火曜日。モンテ・カアロ。Hotel de Paris の新着客。
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エドマンド・モラン卿及びレディ・モラン。コンノウト殿下。ロイド・ジョウジ氏夫妻及びメガン・ロイド・ジョウジ嬢。フランシス・スワン夫人。ナックス・タウンセンド大佐。アンドレ・デニュウ氏夫妻。ヴィクトル・アリ氏。ジョウジ・タニイ氏夫妻。ジャルデノ・バルベニ氏夫妻。オルツィ男爵夫人。パデレウスキイ氏。以下略。
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私達が Monte Carlo へ着いた翌日《あくるひ》、水曜日の巴里《パリー》英字新聞だいり・まいる紙大陸版「リヴイラで何が起ってるか・起ってないか」欄の人事往来にこう出ていた。
モラン卿は、物ごころついて以来理事長をしてきたマンチェスタア紡績同業組合に最近役員の改選があって、その結果、卿のいわゆる「仕方のない鬚だらけの無礼な急進派」のために居心地のいい椅子を追われた精神的負傷を家庭医師の忠告によって癒《なお》すために、そしてレディ・モランは、この機会にここから各方面の政友へ遊覧保証絵葉書を投函するために、モンテへ来たのだった。コンノウト殿下は病帝陛下がバグナア海岸へ御転地になったので、ようよう岬《キャプ》フェラの別荘へ出かけることが出来るのだった。その途中モンテ・カアロにとまって、カフェ・ドュ・パリの前で私の妻のレンズをじろりと白眼《にら》んでそれでも彼女がすなっぷ[#「すなっぷ」に傍点]するまで周囲の人々との会話を中止していられた。ロイド・ジョウジの一家族は土曜日のキャンヌのレディ・ブウトの晩餐会を振り出しに、舞踏と招待とリセプションとが十五分おきに全旅程を埋めつくしていた。ひそかにコンミュニズムを信奉する一青年記者が、部屋つきの給仕に化けてその貸切室へ出入し、十五分ごとに彼らの言動のすべてを倫敦《ロンドン》本社へ直通電話していた。しかし新聞には彼の言わないことばかり出るといって、召使用|昇降機《エレベーター》のなかで非常に悄気《しょげ》ている記者を私は見たことがある。君も早く感想兼自叙伝の印税で家内じゅうで特別旅行をするがいいと私は彼を慰藉《いしゃ》しておいた。が、このぶるじょあ的|諧謔《かいぎゃく》は彼には通じないようだった。そしてロイド・ジョウジは依然としていつ万年筆と記念芳名録を突きつけられて署名を求められても困らないように右の手だけ手袋をせずにオテル・パリの廊下で杖をついて、それからあの有名な眼尻の皺《しわ》と同伴でしじゅう外出していた。自動車の踏板へ片足をかけたところで「|どうぞ《プリイズ》!」と呼びかける写真班へは、彼は常に選挙民のために貯蔵してある微笑の幾らかを許した。この姿態《ポウズ》が一ばん漫遊中の国民政治家らしくて彼の好みに適合したからだ。そのあいだ令嬢のメガンはウィイン法学雑誌の「羅馬《ローマ》私法における売買契約の責任範囲とその近代法理思想に及ぼせる必然的投影の価値・並びに以上の歴史的考察」の論文を大ジャズバンド演奏中のTEAルウムの椰子《やし》の鉢植えのかげで読みながら、誰かが話しかけるごとに、勿論すぐその運動帽子のように真《ま》ん円《まる》い顔を上げて父のために笑った。しかし小指はウィイン法学雑誌の読《よみ》かけの頁へ挟まれているのを私は見落さなかった。そして相手がもし新しい招待を持ち込んで来たのだったら、彼女は早速胸の開きから小型記憶帳を取り出して日と時間と場処だけを書きつけていた。招待者の名前は決して書かなかった。たとえそれが未知の人であろうとも、彼女は名を訊こうとしないのである。大戦によって社交の習慣もこう変ったのであろうと私は思った。
フランシス・スワン夫人は彼女がホテルの日光浴外廊のアペレテフの上で私と私の妻に告白したとおりに、セルビヤの将軍の娘だった。そこで私はその白鳥《スワン》という姓があんぐれかえたゆに[#「あんぐれかえたゆに」に傍点]系統のものであることを指摘して、夫人に満足な説明を求めたのだった。それに対して彼女は、二つの角砂糖のあいだへ食卓の花挿《はなさ》しから薔薇《ばら》の花びらを一枚採って挟みながら、言いはじめたのである。『ムシュウ・エ・ダム。私はオデッサの大学を出ると直ぐ第三国際の宣伝員として黒海に沿うすべての都会の裏街で売春婦たちと一しょに人参《にんじん》と洗濯|石鹸《しゃぼん》を食べて生活しました。彼女らに彼女らの社会の採用した新しい政治様式の哲理を根本的に知らせるためだったのです。が、間もなく私はその無駄なことに気がついたのでした。なぜって、彼女らはみんなコルセットに手製のポケットを縫いつけて、そこへ醜業で獲《え》た三|留《ルーブル》七十|哥《カペイカ》と一緒に、兵隊達が旧家の客間から盗み出した聖像を押し込んでいるんですもの。経済と宗教を同居させるなんて、前者にとって何という冒涜でしょう! おまけに彼女らは、得態《えたい》の知れない蛮語しか話さない頸の黄色い一羽の鸚鵡《おうむ》を貰うためには、最上等の無煙炭みたいに紫いろの熱気を吐くコンゴウ生れの火夫とでもその船の碇泊中同棲することを辞しないのです。そのうえ、毎朝早く市場へ人参と夜来の露と黒土のにおいを運んでくる近郊の農夫達へ、彼女らは窓から新聞に火をつけて振るのです。夜明けの闇黒《あんこく》は一そう暗いものですから、こうする必要があるのですけれど、彼女らは「赤い警鐘」紙も「労働と自由」新聞も火をつけて窓から振るために存在するのだと思ってるのです。そうするとそれを見ておいて、市場の帰りに百姓たちが彼女らの部屋を訪問します。そして彼らの馬鹿力の愛撫によって彼女たちの午後いっぱいの眠りがはじまるのです。歴史的にブルジョアのものと定義されている怠惰・信心・不潔と安逸への強い執着以外、そこには何もないのです。この女達は無産者のなかでの貴婦人であると私は結論しました。同時に私は、黒海地方特産の美容用れもん[#「れもん」に傍点]をしこたま鞄へ詰めて巴里《パリー》へ出ました。』
ここでフランシス・スワン夫人は玩具《おもちゃ》にしていた角砂糖と薔薇のサンドウィッチを口へ入れようとした。私が心配して注意した。
『小枝を切って絵具の溶液へ差しておくと、花がそれを吸い上げて自働的に着色されます。ニイスあたりでは、そういう薔薇をトルキスタンの花崗岩《かこうがん》帯で発見された珍らしい変種と称して町かどで売っています。おもに謝肉祭の花合戦に恋人同志が投げ合うのですが、首と手足の太い英吉利《イギリス》女なんかがそのまま故国《くに》の従柿妹《いとこ》へ郵送出来るように、一、二輪ずつ金粉煙草《ゴウルド・フレイクス》の空缶へはいって荷札までついていて、値段は五十|法《フラン》です。なかには、物を舐《な》める習癖のある赤ん坊はこれで自殺出来るほど、着色液の性によっては有毒なのがあります。その一種かも知れませんから、お砂糖に挟んで食べるのは中止なすったほうがいいでしょう。』
これが私の妻を噴き出させた。彼女はH・Pとロココ風に略字《モノグラム》のつながった銀の匙《さじ》で私の手の甲の静脈を叩きながら、古代ヘブライ語で私をたしなめたのである。
『何を言ってらっしゃるの? 造花じゃありませんか、これ。』
そして、自分でその花片の一つを※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》ってむしゃむしゃ[#「むしゃむしゃ」に傍点]食べてしまった。もちろんこの時は既に薔薇のサンドウィッチはフランシス・スワン夫人の胃の腑のなかにあった。例《たと》えそれが星のかけらであっても、食卓に出ている以上、この女達は※[#「魚+是」、第4水準2-93-60]薬味汁《アンチョビ・ソウス》をつけてフォウクに刺して舌へ載せたことであろうと私は推測した。
消化された薔薇がそのまま声になってフランシス・スワンの口を出はじめる。
『巴里《パリー》へ行ったのはオウトバイ競争の選手になるためでした。そこで私は遠乗《とおのり》協会の会員章の色ネクタイで髪を結んで、フランチェスコ派の苦行僧のように跣足《はだし》に皮草鞋《サンダル》をはいて三十六時間もぶっ続けにペダルを踏んだものです。が、それは私に一つの婚約を持って来るよりほか何の役にも立ちませんでした。男はバルセロナ出身の立体派画家で闘牛の心得もあったようです。「霧の中を往く馬車」というのと「虹の夢」という二つのカクテルを混ぜるのが彼の独特の技能でした。そして彼は、私の銀箔《ぎんぱく》の訪問服へ聖《サン》エミリオンの葡萄酒でその頃理論的に評判のよかったサンジカリズムの絵を描いてくれました。鉄鎚《てっつい》は鉄鎚で集まり、車輪は車輪であつまり、あちこちに調べ革と木靴の模様が散らばっていて、ちょうどお尻のところに聖書が一冊描いてありました。だからそれを着てグラン・ブルヴァウルを歩くことはどんなに私を楽しませたでしょう! キャフェ・ドュ・ラ・ペエ! あすこらの椅子に腰かけると、私はたちまち聖書をお尻に敷いてるのです! 彼はまた手の平に隠れる豆ヴァイオリンを持っていて、夜はそれでTOSCAの愁嘆を弾いて私の涙を誘うのでした。そうして彼は私を伴《つ》れて亜米利加《アメリカ》へ渡りました。あめりかでは、私たちは私たちの智的さを秘密にして帰化することに成功しました。スワンという名はこうして出来上ったのです。彼は、忙しがって衝突して首の附け根を折るウォウル街の株屋や、地下鉄で自ら進んで「|春の鶏《スプリング・チキン》」に足を踏まれたがる「神呪された胡桃《くるみ》」の多いのを目的《めあ》てに、紐育《ニューヨーク》で接骨医を開業しました。が、まずその電気広告費を稼ぐために、彼は毎日違法倶楽部の酒台の向側でカクテル壜《びん》を振らなければならなかったのです。彼が急死したのは、この選挙演説のように激しい振子運動がふだんからあんまり丈夫でなかった彼の心臓へ致命的に影響したのだと、倶楽部の医者が啣《くわ》え葉巻で走り書きした死亡診断書にありました。あとの私のことは多分あなた方のほうが詳しいくらいでしょう。』
私はあわててこういう言葉を挿入する必要を感じた。
『言うまでもなく、近代の新聞はすこし五月蠅《うるさ》くなりかけています。あなたなども随分個人的に立ち入った報道をされて御迷惑なすったことでしょう。』
夫人は指を鳴らして、この私のお世辞に対する喜ばしき受領証の笑いに換えた。
『事実は私は女秘書聯盟の書記になって午飯《ランチ》の休憩時間を一時間増すための全国的運動を起してそのかげに隠れて加奈陀《カナダ》総同盟の最左翼と結託しようか、それともハリウッドへ行って映画女優になろうかとずいぶん考えたのです。で、結局、ハリウッドへ出かけてメトロ・ゴウルドウィンの配役監督に面会したのですが、海水着に日傘をさして腰で調子を取って歩く試験にも、出来るだけ情熱的に接吻する試験――相手はその監督でした――にも、階段をころがり落ちる試験にもすっかり及第したのですけれど、最後の乗馬試験で撥《はね》られてしまいました。私にはどんなに好意ある男をさえも恐怖させるところがあるのです。そのために女優になることは断念しなければなりませんでしたが、あなたが私の名を新聞で御覧になったとすれば、それは映画事業に関聯してではなく、遺産相続という恥ずべき、けれど甘い法律手続の客体としてではなかったでしょうか。全く現在の私は、先月亡くなった父将軍の預金通帳によってこうしているのですからね。つまり良人《おっと》と父と、私はいま二重の喪に服していて重いのです。しかし私は正規の喪服を着ることはどこまでも拒絶します。黒は私に似合ったことありませんもの。』
そしてその申訳のように、彼女は父の分と良人のぶんと二|吋《インチ》四方ほどの黒の絹はんけちを二枚、靴下の腿《もも》のところから摘《つま》み出して、別々のハンケチで左右の眼から桃色の蝋《ろう》のしたたりのような涙を拭くのである。私はそのハンケチが西班牙《スペイン》旧教葬の寝棺にかける黒レイスの切れはしであることを認めて、その通り彼女に告げた。
彼女は父の方のはんけち[#「はんけち」に傍点]で鼻をかんでから私の妻に言った。
『奥さま。お茶へは何をお入れになります? 檸檬《レモン》よりも「|彼の主人の声《ヒズ・マスタアス・ヴォイス》」の蓄音機レコードのほうが宜しう御座いますわ。お茶のなかへあれをすこし爪鑢《つめやすり》で削り落していただきますと、どんなにスチイムの利いてる応接間《サロン》で何時間|他所行《よそゆ》きの言葉を使っていても、決して小鼻の横に脂肪の浮くということはございません。さ、庭園《ジャルダン》に出て馬車屋の挨拶と夕陽の色を吸いましょうね。おお・※[#濁点付き平仮名う、1-4-84]・おあある、ムシュウ!』
そして立ちがけに、通りかかった給仕を指先で押さえてフランシス・スワン夫人がささやいたのだ。
『ピイタア、この紳士にあの「あたしの記憶のために」のカクテルを一つ混ぜて上げて頂戴。』
3
ランキャスタシャアのPOLOの名手として知られているナックス・タウンセンド大佐は、女を擽《くすぐ》るために赤毛の口髭を短く刈り込んで、RをUのように発音していた。彼はまたブラッセル産|切子《きりこ》細工の硝子《ガラス》の指輪を三鞭《シャンパン》グラスのなかへ落してそれが表面に浮いてるように見せる不思議な妖術をも心得ていた。アンドレ・デニュウ氏は恩給で衣食しているセイヌ上流地方の退職戸籍吏のように見えたけれど、じつは彼は巴里《パリー》の百貨店プランタンの大株主なのである。ナプキンを顎《あご》の下へ押し込んでナイフで給仕人《ギャルソン》を指揮する癖があった。夫人は仔馬のように若く、ヴィテルボの陶器のようにこわれやすく、そして二人はいつも、たった今階上の自分達の部屋の性的天国からこの下界へ下りて来たばかりのところであると告白しているように見える夫婦だった。このほかそこには、モンテ・カアロの誘因《アトラクション》の一の鳩射撃《ピジョン・シウテング》の世紀的大家、歯と襯衣《しゃつ》の白い小|亜細亜《アジア》生れのヴィクトル・アリ氏があった。このモンテ・カアロの高級スポウツ鳩撃ちに関しては、産業革命以前から英吉利《イギリス》を中心に異論をなすものが多い。その反対説の大要は、鳩は平和と穏順の半神的象徴であるのに、それを冷たい血において射殺するのは狂気に近いというのである。それに対してヴィクトル・アリ氏は先々月|浩翰《こうかん》な反駁文をアムステルダム発行の鉄砲雑誌「火器《ファイア・アウム》」に寄せた。そのなかで氏は、灰色兎・栗鼠《リス》・蜂鳥.馴鹿《となかい》・かんがるう・野犬などを虐殺するイギリス人の狩猟趣味を指摘し、これらの灰色兎・栗鼠・蜂鳥・馴鹿・かんがるう・野犬のすべてがいかに平和と穏順の半神的象徴であるかを一々古今の詩篇・散文・学説からの文句を引いて例証した。そして彼は、動物に対する感情の相違は畢竟《ひっきょう》民族の問題であると喝破《かっぱ》した。つまり芬蘭土《フィンランド》人は見ただけで嘔吐するかも知れない豚の胎児を、西班牙《スペイン》人は原形のまま丸蒸しにして賞美するのである。それと同じように、一羽の鳩にしても、いぎりすの眼には資本帝国主義のあらゆる美名家として映るだろうし、ホッテントットにとっては単に焙《あぶ》り肉の晩餐を聯想させるに過ぎないかも知れないのだ。そしてわれわれモンテ・カアロの定連《アピチュエ》には、射撃の的《まと》以外の鳩というものの存在を想像することは出来ない。こういう論旨だった。この論文には予期以上の反響があって、ことに英吉利《イギリス》人が灰色兎・栗鼠・蜂鳥・馴鹿・かんがるう・野犬を襲撃するくだりには、それらの生物に対する氏の同情が切々と溢《あふ》れ出ていて、ジェネヴァに本部のある万国動物愛護会が特にこの一節の抜粋を番外週報として一般に配布したくらいである。ヴィクトル・アリ氏は来月中旬の鳩撃ち選手権大会に出場のため滞在しているのだった。
ジャルデノ・バルベニ氏夫妻――羅馬《ローマ》ボルゲエス家の姻戚に当る伊太利《イタリー》貴族。夫妻とも、すべての伊太利《イタリー》人と同じに耳のうしろに垢《あか》を溜めて、それを落さないように朝夕深甚の苦心を払っていた。バルベニ氏はずぼんのポケットに洋銀の靴箆《くつべら》を入れているのが動くたびにはっきり見えた。夫人は赤皮の飛行帽をかぶって素膚《すはだ》の脚へおれんじ色の紛おしろいを叩くことによって靴下以上の効果を出していた。
オルツィ男爵夫人――山腹の Villa Bijou で毎土曜日ダンスを催す。誰でも知ってるとおり、平穏に年をとって来た英吉利《イギリス》の探偵作家だ。今なら Villa Bijou, Monte Carlo というアドレスだけでファンの郵便が届くだろう。
パデレウスキイ氏――白い長髪にちょこん[#「ちょこん」に傍点]と帽子を載せて裾《すそ》の長い外套を着ている人。ホテルの食堂の音楽家を恥かしがらせないように注意していつも発見しにくい隅の卓子《テーブル》へつく。
それから朝飯《プチ・デジュネ》の盆に載って部屋へくる新聞を見ると、片眼鏡の外相オウステン・チャンバレンの夫人もこの Hotel de Paris に泊っているとあるけれど、どれがその人かちょっと私には判らないのである。が、丁抹《デンマーク》の王様だけはホテルの社交室で一眼で認めることが出来た。王様の身長は六|呎《フィート》五|吋《インチ》である。私達はコペンハアゲンでよくこの巨人王のことを聞かされたものだが、それがいま私たちのいるホテルで外《ほか》ながらお眼にかかれたわけだ。王様と女王さまは毎年キャンヌへおいでになる。そしてそこを根拠にジュアン・レ・パン、アンティブ、ニイス、モンテ・キャアロ、マントン、サン・レモと incognito でお歩きになるのである。
こうしてオテル・ドュ・パリは全|欧羅巴《ヨーロッパ》の上流と礼服と談笑と香気と宮廷風の大装飾とによってLIDOの電気看板の飛行をはじめたようにモンテの官能を刺戟していた。
私たちも礼服へ jump in して。私達も談笑の急流を渉《わた》った。香気のために私は毎朝オウ・ド・コロンを飲んで、頭髪にはゴミナ・アルジェンテンの固化油《オイル》を使用した。妻は英吉利《イギリス》直輸入の婦人煙草「|仕合せな夢《ラッキイ・ドリイム》」を喫《ふ》かしつづけた。そして爪を三角に切って貝細工の光沢を模倣するのに午前いっぱいかかった。
4
私達はマルセイユ発ヴァンテミイユ行きのP・L・M列車をアンティブで見捨てたのだった。
そのとき一七八八年以来の記録にない氷の風が北極から露西亜《ロシア》と波蘭土《ポーランド》の野原を吹き抜けて欧羅巴《ヨーロッパ》の主要部分の都会の記念塔とアパルトマンの窓枠とを痛そうに揺すぶっていた。
KEWの役人が両手を空中に抛り上げて宣言した。ファロ列島の東部に精力を持つ高気圧がある。この北極風が労農共和国の氷原を撫でて来るために現在の寒さであると。つまり、すべての社会的妨害がそうであるように、この天候の場合も原困は狂的露西亜《クレイジーロシア》の世界呪文の有難くない反応であると彼らは言いたいのだ。
が、それとは関係なしに、ルウマニアでは汽車が雪の下に寝ころんで、旅客は工兵隊が風俗博物館から応急に借用して来て雪中に立てた亜刺比亜煙管《アラビアパイプ》を通して外部の家族と会話していた。
ウィインでは大型輸送自動車の陸軍飯場《キャンティン》が街上に出張して、通行人と好奇《ものずき》な外国人の旅行者に羊の脂肪肉と麺麭《パン》屑と上官の命令とを煮込んだ熱湯汁を無料分配していた。百貨店帰りの若い売子女の飲んだあとからは、兵卒達が口紅を舐《な》め取るために先を争った。ダニウブが六|呎《フィート》の厚さに氷結して子供たちはみんなスケイトに行ったのでブカレストの学校は自然に閉鎖された。
独逸《ドイツ》では、スプリイ河と魚類の意識が凍って、浮浪人はその無機物化した魚を発掘して来ては湯桶《バス・タブ》に放して蘇生させて売っていた。伯林《ベルリン》ではすべての市街自動車のエンジンを一晩じゅう動かしておくことによって夜中に発動機油の氷結するのを防がなければならなかった。
マンチェスタアではフィルズ製鉄会社の地下室蒸気釜が、氷ってたところへ急に加熱したので破裂して三人の職工が釜と一しょに即死した。
ランダイでは仏蘭西《フランス》軍の歩哨が寒気のために衣裳人形のようになって凍死した。ルツェルンの湖では汽船の羅針盤が氷って岩壁に熱烈な接吻をした。巴里《パリー》では二つの橋の鉄材が収縮して交通遮断になった。ヴェニスでは運河と礁湖《ラグウン》がすっかり硝子《ガラス》張りになって、市民は一時ゴンドラから解放された――。
これらの土地を寒気災害視察員のように巡回して来た私たちに、RIVIERAの太陽と植物系統は何と浮気に見えたことよ!
汽車を出ると地中海が空色の歓声を上げた。誕生日菓子のように立体的な緑の山がそれに答えていた。停車場と機関庫の間に一線《ひとすじ》の海が光っていた。そこに快走艇《ヤット》の赤い三角帆がコルシカからの微風を享楽していた。ヴェランダを広く取って、いぶし銅の訪問板にまでミモザの花の届いてる原色塗りの玩具の山荘《ヴィラ》が、それぞれの地形から人の注意を惹こうとしていた。近づいてみると、その一つ一つが固有名詞を秘蔵していた。〔La Bohe`me〕 というのがあった。“〔MA CHE`RIE〕”というのもあった。英語では“The Wood-nymph”などというのが見られた。ミモザはどこにでもあった。空気はその黄金《こがね》色の吐息のためにグラスの香水工場のように湿っぽく、かつ酒精的だった。海岸の散歩街《プロムナアド》では巨人の椰子《やし》があふりかのほうへ背伸びをしながら行列していた。化粧クリイムの浪へ樺色に焼けた海水着の女達が走り込んだり逃げかえったりしていた。砂には日光と恋と子供の遊びと籠椅子とがあった。人々はみんな大金を費《つか》って遊びに来ている者に特有な、小さな事件を好む悪戯《いたずら》らしい眼つきで素早くお互いに見交していた。私たちは自動車道路に沿うオテル・アングレテエルの自動車庫へ行って支配人に会いたいと言った。
ここは新型の自動車に自動車学校の教授格の運転手をひとり附けて、一週間でも一月でも自用車として貸切りにするところなのである。はじめに保証の金を置けばリヴィラのなかならどこへ乗って行ってもいいことになっていた。自動車の食費――油代――とそれから運転手の食糧、車の手入れや運転手の宿泊料、チップ、グラアジ費その他は一切こっち持ちで、ほかに巴里《パリー》十六区のアパルトマン代ほどに高い借賃を払わなければならないのだ。しかし、そこの自動車には、どう見ても富豪の自家用としか思えないすべての装飾と設備が行き届いていた。支配人が私たちを案内した陳列場《ショウ・ルウム》には、まるでエトワルヘ向って右側のシャンゼリゼの窓のように、高慢な感情の機械動物がすっかりお化粧を済まして思い思いの媚態《コケトリイ》を凝らしていた。それはちょうど貴族の女たちによって育てられて来た犬の展覧会と言った、高価な女性的な感じだった。その、みどり色の垂幕を背景にあちこちに近代的光輝を放っている新鋭の自動車のあいだを、私達は全員堵列礼に臨む東洋艦隊の艦長夫妻のように見て廻った。
アルプス国境防備兵のようにしっかりした足許と精悍な長身とを持つ伊太利《イタリー》製のランチャ。
麒麟《きりん》のように清楚なエスパノ・スイザ。
撫でながら走らせることを必要とする誇りの高いワザン。
それから何もかも承知している第一人者の鷹揚な微笑を忘れないロウルス・ロイス。
私達は彼女の好みで鼻の尖《とが》ったランチャを選んだ。三週間の契約だった。それはスポウツ・カアのように背の低い、真っ黄いろに装った稀代《きだい》の伊達者だった。黒と黄の配合はこの週間の流行だと言って、彼女は黒の制服をつけた真面目顔の運転手を悦《よろこ》んだ。私が名を訊いたら彼は「第十九番《ヌメロ・デズヌウフ》」とだけ答えた。こうして19が彼の呼称《よびな》になったのだ。そしてこの黄瑪瑙《きめのう》の巻煙草《シガレット》パイプのように粋《シック》なランチャが、これから三週間私たちの自用車としてモンテ・カアロ公園《ジャルダン》の小径《こみち》に park されるであろうし、19は三週間のあいだ私達が「ほんとに彼男《あれ》だけは私たちが掘り出した宝石《ジュエル》です」と言い得る、身綺麗《みぎれい》で小気《こき》の利いた“My Good Man”となることであろう。
『僕らはこの車で、君に運転させて真直ぐ巴里《パリー》からドライヴして来た気でこれからモンテ・キャアロへ乗り込むんだから、君も万事そのつもりで。』
私が言った。妻がつけ足した。
『そうしてムシュウ19はあたし達んところに三年――いいえ、足掛《あしかけ》四年働いている忠実な忠実な運転手さんなの。この頃の召使いは腰が浮いてて困るんですけれど、あなただけは別なんですって。』
『そうだ。是非そういう風に考えていてもらいたいな。』
私が激励した。すると19はにこり[#「にこり」に傍点]ともせずに答えるのだった。
『はい。皆さまがそう仰言《おっしゃ》いますので、すっかり承知しております。』
で、いきなり地面がうしろへ滑り出した。
ランチャの後部席には巴里《パリー》一流の鞄店で買い集めて来た私たちのスウツケイスが晴天の朝のカプリ島のようにかがやいていた。そのなかでも Claridge の館表《ステッカア》だけを一枚貼った深紅の女持ち帽子箱と、二人のゴルフ棒《クラブ》を差した縞ズックの袋とが人眼を引いてるようだった。が、私達の誇りはそれだけではなかった。妻はわざと帽子をとって、水玉模様のスカアフと一しょに短い断髪が風に流れるのに任せた。私は彼女の足を蜥蜴皮《リザア》の靴と一しょに自動車用毛布《モウタア・ラグ》で包んでから、私の自動車用革外套の襟を立てて、自動車用鳥打帽子の鍔《つば》を下げて、自動車用ブライアにダンヒルの自動車用|点火器《ライタア》で火をつけた。そしてうしろへ倚《よ》りかかった。外套の下に私は緑灰色のゴルフ服を着ていた、ゴルフ靴下の房も言うまでもなく緑灰色だった。彼女は厳選したアンサンブルのうえから大きな巻毛の自動車用コウトで埋めつくされていた。そして一分おきに自動車用|手提《てさげ》から自動車用鏡を出して薄飴《うすあめ》いろのKEVAの口紅をアプライしていた。19の黒い制服には金釦《きんぼたん》が重要性をつけていた。すべてが巴里《パリー》からドライヴして来た人に相応《ふさわ》しい「長い途《みち》に狐色になった荒《ラフ》さ」だった。私は彼女の肩に手を廻して、19がますます速力を踏んで一時間七十七|哩《マイル》するのを微笑によって黙許しておいた。
私達は高《アパ》コルニッシュ街道の行手にモンテ・カアロが出現するのを待っていた。
Monte Carlo !
モンテ・カアロだけは別だ!
これは地球に打ちこまれた蛇眼石《じゃがんせき》の釘《くぎ》みたいなものなのである。女悪魔のコンパクトに幽閉されていて、開けるとすっ[#「すっ」に傍点]と吹いてくる冷たい微風のような場処である。
このモンテ・カアロは太陽の下のどこよりも盛大な国際的|自由意思《ケア・フリイ》を唯一の価値として実行《プラクテス》しているのだ。その驚くべき原動力は、鉄片のかわりに黄金を引きよせる特殊装置の磁石にある。そこでは近代的に洗練された物質が――そして物質だけが――公認の王位に就いて二大陸の名士連《セレブレティス》を踊らせているのだ。どうしてここへ「自動車一台持って歩かない普通《カマン》の旅客」として汽車で着くことが出来よう! 停車場から来た人はホテルでも直ぐに二流の客と踏んでしまうに違いないのだ。それはこの愉快に軽跳な物質慾の環境への驚くべき冒涜でさえもあり得るのだから、しごく無理もないことだと私は自分に言いきかせた。そこでこうして自家用自動車を自家用運転手に運転させて巴里《パリー》からすっ[#「すっ」に傍点]飛ばして来たもののごとく見せかけてホテルの玄関へ乗りつける必要があったのだ。そしてそのためには、例《たと》え空っぽでも衣裳鞄の一つや二つは余計に持ち、ゴルフ道具と乗馬服だけはゴルフと乗馬に何らの関係なく、忘れることを許されないのである。これではじめてホテルも真剣に相手にしてくれるだろうし、私たちも「上品な自信」をもって周囲の華麗さに接することが出来るだろうし、誰とでもほほえみ交して最近のHITである芝居の評判を話題に上《のぼ》せられるだろうし、そうしてモンテ・カアロの中心に潜り込んでその柱石《キャプテン》たちと混合《ミキサア》し、彼らのあいだに流行するカクテルの秘密をさえも知り、彼等の愛好する冗句《ジョウク》に哄笑し、かれらの doings をDOすることが可能であろう。つまりこれから欧羅巴《ヨーロッパ》最前線の「|速い一団《ファスト・セット》」に私達も参加しようとしているのだ。Tra-la-la !
ホテルへはマルセイユから電報してある。
“Coming this evening. Mr. and Mrs. Tany.”
私は満足の眼でもう一度身辺を検査した。
この、私達とモンテ・カアロとを最も効果的に結びつけるために、私たちはその目的で取っておいた別経済の三分の一を今度の服装と持物と所謂《いわゆる》「|おもて見《フロウ卜・シャウ》」の全部へ新しく投資したのである。そしてこの瞬間の発明になるダンスのステップは、出て来る前にことごとくマスタアしたはずだ。しかも、私達のような人のためにひそかに存在しているあのアンティブの車庫を利用して、競馬馬のようにスマアトなこのランチャと、裁判官のように厳粛な「19」とを手に入れることに成功したではないか、何がほかに私達の Make-up に欠除しているというのだ?
『あ! どっかから犬を借りてくりゃ宜《よ》かった!』
私が叫んだ。彼女は非常に悲しそうな顔をした。
『犬? そうね。ペキニイスか何か――でも、もう遅いわ。駄目よ。いまになってそんなこと言っちゃあ――。』
私は、私たちの完全さに汚点をつけないために、犬のことはこれきり考えないことに決めた。そしてそう彼女に約束した。
コンダミンの小湾が私達を呑もうとして断崖の下に待ち構えていた。
ランチャは、それがランチャであるところの、すこしも速力をゆるめることなしにその難所を突破してコンダミンの湾を失望させた。
私たちのホテル入りは so far 美々《びび》しい成功だった。最初の美少年は彼女の帽子箱を、第二の美少年が彼女の化粧鞄を、第三の美少年は彼女のステッキを、第四の美少年は第一のスウツ・ケエスを、第五の美少年が第二のスウツ・ケエスを、第六の美少年は――とにかく第十一の美少年が私の眼鏡のサックを捧げて続くまで、じつに十一人のボウイが私達の背後《うしろ》に行列した。そのあいだ忠実な19は車扉《ドア》のそばに直立して帽子を脱《と》っていた。
大理石の階段のうえには支配人フリュウリ氏が出迎えていた。彼は手を揉《も》み首を曲げて習慣的に笑った。が、彼の頭脳は私たちの「状態《ナンバア》」と所属級を把握《サマップ》し、一刻も早く待遇の等別を確立しようと忙がしく働いていた。私は彼にファシスト風の真直ぐに腕を上げる挨拶をして、まず私たちがいかに方々を旅行して来た場慣れ者であるかを示した。それに対して彼は帝政時代の仏蘭西《フランス》外交官のように片手を胸に当てておじぎをする礼を返した。それは古風に優雅なものだった。そして彼は私たちのために特に部屋の用意が出来ていると言った。But then, この M.Fleury は巴里《パリー》リッツ・ホテルの支配人レイ氏、オテル・ロワヤル・オスマンのメラ氏、エドワアド七世ホテルのプラロン氏、オテル・ジョルジェのタレイル氏とともに大陸ホテル経営の五人男であることを私は以前から知っていた。