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私の書斎
土田杏村

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【テキスト中に現れる記号について】

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 標題だけは書いたが、さて何を書いて見ようといふ案もない。ただ自分も一介の読書生として、終日この書斎の中に籠居してゐるとでも書けばよいのであらうか。
 私の書斎、先づ大いさを言へば、四畳半、六畳、十畳の三室から出来てゐる私の家――といつても野の中の極めて小さいものだが、その全面積の約半ばが私の書斎だといふ訳である。本来この家を建てる時に私は京都の郊外もうんと離れたところに、他から読書執筆の妨げを受けないやうにといふことを考へてゐたのだ。随つて書斎はまた家の人達の住んでゐる処から話声の聞えない処へと選んで別構へにして建てた。始め二室から出来た洋館だつたが昨年十畳一室を増築した。ベッドをここへ置いて、今では終日をその中に籠居してゐる。桜井祐男君の拙宅への訪問記を見ると、「ブリキ屋根が見える」と書いてあるが、ブリキではなくて浅野スレートの屋根なのだ。もう一つ序でに言ふと桜井君は田の中に小さな雑木林があつてその中に拙宅が建つてゐるやうに言つてあつたが、これも雑木林ではなく、後で植ゑた拙宅の庭木なのだ。ただ植木師などを入れないで伸び放題にしてあるものだから雑木林にして了はれる。他の某君の訪問記には、病み上りの頭髪のやうだと書いてあつたが、いかにもその通りである。
 書斎の中には書物が雑然と置かれてゐる。最初私は四畳半を応接室に使つてゐたのだが、書物の置場に窮するとそんな悠長なことは言つてゐられない。ここには書架を二つ置き、周囲の壁には出来るだけ多くの棚をつくつて全然の書庫にして了つた。下にも雑然と書物を置いてある。六畳の室は書斎にも応接室にも書庫にも使つてゐる。狭いこと甚だしい。十畳の室はベッドを置いて全く私の居室だ。近来はこの室をおもに書斎として使つてゐる。書物はどの室にも詰まるだけ詰まつたので、次第に廊下を侵蝕し、他の居室を侵蝕し、寝室の床の間の上まで書物の山積となつて了つた。起きるも寝るも書物の中に埋まつてゐるのは愉快なことでなく、さつぱりした一室を欲しいと思つてゐるが、そんな贅沢などはとても言へないのである。
 自分は五六の店から書物を買つてゐる。洋書は丸善で隔日位に葉書で新刊書をしらせてくれる。支那の本は彙文堂の目録で持つて来て貰ふ。邦文書は三四の小売店が競争で持つて来てくれるから先づ心配はない。その中一軒は美術書専門で始終新らしいものを持つて来てくれる。古書は東京と大阪の五六の書店から目録を送つて貰ひ、それによつて買ふことにしてゐる。洋書では哲学と社会問題の本が最も多いだらう。多少は珍書もある。大学の図書館や研究室にないものもある。現代哲学の主要書は出来る限り集めるやうにしてゐる。
 十畳の室、即ち今の書斎は、日本物の研究書を集めることにし、今はそれに最も多くの骨を折つてゐる。民族学的研究の書は遺漏なく集めようとしてゐる。文学の方では、種々の古典文学書、俳書、歌書を集めることに骨を折る。演劇の本も集め出してゐる。美術は奈良を中心としての古仏教美術関係のものが最も多いのだが、それも大分充実してきたので、鑑鏡、古織物、古陶器等の美術の書をも集めはじめた。これらの美術書はみな高価だから全く困つて了ふ。併し後になつて見れば自分の蒐集も世に珍らしいものの一つにならうかと思ふ。仏教美術の写真だけはもう大抵遺漏はない。「法隆寺大鏡」「七大寺大鏡」「日本国宝全集」を始めとして集められるだけの文献を集めてゐる。朝鮮、支那、印度の美術写真も苦心して自分の財政の許す範囲で多くを買ひ集めようと思つてゐる。各府県で出してゐる地誌類の中の美術関係のものをも集めてゐるが、これは集まらないで困るものがある。例へば朝鮮総督府から出るものなどは集めるのに骨が折れる。それでも慶州金冠塚の調査をはじめとして名出版を大分集めた。昨日奈良県の史蹟名勝天然記念物調査報告を第一冊からずつと揃ひで買つたがこれは嬉しかつた。書籍目録となると全く餓鬼のやうにして中を捜すのである。
 近頃は全集物が多く出るので何より有り難い。買へる限りは買ふことにしてゐる。有力なものは大抵買ひ集めた。下らない全集物は室に邪魔になるからたとへ一円本でも買はうとはしない。今では全く書物の置き場所が苦になつてゐるのである。自分は東京へ移転しようかと思ふ時もあるが、さう考へて何より困るのはこれらの書物の始末だ。私などの這入れる借家では、ちょつとこれだけの書物を置く場所がない。
 雑誌も沢山買つてゐるが、又随分沢山貰つてもゐる。だから有名な雑誌は大抵ある。毎月七十種位の雑誌は来ることと思ふ。勿論一々読む訳ではないがそれでもやはり欲しい。寄贈してくれる雑誌なら何でも欲しい。それも一冊でも捨てないやうに保存してある。新聞も一年分位は保存してある。これらはいざ評論を書くといふ時に資料となるのだ。雑誌も東京から京都へ移る時、必要がないと思つて売り払つたものに今必要となつて一生懸命で集めてゐるものがあるので、今はたとへいらないと思つても成るべく捨てないやうにしてゐるのだ。
 この書物の整理が大変である。雑誌の整理などはみな妻がやつてくれる。私は何処にどの雑誌があるかさつぱり知らない。自分は趣味がどしどし変るから、今面白いと思つてやつてゐる仕事の本はよく整理するが、それよりも大変なのは、これらの書物を買ふ資力だ。よくも自分の力でこれだけ買へたものだと自分でも感心する時がある。妻にも始終叱られてゐる。昨日の勘定日にも妻が会計簿を持つて来て、今月の本代が二百三十円、こんな放蕩息子がゐたら早速放逐になるところですよといふのである。その外にまだ百円余の支払が出来ないで借りにして置いたのだから大変である。だから私が本を買ふ時の焦慮苦悶は大したものだ。買はうか買ふまいかと苦悶した結果、さて買はないことにきめた時の私の顔は世にも類例のない寂しいもののさうである。画集には二三百円のものが少なくない。『座右宝』位なら自分でも買つてゐるのだが、その二三百円のものを二三種、本屋が持つて来て置いて行つた時の興奮は大したものだ。眼の前にその本があるのだ。私はそれを書架へのせて見る。いややつぱり返さうとおろして了ふ。その間の苦心たるや、全くこれは困つた病気だ。
 私は着物などは何でもよいと思つてゐる。洋服は一揃ひだけ持つてゐるけれど、和服となると常着だけしかない。その洋服も近頃は大抵は着ずに冬も夏も一着のルパシュカだけ着てゐる。これは実に便利な着物だ。上からスポリとかぶるだけで世話はなく、冬はシャツを何枚も重ねればよい。この三四年間私はただこの一着のルパシュカを着てゐるのだ。帽子は鳥打の夏帽子一つ。これで三四年の夏と冬とを越した。何処の学校へも行かないから、おしやれなどの必要はない。苦学する大学生のやうな風体で自分は散歩をするのである。ただ思ふものは自分の研究だ。本だ。気の毒なのは自分の家族である。何処からか降つて来る金でもあればよいのだが、さてさうもならないものだ。



底本:「日本の名随筆 別巻6・書斎」作品社
   1991(平成3)年8月25日初版発行
   1998(平成10)年1月30日7刷
底本の親本:「土田杏村全集 第一五巻」第一書房
   1936(昭和11)年4月
入力:ふろっぎぃ
校正:浅原庸子
2001年7月2日公開
2003年6月22日修正
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