場から引き返して来た芳太郎に隅の方へ押えつけられて、目のうえで刺身庖丁《さしみぼうちょう》を振り廻されているところを、将校も母親も駈けつけて行って、やっと取り押えた。刃物を※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》ぎ取られた芳太郎が、披《はだ》けた胸を苦しげな荒い息に波立たせながら上へ引っ張りあげられると、お庄も壊れた頭髪《かみ》を手で押えながら真蒼《まっさお》になって物置を出て来た。そこらはもう暗くなっていた。
 その晩、牛込から親父が呼び寄せられた。
「脅《おど》かすんだよ。私なんざ慣れッっこで平気なものさ。」と、お袋はしばらくぶりで帰って来た爺さんと、酒を飲みながらお庄に言った。
「こんなことは、四ツ谷なぞへ行って、あまり弁《しゃべ》っちゃいけないよ。」お袋はこう言ってお庄に口留めをした。
 芳太郎も酔いがさめると、早くから奥へ引っ込んで寝てしまった。

     八十一

 爺さんが来て、また帳場に頑張ることになってから、芳太郎はしばらく四ツ谷の媒介人《なこうど》の家に預けられた。
 その話が決まるまでには、お庄も媒介人《なこうど》から事をわけていろいろに言って聴かされた。火災保険の重立《おもだ》ちの役員であった媒介人《なこうど》の中村の言うことには、お袋などの所思《おもわく》とはまた違ったところもあった。中村は爺さんやお袋やお庄の顔を揃《そろ》えている折にも、自分の考えを述べて、爺さんと反《そ》りの合わない芳太郎を、お庄と一緒に一時自分の家へ引き取ることに話を纏《まと》めた。
 忙しい時は、ちょいちょい手伝いに来るという約束で、お庄が中村の家へ移って行ったのは、病気で困りきっていた金助町の叔父が、ちょうど上野から田舎へ立った日の夕方であった。お庄は正雄と一緒に停車場まで見送ってやった。
 叔父の家は、その三、四日前に畳まれてあった。雑作も棄売りにして、それで滞っていた払いをすましたり、自分もいくらか懐へ入れて、町に涼気《すずけ》の立った時分に、湯島の伯母の家を俥で出て行った。
 叔父は田舎へ行っても、快く自分を迎えて、養生をさしてくれそうな隠れ家の的《あて》とてもなかった。東京で世話をしてやった友人が町でかなりな歯科医の玄関を張っている、そこへ行くか、亡《な》くなった妻の実家の持ち家が少しばかりある、その中の一つを借りて起臥《きが》するかよりほかなかった。どっちにしても、こんな病人に来て寝込まれるのを迷惑がるのは、解りきっていた。
 田舎でみっちり養生をして、癒《なお》ったらまた出て来て、運を盛り返そうという心組みのあることは、痩《や》せ衰えた叔父の顔にも現われていた。
「私はまだ結核にはなっておらんつもりだで――。」と、叔父は立つ前にもそう言って、一人では道中が気遣われると言って危ぶむ母親や伯母に笑って言った。
「そんなこといって、汽車のなかで血でも吐いたらどうすらい。」と、母親は弟をたしなめた。ことによったら糺か繁三に行ってもらってもいいし、正雄がついて行ってもいいと思ったが、強《し》いて勧めもしなかった。
「工合が悪かったら、すぐ宿屋へ入ってどっちへでも電報を打たっし。」と、伯母も言い添えた。
 叔父の手荷物と言っては、書生で出て来た時分ほどの物すらないくらいであった。時計や指環などもとっくに亡くなって、汚れたパナマだけが、京橋で活動していた時分の面影を遺《のこ》していた。そのパナマも、遊びに来る糺の友人に買ってもらおうとしたくらいであったが、買値《かいね》を言えば嗤《わら》われるほどであったので、叔父は気持を悪くして、それだけは冠《かぶ》って行くことにした。
 正雄もお庄も、型の古いその帽子を冠って、三等客車に乗り込んで行く、叔父の、窶《やつ》れて耄《ぼ》けたような姿を見て、後からくすくす笑っていた。
 叔父はお庄のことなどは、口へ出して聞きもしなかった。出来る時分にあまり世話をしておかなかったことが、心に省みられたからでもあろうし、このごろ様子や心持のすっかり渝《かわ》った姪《めい》の身のうえを知るのも厭《いと》わしいように見えた。お庄も自分のことを言い出すどころではなかった。
「叔父さんには、もう逢えやしませんよ。」と、お庄はプラットホームを歩いていながら、帰りに弟に話しかけた。弟はまだ売り損ねたパナマがおかしいと言って思い出し笑いをしていた。
 送った人たちと一緒に、お庄は湯島の家へ引き返して来たが、今日は中村の家で初めて泊る日だと思うと、うんざりした。一《ひ》ト纏《まと》めにして出て来た、鏡台や着替えを入れた行李などが、もう運び込まれているころだとも思った。
「ああなるのも自業自得でしかたがない。」と、母親らは、まだ茶の室《ま》で茶を呑みながら、今立たしてやった叔父の噂をしていた。
 お庄もそれに釣り込まれながらも、時の移るのが気が気でなかった。

     八十二

「真実《ほんとう》におっかない人ですよ。」と、お庄は立ち際に、伯母と母親の前で、子の間芳太郎に刃物で追っかけられた話をしながら言い出した。お袋も一度は斬《き》りつけられて怪我《けが》をして、長いあいだ奥州の方の温泉へ行っていたということも話した。
「それじゃまるで話が違うがな。」と、母親は顔の色を変えていた。そんなところへお庄を取り持った四ツ谷の人たちの心持も疑わしいと思った。
「お前が客の前へ出るが悪いといって、そんなことをするだかい。」と、伯母も訊いた。
「まあそうなんでしょうね。婆さんはまた私がそうしないと機嫌が悪いんですの。あの人の腹では、芳太郎が可愛くないことはないんでしょうけれど、どうしたって血を分けた子じゃないんですから、いろいろお爺さんに言われると、その気になるんでしょうよ。やっぱり欲なんですね。」
「その塩梅《あんばい》じゃ、子息《むすこ》が柔順《おとな》しくしていたって、いつ身上《しんしょう》を渡すか解らないと言ったようなものせえ。」母親は望みがなさそうに言った。
「それでいて、私にはいろいろうまいことを言って聴かすんですの。」と、お庄は長く客商売をして来たお袋の自分に対する心持を話した。
「お前のような娘が一人あれば、こんな吝《しみ》ったれな料理屋なんかしていやしないなんて、そんなことを言うんですよ。」
「ああいう人は、女さえ見れアじき金にしようと、そんなことばかり思っているで。」と、伯母は冷笑《あざわら》った。
 母親と伯母のあいだには、また門閥の話が出た。田舎にいる父親が、まだ得心していなかったので、籍を送らずにおいたことが、かえって幸いであったようにも思えた。
「まア浅山ともよく相談して見るだい。片輪にでもされてから、何を言って見たって追っ着かない話だで。」伯母は心配そうに言った。
 お庄は家のなくなった母親のことも気にかかった。どうせ針仕事もあるから、お庄さえ辛抱する気なら、母親に来ていてもらってもいいと言っていたお袋の言《ことば》を憶《おも》い出したが、効性《かいしょう》のない母親が、手も口も喧《やかま》しい、あの人たちのなかにいられそうにも思えなかった。自分一人の体さえ、いつどうなるか解らないと思った。
「阿母さんこそ、田舎へ帰った方がよかったんですよ。」と、お庄はいじめるように言った。
 こんなに行き詰まっても、母親がまだ田舎へ帰るのを厭がっているのがもどかしくも思えた。
「正雄でも一人前にならにゃ、私《わし》も田舎へ提げて行く顔がないで。」と母親は切なげに言った。
「その間、私は私でどこかお針にでも行っているでいいわね。」
「お針って、お安さあはどんな仕事が出来るだい。」と伯母は手も遅く、気も利かない母親のことを嗤《わら》った。これまでにも、お庄に突き放されると、母親は、そこからそこまでへも、買物一つしに行くことが出来なかった。
 お庄の帰ったのは、八時ごろであった。婚礼後、芳太郎と一緒に、一度挨拶に行ったことがあるので、家の様子は大概解っていた。お庄はその少し手前で俥から降りて、途中で買った手土産を挈《さ》げながら入って行った。
 家はかなり人数が多かった。老人《としより》も子供もあった。お庄は一々それらの人に、叮寧《ていねい》に挨拶をしてから、自分ら夫婦のに決められた奥の部屋へ導かれた。芳太郎はちょうど湯に行っているところであった。
「どうもお世話さまでした。」と、お庄はランプを持って来てくれた細君に愛想よく礼を言って、まだ荷の片着かない部屋を見廻していた。

     八十三

 お庄もそこらを片着けてから、べとべとする昼間の汗を流して来ようと思って、鏡台の抽斗《ひきだし》にしまっておいた糠袋《ぬかぶくろ》などを取り出し、縁づいてからお袋が見立てて拵えてくれた細い矢羽根の置型《おきがた》の浴衣《ゆかた》に着かえた。
 部屋はたッた六畳敷きで、一間の押入れに置き床などがあって、古びた天井も柱もしっかりしていた。住居とはかけ放れた方の位置で、前はすぐ広い荒れた庭になっていた。崩れかかったような塀際《へいぎわ》に、大きな立《た》ち樹《き》が暗く枝葉を差し交していて、裏通りにも人気がなかった。浅山の話によると、ここはもと神田で大きな骨董商《こっとうしょう》をしていた中村の父親の別邸で、今の代になってから、いろいろな失敗が続いて、このごろではこの家すら抵当に入っているということであった。芳太郎のお袋からも、少しは借りているような様子もあった。
 この廃邸《あれやしき》の空気は、お庄にはあまり居心《いごこち》がよくなかった。部屋で声を立てても、奥から駈けつけて来てもらえそうにも思えなかったし、庭も何だか陰気くさかった。こんなところで毎日芳太郎と顔を突き合わしているよりも、家で座敷の手伝いでもしていた方が、まだしも気が紛れてよかったようにも思えた。
 深い木立ち際から舞い込んで来た虫が、薄暗いランプの笠に淋しい音を立てて周《まわ》りを飛んでいた。お庄は帯を締めると、障子を閉《た》てきって、暗い廊下の方へ出て行った。
 だだッ広い茶の室《ま》では、大きな餉台《ちゃぶだい》がまだ散らかったままであった。下町育ちらしい束髪の細君が、胸を披《はだ》けて萎《しな》びた乳房を三つばかりの女の子に啣《ふく》ませている傍に、切り髪の姑《しゅうとめ》や大きい方の子供などもいた。四十四、五の頭髪《かみ》の薄い主《あるじ》は、古い折り鞄からいろいろの書類を取り出してしきりに何やら調べていた。
 ひっそりした広い門のうちには、ほかに汚い家が二軒ばかり明りが洩れていた。
 淋しい屋敷町を通って、お庄が湯から帰って来たころには、芳太郎も途中で、一杯飲んで帰って来たところであった。芳太郎は薔薇色の胸を披けて、ランプの蔭に引っくらかえっていた。細《ほっ》そりした足の指頭《ゆびさき》まで真紅《まっか》であった。
 お庄は声もかけずに、そっと押入れから小掻捲《こがいま》きを取り出して被《か》けてやると、置き床のうえに据えた鏡台の前に坐って、銀杏返《いちょうがえ》しの鬢《びん》を直したり、白粉をつけたりして、やがてまた部屋を出て行った。
 その晩十時過ぎまで、お庄は茶の室《ま》で話し込んでいた。主《あるじ》が寝てからも、細君に引き留められて、身の上|談《ばなし》などして聞かされた。舅《しゅうと》がまだ世にあった自分の良人の放蕩《ほうとう》が原因で、自分たちがとうとう賑やかな下町から、こんな山のなかへ逐《お》いあげられたという細君の話では、この夫婦の若いころの豊かな生活の有様が想像され、子供が育つ時分から、だんだん落ちて来て、こうした貧乏世帯に慣らされるまでの細君の気苦労も窺《うかが》えるように思えた。
「私も、まさかあんな家とは思いませんでしたよ。」
 お庄もつい引き込まれて、自分の家の事情など話しながら言い出した。お庄はここの人たちの心持も知っておきたいと思った。
「あのお爺さんのいるうちは、とても丸く行かないだろうって、良人《うち》でも心配しているんですよ。」と細君はこの婚礼についての主の苦心を語った。これまでにも、芳太郎がちょくちょくここへ囲《かく》まわれていたことも言い出された。
「……あの人が、一番可哀そうですの。」と細君はこうも言った。

     八十四

 芳太郎が、中村の知っているある通運会社へ出ることになってから、お庄も時々外へ出られるようになった。
 これまで芳太郎は、中村から小遣いを強求《せび》っては、浪花節《なにわぶし》や講釈の寄席《よせ》へ入ったり、小料理屋で飲食いをしたりして、ぶらぶら遊んでいた。昼は邸の裏の池に鉄網《かなあみ》を張って飼ってある家鴨《あひる》や家鶏《にわとり》を弄《いじ》ったり、貸し本を読んだりして、ごろごろしていたが、それにも倦《う》んで来ると、お庄をいびったり、揶揄《からか》ったりした。お庄がちょっとでも家を出ようとすると、芳太郎が目の色がたちまち変った。家へ訪ねて来たお庄の前の男のことも始終言い出された。
 木立ちの深いこの部屋は、昼もめったに日光が通わなかった。三時ごろからしばらくの間|斜《はす》に差し込む西日の影は、かなり暑かった。お庄は芳太郎の昼寝をしている側で、自分もぐったり眠ってしまうようなことが間々《まま》あった。森に蜩《ひぐらし》の声が、聞える時分に、ふと汗ばんだ腋《わき》のあたりに、涼しい風が当って目がさめると、芳太郎もぼんやりした顔をして、起き直っていた。両手を上へ伸ばして、突伏《つっぷ》しになっていたお庄は、懈《だる》い体を崩して、べッたりと坐りながら、大きい手で顔を撫《な》でたり、腕を擦《さす》ったりしていた。通りに豆腐屋の声などがして、邸のなかはひっそりとしていた。
 体に悪戯《いたずら》をされたことに心づくと、お庄は妙に腹が立った。子供のような芳太郎はお庄のぶよぶよした白い股《もも》のあたりに、何やら入れ墨のようなものを描いて、にやにやしていた。
「知っていますよ。」
 お庄はその悪戯書きを見て見ぬふりをしていたが、終いに一緒に噴《ふ》き出してしまった。
「叱られますよ。」とお庄はまた本気《むき》になって見せた。その顔は紅《あか》かった。
 く、く、くと鳴いている鶏《とり》の世話をしに芳太郎は裏の方へ出て行った。お庄も砂埃を拭き掃除しようと思ったが、初め来たころ日課にしていたようには働けもしなかった。今日逃げようか、明日は出ようかという気が、始終|頭脳《あたま》にあった。
 浅山のうちでも、長く続かないことが解って来た。いつかお庄が、夜その相談に行ったときも、夫婦は、もう断念《あきら》めてしまったような口吻《こうふん》を洩らしていた。
「私たちが黒幕にいるように思われちゃ、事が面倒ですよ。中村さんにも気の毒ですから、誰も知らない風にして、うまく逃げられたらお逃げなさい。そうすれば、私たちにも責任はないし、中村の顔も立つんですから。」と、従姉《あね》は内々でお庄を唆《そその》かした。
 お庄はそれから、時々風呂敷に包んで、着物や何かを、夜|従姉《あね》の家へ持ち込むことにした。家からも、中村の家へ持ち運ぶように見せかけて、少しずつ取り出すことを怠らなかった。中には以前磯野から受け取った手紙を封じ込んだ背負《しょ》い揚《あ》げや、死んだ叔母から伝わった歌麿《うたまろ》の絵本などがあった。その絵本を、ほかの物と一つに、お庄は磯野と質に入れたこともあったが、芳太郎のところへ来てから間もなく、やっと取り出すことが出来た。お庄はその値打ちのものだということを、磯野に聴いて知っていた。
「まかり間違って、茨城にいるお照さんのところへ訪ねて行くにしても、これを売りさえすれば旅費ぐらいは出来る。」
 お庄は中村や芳太郎の手からのがれたとき、切迫《せっぱ》つまって来れば、自分はどこへ行く体か解らないと思った。そして、その方がどんなに自由だか知れないとも考えた。
 お庄は箪笥の底から持ち出して、従姉《あね》の家へその絵本の入った手匣《てばこ》を持ち込む時も、そっと中から出して、黴《かび》くさい絵を従姉に見せながら、その値踏みなどをしてもらった。

     八十五

「そう毎日ぶらぶら遊んでばかりいるのが、大体よろしくない。」世話好きな中村は、会社から退《ひ》けて来ると、芳太郎に何か叱言《こごと》を言いながら言った。
 芳太郎はまだ庭で鶏《とり》を折打《せっちょう》していた。鶏は驚きと怖れに充血したような目をして、きょときょとと木蔭をそっちこッち遁《に》げ廻った。木の下や塀の隅はもう薄暗くなっていた。芳太郎は竿でその鶏をむやみに逐《お》い廻していた。そこへ洋服姿の主《あるじ》が、縁から降りて来たのであった。
 二人で鶏を鶏舎《とや》へ始末をしてから、縁側の方へ戻って来ると、中村は愚かしい芳太郎に、いつも言って聞かせるようなことを、また繰り返した。
「まさか労働するわけにも行くまいが、何しろ若いものが遊んでいてはいけない。体が怠けるばかりだ。お神に堅くなったという証拠を見せるつもりで、一時こういうところへ出てみてはどうかね。」と、中村はその時自分の知っている通運会社のことを言い出した。
 芳太郎は荒い息をしながら、縁に腰かけて黙って莨《たばこ》を喫《ふか》していたが、するうちに手拭や石鹸《せっけん》を持ち出して湯に行った。
 お庄や細君――女連は土台の腐れた古い湯殿で毎日行水を使うことになっていた。
 麹町《こうじまち》の方の会社へ出るようになってから、芳太郎はこれまでのように朝寝をしていることも出来なかった。
 店の忙《せわ》しいとき、芳太郎は夜おそく帰るような日が二、三日続いた。
 お庄は押入れの行李のなかに残っていたものを、萌黄《もえぎ》に唐草《からくさ》模様の四布《よの》風呂敷に包んで、近所からやとって来た俥に積み、自分もそれに乗って、晩方中村の邸を出た。
 大雨がざあざあ降っていて、外は真暗であった。中村はちょうど留守であったし、広い茶の室《ま》で晩飯の餉台《ちゃぶだい》に就いている細君も老人《としより》もそんな荷を持ち出したことに気がつかなかった。荷の中には、鏡台のような稜張《かどば》った物もくるまれてあった。お庄は自分の部屋の縁側から、ばしばし雨滴《あまだ》れのおちる廂際《ひさしぎわ》に沿《つ》いて、庭の木戸から門までそれを持ち出さなければならなかった。夜具などは後でどうでもなると思ったが、少しばかりの軟かい着替えや手廻りの物を、芳太郎の目の前に遺《のこ》しておくのは不安心であった。
「阿母さんの手隙《てすき》に洗濯や縫直しをしてもらいたいものがありますから。」と、お庄はそんなにびくびくすることもないと思ったので、荷を持ち出す前にちょっと二人の前へ出て断わった。
「昼間風呂敷包みを持ち出すのもおかしゅうござんすから。」と、お庄はそうも言って、胸をそわそわさせながら二人の傍をやっと離れた。
 ここの女たちは、いつお袋や爺さんの機嫌が直って、芳太郎が家へ入るようになるか解らなかった。これまでちょいちょい人に貸したりなどしている部屋を、この夫婦のために長く塞《ふさ》げておくのも惜しかった。細君が主《あるじ》の好奇《ものずき》を喜ばない気振りが、お庄には見えすくように思えて来た。お庄ら夫婦がこの家へ住み込むようになってから、もう一ト月と十日余りになっていた。
 俥の柁棒《かじぼう》が持ち上げられた時、お庄はようやくほっとしたような目つきになった。
 従姉《いとこ》の家へ着くまで、お庄は後から追い駈けられるような気がしていたが、着いてからも気が気でなかった。
 包みはすぐ奥の押入れへ隠されたが、お庄は下駄や傘までも気にして、裏の方へ廻した。
「芳がきっと来ますよ。」と、お庄は落ち着いて坐ってもいられなかった。
「今ごろは押入れでも開けて見て、びっくりしているかも知れませんよ。」
 時計を見ると、芳太郎がいつも帰って来る時分までには、たっぷり一時間の余裕があった。

     八十六

 その晩のうちに、お庄は雨のなかを湯島まで逃げて来た。
 目立たぬ黒絣《くろがすり》の単衣《ひとえ》のうえに、小柄な浅山のインバネスなどを着込んで、半分|窄《つぼ》めた男持ちの蝙蝠傘《こうもりがさ》に顔を隠し、裾を端折《はしょ》って出て行くお庄のとぼけた姿を見て、従姉《あね》は腹を抱えて笑った。
「かまうもんですかよ。彼奴《あいつ》にさえ見つからなけアいいんだ。」と、お庄は用心深く暗い四下《あたり》を見廻しながら出て行った。
 寂しい士官学校前から、広い濠端《ほりばた》へ出たころには、強い風さえ吹き添って来た。お庄は両手で傘に掴《つか》まりながら、すたすたと走るようにして歩いた。俥があったら乗ろうと思ったが、提灯《ちょうちん》の影らしいものすら見当らなかった。見附《みつけ》の方には、淡蒼《うすあお》い柳の蔭に停車場《ステイション》の明りが見えていたが、そんなところへ迂闊《うかつ》に入り込んで行くことも出来なかった。
 そこからは道が一条《ひとすじ》であった。神楽坂《かぐらざか》の下まで来ると、世界がにわかに明るくなった。人の影もちらほら見えていた。ぐっしょり雨に濡れたお庄は、灯影を避けるようにして、揚場《あげば》の方へ歩いて行った。
 湯島の家へ着いたのは、もう九時ごろであった。元町の水道の傍《わき》を通るとき、すれすれに行き違った背の低い男が一人あった。お庄は傘の下から、ふっと顔を出すと人家の薄明りに、ちらと見えた白いその男の顔が、芳太郎であることに気がついた。お庄は息が塞《つま》るような心持で、急いで堤《どて》について左の方へ道を折れた。店屋の立て込んだ狭い町まで来た時、お庄は冷や汗で体中びっしょりしていた。
 湯島の家では、衆《みんな》が入口まで出て来て、異《ちが》ったお庄の姿や、真蒼《まっさお》なその顔を眺めた。お庄は上り口でインバネスを脱ぐと、がっかりした体を這《は》うようにして流しの方へ出て行った。
「芳が今ここへ俥で駆けつけ尋ねて来たぞえ。」伯母はお庄の顔を見るなり、言い出した。
「やっぱりそうでしょう。」と、お庄は呼吸《いき》がはずんで、口が利けなかった。
 その晩は早くから戸を締めた。
 母親が、二、三日前から余所《よそ》へ手伝いに行っていることが、伯母の話で解った。その家が、近所の知人《しりびと》のまた知人《しりびと》の書生の新世帯であることも話された。
「正雄が店でも持つまで、人中へ出て苦労してみるもよかろうず。」伯母はこうも言った。
 翌日午後《あしたひるから》、四ツ谷の家から、老人《としより》が着替えを二、三枚届けてくれてから、お庄は独りで世帯を切り廻したことのない母親の身の上も気にかかったし、この先自分の体の振り方も会って相談して見たいと思った。後から暗い影の附き絡《まと》っているような東京を離れて、独りで遠くへ出るにしても、母親の体の落着きを見届けておかなければならぬとも思った。
 お庄はジミな絣に、黒繻子《くろじゅす》の帯などを締めて、母親を世話した近所の家まで訪ねて行った。
 その家は氷屋であった。主《あるじ》はお庄たちと同じ村から出た男で、兜町《かぶとちよう》の方へ出ていた。お庄の父親とも知らない顔でもなかった。
 母親のいる家は、伝通院のすぐ下の方の新開町であった。場末の広い淋しいその通りには、家がまだ少かった。出来たてのペンキ塗りの湯屋の棟が遠くに見えたり、壁にビラの張られてある床屋があったりした。
 四、五軒並んだ新建ちのうちの一つが、それであった。まだ木の香のするようなその建物について、裏へ廻ると、じきに石炭殻を敷き詰めたその家の勝手口へ出た。
 新壁の隅に据えた、粗雑《がさつ》な長火鉢の傍にぽつねんと坐り込んでいる母親の姿が、明け放したそこの勝手口からすぐ見られた。台所にはまだ世帯道具らしいものもなかった。裏は崖下《がけした》の広い空地で、厚く繁《しげ》った笹《ささ》や夏草の上を、真昼の風がざわざわと吹き渡った。
 お庄は母親の隠れ家へでも落ち着いたような気がして、狭い茶の室《ま》へ坐り込んで日の暮れまで話し込んでいた。



底本:「日本の文学9 徳田秋声(一)」中央公論社
   1967(昭和42)年9月5日初版発行
   1971(昭和46)年3月30日第5刷
入力:田古嶋香利
校正:久保あきら
2003年2月27日作成
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